勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

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大学生たちのスマホによるSNSの利用状況についてお伝えしている。前回はスマホがSNSマシン、つまりスマホ導入がSNS開始(mixiを除く)の起爆剤になっていること、彼らたちにとってLINEが最も身近なSNS=身内内コミュニケーションツールであること、その一方でFacebookが少々敷居の高いSNS=使いづらいツールであることを示しておいた。今回はTwitterの状況、そしてSNSのこれからについて考えてみたいと思う。

Twitterもまた身内ツール?

学生たちにTwitterは結構使われている。前回示したようにLINEに匹敵する利用率(LINE84.9%、Twitter73.5%)で、最も頻繁に利用するSNSとしては第一位(Twitter45.2%、LINE42.5%)だ。Twitterは、一般的には「ゆるいSNS」と呼ばれる。勝手にツイートし、勝手にフォローし、勝手にフォローされる。またハンドルネームでもいいので、不特定多数の匿名に向かってこういった情報の応酬がオープンに出来るというのがそのゆるさの根拠となっている。だから、つぶやきを発信したり検索したりすることで、自分の知らないさまざまな世界の情報のやりとりが高い自由度で可能になるというのがTwitterのウリであるというのはしばしばTwitterについての議論で語られるところだ(例えば『Twitter社会論~新たなリアルタイム・ウェブの潮流』の津田大介)。いいかえればこの「ゆるさ」がユーザーを世界に向けて情報の送受信を可能にさせるとともに、その魅力を感じさせている。

ところが、学生たちのTwitter利用は、こういったTwitterの議論とは全く別のところで展開されているようだ。彼らの平均フォロー数は119.2人、フォロワー数は104.9人とほぼ拮抗、フォローしている相手のリアル:ヴァーチャル比率、つまり知人:見知らぬ人の割合は6.5:3.5、フォロワーの場合は6.8:3.2、利用目的頻度は上位から暇つぶし(35.5%)、人との交流(31.3%)、情報収集(24.7%)の順だった。

こういったTwitter利用の現状は少なくとも今回調査した学生に関しては、津田を典型とする「世界に開かれたツールとしてのTwitter」とは別方向でTwitterが存在していることを示しているのではないだろうか。つまり上記のデータは「顔見知りの間で、適当に暇つぶしとしてつぶやいてお互いの関係をつなぐツール」という見方で捉えた方が当を得ている(言い換えれば「情報集ツールでは、あまりない」)。関わっている人間は100名足らず、しかもほとんどが知人なのだから。

Twitterはブログの使用方法と似ている

この図式は、ブログが当初期待されていた機能と実際に使われているそれが大きく乖離していたことと似ている。ブログはインターネットという世界中に開かれた空間に自らの情報を公開することで世界中の人々へ自己表現が可能になると呼ばれていたのだが、現実にはこういったことが可能なのはブログを書く人間が有名人であるか、よほど説得力、発進力のあるコンテンツを書くことができる人間であるかに限られ、ほとんどのブログは可能性としては世界に開かれていたとしても、実際にそれを閲覧するユーザーは身内に限られる「日記的なもの」としてしか機能しなかったのだ。これがTwitterについてもあてはまるように思えるのだ。つまり可能性と現実は異なっている。

mixiからTwitter経由でLINEへ

そして、このような見方が正しいとすれば、次のような考察が可能になる。それはLINEとTwitter(そして古くはmixi)の使い方で既にみてきたように、SNSが若者たちには、原則「身内内コミュニケーションツール」として利用されていること(言い換えれば「世界に開かれているわけでは必ずしもないこと」)、そして、その利用スタイルがスマホ普及によって変化しつつあるということだ。このことは、とりわけ、ここまで取り上げてこなかった彼らのmixi利用の変化を通して見てみるとよくわかる。

mixiは前述したように、彼らにとってスマホ以前にはパソコン、そしてガラケーを使ったSNSの王様だった。既存のリアルな友人(多くは学校友だち)とマイミクになり、そこで学校という空間の外でのコミュニケーションを図るヴァーチャル空間として利用されてきた(ハンドルネームは「匿名」だが、実際には誰なのか判別がつく「有名」なもの。つまり「仇名」的なものだ)。ところが、足あとなどの「履歴が残る」という機能が互いの関係を拘束するという結果をもたらし、いわゆる「mixi疲れ」という状況を生み出してしまった。そんなとき、スマホ普及とともにその代替として登場したのがFacebook、Twitter、そしてLINEだった。

