勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

タグ:飲み物

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爆発的に売れているセブンカフェ。日本人にの嗜好に合わせたあまり深くない焙煎、価格が百円というのがポイントだ。



現在、アメリカでは「サードウェイブコーヒー(第3の波コーヒー)」と呼ばれる新しいトレンドが出現している。第1の波は60年代、アメリカに一気にコーヒーが定着した時代を指している。この時、アメリカに普及したのが一般的にアメリカンコーヒーと呼ばれる、焙煎の浅いコーヒーだった(日本ではアメリカンと言えばお湯を足して薄めたコーヒーのことを指すが、実は本家のアメリカンは薄めてなどいない。ちなみにお茶代わりなので、スタバのトールサイズ350ccに該当するマグカップに入れてガブガブ飲むのが普通。結構旨いのだが、日本では滅多にお目にかかれない)。第2の波は80年代にやってきた。スターバックスを代表とした、いわゆるシアトルコーヒーがそれで、これは焙煎の深いエスプレッソを薄めてアメリカンコーヒー並みの容量にしたもの(前述のトールサイズ)。これが、もはやアメリカどころか、日本を含む世界中に爆発的に普及したのは、どなたもご存知だろう。

そして今回の第3の波の出現。これはコーヒー豆を厳選し、鮮度も徹底管理し、なおかつバリスタが手差し(ドリップ)で一杯一杯淹れるという、本格的グルメコーヒー(ちなみにシアトルコーヒーは出現当初「グルメコーヒー」と呼ばれていた)。で、第2の波と同様、これも現在、日本にも入り込んできている。

じゃ、この第3の波は第2の波と同様、日本にブームを呼び起こすんだろうか……う~ん、ちょっと難しいような気がするのだが?

レギュラーコーヒーのカジュアル化

僕が知っている限り、わが国におけるここ数十年のコーヒー事情はかなり複雑だ。70年代はまさに喫茶店の時代。ここではコーヒーを飲みながらおしゃべりするというのが定番だった。喫茶店で提供されていたコーヒーの淹れ方はドリップかサイフォン(洒落たところではダッチコーヒー)、つまり嗜好品だった(ちなみに家庭ではほとんどインスタントコーヒーだった)。80年代からは家庭でレギュラーコーヒーが定着し始め、コーヒーは純粋に飲むもの、つまりカジュアルなものになり、その影響を受けてか喫茶店で会話しながらコーヒーを楽しむスタイルが衰退。代わってドトールなどの一杯180円(当時)立ち飲みで、飲んだらとっとと出るというカフェが普及する(僕のように粘る客もいたけれど)。

1人で空間を楽しむスタバ

で、喫茶店文化がすっかり影を潜めた90年代半ば過ぎ、スタバが登場する。これは喫茶店文化の復活、いや今日的な進化だった。スタバはプライベート「第1の空間」でもパブリック「第2の空間」でもない。パブリックな空間でプライベートに浸れる「第3の空間」。1人で部屋にいたら寂しい、でも人と一緒にいたら相手がうざったくて自由がきかない。こういったディレンマを相殺する空間、つまり1人でいても寂しくない場所として、スタバのようなシアトルコーヒーは見事にフィットする。お客は1人で本を読んだり、勉強したり、パソコンを打ったり気ままな行動を店内でとるようになったのだ(おしゃべりは意外なほど少ない)。

サードウェイブコーヒーはかつての喫茶店文化と重複する

で、肝腎のコーヒーの味はどうかと言えば……。確かにグルメコーヒーではあるが、アメリカのようにドラスティックに味が変化したと言うことには日本ではなっていない。アメリカは水やお茶のように日常的に飲むアメリカンと、嗜好品としてのシアトルコーヒーは、その立ち位置が異なる。つまり、当初「グルメコーヒー」と名乗ったように、既存のコーヒーとは一線を画した上級レベルのコーヒーという位置づけだった。

