勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

タグ:ディズニーリゾート

4月28日、オリエンタルランドが今後十年にわたる東京ディズニーリゾートのリニューアル案を提示してからと言うもの、その方向性についての議論がかまびすしい。

ストームライダークローズに見るポートディスカバリーの混乱

ディズニーランドのマニアックなファンについては、二つの傾向がある。
一つは「ディズニー情報消費享受者」。ディズニー側の新しい情報に徹底的にアクセスし続け、それを消費する。とにかくガンガン購入し、二つのパークを頻繁に訪れてくれる。こんな連中ばっかりだったら、ディズニー側も、そりゃラクだろう。

ところが、もう一つ辛口のマニアがいる。それはディズニー、いや厳密に言えばウォルト・ディズニーの思想(テーマパークとファミリーエンターテイメントという考え方)に心酔し、これに忠実な「ディズニー原理主義者」たちだ(これは、パークオープン時からディズニー世界に親しんできた、そこそこ年配(三十代から上)の人間が多いのではと、僕は踏んでいる)。

今回、OLCの方針に「ちょっと待った!」をかけているのが後者の原理主義者たちだ。
彼らがやり玉に挙げたのが東京ディズニーシー(TDS)のテーマポート、ポートディズカバリーにあるアトラクション「ストームライダー」のクローズだ。このアトラクション。2016年にリニューアルされることが発表された。ストームライダーは気象観測施設「気象コントロールセンター」から飛行型気象観測ラボ「ストームライダー」に搭乗するという想定だが、これが映画『ファインディング・ニモ』とその後編にあたり16年公開予定『ファインディング・ドリー(原題)』の世界を再現したアトラクションに置き換わる。だが、この変更が彼らには問題なのだ。

ストームライダーがあるテーマポート、ポートディスカバリーの物語=バックグラウンドストーリーは「ストームライダー計画の研究成果を発表するために、お祝いをしている」というもの。それゆえ、ストームライダーの存在はポートディスカバリーの根幹をなしている。だから、ファインディング・ニモへの変更はテーマポートの存在それ自体の否定になってしまうのだ。そこで、テーマ性を重視するファンからは反対の声が上がっている。Twitter上では「#ストームライダークローズ反対」のハッシュタグが登場。クローズ中止を求める署名ページも立ち上がった。彼らの反対の趣旨は「エリアの世界観が崩壊する」のいうものだった(ただし、オリエンタルランド側としては、このテーマポートには「自然と科学の調和」という世界観があり、それについて変更はないとコメントしている)。


世界観の崩壊とジャパンオリジナル化

原理主義者たちが眉をひそめる要因、つまり東京ディズニーリゾートのリニューアルによる世界観の崩壊はこれだけではない。

TDSに新たに加わることになったテーマポートは『アナと雪の女王』が舞台になった北欧をテーマとしたもの。これが、前述のポートディスカバリーとロストリバーデルタの間に建設される。前者は「20世紀初頭の人々が描いた架空の未来」、いわゆる「レトロフューチャー」、後者は「1930年代の古代文明の遺跡の発掘現場をモチーフにした、中央アメリカ熱帯雨林地域。レトロフューチャーと北欧の間には運河?が流れており、これがテーマを隔てているからまだよいが、密林の隣に北欧というは、かなり支離滅裂。熱帯が突然、寒くなってしまうわけで。

こういったテーマ性の崩壊。実は、今回の件に始まったことではない。パーク内は当初のディズニーランド的なもの、いいかえればウォルト・ディズニーが構想したものからはどんどんかけ離れていく傾向がある。パーク内にラーメン屋やドリンクの自販機が置かれるようになったのはその典型だ。また、最近はキャラクター重視の傾向が強く、ストーリーや設定がおろそかにされがちなのも事実だ。

しかし、これがジャパン・オリジナルとしてのTDR(東京ディズニーリゾート)の変化のあり方なんだろう。リピーターたちのニーズに応じることをモットーとし、そして膨大な数のファンの多様なニーズに応えた結果、TDRはテーマパークとしての体裁、つまり世界観を崩壊させ、どんどんと変わっていった(それが、たとえばキャラクター重視という方向に向かった)。それは現在もさらに進行している。おそらく、気がつけば、本家本元(アナハイムのディズニーランド・パーク)とは全く異なったパークが出来上がっている……そんなところではないのだろうか。そして後続世代のリピーターの多くが非原理主義者となり、これを楽しむ。

でも、このゴチャゴチャの世界、とっても日本のサブカル的な世界に近いという感じもする。AKB48、ジャニーズ、宝塚、アキバ、ドンキホーテにも共通するところがある。かつて香港にあった九龍城のように、どんどんと新しい要素が脈絡なく加えられ、原形を留めなくなっていくという傾向だ。