で、当初、彼らにとってはFacebookとTwitter二つのチョイスがあった。ところがFacebookは難しすぎる。また実名主義が、ちょっと引っかかるところもある。だからやってはみたけれど、どうもよくわからない。そこでもう一つのTwitterを選択した。でも、実は、その自由度が災いして、こっちも曖昧模糊としていて少々わかりづらい。とはいうもののmixiの代用として使うことは出来る。ブログみたいに意気込んで長文を書く必要もなく、ほとんどタイムラインみたいに使えるところが便利で、気軽。そこで、身内ツールとしてこちらを選んだ。当然つぶやきは既存の友人に向けられている。で、原則的にはそのつぶやきを仲間内のみが閲覧する。

ところが、その後Twitterは結構、アブナイSNSであることもわかってくる。典型的なのが、いわゆる「バカ発見器」機能で、身内に向かってつぶやいた内容であっても、原則オープンなので、世界中で閲覧されてしまう可能性がある。だから、おいそれと身内ネタを開帳などしたら、とんでもないことになりかねない(ホテルの従業員がサッカー選手とタレントの密会をツイートしてしまった例はその典型。ツイートした本人はおそらく身内につぶやいたという感覚しかなかったのではなかろうか)。また、やっぱりTwitterはよくわからない。

そんなときTwitterの気軽さを持ち、安全で、しかもmixiのようなしがらみも少ないLINEが登場した。もっぱら身内内コミュニケーションを志向する多くの若者たちにとっては、これは当然のことながら福音だった。だから一気に飛びついた。まあ、こんなところなのではなかろうか。当然ながら、mixiの居場所は完全に失われ、彼らにとってもはや「死亡」したものとすらとられている。現在、利用率(現在メンバーとして登録している)が45.9%であるのに利用頻度が3.2%にまで低下し、また利用を停止している割合が43.3%と非常に高い数値にまで達していることがこのことを明確に示しているといえるだろう。

ということは、今後彼らがSNSを使う方向として考えられるのは次のようになる。先ずmixiからTwitterへの移行はひとまず完了した。そして現在起こりつつあるのがTwitterから、もっとお手軽なLINEへの移行、あるいは何らかの機能的棲み分けだ。ちなみにこの流れが進めば進むほど、現状のままではmixiは死亡に近づいていくだろう。

Facebookのゆくえ

さて、最後に学生たちにとってのFacebookの行方についても考えておこう。現状、彼らの「身内内コミュニケーションツール」というSNSの基本的利用スタイルからすれば、どうやらFacebookの出番はあまりないように思われる。だからその多くはFacebookを積極的に活用するのはもう少しあと。社会人になってからということになるのだろう。ただし、もちろんこれには例外もある。情報感度が高い学生(高偏差値系大学に多い)にとってはFacebookはすでに最も使われるSNSになっているからだ。これは同時期に調査したバックパッカーのSNSの利用実態からも判明している。彼らの多くが高偏差値系の大学生で、なおかつバックパッキングという高度に情報行動を要求するレジャースタイルを使いこなす。こういった若者たちにとってSNSは「身内内コミュニケーションツール」のみならず「世界に開かれたコミュニケーションツール」としても用いられることになるからだ。ただし、ここでは、こういったセンス・エリートたちはあくまで例外としておいた。マス、つまり大多数の若者、そしておそらく大多数のSNSユーザーにとって、SNSとは先ず「身内内コミュニケーションツール」と考えるべきだし、だからこそSNSは爆発的な普及を遂げているとみなした方がいい。

今後、おそらくほとんどの人間がスマホを携帯するという事態に至るだろうが、その際、SNSはどういった使われ方をしていくのだろうか?もちろん、ユーザー側だけの問題ではなく、SNSを提供する側も、そのノウハウについてさまざまな模索を続け、SNSに新しい機能を加えたり、他の機能と合体させたりということをやっていくだろう。だから正直なところSNSの5年後というのは、今のところ誰にも見えていないと考えた方がよいのかもしれない。