ところが日本ではどうだろう。以前からあるコーヒーはいまだに楽しまれている。そして、ドリップ使って結構まともに淹れている御仁も多い。つまり、はじまりから「グルメコーヒー」。そうするとシアトルコーヒーは「グルメコーヒー」と言うよりも「オルタネティブコーヒー」という位置づけになる。だから、アメリカのような味への驚きはないだろう。言い換えれば、シアトルコーヒーへの日本人の志向は、味と言うよりも、やはりあの空間に比重があったと言っていいだろう。
そしてサードウェイブコーヒーだ。これはアメリカ人にとっては本当の意味でのグルメコーヒーだろう。一杯一杯丁寧に淹れるなんて立ち位置からすれば、シアトルコーヒーなど「なーんちゃってグルメコーヒー」の域を出ない。

ところが、だ。これが日本だったらどうなるか?サードウェイブコーヒーって、要するに昔、喫茶店のオヤジが丁寧に入れていたコーヒーのことでしょ?まあオヤジの腕にはピンからキリまであったけど、コーヒー通ならピンを探すくらいのことはそんなに苦労せず出来た(街に数件は凝り性の喫茶店オヤジがいたはずだ)。そして、そういった旨いホントのグルメコーヒーを提供する「喫茶店」「カフェ」はいまだにしっかりと残っている。ということはサードウェイブコーヒーが乗り込んできたところで、まあ、どうということもないのではなかろうか。

で、実を言うとこのサードウェイブコーヒー。もともとは日本の喫茶店文化に感動したアメリカ人がそのスタイルをアメリカで展開したものだという。ということは、アメリカでウケるこのカテゴリー、日本では限りなく差異化が難しいことになる。そして現在、日本はコーヒー戦争の真っ最中。ドトールのような廉価コーヒー店、シアトルコーヒー、普通のカフェ・喫茶店、そしてコンビニ・コーヒー(セブンカフェはバカ売れ状態)、さらにはコンビニに溢れる缶コーヒー・カップコーヒー。こういった玉石混淆状態の中に食い込むのは容易ではない。だから、これがスタバみたいに爆発的人気を博することは、まあ、おそらくないだろう。

ただし、まったく人気が出ないということもないはずだ。というのも、これまで丁寧に入れていたコーヒーに「サードウェイブコーヒー」という名称をつければ、その付加価値で珍しがる連中はいるはずだから。とりわけ、喫茶店文化を知らない40代未満の人間達にとっては、これまで知ることのなかった「新しいコーヒー」として認知されるんじゃないんだろうか(実は、その辺の古びた喫茶店で提供されているコーヒーとさしたる違いがないにもかかわらず、だ。まあトレンド=モードとは、いつでもそういったものなんだけれど)。


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ポルトガルのスーパーに並ぶ”緑のワイン”ヴィーニョ・ヴェルデ(右から2本目と3本目は白ワイン)。安いモノだと€1くらいからある。ここの3種類(Gazela、Casal Garcia、AVELEDA)は最も人気のある銘柄だ。


緑のワイン?

現在、ポルトガルの北部、ミィーニョ地方のヴィアナ・デ・カストロという町に滞在している。ここにやってきたのは、この地方独特のちょっと変わったワインを楽しむためだ。
ワインと言えば赤、白、ロゼ、これにスパークリングワインというとこが一般的。ところが、ミーニョのワイン、ヴィーニョ・ヴェルデは、なんと「緑のワイン」。そりゃ、いったい?

と、単なるワインの紹介と旅行記みたいな書き出しになってしまったが、本ブログはあくまでメディア論。なので、今回はこの新機軸のワインについてメディア論的に考えてみたい。というのも、最近、このワインは世界中で注目されはじめているからだ。去年あたりから日本でも雑誌で特集をされはじめた。僕がびっくりしたのは東京ディズニーリゾートのホテルアンバサダーホテルのミニマートでこれが売られていたことだった(ちなみにここ十年でアメリカの消費量は5倍の伸びだそうだ)。最近ではスーパーなどでラベルにシャム猫?のデザインがあしらわれたガタオをよく目にするようにもなっている。

