勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

タグ:宮崎県

宮崎の焼酎は20°

全国の焼酎のアルコール度数は25度。ところが宮崎の焼酎の場合20度。これは終戦後ヤミ焼酎の普及に困り果てていた国税庁が「酒類特別措置法」を設けて、税金の安い20度焼酎の製造・販売を特例として宮崎だけ許可したのが始まり。それ以来、宮崎の焼酎といえば20度ということになった。

で、宮崎に住み着くと、この20度の焼酎がやみつきになるというのが定番。芋焼酎を例にとれば、アルコール度が低いので、アルコール独特の引っかかりが少なく、それでいて芋の香りや、味のまろみが豊か。お湯割りでも、ロックでもいける、というわけだ。ご多分に漏れず、私も、気がつけば日本酒党から焼酎党へ宗旨替えをしていた。

20°焼酎は、みっともない?

ところが、宮崎を出た途端、なぜか、これが飲めない。25度はあっても20度はないのである。なんでだろう?で、酒屋に聞いてみると。

「いや、やっぱり20度はねえ、みっともないし」

どうやら、この酒屋は、安い焼酎を飲んでいると言うことが県民として恥ずかしい、そんなふうに思えた。20度に対するこの認識は、宮崎県民の認識を象徴している。「値段を安くしても、それでも酒が飲みたい。そんな風に思われるのはイヤだ」こんな風に考えている県民、かなり多いのだ。実際、贈答用として県外の人間に手渡す場合には、しばしば25度が選ばれる。

県外でのウケは抜群

そんなことはないだろう。これはすばらしい宮崎の食文化と考えるべきなのだ。

県外から宮崎に遊びにやってきた友人にこれをすすめると、一様に「こりゃウマイ」といい、買い求めていく。中には、宮崎から定期的に取り寄せる人間まで現れるくらい。「上品」、しかも「ヘルシー」と、県外の人間には認識されるのだ。これはさっきの酒屋さんの考えと全く逆。

つまり、評判が悪いと思っているのは、日頃親しんでいる宮崎県民だけ。そして、この20度焼酎に対するコンプレックスが、このすばらしい宮崎文化の県外進出を阻んでいるのではないか。

商機は到来した!

で、最近やっと県外でも20度の焼酎が飲めるようになりはじめてはいる。東京でも焼酎バーみたいなところにいけば、これが置いてあったり、新宿の県物産館KONNEでも二階に20度焼酎をまとめてたくさん並べてくれている。

素性を踏まえたコンプレックスなど抱く必要はない。このすばらしい20度焼酎文化を日本中に知らしめるべきなのだ。「焼酎王国宮崎の、20度を召し上がれ」といった具合に。今や焼酎は日本酒を凌駕する全国区のアルコール。大きな市場が開けている。これを、大々的に売り出さない手はないだろう。そして、20度焼酎は宮崎が誇る、オンリーワンで、十分全国に通じる食文化。それを知らないのは、実は当の宮崎人。これじゃあ、いけない。(UMKテレビ2/9「ういーく」”ココに注目”放送分)

ボトムアップにカネはいらない

東国原知事の提唱する「県民総力戦」とは、要するに、地域活性化のためには、「みんなで結束して、宮崎を盛り上げていこう」という、人的なつながり(ただし、しがらみのないそれ)を構築することが最も大事なのだ。

人と人が繋がると言うことに、はたして膨大なカネが必要だろうか。カネ自体は必要だが、それはたいした額ではない。むしろ必要なのは工夫することだ。宮崎観光の父・岩切章太郎翁の名言を借りれば「心配するな、工夫せよ」である。これ、実は宮崎にずーっと存在しなかったことでは無かろうか。

宮崎の公共施設を考えてみて欲しい。ものすごくムダなモノが多い。いわゆる「ハコモノ行政」のオンパレードだ。たとえば芸術劇場なんか全然使われてないし、そのくせ維持費がバカみたいにかかる。あんな建物つくるより、宮崎発の芸術家が一人でも多く生まれるように優秀な教育者を呼んだり、そういう組織を作ったりする方がはるかに「芸術的」だし、文化として大きな財産だし、カネもかからないし、社会的貢献も強い。建物なんか、はっきりいってどーでもいいのである。

