先日日『アナと雪の女王』(FROZEN、以下『アナ雪』)のMovie NEX(Blu-ray DiscやDVD、デジタルコピーなどがバンドルされたもの)を手に入れた。本編は大ヒットで、もはや評価は定着しているが、このディスクの中にバンドルされているボーナス・トラックがある意味スゴイ(Blu-ray版に限る。残念ながらDVD版は一部しか収録されていない)。1.短編『ミッキーのミニー救出大作戦』、2.『アナと雪の女王』製作スタジオ ミュージカル・ツアー、3.未公開シーン、4.各国のエンドロール・ミュージックビデオ、そして5.『原作から映画へ』(”D’FROZEN~Disney’s Journey From Hans Christian Anderson To Frozen”)という、映画が作られた経緯についての作品。特に、この『原作から~』の内容がすばらしかった(というか驚いた)。そして本編と合わせて、これら作品から感じられるのはディズニーアニメを仕切るJ.ラセターという男の凄まじいまでのディズニーイズム、ウォルト原理主義(以下「ウォルト主義」)の徹底だ。

『アナ雪』製作秘話の主役として登場したのは、なんとウォルト時代のアニメーターの妻

『アナ雪』製作秘話の『原作から~』には、なぜかウォルト子飼いの伝説のアニメーター、通称「ナイン・オールドマン」の1人であるマーク・デービスの妻・アリス・デービスが登場する。マークはすでに本ブログで紹介したように(「東京ディズニーランドにあるウォルトの世界」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2014/7/13)『バンビ』のとんすけとフラワー、シンデレラ、アリス、ティンカーベル、オーロラ、マレフィセント、クルエラ等のキャラクターを手がけ、スモールワールドなどの主要アトラクションのデザインを担当し、TDLのプロデュースも担当したナイン・オールドマンの中でも大物中の大物(余談だが、マークは生前「徹子の部屋」へも出演している)。

『原作から~』は10分程度の作品。ディズニーがアンデルセンの本作(”Snow Queen”)を、いかにして今回のFROZEN=『アナ雪』として具現化したかについての逸話が展開される。出演者は『アナ雪』の監督のクリス・バックと脚本のジェニファー・リーなのだが、この2人が本作製作に至った長い歴史を、アリス・デービスから話を聞くという体裁でストーリーは進行するのだ。アリスは前述したようにマーク・デービスの妻。自らもアトラクション”It’s a Small World”の衣装デザインなどを手がけている。でも、なぜアリスが2013年製作の『アナ雪』の語り部として登場するのか。マークは2000年には他界しているので、この作品には関わっていない。ましてやその妻???……関係ないんじゃないの?いや、ここが、おもしろい。ディズニーマニアなら垂涎の逸話が展開されるのだ。

『アナ雪』、その構想は、なんと70年前

本作は先ず30年代にアニメ化(仮題”Snow Queen”、製作番号1092)の計画があり、その指揮をウォルトがマークに命じたが中止となったこと、Enchanted Snow Palace from Snow Princessというアトラクションの企画もあり(夏に人気の上がりそうな、冷気立ちこめるアトラクションという構想だったらしい)、これまたマークが構想を練ったこと(いつこれが行われたのかわからないが、映像から察すると77年あたりか?)、さらに1949年にはMGMとの提携でアンデルセンの伝記映画を製作し、この中でSnow Queenを挿入アニメとして使おうとしたこと(これももちろんマーク担当)などの歴史が知らされる。これらをクリスとジェニファーは『アナ雪』製作決定後に知ったらしいのだが、すでに構想していたデザインがマークのデザインと酷似しており、その偶然に驚いたこと(エルサの髪型と氷の女王の状態でのコスチュームは酷似している)、そして本作の製作にあたってはマークのデザインを尊重したことなどが語られる。つまり『アナ雪』は70年も前に構想されていた。そして、その都度中心人物がマークだった。だから、ある意味、『アナ雪』とディズニーの深いつながりを語ることが出来るのは、もはや妻のアリス・デービスだけなのだ、となる。会話はクリスがアリスに向かって「この作品はアトラクションにするべきだ」と語り、これにアリスが「そのうちね」と答えて話を結んでいる(まあ、これだけ売れたので、おそらくアトラクションにはなるんだろうなぁ。アメリカではすでにグリーティングのアトラクションがはじまっているし……)。

クリスは「アリスとの時間は特別だった」と語ると、最後に作品はアリスのディズニーとの関わりも紹介される。それはイッツ・ア・スモールワールドを製作するにあたってのウォルトのやりとりだった。ウォルトはアリスに向かって「人々の期待以上の働きをしろ」「適当にごまかしたらお客さんは二度と来ない」と説いたという。そして作品はクリスの「ウォルトは永遠に喜ばれる最高のものを作ろうと奮闘していた」、さらに「その志を継ぐ」といったかたちで話を閉じている。つまり『アナ雪』はウォルトの精神をウォルト他界後40年を経てに具現化したものということになるのだ。

で、この話、実にラセターっぽいのだが、なんとなくウソっぽい。ちょっと演出が入っているという感じがするからだ。『アナ雪』の製作スタッフがマークの業績を知らないはずはないだろう(それくらいのことはディズニーのスタッフが調べているに決まっている)。文脈的にはウォルトとマークが手を抜かなかったように『アナ雪』スタッフも手を抜かないので「偶然」の一致を見たみたいな感じなのだ。マークの手がけたエルサと『アナ雪』のエルサが髪型が同じで、氷の女王として纏っている衣服も酷似しているなんて、そりゃ、ウソでしょ。これがC.ユングの集合無意識になっちゃうよ(笑)