で、このワインが認められはじめた理由、これは日本のアルコール文化の変容と大きく関わっているからではないのか。言い換えれば、ある種の必然性が、そこにはある。今回はこんな想定で話をしてみたい。

ヴィーニョ・ヴェルデは日本食によく合う

日本でこそ「新機軸」だが、ヴィーニョ・ヴェルデは古くからあるポルトガルを代表するワインのカテゴリーだ。その名の通りヴィーニョ=ワイン、ヴェルデ=緑なのだけれど、とはいってもウォッカのズブロフカのように色が緑色というわけではない。見た目はただの白ワインだ。ただちょっと違うのがアルコールが低めなこと(概ね11度未満)、そして微発泡性であると言うこと。ちなみにヴィーニョ・ヴェルデは「若々しいワイン」という意味もあるらしい。要するに「早飲み」のワインというわけだ。

人気が出始めた理由。その一つは日本食とのマッチング。ポルトガル人はヨーロッパ一の魚介類好き、かつ悪食。鯛、鮪、鰯、鱸、鰻、太刀魚、アンコウ、ヤツメウナギ、タコ、そして臓物、ウサギなどなんでも食べる。今ラインナップした中で、ヨーロッパ人はタコ(別名devil fishつまり悪魔の魚)や臓物は一般には食されないが、ポルトガルではごく普通の食材だ。そして、調理法が結構単純。焼く、煮る、揚げる、蒸すといったシンプルなやり方。例えば鰯や、鰺、イカ、タコ、鱸のいちばんベーシックな食べられ方は塩焼きだ(米も使うので、ポルトガル料理は日本人にはよく馴染む)。で、これが少々辛口のヴィーニョ・ヴェルデと実によくマッチする。

ただし、それならばとっくの昔に普及していてよいはずだ。だから、これだけではなんで今頃になって注目されはじめたのかの説明になっていない。

マテウス・ロゼ=定着することのなかったヴィーニョ・ヴェルデもどき

実際、もう20年以上も前にポルトガルのワインは日本で大々的に売られたことがある。やはりポルトガル北部にある都市ポルト(ポートワインで有名)に本社を置くソグラペ社のマテウス・ロゼだ。これははヴィーニョ・ヴェルデではないが(ソグラペ社は、アベレーダ社の”カザル・ガルシア”とポルトガルで人気を二分するヴィーニョ・ヴェルデ”ガゼラ”を販売している)、カテゴリー的にはほぼ同じ。つまり微炭酸、低アルコールワインということでは同じだ。違うのは、マテウスの方がやや甘いということ(とはいうものの、甘口ワインではない)、そしてロゼであること(ヴィーニョ・ヴェルデのほとんどが白。とはいうものの赤やロゼもある)。これを輸入業者のサントリーが東山紀之を起用してテレビでCMを展開した。キャッチコピーは「人生がバラ色になるワイン」http://www.youtube.com/watch?v=KeLxXkGNrRE

で、バブルの真っ盛りにこれを売り出した。イタメシが大流行し、ワインが一般に飲まれはじめた頃。だから、味そのものよりも記号性、つまりオッシャレーなお酒として楽しまれたといったムキが強い。さらに現在のようなデイリーに楽しめるワインが出ていた時代でもなく(500円ワインが登場するのは90年代半ば)、ほとんどの人間にはワインの味などわからない。となると味は、結局無難というか「甘くて飲みやすい」みたいなものになる。言い換えれば、味なんかわからなくても、まあ飲めると言うようなものに落ち着く。そこでサントリーはマテウスロゼ、つまり微炭酸の白でも赤でもない(ロゼがいちばんの見やすいとみなされていた)、見た目がオシャレーな( フランケンボトルにシャンパンもどきが入っている) このワインに目をつけたのだろう。だから、バブル崩壊とともにマテウス・ロゼ(ちなみにサントリー同様に、ドイツのマドンナも原田知世をCMに起用していたが、これも甘口だった)も、影を潜めるようになった(当時の価格は1300円程度。現在では700円程度だ)。真の評価はともかくバブルの記号という一過性のものとしてマテウスロゼは消費されたのだ。