そして、このゴチャゴチャ感、きわめて日本的、そしてアジア的とも言える。日本人は日本人としてローカライズされたディズニー世界を楽しむ。そして、それが日本発信の「ディズニー文化」ということになる。そんなふうになるのではないかと僕は予想している。

もはや日本人には文化の一部としてすっかり定着した感のあるディズニー。そのディズニーを担っているのが東京ディズニーランド(TDL)や東京ディズニーシー(TDS)を運営するオリエンタルランド(OLC)とグッズ販売→イベントを手がけるウォルト・ディズニー・ジャパン(WDJ)だ。日本にディズニーがやって来たのは60年近く前に遡るが、その後、人気はいったん低落したので、本格的なディズニーカルチャーの普及は80年代、つまり東京ディズニーランドのオープン以降となる

そして、この十年ほど、これら、いわば「ジャパン・ディズニー」は本国アメリカとはちょっと異なった展開をするようになっており、最近ではそれにますます拍車がかかり、日本においてディズニーはジャパン・オリジナル化しつつある。今回は、キャラクター戦略を例に、これを考えてみたい。

マリーって、誰?

日本以外のパークやディズニー世界ではあまり知られていないが、日本でのみ知られているという「ほぼメイド・イン・ジャパン」みたいなキャラクターがジャパン・ディズニーには存在する。

その嚆矢は、おそらくマリーという猫のキャラクターだ。これは1970年に公開された『おしゃれキャット』という映画のキャラクター。ただし、この映画の主役はダッチェス(雌)とオマリー(雄)という二匹の猫。マリーはダッチェスの子どもの猫。つまり主役ではない。これを2001年、TDSがオープンする際にフィーチャーしたのだ。まあ、元はといえばディズニーキャラクターだが、なぜかこのあまり目立たないキャラクターを取り上げたのには、一説にはロイヤリティが関係していると言われている。つまり有名なキャラクターほど使用料が高い。そこで、差異化とロイヤリティ軽減のために、このキャラクターがチョイスされたというのだ。

実際にはキャラクターごとにロイヤリティが設定されているのかは公表されていないので明らかではない。だが、「設定されている」と考えると、この後のジャパン・ディズニーの戦略は実にしっくりと説明がつくのも確かなのだ。なので、今回は「キャラクターごとにロイヤリティが異なる」という前提で議論を進めてみたい。

このマリーというキャラクター、そこそこの人気を獲得することに成功する。ファッション・ブランドのスワロフスキーとコラボしたりしたこともあった。ただし、やはり、このキャラクターがミッキーばりに出ずっぱりというのは、海外のディズニーファンからすれば、恐らく違和感があるだろう。メインどころはビッグ5(ミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィー、プルート)、そしてプリンセスなど映画で主役を張ったキャラの方がしっくりいく。

ダッフィーの登場

しかしながら、こういった「ディズニーの端役」「ディズニーから少し遠い」「ディズニーと首の皮一枚で繋がっている」といったキャラクターでの戦略が、この後、次々と続くのだ。つまり、経費節減ではないのか?

例えば2004年に出現したダッフィー。これはもともとはアメリカのディズニーランドにあったディズニーベアというキャラクターを輸入したもの。そして、現地では泡沫のキャラクター。これを2005年から名称をダッフィーと変更しTDS内で大々的に売り始めると、見事に定着。今では女子高生のバッグにはダッフィーのアクセサリーがぶら下げられているというのが日常的な風景となるほど普及した。

そしてこのダッフィー、泡沫キャラであるどころか、デザインにディズニー的な文法を持たない「フツーのテディベアー」。ところが、これに「航海に出るミッキー(TDSのコロンビア号の船長ということになっている)に、ミニーがプレゼントした」という、ミッキーとミニーを取り持つキャラクターという物語と、身体の一部に「隠れミッキー」が付けられることでディズニー世界の住民として認定され、さらにパーク内で頻繁にミッキー、ミニーとともに登場することで人気を博したのだ。

で、こうなるとダッフィーも独り立ち。すると、その勢いを駆って2010年、女の子のお友達シェリーメイをデビューさせ、セットで売り出した。すると、これまた大ヒット。女子高生のバックにぶら下がるアクセサリーは二つに増えた。さらに「三匹目のドジョウ?」を狙って2014年、今度は猫のお友達ジェラトーニをデビューさせ、これまた人気を獲得している。ちなみに、この3つのキャラクター、TDSでしか購入できないという差異化によって、パークに客を寄せる役割も果たしている。ただし、前述したように、これらのキャラクター。デザイン的にはディズニー世界からはきわめて遠い存在。ジェラトーニは「ミニーの分身の友達の友達」みたいな「風が吹けば桶屋が儲かる」的存在なのだから。

