勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

タグ:その他音楽

「遂にこの日が来た!」

6月9日早朝に開幕したAppleのWWDC2015で、6月30日からAppleが新たな音楽ストリーミングサービスを開始することが発表された。ストリーミングサービスとは動画や音楽の配信サービスを意味するのだけれど、ここで発表されたのは、さしあたり音楽に関するもの(一部動画も含まれる)。サービスのポイントだけを一言で言ってしまえば、そのうちのサブスクリプション・サービスの部分、つまり「音楽の定額聴き放題」ということになる。月額9ドル99セントでサービス側が提供する楽曲をいくらでも利用可能。Appleは2009年にストリーミング=サブスクリプションサービスを展開するLalaを、そして昨年はヘッドフォンメーカーとして大人気のBeats Electronicsを買収しており(AppleのBeats買収のねらいは、Beatsが所有するサブスクリプションサービス”Beats Musicにあったと言われている。当然、これらがApple Musicのベースになっていると考えられる)、サービス開始は時間の問題と言われていた(ちなみにサブスクリプションについての僕の論考についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65404213.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65045539.html、およびhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61609826.html、を参照されたい)。

こういったサービスは日本ではNapster、Sony Music Unlimitedなどでかつて利用可能だったし、日本以外なら6000万人のユーザーを抱えるSpotifyもすでにある。だから「何を今更、Appleが」の感がないでもないが……。いや、そんなことは全くない。これはミュージックライフの革命と言った方が早い。と言うのも、既存のサービスとはいくつかの点でまったく異なっているからだ。

WWCDのキーノートでは三つの点が強調された。「革命的な音楽サービス」「24時間3カ所からのラジオ」、そして「ミュージシャンとファンの交流」がそれ(今回、ラジオの論考は省略しました)。

「革命的な音楽サービス」と?

先ず「革命的な音楽サービス」について(ちなみに、このコピーは”Revolutionary music service”だが、これは2007年にS.ジョブズがiPhoneのキーノート・スピーチでiPhoneを紹介する際のコピーの一つ「革命的な携帯電話」=”Revolutionary mobile phone”になぞらえているのだろう)。

このサービスは、先ず既存のサービスと同様、クラウド上にある数千万曲に定額で自由にアクセスできること。ストリーミングはもちろん、ダウンロードしてオフラインで聴くことももちろん可能だ。また自分のコレクションを作成できるが、このコレクションは楽曲のデータのみがダウンロードされるだけで曲自体はクラウド=iCloud上にある。だから、パソコンやスマホ、タブレットのメモリーを食わない。ただし、これだけだと、これまでのサービスと代わるところはない。問題はここから。

My Music:お気に入りのコレクションを自分の所有する全てのディバイスで

その1:すでにサービスが開始されているiTunes Matchと同じ機能を備える(AppleではApple MusicとiTunes Matchは独立した機能と公式ページで説明しているが、説明を読む限りではまったく同じ。どうなるんだろう?)。あなたの音楽コレクションがAppleMusicによってデータを読み取られ、Appleミュージックのライブラリーと照合が図られる。しかも、このデータはiCloudと呼ばれるクラウドサーバー上にアップされているので、共有するディバイス全てにライブラリーが反映される。あなたがiPhoneで新しい曲を登録する。そして家に帰ってパソコンのiTunes(あるいはApple Musicというアプリに置き換わっているかもしれない。後述)を開くと、すでにそこには新しい曲がリストとしてリストアップされているというわけだ(iTunes Matchの場合、ユーザーのコレクションの音質が悪かったりした場合には、iTunes上のデータと置き換えてくれるというサービスもあるが、これがこちらに反映されるかどうかは不明)。この機能は”My Music”という名前が付けられている。