2012年10月大学生にSNSの利用状況を調査してみた

昨年10月、文系大学生(関東学院大学、立正大学、宮崎公立大学)340名にスマートフォンの利用調査を行ったのだが、その際、加えてSNSの利用状況についてもアンケートを実施した。そのとき驚いたのは、スマートフォンとSNSの関連だ。その結びつきはきわめて強く、もはやスマートフォンとはSNSマシンと言っても過言でないほどになっている(ちなみに、今回SNSとして扱うのはFacebook、Twitter、mixi、LINEの四つ)。当初、学生たちの多くがiPod+ケータイが合体するものという動機でスマホを購入するのだけれど(もっとも、今では周囲の人間が購入するので、自分も所有していないとマズイという強迫観念で手に入れる学生も増えているのだけど。購入動機が「流行だから」という理由が37.3%もあった)、手に入れてみると次第にSNSを使うマシンになってしまうのだ。

きわめて高いSNSのスマホでの利用率

この時点でのスマートフォン所有者は78.5%、つまり340人中267名。これら所有者の内、SNSの利用率は、高い順にLINE84.9%、Twitter73.5%、Facebook52.6%、mixi45.9%だった。ちなみにこれはFacebookのみのデータだが、SNS=Facebookへのアクセスはスマホ87.6%、パソコン12.4%と、スマホからのアクセスが圧倒的だった。スマホは要するに前述した通りSNSマシン的な側面があることがわかる。個人的にちょっと驚きだったのはLINEが凄まじいほどの普及を見せていること、FacebookよりTwitterの方が普及していることだった。そこで、それぞれのSNSの状況についてみていってみよう。

LINEの凄まじい勢い

LINEについては利用率が前述したように84.9%とトップの普及率だった。しかも利用歴は8.9ヶ月程度。TwitterとFacebookの利用歴が19.8ヶ月、14.6ヶ月であることを踏まえれば、LINEがいかに急激な普及を見せているかがわかる(mixiについては質問項目を立てなかったが、当然、利用歴は最も長いことが想定される。彼らは中学からmixiに親しんできた世代だ)。またスマホの平均利用歴が12.8ヶ月であり、SNSの利用歴と近いということからもスマホがSNSマシンであることを裏付ける。そして、とにかく「時代はLINE」ということらしい。

Facebookは学生には使いづらい?

普及率でFacebookが意外に低いというのも面白いデータだ。利用率こそ52.6%だが、四つのSNSの中でどれを最も利用するのかについての質問をしたところはTwitter45.2%、LINE42.5%、Facebook6.9%、mixi3.2%の順で、第三位であるのは利用率としては同じだが、利用頻度はガクンと落ちてしまっている。つまりFacebookは、登録しているし、それなりに利用歴もあるのだが、あまり重要視されていないSNSであることがわかる。また、登録はしたが、現在は利用を停止しているという質問項目についてはLINE11.5%、Twitter17.7%、Facebook19.8%、mixi43.4%、利用者の1日のSNSチェック頻度はLINE17.2回、Twitter14.8回、Facebook5.5回の順だった。ようするにFacebookは学生たちにとってはちょっと敷居が高い「使いづらいSNS」なのだ。

LINEは身内用のお手軽SNS

いいかえれば、その反対がLINEであることもこの数値は示している。ラインは普及しているし、頻繁にチェックされてもいる、また利用停止率も低い。ただし「最も利用頻度が高いSNS」のランキングともなるとその数値を突然下げ、Twitterに首位の座を譲っている。言い換えれば、とてもお手軽な「使いやすいSNS」なのだ。ただし、現状の利用法としては現実の友人間でのコミュニケーションツールでもあり(ライン上の友人のリアル:ヴァーチャル比率は97:3)、LINEはきわめて内向きのSNSとみなすこともできる。

じゃあ、Twitterはどうなっているんだろう?そしてこれらSNSはどういった関係にあるのだろう?(続く)