四匹目のドジョウもいた?:ユニベア

ここでジャパンディズニーはロイヤリティを低く抑えたまま粗利を稼ぐ方法論を掴んだのだろうか。さらに四匹目、五匹目のドジョウをさがすというマーケティングに出た。

五匹目のドジョウは2011年に展開を開始したユニバーシティーベア、略したユニベアというキャラクター群だ。ミッキーなどのディズニーキャラクターが通うディズニー・ユニバーシティという大学の講義でルードヴィッヒ・フォン・ドレイク教授からクマの物語を作る課題が出され、これにミッキーやミニーたちが自分に似せたぬいぐるみを制作したところ、動き出して一緒に授業を受けるようになったというユニベアシティー物語に基づいてキャラクターは展開される。

これらもダッフィー同様、ディズニー文法を持たない。それぞれのキャラクターは、それを作ったとされるディズニーキャラクターの一部が反映されている程度。たとえばミッキーが作ったモカは赤のネクタイを着け、ネクタイの下部には白のミッキーのボタンを模したドットが二つある。ミニーのプリンも頭に赤に白玉といった具合。もう、こうなると「ミッキーの友達の友達の友達」という無理矢理な設定になる。そして、これも販売が差別化されていて、購入できるのはパーク内ではなくディズニーストアのみとなっている(通販もあり)。で、これも結構な売れ行きなのである。

え、五匹目もいるの?:こひつじのダニー

そして、なんとドジョウは五匹目もまた存在した!2015年よりデビューした「こひつじのダニー」というキャラクターだ。これは1949年に公開された映画『わが心かくも愛しき』のキャラクター。本作は日本では公開されておらず、それゆえ映画もキャラクターもきわめて認知度が低い。これを今年が”未年”と言うことでTDLTDS二つのパークでプロモーションを開始した。現在、ウエスタンランドのショップ、トレーディング・ポストにそのコーナーが設けられているのだけれど、ここまでくると、もうほとんど「ナンデモアリ」という感じがしないでもない。これがロイヤリティに関連したビジネスであったとしたら、ほとんど「やらずぶったくり」みたいな商法だ。
ただし、現在、ディズニーを訪れるマニアックなリピーター、ディズニーオタクのディズヲタはパークの敬虔な使徒。いや、もっと厳密に表現すれば東京ディズニーリゾートの運営主体であるオリエンタルランドの方針に従順な存在。とにかく「ディズニー印」の何か新しいものを提供してくれれば、もうそれで十分満足。たとえ、それが「友達の友達の友達の友達」であったとしても。

いずれ、本家とは全く異なるディズニー世界が完成する?

こうやって見てみると「アメリカ文化の輸入というのは、要するにこういうふうにどんどんとオリジナルをアレンジする形で進んでいくのだなぁ」ということがよくわかる。

10年後、日本のディズニー文化はどうなっているんだろう?ひとつだけ確かなこと。それは、東京ディズニーランド&シーがテーマパークではなくなっているということだ。完璧なごった煮ランドになっている。で、これは日々進行しているのだけれど。

4月28日、オリエンタルランドは今後10年間(2024年まで)に5000億円レベルの投資を行うと発表した。TDLの投資の目玉はファンタジーランドの再開発。『美女と野獣』『不思議の国のアリス』がテーマの目玉。TDSの方は『アナと雪の女王』の舞台である北欧をテーマとしたポートを設けるという。

ごった煮的な状況はTDSの方に顕著で、なんでロストリバーデルタとポートディスカバリーの間に北欧が登場するのかは、不明だ。もっと極端なのは、ポートディスカバリーに現在あるアトラクション「ストームライダー」をファインディング・ニモのアトラクションに置き換えるというプラン。このポートテーマは20世紀初頭の人間が空想した「架空の未来」。つまりレトロフューチャーがテーマなのだけれど、そのキモになっているストームライダーをニモに置き換えればテーマはグチャグチャになるのは間違いない。

ま、それでも使徒のみなさんは足繁く訪れるわけで……そう、こうやってジャパンオリジナルのディズニーは日々更新されていくのである。

東京ディズニーランドが培った日本文化としてのディズニー

現在の50代未満の日本人であるならば、ディズニーからイメージするのは、先ずは東京ディズニーリゾート=TDR(東京ディズニーランド=TDLや東京ディズニーシー(TDS)等からなるリゾートエリア)だろう。1983年のTDL開園以来、日本人のディズニーに対する知識、いわばディズニー・リテラシーは上昇し続け、その結果、現在ではTDRは年間3000万人以上の訪問者があり、ディズニーに関する映画も『アナと雪の女王』の大ヒット(日本では他国以上にヒットした)に象徴されるように、絶大なる人気を誇っている。それゆえ、現在、ディズニーという文化は日本文化の一部として、われわれ日本人に大きな影響を及ぼし続けているといってよいだろう。

