「一期一会」コミュニケーション
新しく求められ始めた「つながり」について考えている。前回は、この「つながり」が相手と関わる際に「自らがご主人様となって、相手をモノのように扱う」心性が前提されること、そしてその具体的なやり方のひとつが「相手の動きだけを抜き取ること」であることを指摘しておいた。
今回は、これ以外の、新しい「つながり」を獲得する具体的な方法として二つ目をあげてみたいたいと思う。それは「一期一会的コミュニケーション」だ。これは、ほんのひとときだけ、共通のネタ、関心を通じて匿名の人間が集結し、大いに盛り上がったら解散する。そして、後腐れナシというやり方だ。いくつか例を挙げてみよう。
バックパッカーたちの瞬間的盛り上がり
例えばバックパッカーのゲストハウスでのコミュニケーション。バックパッカーたちは原則、海外のゲストハウス(最近は国内もあるが)を、行き当たりばったりで渡り歩く。ただし、これは『地球の歩き方』などにちゃんと掲載されているところに向かうので、当然そこには同じように日本人バックパッカーが投宿している。そこで、同じ旅行者として意気投合。食事をしたり、酒を飲んだり。時には次の目的地に一緒に出かけたりすることも。ただし、その関係が長続きすることは少ない。ほとんどはその場限りの盛り上がり。時が過ぎれば散会する。
こういった関わり合いは「旅の恥はかきすて」という、古くからあるモノのイイがピッタリ来るだろう。ここでは多少プライベートなことを話したり、恥をさらしたりしたところで、どうせもう二度と会うこともない。だったら、好き勝手に相手と関わってしまおうという心性が働くわけだ。後腐れがないと無意識のうちに知っているので、大いに盛り上がる。そう、いずれ会うこともない他者と関わっている瞬間は、強い「つながり」が感じられるというわけだ。
一過性ボランティアたちの「つながり」
また、震災ボランティアもこれに該当する。阪神淡路大震災の頃からすでに発生していることなのだが、震災となるとどっとボランティアが出現する。ただし、このほとんどが一過性だ。つまり、震災直後にこそものすごい勢いでやってくるが、ほとぼりが冷めてくると、逆にボランティアがどっと引いていくという現象も発生する(実際、東北大震災のボランティアの数は、現在完全に不足した状態になっている)。こういったボランティアを本格的なそれと区別するために「一過性ボランティア」と呼んでおくことにしよう(ちなみに、誤解を招かないようお断りしておくと、僕はこれ自体が悪いといっているわけでは決してない。やらないより、やってくれた方がよいのはあたりまえなのだから)。
こういった一過性ボランティアたちの狙いは、災害地に共通の目的を持ってやってくることで、やはりバックパッカーと同様「盛り上がること」にある(阪神淡路大震災時ボランティアとして集結した若者たちの中には現役のバックパッカーがかなりいた)。つまり災害地に対峙し、被災者、そして他のボランティアと協働することで「つながり」を感じることができる(しばし、祭りに参加しているような感覚も伴う)。ただし、これが長期に及ぶと「しがらみ」が発生する。だから、ある程度関わったらもう終わり。つまり、この時、やはりボランティアに対して「やる、やらない」の決定はあくまでも、こちら側の任意ということになる。そう、「自らがご主人様」「相手をモノのように扱う」という心性は、ここでも保持されているのである。
さて、ここまであげた二つの他にもう一つ、そして最もわれわれが利用している、それゆえビジネスシーンで頻繁に用いられる「つながり」がある。(続く)