スマホとガラケーの所有率、テレビとインターネットのアクセス時間が逆転

僕は毎年、三つの大学の講義で学生たちにスマホの利用状況について質問している。ずっとたずねてきた質問項目は1.スマホとガラケーの所有率、2.テレビとインターネットアクセス時間比率の二つだ。トータルで300名程度の講義で実施しているのだけれど、2012年はちょっとびっくり、というか「ついに来たか」という反応があった。六月にこの二つの質問をしたところ、スマホとガラケーの所有率、テレビとインターネットへのアクセス時間比率、ともに逆転現象が起きたのだ。スマホの所有率が六割、そしてインターネットへのアクセス時間がテレビのそれを上回った。おそらく、というか、これは間違いなく二つが連動していることを示していると考えていいだろう。つまり、スマホの所有がインターネットアクセス時間の増加を促したと。

2007年、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した際、ジョブズはiPhoneの機能を順に三つ紹介していた。携帯電話、音楽プレーヤー、そしてインターネットだ。ジョブズがこれを紹介するときの会場のリアクションは興味深い。最初の二つで大歓声が上がったが、三つ目のインターネット・ディバイスを指摘したときは、あんまり盛り上がらなかったのだ。つまりこれは、当初、人々はiPhone=スマホをケータイとiPodを一台で持ち歩けるツールとして魅力を感じていて、インターネット・マシンとしては大して期待を寄せてはいなかったことを示唆している。ただし、ジョブズはこういう発表をやるときには、イチオシを最後に出すという演出をおこなうのが常だった(例の有名な”One more thing”という決めゼリフがそれだ)。ということは、ジョブズのこのプレゼンは肩すかしを食ったわけなのだけれどのだけれど(それでも、この時のプレゼンは「ジョブズ生涯における最高のプレゼン」と絶賛されている)。

だが、今回のこの結果はジョブズの見通しが正しかったとことを証明している。ジョブズは未来を正確に見通していた。現在、スマホがケータイと音楽プレーヤーを合体したものではなく、インターネット・ディバイス、いいかえれば常に持ち運べるコンピューターであること、パソコンの進化形であること(さらに言い換えれば、実はケータイと音楽プレーヤーはオマケでしかないこと)を疑う人間はもはやいないだろう(パソコン=スマホという認識ができない人間は、認識を改め直した方がいい)。

それじゃあ、ということで、スマホの利用状況についてもっと本格的に調べてみよう!

昨年10月、アンケートを実施してみた。対象は文系大学(関東学院大学、宮崎公立大学、立正大学)の学生340名(平均年齢20.1歳、男女比=45.2:54.8)。質問項目はスマホの利用状況、そしてスマホを用いたSNSの利用状況についてだ(SNSの利用状況については次回掲載予定)。ちなみに「大学生のスマホ利用状況」とタイトルには書いたけれど、調査対象はあくまでもこの三つの大学で僕の授業を受けている大学生たちであることをお断りしておく(偏差値40台後半~50台前半なので、これより偏差値が上になったり、下になったりすると、おそらく利用状況がかなり異なってくるだろう)。

基本データが示す「学生たちにとって、もはや電話はスマホの時代」

先ず基本的なデータから。その所有率は、それぞれスマホ78.5%、ガラケー30.1%という結果だった(スマホとガラケーを合計すると100%を超えてしまうのは二台持ちがいるから)。この時点での(12年10月時)全国の普及率が30%程度ということを鑑みれば、この数値は非常に高いということになる。OSについてはiOS(iPhone):Android=47.2:52.8(それ以外のOSはなし)。この比率も、まあ、一般とあまり変わらない。使用期間の平均はスマホが12.8ヶ月(ガラケーは55.1ヶ月)。基本データの中で興味深いののはWi-Fiの利用率で、なんと59.2%が利用していないという結果が出た。いずれの大学においてもすでに学内Wi-Fi環境は整備されているにもかかわらず、意外とこの機能は使われていないのだ。ここから考えられるのはスマホのスタンド・アローンな使用だろう(「Wi-Fiって何ですか?」って質問すらあった)。つまり、パソコンと接続してデータのやりとりをすることがほとんどなく、もっぱらスマホ単体で全ての作業を行っているということ。データのバックアップ率が52.8%であることはこのことを傍証する。つまり、これは学生たちが電話をガラケーからスマホに持ち替えても、いまのところは相変わらずガラケー的なスタイルで利用していることを意味する(とはいっても、残念ながら今回はこれについての質問項目を設けていなかったので、これはあくまで推測の域を出ることはないのだけれど)。