ワインのカジュアル化

しかし21世紀に入ると日本のアルコール事情は変容を見せる。90年代半ばからワインの消費量が急増し、2011年には、その消費量は3倍近くになる(90年=11万キロリットル、2011年=29万リットル 財務省関税局調べ)。この二十年の間に第二次焼酎ブームなどが起こり、アルコールの多様化が進んだ中でのこの伸びは驚くべきことと言ってよい。言い換えれば、かなりの層がもはや記号、つまりオッシャレーなものとしてではなく、カジュアルなアルコールとしてワインを楽しむようになっている。実際、売れているワインも以前はその大半がフランスワインだったが、2012年にはその比率は三分の一近くにまで減少している(輸入ワインの国別輸入量でフランスが占める割合。2002年=53%、2012年=36%。財務省関税局調べ)。つまり安くてお手頃なワインをチョイスして日常的に飲む層が増えたのだ。この手の定着を意識してか、メルシャンが500円のデイリーワインを発売して大々的に売り出している。その名も”Every”。ワインに対する嗜好はある種の層には定番化、成熟化したといってよいだろう。つまり、もはや味で勝負する時代なのだ(ただし、あくまでもお手頃価格で)。

第三のセグメントとしてのヴィーニョ・ヴェルデ

こういった日本におけるワイン文化の定着は、翻ってヴィーニョ・ヴェルデを普及させるインフラの整備が整ったことを意味する。つまり、味もわかる、日常的に楽しみたい、ただし安い方がいいといったコアな層がヴィーニョ・ヴェルデに手を伸ばす。

ただし、これだけなら他のアルコールやワインも該当する。実際チリ、イタリア、スペインといった安旨ワインは伸びている。だから、これらとの差異化も必要。で、ヴィーニョ・ヴェルデには、これらと決定的に違うところがある。しかも日本文化とよく馴染む特徴が。

日本人がよく飲むアルコールは基本的にライトリカーだ。ビール、チューハイ、焼酎(飲まれ方の多くは割って飲むので、結果としてライトリカーになる)。アルコール度にすれば5%以下。一方、ワインもまたライトリカーではあるけれど11%以上(赤は13%以上)と、少々ヘビー。一方、ヴィーニョベルデは概ね11%未満と、ライトリカーのカテゴリーに入る。そして微炭酸であるので食前酒、食中酒どちらでもいける。夏は冷やしてビールみたいにガブガブやれるし、冬は鍋をつまみにしてもいい。そしてたいていの魚とぴったり合う。感覚的には微炭酸ゆえ「やわなスパークリング」というイメージを抱きがちだが、果実の強い香りがやわな感じには思わせない。そして、その品質は極めて高い。にもかかわらず国内での価格は1000円未満。そして、これは日本人がたしなむワイン、日本酒(全て10%以上)とビールの間のセグメントに位置する。つまり安い、旨い、なんにでも合う、アルコール度手頃、ガブガブいける、微炭酸だからちょっとオッシャレーな感じ(シャンパングラスで飲んでもいい)。ちなみに飲みやすいので初心者にも好評だ。

とはいうものの、論より証拠。是非一度試してみて欲しい(ネットで「ヴィーニョ・ヴェルデ」とググればすぐに購入可)。そして、飲んでから、もう一度このブログを読んでみて欲しい。きっと「なるほど」と思うはずだ!(と、期待しています(笑))




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弱発泡系の緑のワイン”ヴィーニョ・ヴェルデ”の代名詞、カザル・ガルシア。手前の料理はバカリャウ・ド・ブラス。ほぐした鱈とタマネギを炒め、揚げた千切りのフライドポテトを混ぜ、生卵でぐちゃぐちゃにし、上にパプリカとオリーブをトッピングしたポルトガルの典型的料理。完璧なマッチングだ。



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ヴィーニョ・ヴェルデ・ティント。赤の弱発泡ワイン。残念ながらヴィーニョ・ヴェルデの赤は現在、日本では入手できない。どこかの業者が輸入してくれないかなあ!