高速道路は「箱」である

こういう風に考えてみると、東国原知事が提唱している「県民総力戦」と「高速道路建設」は全くもって噛み合わないことがわかるだろう。県民総力戦は人の気持ちと気持ちがぶつかり合い、結集し合って経済活性化に繋がるもの。そしてそれが出来上がればシステムとなり、継続的な経済活性化が期待できるし、長い目で見た宮崎の文化、産業を形成することができる(それを一般では「伝統」と呼ぶのだ)。そしてこういった活性化こそが本当の「地域活性化」なのだ。ちなみに「本当の」とは、形ではなく、県民多くの人々の心の中に深く「くすがった」活性化、もう心の中に癒着してしまって、離れることがない。そして世代から世代に伝えていこうとする活性化だ。

一方、高速道路建設はトップダウン的な活性化だ。そこに漂うのは「ハコモノ」のイメージに他ならない。そして、人々の心の中には宿らない活性化だ。仮に高速道路が造られて、大企業を誘致できたとしても、人心が離れたり、またその企業が景気の変化や時代の変化によって具合が悪くなれば、宮崎は真っ先に撤退する場所となってしまうだろう。そのとき、高速道路は大きな負の遺産となる。借金となる。例えば今カリーノに入っているデル・コンピュータだって、もっと人件費が安いところが見つかれば、とっとと宮崎を去っていくことは目に見えている。つまり、これは宮崎という大地に根を張ることのない「浮き草稼業」なのだ。

いや、それだけではない。「高速道路」から漂うもう一つのもの。それは「しがらみ」だ。つまり建設業者がこれに絡んでくると言う、とってもドドメ色、田中角栄以来の土建屋重視の、あの談合の、とんでもない環境である。

高速道路の建設は、こう考えてみると、「長期・抜本的」というより「対処療法」な景気浮揚対策と言えないだろうか。

ということは、東国原知事。実は、景気浮揚策がよくわからず、かなりアセっている?ということなのかもしれない。そういった面で、高速道路に対する知事の見解は知事のこれからの経済政策の試金石となるものといえるのではないだろうか。

「県民総力戦」とは

東国原知事の政治のモットーは「どげんかせんといかん」そして「県民総力戦」である。宮崎は「てげてげ」(「テキトー、イイカゲン」という意味)ゆえ、これまで問題が起きて、事態が深刻になってきても自覚がなかった。しかし、1兆円近い赤字を抱え、もうてげてげではいられない状態。それが宮崎を「どげんかせんといかん」と言うことになった。で、そのどげんかする方法が「県民総力戦」なのだ。

ただし、これ自体は具体的に何をするのかということがあるわけではない。とにかく第二世界大戦下、日本の敗色が濃くなり、これを打開するために大日本帝国政府が「国民総力戦」と煽ったように、東国原知事は県民に対して「もう、自覚しないといけない。危機意識を持たなければいけない」と啓蒙しているのだ。

知事は、僕がしたインタビューの中で、これを「祝詞みたいなもん」と表現している。なにをふざけているんだと思われるかもしれないが、この考え方はメディア論的には◎だ。要は「病は気から」であり、「豚もおだてりゃ木に登る」なのだから。

つまり、知事としては、先ず「県民総力戦」ということばで宮崎県民を煽る。そして、みずから危機意識を最も強く抱く人間として、トップセールスを続ける。しかも一日も休むことなく。この献身的な知事の態度、知事の背中を見せ続けられる県民とすれば「県のトップが身を糊にして県のために働き続けるのだから、自分もやらねば」という気持ちにならざるを得ない。これが、今の宮崎の元気を支えているのだ。

県民総力戦はボトムアップ

つまり東国原知事が県民総力戦を通じて推進しているのは、先頭を走る自らの背中を観て、県民一人一人がやる気になり、ネットワークを構築し、それまでバラバラで凝集力に欠けていたものを集約的にまとめ上げようとすることなのだ。