それぞれの機能の利用比率についてはメール98.2%、電話96.8%、インターネットブラウザ94.7%、カメラ89.3%、音楽プレーヤー44.5%(デフォルトでインストールされているアプリ。その他のアプリについては後述)。要するに、それぞれの機能については結構、満遍なく利用されているというのがわかる。

メールの送信パターンが多様化

これら基本機能の状況について細かくみてみよう。
まずメールについて。1日のキャリア・メール送信回数はガラケー8.7回、スマホ=7.8回で、スマホになると若干の減少が見られる。ただし、これは、その他のメッセージ機能にメール機能が奪われたとも考えるべき。それぞれのメッセージ機能の利用率を見るとキャリア・メール90.0%、PCメール32.3%、Facebookのメッセージ25.1%、LINEのトーク79.1%といった具合。いわば、かつてキャリア・メールが一括して担ったメールの送受信機能が分散したとみていいだろう。にもかかわらずキャリア・メールの利用頻度があまり落ちていないと言うことは、メール=メッセージ機能全般の利用頻度が高まったということになる。

無料電話アプリで通話料心配いらず

こういった、ガラケーが備えていた機能をスマホに持ち替えることによって、その利用が活性化するという現象は他の機能でも一様に見ることができる。例えば通話。一週間の通話回数はガラケー5.4回→スマホ5.9回、総通話時間についてはガラケー38.3分→スマホ49.8分と増加。LINEやSkypeなどの無料通話アプリの利用率は77.3%、そして利用者の一般通話と無料通話の使用比率は5.5:4.6だった。つまり、アプリを使ってタダで電話ができるということで電話の利用頻度が高まったというわけだ。ちなみに最も使われている無料通話アプリはLINEだった。ま、これもあたりまえと言えば、あたりまえか。

カメラ撮影アップ、その一方で音楽プレーヤーは意外にも……

だが、スマホの基本機能の利用頻度の中で特筆すべきはカメラと音楽プレーヤーだ。前者が意外と高く、後者が意外と低い。カメラについてはガラケー所有者と一週間の撮影枚数を比較したところスガラケー4.7枚、スマホ8.0枚という結果。これは、おそらくSNSの利用と関わっていると見ていいだろう。スマホだったら撮影した写真を即座にFacebookやTwitter、LINEにアップできるので、手軽に撮影してしまうのだ(この詳細については次回)。

音楽プレーヤーの利用頻度が低いのは、結局、いまだに音楽プレーヤーを持ち歩いているという事情による。つまりガラケー時代と同じで二台持ちを続けている。その理由をいくつか聞いてみたところ、大別して二つの理由があった。ひとつは「データを移動するのが面倒くさい」。要するに、もう音楽データをiPodなどに入れているので、そのまんま使い続けるというわけ。もう一つは「バッテリーの消耗を押さえるため」というもの。スマホ、とりわけAndroid系は、音楽プレーヤーを使用した場合でもかなりのバッテリー食いになる。聴いているとどんどん残りの電池量が減ってしまうのだ。ちなみに、音楽プレーヤー機能を利用してもバッテリー消費量が少ないiPhoneではこういった理由は見られなかった。

とはいうものの、これらは過渡期的な現象でしかないとみなせるデータもある。そのことは、スマホ所有者が以前ガラケーを使っていたときに、ガラケーで音楽を聴いていたと回答した者が40.8%と少なかったことだ。つまりスマホは40.8%の人間に、音楽プレイヤーとしての利用を、iPodなどからスマホへとシフトさせたのだ。ということはデータ移行が容易になり(メモリー容量の増大も必要条件になるが)、バッテリーの持ちがよくなれば、音楽プレーヤーの利用頻度が高まることが予想される(言い換えればiPodのような音楽プレイヤーの利用が激減する)。

ガラケーに備わっていた機能がさらに活性化する

こういった各機能の利用状況をざっくりと知るために、ガラケーからスマホに持ち替えることで各機能の使用頻度が変化したかどうかを、「増えた」「変わらない」「減った」という項目でたずねてみた。まず電話の場合、それぞれ22.7%、56.8%、18.8%で微増、インターネットは増えたが88.0%と激増、アプリも92.5%で激増、音楽プレイヤーは増えたが35.5%、減ったが11.6%で増加、カメラは62.4%が増えたで、これまた激増。