ディズニーランド化する空間

例えば「空間のディズニー化」はその典型と言える。社会学者A.ブライマンはディズニーランドが基調とするテーマパークという考え方がわれわれの日常生活にジワジワと浸透していくプロセスを指摘し、これをディズニーゼーションと読んでいる。これはイオンモールなどをイメージするとよくわかる。イオンモールはその名の通りモール=商店街をテーマとしたテーマパークだ。つまり「全国各地にあるショッピングのディズニーランド」。われわれがイオンモールに積極的に通いたくなるのは、そこに商品があると言うよりも、あのテーマパーク的な、つまりTDR的な魅力に引きつけられてこれを消費したいがため、と表現した方が当を得ているだろう。

だが、こういったディズニーの日本への深い影響、実はTDLの開園を嚆矢としていると言うわけではない。実は、それ以前、日本人はディズニーの洗練を受けている。それは僕のような50代半ばから60年代前半の人間が、その洗練を受けた該当者になるのだが。

今回はTDR以前、ディズニーが日本に及ぼした影響について考えてみたい。

テレビ・メディア普及とキラーコンテンツ

ここでディズニーから話をそらし、一旦、一見するとなんな関係もない事柄に話を振らせていただきたい。それは60年代の「野球」と「プロレス」についてなのだが……実はこれがテレビというメディアの普及を介してディズニーと大いに関係ありなのだ。これらは、60年代の日本人の精神性に大きな影響を与えているのだが、奇妙なところでディズニーはこれに絡んでいる。

60年代、わが国において急激な普及を見せたメディアは、言うまでもなくテレビだった。50年代の後半から普及しはじめたテレビは60年代半ばにはほぼ100%の普及となり、さらに60年代後半からはカラーテレビが普及しはじめ、70年代半ばまでにはやはりこちらもほぼ100%という普及を見せる。

メディアの普及においては必須の必要条件がある。それは普及する当該メディアが「キラーコンテンツ」を持っていることだ。かつて任天堂のドン・山内溥が指摘したように、人々はメディアが欲しくてそれを買い求めるのではなく、メディアが提供するコンテンツが欲しくてこれを求める。テレビゲームはその典型。これが世界的普及をみせたのは80年代半ばの任天堂が提供したファミリーコンピュータ、通称ファミコンによるのだけれど、この時期にはファミコン以外にもテレビゲームのハードはあった。たとえばセガがSG3000という、ややもすると性能自体はこちらの方が高いものが販売されていたが、ファミコンが覇権を握ったのは、要するにゲームセンターで人気を博していたゲームのドンキーコングと、後にそこに登場するキャラクター・マリオを主役としとしたゲーム、マリオ・ブラザース、スーパーマリオ・ブラザースといったキラーコンテンツ(=キラーアプリ)が人気を博したからに他ならなかった。

60年代、テレビ普及にあたってキラーコンテンツの役割を果たしたのは相撲、プロレス、そしてプロ野球だった。このうち、後者二つを積極的にコンテンツとして活用したのがメディアの巨人・正力松太郎率いる民放の雄、日本テレビだった。正力はキラーコンテンツ戦略としてこの二つのキラーコンテンツの中にさらにキラーコンテンツを含ませることで極端な単純化を図り、当時の日本人のテレビへの欲望をクッキリと浮かび上がらせることに成功する。

プロレスは日本テレビによる日本プロレスの中継で、キラーコンテンツによる単純化が図られていた。図式は「日本対アメリカ」。試合はそのほとんどが日本人と外人の対決、しかも実際のところはともかく、外人はアメリカ人であることが想定され、日本人=善玉、外人=悪玉というお約束の下で試合が展開されたのだ。日本を代表するレスラーは力道山。国技の相撲(実際はそうではないが)で関脇にまで登り詰めた日本の伝統を背負う男(実際は朝鮮人だったが)が、白人≒アメリカ人と一戦を交え、苦境に立たされて反則技に出た白人レスラーに堪忍袋の緒が切れた力道山が、最後に”伝家の宝刀・空手チョップ”をこれでもかと相手に打ち付け、最終的に勝ちを収めるというベタなパターンが当時の日本人たちから大喝采を浴びたのだ。日本人対アメリカ人を想定した試合のパターンは63年の力道山死後も弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木によって引き継がれていった(この時もジャイアント馬場がスターとしてキラーコンテンツの役割を果たしている)。

一方、プロ野球は12球団による構成だったが、正力はその内、自社が所有する巨人を徹底的にキラーコンテンツとしてクローズアップさせ、さらにそこに長嶋茂雄(六大学のスーパースター)と王貞治(甲子園の星)の2人をさらにクローズアップさせる、つまり、これまたキラーコンテンツとするというやり方でプロ野球人気を煽ったのだ。日本テレビは後楽園球場(現東京ドーム。厳密には場所がちょっとズレているが)での巨人戦の独占放映権を保有し、これによって巨人は圧倒的な人気の誇るようになる。プロ野球は国民的なスポーツとなり、しかもプロ野球ファンの九割が巨人ファンという偏った構造が出来上がった。長嶋茂雄の仇名は「ミスター」だが、これは要するに「ミスタープロ野球」を意味していた。よく知られるように、当時の子どもたちが好きなものが「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれるほど巨人の人気は高かったのだ。