実際、商工会議所や民間企業の集まりなどに顔を出すと、その会合で先ず始めに語られる常套句が「今、東風が吹いている」と今やなっている。言うまでもなく「東風」とはこの東国原知事のトップセールスを基調とする県民への煽りだ。で、みんなが「今やらねば」「この風に乗れ」ということになって、個々の利害を超えたところで組織化、ネットワーク化をやり始めたのだ。

こういった、裾野からの、つまりボトムアップの、言いかえれば、既存のバラバラのエネルギーを集結して「三本の矢」にし、強大な力となることが本当の意味での地域活性化の始まりと、いえるだろう。

宮崎は、もともと凝集力に欠ける県民性。こういった東国原知事の「煽り」は、見事に「てげてげ」の宮崎県民に火をつけることに成功したのだ。しかし、これはいったい「高速道路建設」とどう関係があるというのだろう?(続く)

東国原知事は高速道路建設賛成派

東国原知事は全国の高速道路建設を原則肯定する「推進派」である。その理由を要約すると、だいたい以下のようになる。

「産業の活性化のために、高速道路はぜひとも必要。企業誘致のために企業に働きかけても「高速道路無いの?」と、言われたら、これで終わり。だから、高速道路建設は通行量だけを踏まえて採算を考えるだけではなく、経済効果も含めた上で考慮すべきなのだ。これまでは「しがらみ」に基づいて、必要もないところにボンボンと高速道路を建設したから、とんでもない赤字になったわけで、この辺をよ~く吟味すれば必要なところと必要でないところがハッキリする。ということは十把一絡げに高速道路建設を否定するのはおかしい。必要なところには建設すべきである。

で、宮崎は経済効果を考えたら、なんとしてでも高速道路を建設する必要がある。とりわけ九州を一周するような道路が必要。そうすれば、宮崎は、これまでよりもはるかに企業誘致が可能になり、大手企業も工場建設に意欲的になる。で、宮崎は潤う」というわけだ。

僕は、知事のこの意見に半分賛成、半分反対である。

賛成の部分は、これまでホントに「どーでもいい」ようなところに高速道路を作り続けた点だ。お陰で作れば作るほど赤字という構造が生まれた(北海道だったら鈴木宗男なんかが、これに関する最たる”悪の権化”だろう)。また、適切なところに、つまり建設することで経済効果が生まれ、これも含めて採算を取れば黒字になるようなところに重点的に高速道路を建設する。これもいいだろう。

宮崎での高速道路建設は「適切」か?

もんだいは、果たして宮崎に高速道路を建設することは適切なのかということ。つまり、高速道路を建設することで、東国原知事が指摘するような大規模な企業誘致が可能になるのかということだ。ココが僕の反対する部分である。結論から言えば「宮崎に高速道路を建設することは「適切」ではない」ということになる。

なぜ、こんな結論を出すのか。

一つは、高速を建設したところで経済効果が期待できないことがすでに立証されてしまっているからだ。

えっ?それはどういうことかって?よ~く考えてみて欲しい。宮崎に高速道路、とっくにあるじゃないですか。えびの経由で都城、宮崎、そして西都まで。だから、トラックは高速で宮崎まで来ることができる。この恩恵を受けていないのは西都以北。日向とか延岡とかになる。ということは、西都まではとっくに高速道路の恩恵を受けているわけだ。

このモノの謂いに対する反論の常套句は、次のようになる。

「そんなこと言ったって、えびの経由でぐるっとUターンして来るわけだし、それでは時間がかかる。これで企業は萎える。」

そんなこと、あるわけ、無いだろ!えびのインターから鹿児島までは54分、宮崎までは62分。その差は8分。ということは二つの都市はほとんどロケーションとしては差がない。高速道路環境としてはイーブンだ。で、鹿児島はどうですか?不活性なイケていない街ですか?そんなことはないですよね。宮崎よりはるかに活性化している。こう考えると、高速道路が宮崎景気浮揚(少なくとも西都以南)のリーサル・ウェポンではない、ということがハッキリする。