For You:あなたのお気に入りの世界を広げてくれる

その2:その1で見たクラウド上へのユーザーデータの収集は、必然的にユーザーの膨大なデータをiCloud上に集積することになる。しかもAppleMusicを利用すればするほどそのデータはいっそう膨大になっていく。そう、ここに世界中の人々の音楽の嗜好に対するビッグデータが誕生するのだ。

そして、このデータは当然グーグルやAmazonと同じやり方でマーケティング、あるいはセールスとして活用される。ユーザーサイドで考えられるのは、当然ながらAmazonのような「リコメンド・サービス」だ。Apple Musicは膨大なデータをアルゴリズムに基づいて、あなたのオススメの曲を紹介してくるのだ。しかも、ここからがAppleらしいところで、単に統計的な処理に基づいてデータを返してくるのではなく(グーグルやAmazonはこれ)、データをAppleのスタッフたちが検討して提案するのである(かつての「ロボ検」に対する「人検」をイメージしていただくとわかりやすいかも)。iTunesにはGeniusという機能があり、これを利用すると、お気に入りのジャンルの曲(スムースジャズ、ラテン、ロック、ポップなど)を集めて勝手に再生してくれるのだけれど、これはあくまで自分のコレクションの整理。ところがApple Musicでは数千万曲の中からあなたの気に入ると思われる楽曲をチョイスして再生してくれる。しかも、これはもちろんタダ。つまり、Amazonがリコメンドサービスのあとに購入を誘ってくるのとは違う。このオススメをダウンロードしても定額料金が変わることはない。当然、自分が好きな音楽についての世界が広がっていくことになる。この機能には”For You”という名前が付けられている。

New:あなたの気に入っているミュージシャンや関連筋の新譜を紹介

その3:データは強力なマーケティングの武器としても用いられる。インターネット上には膨大なデータが存在するが、ものすごくトリビアなものになると、さすがにデータを探し出すことは難しい(学術的な資料などがその典型。まあOPACみたいなものもあるけれど)。音楽も同様だ。ビートルズみたいなメチャクチャポップなものならAppleも簡単にライブラリーに並べることは可能だけれど(著作権をクリアしていればという留保は付く)、インディーズのごく一部のファンしか抱えていないようなどマイナーなミュージシャンを効率よくライブラリー化することは現状ではちょっと無理。ところが、Apple Musicはこれを可能にする。サービスを受けているユーザーがそのトリビアなインディーズミュージシャンの曲をコレクション化すると、これが自動的にiCloud上に反映される。Apple Musicとしては、その内、ユーザーのコレクション数が増えてきているような楽曲で、なおかつAppleのスタッフが「これはいい!」と思った場合、今度は同じような音楽を嗜好するユーザーたちにオススメとして提供する。この機能には”New”という名前が付けられている。これって、まあ、ヘタすると市場操作になるんだけど……。

Connect:ミュージシャンにも取り分が

そして、このサービスはミュージシャンとリスナーの関係も取り持つ機能を備えている。これまでのサブスクリプションサービスはミュージシャンたちには評判がよいとは必ずしも言えなかった。「膨大な数の楽曲を一挙ひとまとめにして聞き放題で○○円」ってなのがこのサービスなので、自分の取り分が減ってしまうと考えられたからだ。S.ジョブズはiTunes Storeを開始する際、ダウンロード販売をミュージシャンの取り分を考えていた。インターネットの普及によって違法ダウンロード、そしてナップスターのようなピア・ツー・ピアのシステムによって音楽の著作権に関する無法地帯状態が出現していることに対して、廉価のダウンロード販売(一曲¢99)という形でそれを保証したのだ。そしてiTunes Storeは世界最大の、いわば「レコード・CD販売店」となった。ただし既存の小売店を破壊していったのだけれど 。

しかし、このシステムを破壊するものがサブスクリプション・サービスだった。現状のCDなどのハードメディアやダウンロード販売にサブスクリプション・サービスが加わると、正直、前者二つは食われるだけになる。そして、ミュージシャンの利益はどんどん下がっていく。またダウンロード販売で稼いでいたAppleもここ数年は販売が頭打ち、さらには減少傾向となってもいた。