パソコンではなくスマホこそ大衆的なコンピュータ

結局、アンケート結果はガラケーからスマホに持ち替えることで、ガラケーに備わっていた既存機能の利用頻度が高まるというということを示している。かつてパソコンは汎用機器と呼ばれ、アプリケーションをインストールすることで様々な機能を使い分けることができる夢のマシンのように語られていた。実際、パソコンはいろいろなことができた(そしてもちろん今でもできる)が、一定のレベル以上での普及はなかなか進まなかった。操作が複雑で、一般人には少々敷居が高かったのだ。そしてそれは大学生にも該当した。だが、スマホは今やパソコンを使いこなせない人間でさえもタッチパネルをタッチしながらアプリを手軽に使いこなせるようになっている。つまり、スマホこそパソコンで実現しようとした理念を具現化したメディア=ツールなのだ。今回の結果は、少なくとも僕が教えている学生については、このことをある程度証明している。

9月28日、AppleのCEO、ティム・クックがiOS6用に開発した地図アプリ「Maps」について謝罪した。Google Mapsへの対抗として独自に開発し、今回、鳴り物入りで搭載したアプリだったが、不具合が頻発したため非難囂々となったことを受けての表明だった。

実際、このマップがかなりビドいのはちょっと使ってみればすぐにわかる。たとえば第二東名高速がなかったり、羽田にいくつも鉄道駅があったりする。僕が以前勤めていた宮崎の大学も地図からは消されていた(^_^;。

しかし、僕が今回注目したのはMapsの出来のことではない。むしろこの不祥事へのクックの対応だ。というのも、そこにジョブズ亡き後のアップルの行方が垣間見えた気がしたからだ。そこで今回は、このクックの謝罪の意味とアップルの今後について考えてみよう。

ジョブズ流でないところが○~バカ正直、ノーガード戦法?

繰り返すが、とにかくMapsは出来がヒドい。だが、もしジョブズがこの事態に遭遇していたら、おそらく非難したユーザーに「だったら、使わなくてもいい」みたいな無茶苦茶な反応をするだろう。実際、iPhone4で持ち方によって感度が変わることの指摘(通称”アンテナゲート事件”)を受けた際、ジョブズは「どのスマートフォンでも起こることだ」と開き直ったほどだった。

ところが、今回、クックは全く逆の対応をみせた。先ず、苦情については「指摘に感謝する」とのメッセージを発し、不便を囲っていることについて「世界最高の製品を顧客に届けるという公約を果たせていなかった」と謝罪し、代替アプリの使用を奨めた後、さらにそのリストをApp Storeのコーナーとして準備しさえした。つまり全面降伏だったのだ。

この対応にはアップル・ユーザーの多くが面食らったことは想像に難くない。しかし、僕はこれはクックなりの見事な対応、そしてクックイズムの高らかな宣言にも思えた。というのも、こういった対応、実はリスク回避としてはきわめて巧妙なやり方だからだ。

そのまんま東=東国原が宮崎でやった手法と同じ

同様のリスク回避、さらにリスクを逆手にとって利用する典型的な例を一つあげてみよう。2006年、そのまんま東は突如、宮崎県知事選挙に立候補する。だが、この時点で東のイメージは否定的なものだった。通称「イメクラ事件」とよばれる不祥事で、事実上、芸能界から干されるという状況にあったからだ。だが、東は選挙運動で、なんと演説の冒頭にこの不祥事を自ら言い出し、笑いを取るという戦術をとることで支持を獲得してしまったのだ。こうすることで不祥事がロンダリングされるとともに、演説の枕として有権者の関心を惹起したからだ。さらに東は知事に当選し東国原英夫となってからも同様の手法を使っている。就任二週間目、宮崎では鳥インフルエンザが発生。これで宮崎の養鶏業も壊滅かと思われたとき、むしろこのネガティブな報道で宮崎地鶏の知名度が上がったことを逆手にとって、大々的に売り出してしまったのだ。これによって宮崎鶏は全国で知られるブランドになってしまったのはご存知の通りだ。

クックのやり方も、全く同じだ。いわば”ノーガード戦法”。自らの過ちをさっさと認めてしまい、それに対して迅速に対応をとることで、ブランドとしてのアイデンティティを維持するとともに、Mapsというアプリの存在、さらにアップルがマップを作ることも認知させることに成功してしまったのだ。こういった、マイルドな、そしてバカ正直な、それでいて 漁夫の利を得るやり方は、ジョブズだったら決してできなかっただろう。明らかにこれはクック独自の手法、だからこそ、これはクックイズムを知らしめる、言い換えればアップルの新しいやり方を認知させる事件と後々に位置づけられるのではないだろうか。

ジョブズ流でないところが×~緩い!