キラーコンテンツがコンテンツとなるためには

新たなメディアが出現し、そこで提供されるコンテンツがキラーコンテンツとなるためには、実は一つの条件が必要となる。あたりまえの話だが、そのコンテンツを受容する受け手=オーディエンスの精神性に訴えるものでなければならないということだ。プロレスとプロ野球は60年代、その役割を十分すぎるほど担っていたのである。

先ずプロレス。ご存知のようにプロレスはスポーツと言うよりはエンターテインメント、ショービジネスだ。プロレス興行にあたって力道山が考えたのは日本人が潜在的に抱えていたコンプレックスを拭うような演出だった。そのコンプレックスとは、ズバリ「敗戦国」「アメリカに負けた日本」「アメリカよりも劣る日本」という意識だ。力道山は前述したように日本対アメリカという図式を設定し、日本=善玉、アメリカ=悪玉という単純化を施し(実際、多くの外人レスラーが反則を演じて見せた)、これを空手チョップという「日本古来、伝統の」と思わせる技(実際、そんなわけはないのだが)でなぎ倒すことによって、負けた日本がアメリカにリベンジするシナリオを展開した(空手チョップなどはさながら神風特攻隊が功を奏したかのような存在に見えたのではなかろうか。試合の合間には番組のスポンサーだった三菱電機が自社の掃除機をリング上でかけるというパフォーマンスがあったが、この掃除機の名前が「風神」だった。これは、逆さに読めば神風だ)。いわば敗戦によって国民全体が背負った「負け犬根性」を補償したのだ。

一方、プロ野球。巨人軍は川上哲治監督の下、65年から73年まで9年間にわたり日本一の座を確保し続けた(この中心となったのが長島と王だ。長島はV10を逃した74年シーズンを最後に引退している)。そして、この期間はほぼ日本の高度経済成長と重なっている。すなわち巨人が勝ち続けることと高度経済成長は同時進行であり、日本人にとって巨人は、いわば高度経済成長を「正当化」するメディアのひとつとして捉えられていた。巨人を設定に作られたマンガ・アニメ『巨人の星』では、その主題歌は「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性……巨人の星をつかむまで、血汗を流せ、涙を拭くな」と歌われているが、これはいうまでもなく栄光に向かって艱難辛苦を乗り越えていくことがスローガンとなっている。

そしてこの時期、高度経済成長のスローガンは「豊かな生活」へ向かって刻苦勉励することだった。今は中の下の生活、しかしここで我慢して努力すれば、やがて豊かな生活が待っているというわけだ。そして、その先の「豊かな生活」として描かれていたのがアメリカの消費生活だった。それゆえ、このスローガンは言い換えれば「アメリカに追いつけ、追い越せ」に他ならなかった。

そして、ここでディズニーがこういったテレビメディアが煽る戦後復興意識と高度経済成長神話にとどめを刺す。最終的に目ざす「豊かな生活=アメリカ消費生活」の実際を、当時の日本人はどうやってみることが出来たのか?それは言うまでもなく、やはりテレビだった。60年代はまだまだテレビコンテンツが不足した時代。テレビ局の予算も70年代以降のように多くはなく、技術的にも遅れている。そこで、アメリカのテレビコンテンツが輸入されて放送された。『パパは何でも知っている』『名犬ラッシー』『奥様は魔女』といった一連のテレビドラマがそれだったのだが、ここで映されていたライフスタイルがアメリカの都市郊外にある、庭、芝刈り機、自動車、リビングルーム、オーブン、エアコン、そしてテレビなどからなる典型的な白人の消費生活場面だったのだ。これこそが最終目的地だった。

高度経済成長神話を加速させる文化装置としてのディズニーランド

ディズニーもこういった輸入物の番組の一翼を担っていた。日本では1958年より『ディズニーランド』という名前の番組がⅠ時間にわたって放送された。これももちろんアメリカのテレビ局ABCの番組(その後、番組はNBCへと移り、タイトルも『Walt Disney's Wonderful World of Color』と変更された)を輸入したものだったのだが、これは他の番組以上にアメリカの消費生活を徹底的に映し出した。ディズニーのテクノロジー重視の姿勢が「最先端の国アメリカ」を、冒頭に登場するウォルトの書斎(実際には本物をそっくり真似たセット)やディズニーランドの映像が「究極の消費文化」と映ったのだ。そして、それは「どんなに頑張っても絶対に到達不可能の究極のアメリカ=消費生活」に他ならなかった。なんのことはない、ややもすればこれを見ている日本人は裸電球一発の電灯、ちゃぶ台の上に一汁一菜といった食事だったのだから。