Apple Musicはかつてジョブズがやったように、再びミュージシャンの利益を保証するようなシステムを考えた。それがこの”Connect”だ。ミュージシャンたちは自分専用のプロフィールページを持ち、そこから自由に情報発信を行うことが出来る。たとえば、アップルのサイトにも記されているように、書きかけの歌詞、バックステージで撮ったスナップ、新しいビデオのラフカットなどをアップできる。これは、いわば「ミュージシャン自らが手がける濃密なライナーノーツ、ジャケット、ミュージッククリップ」と表現できる。しかもミュージシャンはこの機能を利用してファンからのフィードバックを得ることも可能。つまり、ここはミュージシャンにとってもマーケティングの空間となるのだ。そして、この編集権は、すべてミュージシャンの側にある。AppleMusicは透明な存在だ。

Appleだけが、可能なサブスクリプション・サービス

いかにもAppleらしい革新的な音楽配信サービス。「まあ、よく考えてあるわ」と脱帽せざるを得ない。ここで展開されているのは単なる「音楽聴き放題」ではなくて、「音楽聴き放題をメディアとしたわれわれの音楽聴衆スタイルの根本的な変更」だからだ。そして、これは「ガリバーであるAppleだからこそ可能な戦略」と言える。

こういったサブスクリプションサービス。わからない人には取っつきにくいものでもある。「音楽は購入し、そして聴くもの」という固定観念をなかなか外しづらいからだ。だから、これまで日本でも前述したようないくつかのサブスクリプションサービスがあったけれど、さほど普及することはなかった。「一部の音楽大好き人間だけが知っているサービス」みたいなものだったのだ。これを聴くためにはそのサイトにして登録する、専用アプリをダウンロードするという手続きもあり、これがちょっとメンドクサイ。「毎月カネを取られるのもちょっと」と感じる者も多い。つまりこういったサービスは、あくまでプルメディア、つまり消費者が任意に入り込むものだった(音楽大好きな僕のところの学生たちであってもサブスクリプション・サービスを利用する者はごく僅か。ある日、僕が件の学生にSony Music Unlimitedを紹介すると、驚いたように即座にメンバー登録したなんてこともあった)

ところがApple Musicの場合はそうはならない。こいつはプッシュメディア、つまりAppleが働きかけて、こちらが知らないうちに利用するようになってしまうメディアだ。
現在iPhoneを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?iTunesを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?そりゃ、膨大な数だろう。ウチの学生を例に取れば、もうほとんどがこれだ。これがiOS(そしてMacOS、AppleWatchOS)がアップデートされた時(100カ国で6月30日がその日にあたる。間違いなく日本もその一つに入っているはずだ)、そこにApple Musicの紹介が登場し、ポチっとやるだけでこのサービスに加入することになる。これまでのiTunesの上にこれが自動的に乗っかる形だろう(ひょっとしてiTunesは消えてしまい、前述したようにこれがApple Musicという名前に変更されているかもしれない。MacOSの写真編集アプリが”iPhoto”から”写真”へと変更された時のように)。しかも3ヶ月間無料という「トロイの木馬」も付いている。そう、実にスムースにこのサービスに移行してしまうのだ。しかも月額9.99ドル。まあ日本だと1300円くらいだろうけれど、これくらいだったらウチの貧乏学生も喜んで加入してしまうのではなかろうか。こんなことを始めるiPhoneユーザー(アンドロイド版もリリースされる)が一挙に出現するのだ。

ミュージックライフを変更する

そうなると、われわれを音楽聴取スタイルは根本的に変更されてしまうだろう。先ず、考えられるのは「音楽を所有する」という概念の崩壊だ。聴きたい時に聴きたい曲を聴く。そして好みに応じてコレクションする。しかし、コレクションした者は物理的媒体ではないので、本みたいにずらっと並べて楽しむ、つまり「知識をカネをかけて所有する」という感覚が消滅する。音楽は純粋な消費物へと転じるのだ。