しかし、こんなやり方=演出をすること。そこにラセターのディズニー作品に対するスタンスがあると僕は考える。それが「ウォルト主義」という戦略だ、と。


ウォルトDNAを再びディズニーに注入するラセター

ラセターは2006年のディズニーによるPixarの買収によってディズニーにチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして復帰するが、このディズニーによるPixarの買収劇は、ディズニーがPixarを買い取りながら、実質的にはPixar首脳陣によるディズニーアニメの乗っ取りであったことはもはや周知の事実だ。いや、厳密に表現すれば、その技術力でディズニーを凌駕してしまったPixarに、ディズニー側が、組織の存続を求めて自らのアニメ部門を乗っ取らせたといった方が的を射ているだろう。これによって、ピクサーとは対照的に下降線を辿っていたディズニーアニメに渇が入れられたのだ。その際、ラセターが取り組みはじめたことは「原点回帰」、つまりウォルト主義の復活だった。そもそも「適当にごまかしたりしない」というレベルではPixarは当時のディズニー作品を遙かに凌駕していて、これはディズニーよりもディズニーらしい、いいかえればウォルトらしかったのだが、これを本家にも導入していくのである。

「ラセターによるウォルト主義」はPixar買収後のディズニー作品群、つまりJ.ラセターのディズニー復帰後のディズニー作品群の変化から垣間見ることができる(ディスクのボーナストラックにバンドルされる製作秘話は、ウォルト主義をリスペクトする形式をとることが多い)。

例えば象徴的なのは2009年に製作された『プリンセスと魔法のキス(”The Princess and the Frog”)』だ。本作では、2000年代初頭にディズニー・カンパニーがやめてしまった手描きアニメを復活させる。アラジンやリトルマーメイドなどを手がけたロン・クレメンツ、ジョン・マスカー(手描きアニメ部門廃止とともにディズニーを去っていたい)を呼び戻したのだが、この映画の映像は「暗め」。そしてタッチがどことなくピーターパンに似ている。というのはあたりまえで、この2人はナイン・オールドメンの2人、オリー・ジョンストンとフランク・トーマスが最後に手がけた『きつねと猟犬』にアニメーターとして加わっているのだ。『ピーターパン』はナイン・オールドマン全員が関わった数少ない作品。つまり、ラセターはロンとジョンを再起用し、手書きの技術、そしてウォルトのDNAが流れている彼らに仕事を任せることで、かつてのディズニーを復活させたのだ。もちろん、作品のスタイルはプリンセスものとしては現代にマッチさせたものになっていたのだけれど。

そして、ウォルト主義は『アナ雪』のボーナス・トラックにも反映されている。その一つは本編上映前に上映された短編『ミッキーのミニー救出大作戦(”Get a Horse”)』だ。モノクロ作品で、オールドミッキー、ミニーの他、クララベル・カウ、ホーレス・ホースカラー、ピートなどの初期キャラクターが出演し、1930年前後のモノクロ画面、キャラクターの動き、ドタバタを繰り広げる。図式はミニーの奪い合いを巡るミッキーとピートの争いというお約束のパターン。初期の頃の元気いっぱいの悪ガキミッキーが復活し、「藁の中の七面鳥」(『蒸気船ウィリー』挿入曲)「ウイリアム・テル序曲・嵐」(『ミッキーの大演奏会』挿入曲)が流れ、『ミッキーの飛行機狂』の俯瞰が登場する(なおかつ突然CGの色つき画面に変わり、セピアのモノクロとCGが次々と入れ替わる。CGのミッキーとモノクロのピートが電話でやりとりするシーンではミッキーがスマホ、ピートが30年代の電話機を使用する)。途中までは全く新作には思えず、未公開映像と勘違いするほど(CGが登場し、色が突然付けられることで、これが新作であることに気づかされる)。この作品に込められているのはウォルトへの、そして古典ディズニーへの徹底したリスペクトだ。つまり、やっぱりウォルト主義。

もう一つは『アナと雪の女王』製作スタジオ ミュージカル・ツアーで、これは実際のディズニー・アニメーション・スタジオを舞台に、何とミュージカルでスタジオ内を紹介しているのだが、50年代のディズニー実写ものというテイストに仕上がっている(カラーもちょっと色あせた感じ、つまりセピア・カラー?にアレンジされている)。もちろんジェニファー・リー、そしてラセターも出演し、一緒に踊っている。ここにあるのはまさに「あの頃の、よき時代のバーバンク(=スタジオがある場所)」の再現だ。

ラセターはこういったウォルト主義をディズニー作品の中にリスペクトというかたちでふんだんに盛り込むことでディズニー色を前面に押し出そうとしているようだ。ということは、ラセター自身が自らをウォルトの正統な継承者として位置づけているということになるのではなかろうか。ただし、ラセターはPixarのドンでもある。ということはPixarではCGベースの徹底した丁寧な造りで、一方、ディズニー作品の方ではこれにウォルト主義を振りかけるというやり方で、その色分けを行っているということになる。

90年代(厳密には80年代末からだが)、中興の祖となったJ.カッツェンバーグ(『リトルマーメイド』『美女と野獣』『アラジン』『ライオンキング』を手がけた。現在はスピルバーグ、D.ゲフィンとともにドリームワークスを運営している)がお家騒動で去った後、低迷を続けていたディズニーアニメがPixarを買収し、ラセターにアニメの全てを委ねたことは、実に正解だったと言わねばならないのかも知れない。