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ポルトの住宅街の中にある安食堂で注文したヴィーニョ・ヴェルデ・ティント。デキャンタで供されたので銘柄は全くわからず。なんとビアタップ(生ビールを注ぐ奴)から注いで出されてきた。たったの1.5€



ポルトガル人が飲んでいるお酒はワイン?ビール?いえいえ

ポルトガル人は、他のヨーロッパ人同様、大の酒好きだ。ランチ時にもレストランのテーブルについているお客の半数以上がアルコールを口にしている。アルコールは食文化の一部をしっかりと占め、食事=アルコールという習慣が定着しているのだ。ただし、彼らが楽しんでいるのはビールではない。当然ながらワインだ(一人あたりの消費量は世界でも最上位に入る)。でも、実を言うとちょっとこれもビミョーに正解ではない。確かに見た目はワインで、色も赤と白なのだけれど……よ~く見てみると、ほのかに下から泡が立っているものが結構ある。そう、これは”ヴィーニョ・ヴェルデ”と呼ばれるポルトガル独特の炭酸系ワイン。日本語に直すと「緑のワイン」(Jリーグの東京ヴェルディと同じね。だからヴェルディはユニフォームが緑色)というカテゴリー。ただし、色が緑というわけではない。普通の白と赤だ。これはブドウが自体は若摘み(「ヴィーニョ・ヴェルデは若々しいワイン」という意味でもある)で、寝かすようなことはしない。つまり、生産したら、さっさと飲むことにちなんで命名されたとか。

しかし、日本ではシャンパンという言葉で称されるスパークリングワインとはちょっと違う。まず泡の立ち方が圧倒的に少ない。だから、口に運んだときも、あまり強い炭酸を感じない。で、これが実にうまい、というか日本人の口によく合う。というのも以前にもこのブログで紹介したけれど、ポルトガル人は日本人と食生活が似ていて、この食べものにヴィーニョ・ヴェルデがよく馴染むからだ。ポルトガル人も魚食系。マグロ、スズキ、アジ、イワシ、エビ、イカ、鱈なんてもの食べる。そんでもって普通の欧州人が食べないウナギ、アンコウ、タコ、で肉でも臓物なんてものまで食べる。料理法も焼く、煮る、揚げる(“天ぷら”はポルトガル語の”テンポラス”から名付けられている。“テンポラス”は”金曜日”という意味。安土桃山時代、日本にやってきたポルトガル人が金曜日はキリストが死んだ日なので肉を食べるのを避け、代わりに魚を小麦粉に付けて揚げたことが名称の由来)なんて感じだ。ヒカリものの開き(アジ、スズキ)なんてのもあたりまえのようにあるんだけれど、これが実にこの”なーんちゃってワイン”のヴィーニョ・ヴェルデにはピッタリ来る。

ビール以上ワイン以下で、両方のいいとこ取り

ヴィーニョ・ヴェルデの特徴を一言で表現すれば「ビール以上、ワイン未満」。この説明でいちばんわかりやすいのがアルコール度。二つの間の中間、つまり8~12%の間だ(もちろん、白だと下の方、赤だと上の方になる)。このアルコール度というのが食欲を誘う、そして真っ昼間に飲みのにちょうどいいという具合になる。たとえばビールだと飲む量が多いので、ヘタするとビールだけで腹いっぱいになってしまうということが起きる。一方、ワインだと今度アルコール度が高すぎて(11~15%)、真っ昼間からしこたま酔ってしまうということにもなりかねない。ところがこのアルコール度だと腹はふくれないし、あまり酔っ払うこともないということになる。しかもアルコールに加えて炭酸が入ることで適度に胃袋を刺激する。ということで、両方のいいとこ取り状態なのだ。飲み方もワインの「チビチビ」でもなくビールの「ガバガバ」でもない中間(スコスコ?)だ。