また「聴きたい曲」というのは、いわば自分にとって快適なものだから、「快適なものであればジャンルは問わない」ということになる。ということは、ジャンルは目安にしかならない。「私はロックばっかり」ってなことには必ずしもならなくなるのではないか。ただし、その反面、ものすごくトリビアになっていくことも確かだろうけれど。

おそらくほとんどのレコード/CD店は潰れてしまうだろう。また、既存のサブスクリプションサービスも、恐らくApple Musicに回収されてしまうだろう(つまり、消えてなくなる)。そして、前述したようにミュージシャンの活動スタイル、とりわけビジネス・スタイルのそれも根本的に変更されるだろう。言い換えれば、音楽というメディアにおけるパラダイムシフトが、これから数年のうちに発生するのだ。

ただし、これだけは言えることがある。それは、

「われわれは、ますます音楽を聴くようになる」

ということ。しかも、大量のリスナーが加入すれば、むしろ音楽市場規模は拡大する(毎月定額を払ってくれるユーザーが大量に存在すれば、時々CDやダウンロード販売を利用してくれるユーザーよりも売上は増大する。しかも収入も安定する)。

そして、

「Appleはますますガリバー化する」

ということ。(たぶん、そのうち動画でも同じことを始めるだろう。これはAppleTVとのセットになるんだろうけれど)

これは楽しみでもあるし、「怖いもの見たさ」でもある。


Appleは、とうとうパンドラの箱を開けてしまったのだ。

デジタルコピーの時代~0年代の音楽メディア受容

CDによって出現したもの。それはコピー文化のさらなる進展、そしてカセット・テープとウォークマンの終わりだった。当初CD-ROMは音楽専用のように扱われていたが、これがパソコンのデータを扱うディスケットとして装備されるようになる。しかも、それもまたCD-ROM=読み込み専用からCD-R/CD-RWへ、つまり書き込み可能なドライブへと変化する。もちろん、これで音楽のデータを取り込むことも可能。それは要するにCDの音質を全く落とすことなく、しかも素速くコピーすることを意味していた。

カセットは音質的にCDやレコードにはかなわない。レンジは狭く、ノイズも常態となっているし、聴き続けていけば次第に音は劣化する(高音がボケ、低音がボヤボヤし、ノイズが増え、最後はタイル張りの風呂場で流す音みたいになる)。一方、CDにはこれがない。しかしカセットにはコンパクト=つまり可搬性が高いという利点があった(CD出現当初はCDに比べはるかに廉価でもあった。生CD一枚1000円なんて価格だったのだ。カセットは数百円程度)。だからCDドライブが普及し始めた90年代後半ではあっても、まだカセットが主流だった。つまりCDからカセットへコピーしてウォークマンで聴くというのが一般的だった。

だが、CD再生形態の攻防の中で、カセットという録音メディアの牙城が崩れていく。要は、遙かに音のよいCDをどう携帯するかが次世代音楽ハードの存在条件となり、これをクリアしたものが覇権を握るということになったのだ。SONYはこれを察してウォークマンの次の世代、ウォークマンのCD盤であるディスクマン(後にCDウォークマン)を発売している。これだと音はよいし、コピーしたCDも聴ける。ただしディスクは直径12cmもあったので携帯性ではカセット(10cm×6cm)に劣っていた。またMD(ミニディスク。直径6.4cm)というメディアも登場し、こちらもSONYはMDウォークマンを発売したりもした(ただし、メディアが高価だった)。しかし、これらはいずれも音楽データをハードメディアに置き換える際に手間がかかるという点についてはカセットと同様だった。つまり「面倒くさい」。