ただし、手放しで褒められないところもある。というのも、もしこれがジョブズ体制だったら、そもそもこういった混乱は起きなかった可能性が高いからだ。完全主義のジョブズは自ら製品開発に関与し、納得しないものは決してリリースすることはなかった。ということは、このMapsがリリースされる前にジョブズの目にかかれば「こんなものはクソだ!」ということになったはず(そして開発陣を罵倒し続けたはず)。つまり、ジョブズだったらこんな不完全な状態でリリースされることは決してなかったのだ。

MapsのリリースにあたってはGoogleとの確執もあったようだ。現在のGoogleMapには音声ガイダンス機能があるが、それがiOS5までのiPhoneのMapにはない。ところがこのMapはGoogleMapを利用しているもの。つまりGoogleはAndroidとiOSの差別化を図っていたのだ。そこで同じレベルにすることをアップルは交渉したが、これをはねつけられた。そこで意を決して自らマップを開発することにしたのだけれど。GoogleMapの利用権はまだ一年残っているにもかかわらずに、だ。

ジョブズだったら、やっぱりこんなやり方はしないだろう。交渉をし続け、その背後で極秘裏に独自のマップを開発し続け、契約期間完了の時点で突然、完成度の高い、そしてGoogleMapにはない魅力を備えたMapsを出し抜けにリリースしたはずだ。そしてGoogleを狼狽させたはずだ。つまり、クックのノーガード戦法はビジネス面でも反映されている。でも、それは言い換えればジョブズ的な狡猾さに欠けるということでもある。

クックの場合には脇の甘さも目立つ。iPhone5のリリースにあたっては事前に情報が山ほどリークされ、発表時にはすでにそのモデルが多くのユーザーに知られるところとなっていた。そして、それは新商品iPhone5発表のインパクトをいくらかは減らしてしまったはずだ。もし、こういったクックの“緩さ”が、今後アップルの社風にクックイズムとして浸透することがあるとすれば、それはアップルがジョブズという軸を失って迷走しはじめたことを意味する危険性を孕んでいる。

全てはMapsにかかっている?

ではクックはどうするべきか。僕は次のように考える。まずこの「バカ正直=ノーガード戦法」はクックイズムとして貫徹させる。ただし、今回説明しておいた「ジョブズでないところが○」という方針で。つまり、誤りをすぐに認め、そのフィードバックを迅速に行い、顧客の不信を振り払うこと、そしてブランドイメージを維持すること。さらに、それを逆利用すること。そしてジョブズのように「脇を締めること」。つまり、製品のリリースは煮詰めてからにする、さらに事前リークを厳密に取り締まることだ。

当面、クックにいちばん求められていることはMapsの完成を急ぐことだ。つまり、これだけボロクソに批判されてその知名度を上げたのだから、逆にアップル開発陣の全エネルギーを投入して、できるだけ早い時期にGoogleMapを凌駕するようなアプリを開発し、批判したユーザーの鼻を明かすことなのだ。これが可能になるならば、アップルの評価は復活し、いや、それどころネガティブイメージをポジティブにすることで「MapsのあるiOS」「ドライブするならiPhoneかiPadを持ちこんで」というイメージを一般に浸透させることができる。そう、とりあえず「謝罪」というかたちでアップルのブランドを維持することには成功した。そしてその知名度を知らしめることにも成功した。しかし、本当の勝負はこのMapsをどう扱うかにかかっているのだ。もし仮に、開発をあきらめGoogleMapに戻るようなことがあれば、それはアップルというブランドの失墜を意味することになる。そして、それはスマホ、タブレット市場で覇権を争うGoogleのAndroidに敗北することを意味するのだ。