こういったアメリカコンプレックス、高度経済成長神話、そして到達すべきアメリカ的生活が、なんと当時まったく同じ時間で繰り広げられていた。日本テレビ金曜夜八時がその時間帯だ。なんと『プロレス』と『ディズニーランド』が隔週で交互に放送されていたのだ。つまり力道山→ディズニー→力道山→ディズニー。言い換えれば「コンプレックスの代償的克服→再び奈落の底への突き落とし」というマッチポンプが繰り広げられた。しかも、これは隔週といっても、時には巨人戦がこの時間帯に入り込んでくる。『ディズニーランド』は1968年からは時間帯が日曜夜八時に移行し毎週放送となるが、これも夏場にはしばしば巨人戦によって中断させられた。つまりコンプレックスの代償的克服→再び奈落への突き落とし→これを克服するための高度経済成長神話に対するアイデンティファイといった具合に、この時間帯は、戦後日本60年代の日本人の精神性をマッチポンプ的にエコノミック・アニマルへとかき立てる文化装置として機能したのだった。


6月22日、久しぶりに東京ディズニーランド(TDL)に出かけた。能登路雅子さん(東京大学名誉教授)にお誘いを受けたのだ。能登路先生は80年代はじめアナハイムのディズニーランドに勤め、82~83年にオリエンタルランドで嘱託としてディズニーユニバーシティ(キャスト研修センター)や営業の仕事をつうじてTDLの立ち上げに加わり、ディズニー公認のウォルトの伝記『ウォルト・ディズニー~夢と冒険の生涯』(ボブ・トマス、講談社、1983)の翻訳を手がけ、『ディズニーランドという聖地』(岩波新書、1990)を著したという、わが国におけるディズニー研究の第一人者かつTDLの生みの親の1人。先生とパークでご一緒させていただくなんて、本当に光栄なことだった。
 
お昼過ぎからの入場で、回ったアトラクションは先生のご希望でキャプテンEO(六月いっぱいで終了)、イッツ・ア・スモールワールド、ホーンテッド・マンション、白雪姫、カリブの海賊だった。キャプテンEOを除けばオープン時から存在するアトラクションなのだが、これらを回ったのにはちょっと「わけ」がある。しかもディープなディズニーファンだったら、ちょっとしびれるようなわけが……
 

ナイン・オールドメンの1人、マーク・デービスの作品を確認する

マーク・デービスという人物をご存知だろうか?知っていればかなりのディズニー通だ。ウォルトの時代、ウォルト・ディズニー・スタジオに在籍していたアニメーターのうち、中心となった9人のアニメーター、つまりウォルトの懐刀がおり、彼らは通称「ナイン・オールドメン」と呼ばれているのだけれど、デービスもその1人。とりわけ女性キャラクターを描いた人物として有名で、手かげたものにはシンデレラ、アリス、ティンカー・ベル、オーロラ姫、マレフィセントなど錚々たるキャラクターが並ぶ(ちなみにバンビも担当している)。
 
だがデービスはその他にも大きな仕事を二つ手がけている。一つはアトラクションを手がけたこと。ジャングルクルーズ、魅惑のチキルーム、カリブの海賊、ホーンテッド・マンション、イッツ・ア・スモールワールド、カントリー・ベア・ジャンボリー、ウエスタンリーバ鉄道がそれで、なんのことはない、古くからあるディズニーランドのアトラクションの主要どころ(かつてのチケット「ビッグ10」ならほとんどがEチケット、つまりいちばんグレードの高いアトラクションに該当する)、言い換えればディズニーランドのアトラクションのアイデンティティとなる部分の主要部を手がけているのだ。
 
そして、もう一つはTDLの建設にあたって長きにわたり日本に滞在し、そのデザイン監修を手がけたこと。TDL、実はデービス・ランドでもあるのだ。しかし、そのマーク・デービスも2000年に亡くなっている。
 

ウォルトとデービスの精神が残っているTDLにアリス・デービスさんをお迎えしたい

能登路先生はデービスが手がけたアトラクションをチェックしておられたのだ。その理由はデービスの奥さんで、存命のアリス・デービスさん(現在85歳)を日本にお迎えし、パークをご案内する構想を練っているから。
 
「ある意味、東京ディズニーランドは、世界でいちばんディズニーランドらしい」
 
先生はこう語る。その理由は、要するに「ウォルトのアトラクションに対するコンセプトを忠実に反映して具現化したデービスのアトラクションが、まだ、ここには原形を失わずにあるから」という意味だ。先生によれば、アリスさんは近年のアナハイムのディズニーランドの変わりようには驚いているという。たとえば、2009年に大規模な改修をしたイッツ・ア・スモールワールド。実はアリスさんは1950年代からディズニー・スタジオでコスチューム・デザイナーとして活躍し、スモールワールド制作にあたっては、夫がウォルトの下でライドの基本デザインを担当、メアリー・ブレアが人形のスタイリングとデザインコンセプトを、アリスさん自身は人形の衣装デザインを受け持った。言わば、夫マークとの思い出の詰まった共同作品だ。ところが現在、アナハイムのスモールワールドは世界の衣装を纏った子どもの人形の中にディズニーのキャラクター(ウッディ、ジェシー、ピーターパン、ドナルド、リロ、アリエルなど)が人形と同じ文法で作成され配置されている。しかし、これは夫デービスの構想したスモールワールドの世界とは相容れない。アリスさんからすれば夫の世界を踏みにじられたことに他ならないだろう。だが、夫の世界を踏みにじったと言うことは、言い換えればウォルトの世界を踏みにじったということにもなる。
 