現代の日本人の食にヴィーニョ・ヴェルデはぴったり

味は、白、赤ともに軽い。白だったら、味自体が甘すぎず、辛すぎず軽やか。モノにもよるがライムのような香りと味のするものもある。ちょっと炭酸ジュースとか、ライムサワーみたいな感じがする。しかし、味はしっかりワイン。だから炭酸ジュースやコーラを飲みながら料理というのとは、ちょっと違う。これをギンギンに冷やしていただく。ちなみにポルトガルのレストランではヴィーニョ・ヴェルデの瓶にワイン冷却用の腹巻き?=クーラーをつけてテーブルに置いてくれるところが多い(冷たさをずっと保つことができる)。

一方、赤の場合は気持ち甘い。これは実際甘いと言うよりは炭酸が甘く感じさせているというところだろう(だから日本国内メーカーが販売している激安の甘い赤ワインとは味が全く違う)。タンニンはそこそこ多く、だから色も濃い。しかし重くはない。ちなみに赤であっても多少冷やして飲むというのが基本。似たような味のものはスペインのサングリアあたりだろうか。実際、レモンを入れて飲むというスタイルも結構ある。これだと炭酸入りサングリアみたいになる。

で、僕は提案したい。ヴィーニョ・ヴェルデを日本の食卓に導入しよう、と。洋食化が進む日本人。ヴィーニョ・ヴェルデはこの流れにはピッタリだ。しかも日本人はあんまり脂っこいモノを好まない。コテコテのグルーヴィがかかったハイカロリーのステーキとかを毎日じゃ、ちょっとたまらない。ということは、これにピッタリのボルドーのフルボディ・ワインを毎日というのも「どうもねぇ」ということになる(値段も高いし)。薄味、あまり脂っこくない、それでいて肉も魚も食べる、それでいて洋食。こういった最近の日本人の嗜好のスイートスポットに、ヴィーニョ・ヴェルデは入るのだ。

アルコールの味がわからない、そして苦手な学生たちが絶賛!

実は、先日学生たちの合宿でワインの試飲大会をやった。卒業生の追い出しコンパで卒業生たちにワインをプレゼントしたいというのがそもそものきっかけで、だったら合宿の打ち上げで、みんなでいろんなワインを試飲して、いちばん人気のあるものをあげることにしようということになった。で、8種類のワインを用意して全員で飲み比べ。中にはアルコールが苦手な学生もいて大変だったんだけれど、二十数人のメンバーのテイスティング結果はヴィーニョ・ヴェルデの代表的銘柄であるカザル・ガルシア(白)が圧倒的な支持を得た。大学二年と三年生なので、はっきりいって現時点で酒の味がわかるとは思えない(ちなみに、僕がイチオシしたのはこれではなかった)。にもかかわらず、彼/彼女たちはこれをいの一番に推したのだ。つまり、これは彼ら=現代人の味覚にジャストフィットしていることを意味しているということになる(おじさん=僕の味覚ではない(^◇^;))。

ネットで購入可。毎日の楽しいアルコール・ライフにオススメ!

ということで、ヴィーニョ・ヴェルデ、是非、試してみてほしい。ヴィーニョ・ヴェルデは現在、普通の店ではなかなか手に入れることができない(あったとしてもネコ絵が描かれたGataoくらい)。しかしネットのサイトに行けば購入可能だ。播磨屋や楽天のサイトがその代表で、ポルトガルワインの専門輸入業者の播磨屋のサイトからは現在7種類の中から選ぶことができる(http://www.w-harimaya.co.jp/13.html白とロゼのみ。残念ながら赤はない。入れてくれないかなぁ~!)。値段はすべて900~1000円程度。味もうれしいが、価格もうれしい。

ビール以上、ワイン未満という新しいカテゴリー、そして日本人、現代日本の食によくあうデイリー・アルコール、ヴィーニョ・ヴェルデを是非、お試しあれ!



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限定販売のヴァイツェン。要冷蔵なので、あまり出回っていないがネットで購入可能。要チェック!



銀河高原ビールをはじめとする地ビールの凋落と銀河高原ビールの生き残りについて考えている。最後に、日本のビール業界の中で銀河高原ビール、そして沢内銀河高原ホテルはこれからどういったスタンスをとればよいのかを考えてみたい。

銀河高原ビールの売り方:ビール界のベンツ、BMWをめざす!