冒頭に記したように、クックの謝罪は「クックイズムの宣言」と読み取れないこともない。しかし、本当の意味でクックイズムが成立するかどうかはこれとは別の話だ。そういった意味でMapsをどう扱うかがアップルの今後、いや「ジョブズのアップル」から転じた「クックのアップル」の行方を決めていくのではなかろうか。

Samsungだって将来は暗い

iPhone5の新奇性から企業文化のあり方、そして最後に日本企業のこれからのあり方について考えている。

日本企業は韓国や中国式の「全部盛り廉価販売」というような、文化の、思想性の、イデオロギーのない展開はとっととやめて、再びこだわり=プチ・イデオロギー、あるいはアップルのようなイデオロギーを備えたブランド性=文化を発信する企業に戻るべきなのだ。言い換えれば、SONYは「コンパクト」に再びこだわり、パナソニックは「白物家電をもっと突き詰める」こと。今、求められているのはこれであり、Samsungに追従することではないのである。つまり、人を見る前に、足もとを見つめ直せというわけだ。

いや、それどころかSamsung、LG、Haierに追従することは危険なことでもある。というのも、この「思想性なき全部盛り」は、結局のところ人件費に依存することで成立しているにすぎないからだ。韓国や中国の経済レベルが上がり、従業員の賃金が上がれば、今度はこれらの企業が、現在日本の企業が置かれているのと全く同じ立場に追い込まれる。つまり、より低賃金で雇用がが可能なミャンマーやラオスに企業が進出し、そこに韓国・中国企業が製品作らせるようになり、そのうち汎用技術をその国が吸収し、そこでこれらの国家に同様の「思想性なき全部盛り」製品を自社生産する企業が登場するということになれば、韓国、中国企業はもはや人件費的に太刀打ちができないということになるのだから(当然、別の活路を見いだせなければならなくなるということなのだけれど。もちろんSamsungやLGもこの辺は模索しているんだろうけれど)。

ユニクロは廉価とブランド性を兼ね備えた

日本には、新しい方向、つまりブランド性に経営方針を振ることで見事に成功を遂げている企業がすでに存在する。しかも廉価性を兼ね備えたかたちで。

その好例はファストファッションのユニクロだ。ユニクロは安さが売りのようにも見えるが、実のところ「ユニクロ・イズム」とでも言うべきイデオロギーを売っていると考えた方がいい。それをたまたま安く売っているに過ぎないのだ。これを可能にしたのは生産拠点、つまり工場を中国などの賃金コストの安いエリアに移転したからだ。もちろん、こういった工場の海外移転は日本の他の多くの企業もとっくにやっている。だがユニクロにはイデオロギーがある。そして、これはマネできない。ユーザーは安さもあるが、むしろ「ユニクロ性」に魅力を感じて商品を求めるからだ。つまりブランド性=企業文化があるゆえに海外移転のメリットがモロに出る(他に追随するかたちではこれは人件費的にムリになる)。それが廉価とブランド性の両立を可能にしているのだ(そしてユーザーはユニクロが廉価であるにもかかわらず、このブランド性に魅せられているがゆえに「安っぽさ」を感じない)。ちなみに、これを真っ先にやったのが、実はアップルだ。アップルの製品は全て”Made in California”と書かれてあるが、実際のところ、その多くが中国で組み立てられている。つまり、中国の賃金コストを利用しながら、ユニクロ同様、そのブランド性で他の追随を許さないという流れを創り出している。言い換えれば”Made in California”とは、作られた空間を指しているのではなく、作る側の心の場所=トポス、つまりイデオロギーを意味している。

日本企業のやるべきこと

現在、日本の企業は「やってもやってもダメ」という悪循環に現在陥っている。ここから抜け出す方法こそが、実はアップルのようにブランド性=企業文化を売り物とし、それによってスペックには決して現れないユーザビリティや所有することの喜びをユーザーに与えることなのだ。

電子機器でアジアのメーカーが席巻しアメリカや日本企業が苦しんでいる中で、アップルだけが順風満帆な理由。実はこんなところにあるのではないかと僕は思っている。繰り返して言おう。アップルが売っているのは「文化」そして、その文化が開く「未来」なのだ。そして、消費者はそれを求めてアップル商品を買い求めているのだ。

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