ところが、TDLにあるデービスの手がけたスモールワールドは手つかずだ。ホーンテッド・マンションしかり(ハロウィーン、クリスマスの時期は除く)、カントリー・ベア・ジャンボリーしかり(カリブの海賊はジャック・スパロウなどパイレーツ・オブ・カリビアンのキャラクターが配置されたので)。だから、アリスさんを日本にお迎えすれば、オリジナルの健在ぶりをさぞかし喜ぶに違いないと先生は考えておられるのだ。
 
80年代からデービスと親交があった能登路先生ならではの夢のある思いつき。先生はウォルトの伝記翻訳にあたって、わからないところを何度もデービスに直接問い合わせに行き、懇意になった。死ぬ間際のウォルトとの会話について説明をお願いしたとき、デービスが涙ながらに語り続けたのが忘れられないと、先生は当時のことを述懐した。こんなにもウォルトと直結し、しかもそれが現在、まだ進行中の話を先生から聞かされ僕は、歴史と思っていたウォルトとディズニー話が突然目の前に現れたという感じで、ほとんど鳥肌状態だった。
 
ゲスト=受け手の方はすっかり変わってしまい、また多くのアトラクションや催しも、こういったデズヲタ向けに変更させられ、ここにウォルトをすっかり感じられなくなっていた僕だったけれど、先生の指摘されたこの「デービス視点」、ディズニー=ウォルト原理主義的な立場から見るとTDLこそディズニーランドといえないこともない。
 
TDLにあるオールドアトラクションからウォルト、そしてマーク・デービスを感じてみては、いかがだろう。



イメージ 1


アメリカ・アナハイムのディズニーランド内の”It’s a SmallWorld”の中にあるウッディ、ブルズ・アイ、そしてジェシー。ディズニー(PIXAR)のキャラクターではあるが、アトラクションのテーマからは逸脱している。

イメージ 1

ダッフィー専用のフォトポイント。ここにマイダッフィーを乗せて撮影する。成熟したゲストへのTDR側の見事な対応だ(東京ディズニーシー―)



情報消費空間としての利用の肥大が進む東京ディズニーリゾート(TDR)について考えている。TDRはあらかじめディズニーに関して仕込んだ情報(コピー)を確認に行く空間。本来なら物理的空間がオリジナルで情報はコピーであるところが、TDRでは逆転、つまり現物=コピー、情報=オリジナルといった現象が極端なかたちで起きている。このことについて、前回は90年代までのマスメディアとパークの関連で分析しておいた。マスメディア情報が先にあり、これをチェックするためにTDRへと向かうという図式だ。今回は後半。21世紀、インターネットの到来で、この肥大がさらに極端になっていくプロセスについて見ていく。

インターネットが開く情報過多

日本人にとってディズニーランドは、もともとこういった情報消費空間的な特性を備える土壌にあった。国内が狭いこと、東京都市圏に3700万人もの人口を抱えることによって、TDRはチェックした情報をすぐにに確認できる空間だったためだ(広大なアメリカではこうはいかない)。そこに、ネットの普及でこの情報消費における情報=ヴァーチャルの極端な肥大が発生する。それは、成熟したディズニーファン、ディズニーを訪れるゲストたちが、マスメディア経由でなくインターネットを通じて独自に情報を入手しはじめた必然的結果だった。つまり、もはやあちこちから情報を入手できる。いや、それだけではない。ホームページやブログなどを利用して自ら発信するようにもなった。この肥大化は現在、SNSとスマホの普及によてさらに極端な拍車が掛かっている。

そして、こういった情報アクセスの易化・多様化、発信のカジュアル化は、翻ってマスメディア誘導によるゲストの情報消費といったこれまでのスタイルを瓦解させていく。インターネットにアクセスするディズニーファンのユーザーが、それぞれの嗜好に合わせて情報をアクセスし、また発信することで、ディズニー、そしてパークに関する情報は無限の広がりと方向性見せるようになったからだ。そして、その勢いは、必然的にディズニーに関する「マスメディア情報<ネット情報」といった勢力関係を作り出した。