前回のおしまいで指摘しておいたように、銀河高原ビールはその味が日本の食文化とは合わない。だからスーパードライのようなメジャービールに対抗できるようには決してなることはできない。言い換えれば、それは銀河高原ビールがフォローできる市場が極めて小さいということを意味している。で、僕はそんな立ち位置にある銀河高原ビールには、だからこそ次のような売り方がよいのではないかと考えている。

サントリーはプレミアム・ビールを「ご褒美」「ごちそう」「お祝い」といったイメージで売り込んでいる。いわば”ハレの日のビール”というわけだ。で、銀河高原ビールはこれよりもっと上、つまりスーパープレミアムビール。価格もちょっと高い。だったら「究極のご褒美ビール」とか「本当に味のわかる人のためのビール」とか「気取りたいとき飲むビール」といった、さらに上を行くイメージで売るのがよいのではないだろうか(ビヤたんで飲むなんてのは、もってのほか。ピルスナーグラスで)。ただし、こうするとプレモルよりもっと市場は狭くなるが、この狭さをきちんと維持すれば、それでいい。それはベンツやBMWのシェアが小さいのと同じこと。つまり、限定されているからこそ、より輝くビールとなるわけで、そういった「素性のよさ」を堂々と個性として売り出せばいいわけだ。

沢内銀河高原ホテルもニッチで

さて、最後に今回冒頭にあげておいた、銀河高原ビールを製造している沢内銀河高原ホテルに話を戻そう。説明しておいたように、事業清算の後、銀河高原ホテルも東日本ホテルグループの傘下となり、なかなかキビシイ営業を強いられている。施設は縮小するわ、トナカイは死ぬわ、従業員も削減されるわ。ビールもかつてはフラスコ瓶のデカいヤツが売られていたけれど、いまは缶と瓶(スターボトル)のみ。掃除の従業員が朝、朝食会場で目玉焼きを焼いてたなんてことになっていた。

しかし、それでも凄くがんばっているのはよくわかった。そんなに大きな施設ではないのに毎日イベントやっているし、料理も地物がいっぱい。前沢牛入りソーセージ(当然ながらビールにピッタリ)、厚焼き燻製ベーコン、湯田牛乳、湯田ヨーグルト、凍だいこんの煮付け(ホテルの軒に大根がいっぱい干してあるのが提供されている。ウマい)。

そして何よりウレシイのは、やっぱり、ここでしか飲めない生のビール。白、ヴァイツェン、ペールエール、スタウト(スタウトは缶や瓶でも販売していない)の「とって出し」をいただけるわけなんだけど……これがやっぱり最高だ。こういったワン・アンド・オンリーをもっと前面に押し出していくべきだ。

気になることもひとつあった。それは部屋にテレビが据え付けられたこと。以前は大自然の中に宿泊してもらう、つまり大自然での宿泊を堪能してもらうことを考え、テレビを設置しなかったのだが……これはよろしくない。ちなみにここでは、現在ネットの接続もない(だから宿泊当日は、ブログを一日お休みしました)。SoftBankももちろん圏外だ。でも、これでいい、いやこれがいいと思う。ホテルの方も、このコンセプトを徹底的に貫いて欲しい。そうすれば、そのコンセプトに惚れ込んだ宿泊客がリピーターになるはずだ。だからテレビは、やっぱり、外そう。

こちらのホテルの方もビール同様、大衆に阿るのではなく、プライドと品位を保ってもらい「わざわざやってくる」というニッチなリピーターをつかまえてもらえばと僕は願っている。さしあたり「大自然の中で究極のビールを味わえるホテル」というイメージを徹底的に押し進めるというのがいいんじゃないんだろうか。

