求められる右脳の開発
偏差値教育が人間の備える左脳と右脳の内、もっぱら左脳の能力ばかりを評価し、現世御利益を狙い人間がこれに呼応するかたちで能力を鍛えた結果、日本がヘタレ社会になっていると言うことを、ここまで指摘してきた。
じゃあ、左脳と右脳をバランスよく養成するような教育方法を考えればよいということになる。いや、現状を踏まえれば、先ず行うべきことは、現在の左脳重視を反省し、左脳=頭がいいという偏見を相対化すると同時に、右脳開発のための教育プログラムを用意することということになる。
ただし、右脳開発は難しい。今回の特集で示しておいたように右脳には具体的な開発方法がほとんどない(だから、企業は採用にあたってSPIのような左脳チェックを行うと同時に、クドクドと面接をやる。面接でこの右脳のレベルをチェックしたいのだ。でも、やっぱり明確な測定基準はないので、しばしばスカを引いてしまうということになるのだけれど)。
キャリア教育に活路を求める
本特集で何度も述べてきたように、左脳を重視するのは仕事の能力(効率性、迅速性、正確性)を測定することがある程度可能だから。しかし、イノベーションとかブレーンストーミングとかグループワークとかについては、右脳の領域であり、測定が難しい。言い換えれば、左脳が測定可能と言うことは、マニュアルなどのシステム化によって養成可能と言うことでもあるということだけれど、右脳についてはこういったシステムを具体的に作り上げることが困難ということでもある。では、右脳はどうやったら鍛えられるのだろうか。
そこで提案したいのが、現在大学が取り組みはじめているキャリア教育だ。ただし、現状のものは全くダメ。あそこでやってるのは単なる戦術、お辞儀の仕方みたいな「付け焼き刃」を付けることと、SPIみたいな左脳のスキルアップでしかない(ほとんどの大学でのキャリア教育は大学内=学生にではなく、大学外=宣伝・広報に向けられている)。もちろん左脳のスキルアップも必要だけれども、それに加えて右脳アップ、さらには左脳と右脳のバランスに関するスキルアップを図るような教育を施さなければならないだろう。
身体にスキルをしみこませるキャリア教育を
じゃあ、どうするか。そのひとつとして提案したいのは「グループワークによるフィールドワーク」だ。つまり、チームを組ませ、課題を与え、大学の外に出し、一般社会人に対してフィールドワークを行い、そのインプットをグループで考える、つまりブレーンストーミングし、ひとつの企画を完成させるというようなやり方だ(まあバラエティ番組「あいのり」の全メンバーに統一した達成課題を設けるようなものとイメージしてもらえばいいだろう)。こういった集団行動は、左脳だけでは処理できない状況に他ならない(当然、メンバー感ではグダグダな心理的葛藤状況が出現することが想定される)。ここに若者を放り込むことによって、右脳を鍛えること、左脳を鍛えること、そして二つのバランスを取ることが学習される。とりわけ右脳の鍛錬には最適だ。他者は常に自分と異なった行動をとる。それは予測不可能なのだけれど、グループワークの中ではこれを理解し取り込んでいかなければならないからだ。だがそのような「取り込み」を考えるという営為は、イコール物事を統合する力を鍛えることに他ならない。
ただし、ここには残念ながらこの方法にマニュアルはない(というかマニュアルで獲得できるような安っぽいものではない)。こういった生身の身体と身体がぶつかり合う中で先に述べたような右脳スキルを、まさに”体得”するのだ。皮膚感覚で状況や空気を読む技術とでも言ったらよいのだろうか(ということは、残念ながらこんなことをやっても右脳が鍛えられない人間もいることになるのだけれど)。
これはキャリア教育ではないが、僕の教え子の面白い例を一つ。ゼミに生真面目でシャレのわからない女の子がいた。いわゆる「頭がカタい」といったキャラクターで、大学時代はパッとしなかった。彼女は卒業後、就職を拒みバイトで金を貯めてワーキングホリデーに向かったのだが……その先でブレイクしたのだ。ほとんど英語も喋れないような彼女が半年たった頃には、現地にたくさんの友達ができたおかげで、かなり難しい英語をメールで書き込んでくるようになった。彼女は自分の殻を、ワーキングホリデーという「他者と生身で関わらないではやっていけない環境」に敢えて放り込むことによって破った。つまり、自ら演出したキャリア教育で一皮むけたというわけだ。こんな身体的なぶつかり合いの中での気づきを提供するような環境こそ、現代の教育は容易すべきなのではなかろうか。
最後に、今回の特集を終えるにあたって2人のコメントを引用しよう。
1人は東国原英夫前宮崎県知事だ。
「若者に徴農制を施すべき」
これは、教育についてコメントを求められたときのもの。当初は徴兵制と言って物議を醸し、これを言い換えた。東国原は若者を厳しい環境にある程度の期間放り込むことの必要性を主張したかったのだ。この場合、農作業で自然という外部と、そして共に働く他の人間とのグループワークが必要となる。
もう一人はスティーブ・ジョブズの発言だ。ジョブズは宿敵であるMicrosoftのビル・ゲイツを次のように批判した。
「ゲイツがダメなのは、僕みたいに若い頃にインドに行ったりドラッグをやったりしなかったからだ」
これもまた、外部へ一歩足を踏み出して、これと戦い自らの左脳を活性化することの重要性を述べたものと考えてよいだろう(ただしゲイツも天才だ。そしてこちらは極度に左脳が肥大した特異な才能の)。
ということで、そろそろ偏差値バカはやめたほうが、これからの日本のためだと僕は考えているが、みなさんはどうお思いだろうか?