こうなると、あたりまえの話だが、もはやマスメディアがどんなにディズニーに関する一元的な情報を提供してもゲスト(もはやデズヲタ=ディズニーオタクだが)は言うことをきかない。映画『グレムリン』の中に登場する小動物モグアイ・ギズモから分裂して生まれる破壊の小悪魔モグアイ・グレムリンのように、ディズニーから生まれたにもかかわらず、マスメディア経由の一元的ディズニー世界を破壊するような存在に転じていくのだ。

つまり、こうだ。ファンのゲストたちはそれぞれ任意に自分のお好みのディズニー世界を作り上げる。これはフィルター・バブル的な情報処理によってどんどん個人専用にカスタマイズされていく(もちろん、それはウォルトが当初考えたものとはかけ離れたものだ)。また、その情報をさらにカスタマイズしてネット上に発信する。もっとも、こういったゲストたちがパーク内で行う行為は、形式的にはかつての一元的な情報消費と同じだ。つまり「頭の中のAR=セカイカメラ」状態。彼らにはパーク内にタグづけられた「自分だけにしか見えない情報」を確認するために、ここに頻繁に繰り出す。ただし、そのタグは個人的にタグ付けしたもので、同じパーク内の空間を見ても、それぞれの「頭の中のセカイカメラ」には別のタグ付けがなされている。だからパークのゲストたちは、そこに別のものを見ているのだ。

グレムリンたちに対応を見せるTDR

たいへんなのはTDRの方だ。こういったグレムリンたちの無限に多様化したディズニー世界のニーズに対応をしなければならなくなったからだ。TDRは、それぞれにアドホックに空間を位置づけするゲストたちに対応するような環境世界の形成を命題として掲げることになった。だから、たとえばパレードやショー、空間からはストーリーの一貫性を破棄し、個別のタグ付けに併せた膨大な数の情報の羅列という対応策を採っていったのだ。これは、要するにハイパーリアルという言葉がピッタリということになるだろう。現物=リアルよりも情報=ヴァーチャルが肥大化し、挙げ句の果てにはその肥大化した情報イメージに従って現物=リアルな環境が再構築されていく。

で、この対応は見事に功を奏する。もはやデズヲタ=グレムリンとなったファン=モグアイたちにとって、こういったバラバラの世界は、自らカスタマイズして構築した世界を情報消費するためには、むしろ最適。そこで自由に「マイ・ディズニー・ワールド」を構築していくことができるのだから。いや、それだけではない。ネット上で気軽に情報を発信するように、パーク内でも情報発信を始めるようになる。パーク内の道に沿ったオープンテラスに持ち込んだダッフィー(パイレーツやジャック・スケリントンの衣装を纏っている。もちろんお手製のダッフィー用コスチュームだ)を、他のゲストたちに向けてこれ見よがしに並べる。白衣を着て、そこに数百のプーさんのピンを貼り付け、頭にはプーさんのハチミツ壺の帽子をかぶる。大人が全身ミニーのコスプレでやってくる。お手製?の、マリーをあしらったド派手な和服でパーク内を闊歩する。なーんちゃって女子高生として、かつての制服姿で仲間とパークを訪れる(制服ディズニー)などなど。そして、これはもはやテーマパークと定義づけられるような空間を形成しなくなっていった。

実はアジア的文化様式がテーマパークという欧米の形式の中で融合しただけ?

こういったパークのクレオール化は、今後さらに進んでいくだろう。そしてパークは壮大なオタクランドを形成するはずだ。もちろん、かつてのディズニーの一元的世界を支持していた旧世代は、ここから退場していくだろうが。

こうやってオリジナルとは異なる独自の変化をしていくことで、輸入された文化は定着する。そしてTDRの場合、最も興味深いのは、ある意味日本の未来を先取りしたかたちで、さまざまな事態が発生することだ。ということは、数年後、人々は同じ空間に、それぞれが異なったタグ付けを行って情報消費をしている、そしてそういったニーズに合わせて僕らの生活空間もごった煮的な状況を構築していくということになる。アキバ、ドンキのように。つまりディズニーにおけるテーマ性の破壊が数年後にわれわれの日常空間でも発生する。でも、これって、実はきわめて汎アジア的風景、いや日本的なそれなのかもしれないけれど(笑)


※付記:この手の記述を本ブログで、僕は何度となく書き綴ってきたが、その際、僕がかつてのディズニー世界を「正」、現在のオタクランドの状態を「誤」と捉えているとしばしばカン違いされてきた。デズヲタ層からは「そんなに嫌ならパークに来なけりゃいいだろ」、一方、旧主派からは「もう、あそこはディズニーじゃない。よくぞ言ってくれた」みたいな反応だ(ちなみに、こちらは元キャストだった人からのコメントが多い)。だが、僕の立場は「TDRへの興味関心は尽きることがない」というものだ。「ディズニーランド、たかが遊園地と侮るなかれ。情報化社会の近未来を、あそこは照らし出しているのだ」と、僕は考えている。

↑このページのトップヘ