iPodの出現

カセットそしてウォークマンの終わりは2001年、Apple(当時はアップル・コンピューター)がiPodを発表したことに始まる。iPodは音の劣化がほとんどなく(AIFFからMP3あるいはAAC形式に変換するため実際には音質が落ちたが、素人の耳にはほとんどわからない)、ハード・ディスクにコピーする形式だったので大量のコレクションを収めることが出来た(当初は1000曲程度)。つまり、ウォークマン以来の“伝統”だった「ハード・メディアをいちいち入れ替える必要」がなかった。また、パソコンのソフト・iTunesを経由して音楽データを取り込むので、そのコピーはあっという間だった(同期が自動的に行われた。それ以前の音楽プレイヤーソフトは操作が煩雑で、一般には馴染まないものだった)。iPodはカセット、CD、そしてMDに対し全ての面で圧倒的なアドバンテージを備えていたのだ。しかも、これがウォークマン以上に小さな筐体に収められたのだから、まさに「鬼に金棒」状態だった。

レンタル、仲間内の貸借、そしてダウンロード

そして、この「鬼に金棒」状態を決定的にしたのが2003年のiTunesWindows版の無料配布開始で、逆にこれでウォークマンの終わりも決定的になる。圧倒的なユーザーを誇るWindowsマシン上でiTunesとiPodが連携するようになれば、もはや誰もが前述したような容易な音楽ソースの確保、コレクションが可能になる。iPodは瞬く間に普及し、覇権をウォークマンから奪い取り、Appleの主力商品にまでなっていった。ちなみにiTunesの場合、レンタルCDはもちろん、ネット上から取り込んだMP3ファイルもライブラリーに加えることが出来る。そこで若者たちはCDレンタル、仲間との貸借、そしてネット上からのダウンロード(YouTubeやダウンロードサイト、ダウンロード・アプリ等)によってiTunesに次々とコレクションを登録。これをiPodで楽しむというスタイルが一般化したのだ(その一方でiTunesはダウンロードの乱用から音楽販売を守るという、逆説的な役割も果たしたのだが。つまり子供はコピーで大人はダウンロード購入という棲み分け)。

この流れはさらに2008年以降のiPhoneをはじめとするスマートフォンの普及で決定的なものとなる。それは言うまでもないことだがカセット、そしてカセット型ウォークマン(CD型、MD型も含めて)の死を意味していた(iPodのようなデジタル・プレイヤーとしてのウォークマンは2006年に発売されているが、利便性(データの取り込みなど)でiPodよりは劣っている。また発売時点でデジタル・プレイヤーの覇権はすでにiPod=iTunesに握られていたため、もはや入り込む隙間がなかった。だから、かつてのカセット型のような力を持ち得ていない。音質的にはウォークマンのほうがiPodよりもよいのだが、素人の耳にはやはりほとんど区別がつかない)。

そして2015、今度はiTunesがアブナイ?~音楽を所有するという習慣が消滅する?

ここまで、ジュークボックス/電蓄/セパレートステレオ(レコード)→オーディオ(レコード、カセット)→ウォークマン(カセット、CD)→iPod/スマホ(MP3などのデジタル・データ)という「音楽受容機器の変容」をたどってきた。じゃあ、iTunesがこれからも覇権を握り続けるのか?いや、そんなことはない。iTunesさえも、安泰ではいられないのだ。というのも、メディアの重層決定はエンドレスだからだ。言い換えれば、音楽聴取スタイルの変容はとどまることを知らない。