いずれにしても大衆に媚びる必要など、全くないのだ。

また飲もう、そしてまた行こう!銀河高原


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最もポップな銀河高原ビール「小麦のビール」



銀河高原ビールをはじめとする地ビールの凋落と銀河高原ビールの生き残りについて考えている。

前回は地ビールが経済的、技術的、食文化的要因によって地ビール・バブルの後、撤退、縮小を余儀なくされたことについて説明した。そして銀河高原ビールも地ビール・バブル後、この流れの中、同様に後退を余儀なくされたのだが、にもかかわらず、現在もしぶとく生き残り、全国展開が可能になっているのはなぜだろう?僕は上記の地ビールが根付かない三つの要因の内、前者二つをクリアしたからだと考えている。とりわけ二番目の技術的要因がモノを言っているのではなかろうか。

本質にこだわった

ちょっと順番をずらして技術的要因から考えてみよう。前回、地ビールが開発される際、実はかなり限られた仕掛け人=技術者によってビールが開発されたこと、それによって味が似たり寄ったりになってしまったことを指摘しておいた。ところが銀河高原ビールは全く違う。こういったものとは全く関係なくスタンドアローンで、そして「マジメ」に一から作ったのだ。開発にあたってはわざわざドイツに技術者を派遣し、またドイツからブラウマイスターを招聘した。さらにホップなどもドイツ製を使用。そして水はもちろん日本有数の豪雪地帯である沢内村の源水だ。だから、飲み比べてみればわかるのだけれど、他の地ビールに比べると味の個性、緻密さが全く異なっている。で、こういった品質の高さが、翻って僕のようなリピーター、愛好者を生み出すことになった。

そして、こういった高品位な品質によるコア・ユーザーの全国レベルでの獲得が技術的なハードルをクリアすることに成功していく。つまり「美味ければ飲む」というあたりまえの図式を徹底的にやり抜いただけなのだけれど、その馬鹿正直さが固定客を創出することに成功したのだ。そして、これは地ビール・バブルの際、とにかく全国展開し、結果として味を日本中に知らしめることになったという、今から考え直してみれば「幸運」ともみなすことのできる機会を得たこともあっただろう。

今考えれば、地ビール・バブルこそが「低価格」を可能にした

この技術的な馬鹿正直さと地ビール・バブルの追い風(あるいは遺産)は経済的要因にも波及していく。銀河高原ビールは広く全国展開することで一般の地ビールに比較してロットを多くすることが可能となり、それがスケール・メリットを生んで、ビール価格の低廉化に成功したのだ。銀河高原ビールは確かに高いが、一般のビールの二割増し程度。プレミアムビールと比べても一割増し程度の価格。となると「銀河高原ビールは高品質ビールだから一般のビールよりお金を払ってあたりまえ、プレミアム・ビールよりも上の、いわば「スーパープレミアムビール」だから、これより高くてもいい」ということになり、費用対効果的な旨味を消費者に感じさせる。だから「高い」という印象をぬぐい去ることができている。一方、一般の地ビールの場合、前回指摘しておいたように「高くて、大して美味くもない、味も似たり寄ったり」、つまり費用対効果を感じられないものとなるのだ。

銀河高原ビールがメジャーになることは、絶対にない。でも、それでいい

ということで、銀河高原ビールは今後も根強く生き続けることになるだろう。ただし、これが売り上げでスーパードライや一番搾りといったメジャー・ビールに肉薄するということは絶対にない。それは、このビールの味が日本の食文化とほとんど合わないからだ。つまり要因の三つ目である文化的要因についてはクリアすることができない。これは試しに銀河高原ビールを寿司や刺身でやってみればよくわかる。お互いの旨味をすっかり相殺してしまうのだ。やはりこれだけの甘みと香り、コク(軟水を使用しているので、これらの要素がいっそう引き立っている)のあるビールは、料理の方もそれに対抗しうるコクと香りが必要。だから、洋食系の料理やスナック(ピーナツはよく合う。意外なことにせんべいや柿の種もよく合う)でやるか、あるいはビールだけをゆっくりと噛むように味わうというやり方がいいだろう(ゴクゴクやるビールではない、というかそんなことやったらもったいない)。こういったニッチな飲み方ならば、銀河高原ビールの独壇場となるのだ。

じゃあ、これから銀河高原ビール、そして沢内銀河高原ホテルはどうやっていったら、よいんだろうか?(続く)

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