要するにもう高速道路の恩恵をとっくに受けている。でも、宮崎はイケてない。ということは別の要因がある。そして、それが解決しないことには高速を延長してもなんの効果も得られない、ということなのだ。

こう考えてみると「宮崎に高速道路を建設することは「適切」ではない」のである。

そして反対するもう一つは「宮崎での高速道路建設推進」は東国原知事のこれまでの方針と完全に矛盾している点である。それは何か?(続く)

政党、政治家支持から政策支持へ=しがらみの排除

知事の不可解な行動

ここ一年。東国原知事の手法の中には一般の政治家のやり方ではちょっと理解しかねる行動、言動が数多く見られた。たとえば昨年四月の統一地方選では、自らの人気にもかかわらず、これを利用して東国原チルドレンを指名しなかったために、オール野党の県議会は安泰となった。また最近では中山成彬氏を応援するとか、自民党の政策を支持するなど……これらは一見すると、「知事、実は保守与党寄り、実はしがらみ志向」との印象を抱かせるものでもあった。

ただし、ここで知事が言わんとしていたことは「政策重視」ということ。つまり、政策がよいものであったならば、党がなんであれ、政治家が誰であれ、そんなことは二の次だというもののとらえ方であったように思われる。

そして今回の超党派での政策組織「せんたく」の立ち上げは、その視点を明確に打ち出すものといえるだろう。これもまた政党や個人に関わりなく、政策に焦点を当てるというものでは、視点は一貫している。

これら不可解な行動を一貫するもの

さて、一年前の知事選のことを思い返してみよう。この時、争点となったのは「しがらみ」だった。つまり政党や代議士との癒着が県政の腐敗を招き、それに嫌悪感を抱いた県民が指名したのが、「しがらみ」の一切ない東国原知事であったことは記憶に新しい。

そして、知事の「政策重視・政策至上主義」の方針は、「しがらみの排除」という点でも、非常に効果的なやり方といえるだろう。

これまでの政治といえば、政党や政治家に庶民がいろいろとお願いをするかわりに、庶民がこれを支持するというのがパターン。つまり、組織や人間とのつながりが必ず政治に含まれていたわけで、実はこれが「しがらみ」の温床になっていた。

ところが、こうやって政策と政党・政治家を完全に分離してしまうことで、このような「しがらみ」を作ることが、事実上、困難になる。また、政党・政治家は政策次第で支持されたりしなくなったりするわけで、それが結果としてちゃんとした政策を打たなければならなくなる。

こう考えると、東国原知事の不可解な行動。実は「政策重視」と「しがらみ」排除と言う点で、一貫性があったということになるだろう。

オマケ・次は国政改革のキャラクターシールに?

もっとも今回の「せんたく」の発起人は、北川前三重県知事や松沢神奈川県知事、佐々木毅前東大総長である。ただし「せんたく」立ち上げの記者会見でまん中に座っていたのは東国原知事だった。これはなぜか?実は知事は「北川さんにまんまとハメられた」とオフレコだがコメントしている。発起人の一人として参加し、会見席に臨んでみたら、自分の席がまん中だったというわけだ。

ただし、こういった北川氏のやり方はメディア論的には「常套手段」と判断できる。とにかくマニフェスト=政策重視の政治、そして地方から中央へ提言する政治。こういった新しい政治のスタイルを提唱するに当たって、東国原というマークほどわかりやすく、耳目を集めるものはない。宮崎県産品を売り込むために商品に次々東国原シールがつけられ、これが膨大な売り上げに繋がったように、今回もまた「せんたく」という商品=政治集団を売り込むために東国原シールがつけられたというわけだ。

さて、この「せんたく」というグループが本当に、日本の政治を「洗濯」してくれるかどうかはまだ未知数だ。だが、もし、そのようなことが起きた暁には、東国原英夫という存在が、国政改革の記号となるであろうこと、それは想像に難くない。

社会の大きなうねりが生じるときには、かならずキーマンが登場する。本人が実際にそれを起こたか否かにかかわらず。歴史というのはそういうものだ。

↑このページのトップヘ