iTunes販売に陰り~音楽所有の終わり

2014年、今度はiTunesのダウンロード販売が頭打ちになり、下降線を辿っている。これはSpotify、Sony Music Unlimitedなどの定額聴き放題サービス、いわゆるサブスクリプション・サービスの普及に基づいている。これらでは1000万曲を超えるコレクション(最大のSpotifyは1600万曲)をストリーミング、あるいはダウンロードによって聴くことが可能になる。これに馴染んだリスナーたちは、遂に音楽をコレクションする、所有するという考え方自体を放棄しつつあるのだ(サブスクリプションは、いわば「図書館」。言い換えればコレクションはすでにそこにある)。80年代からCDのコピーを巡って繰り広げられてきた音楽受容の攻防は、iTunes=iPod/スマホによってCDそれ自体を駆逐、つまり消滅させようとしているが、今度はサブスクリプションが「音楽所有=コレクション」という概念を消滅させようとしているのだ。つまりレコード、カセット、CD、iPod(この場合ハードディスク、あるいはメモリー)という物理的なハードメディアを不要とし、音楽だけを純粋に楽しもうする習慣=音楽聴取スタイルの誕生の兆しが見えている。

こうなると、今度はデータであったとしても、あくまで音楽を「販売する」というビジネス形態を採っているiTunesの雲行きがあやしくなってくる。iTunesはデータのダウンロード販売といっても、そこには依然として音楽所有=コレクションという認識が前提(つまり「音楽を購入する=所有する」)されているのだから。いやはや「メディアの重層決定」、なんととどまることを知らないことか(ちなみにSONYが現在志向している高音質再生機器、いわゆるハイレゾ・マシーンだが、これがヒットするかどうかは未知数だ。もはやiPodレベルの音質で一般ユーザーはすっかり満足しているのだから。また、これも「所有」という概念にとらわれているのだから)。

Beats買収はiTunesの次の一手

もちろん、Appleも音楽受容の新たな変化に対して手をこまねいているわけではない。次世代の「コレクションの認識無き音楽視聴スタイル」への適応へ向けて次の一手を考えていることは、もうご存知の方も多いだろう。Appleは今年5月、そのデザインと音質(ドスドスと響く低音強調がウリ。分解能力を基調とするモニター音が好きな僕は一切魅力を感じないが)で若者に絶大な人気を誇るヘッドフォンメーカーのBeatsを30億ドルというAppleとしては過去最大の金額で買収した。だが、AppleがBeatsを買収したねらいはヘッドフォンではなくBeatsが所有するサブスクリプション・サービスのBeats Musicにあると考えた方がよい。つまりAppleはiTunesにBeats Musicを組み込み、サブスクリプションを始めようと画策しているのだ。

もし、現在圧倒的なシェアを誇るiTunesがサブスクリプションを始めたとしたら(一説には来年の5月と言われている)、恐らくサブスクリプションによる音楽聴取スタイルは一気に進んでしまうだろう。Appleのことだから、iTunesやiPhoneをリリースしたときと同様、ものすごく簡単にこれにアクセス可能になるようなインターフェイスを用意することは間違いない(ちなみに僕は現在、Sony Music Unlimitedのサブスクリプション・サービスを利用しているが、実に使いづらい。重いし)。そしてiTunesは現在覇権を握っている。ということは、つまり、あなたのスマホにインストールされているiTunesに、ある日、突然サブスクリプション・サービスの機能が加わり、チョコッとアカウント・サービスをいじることで、これまでと同じようにiTunesを操作しながら、膨大な音楽のコレクションの海に身を投げるという事態をとんでもなく膨大なユーザーたちが始めるのだ。で、これによって他のサブスクリプション・サービスが駆逐されていく。Appleとしてはこんなシナリオなのではなかろうか。

そうなれば、またもやここでわれわれの音楽聴取形態はさらに変容してしまうだろう。もちろん、それがどうなるかは未知数だ。ただし音楽のパーソナル化を何らかのかたちで一層進めること。これだけは間違いないだろう。

80年代、カセット、カセットデッキ、オーディオも安泰ではなくなっていく

ここまでジュークボックスの隆盛と衰退を引き合いに、70年代における、音楽にまつわるメディア・テクノロジーと聴取形態の変容について考えてきた。で、カセット、デッキ、FM、オーディオの出現と、それとクロス・フェードするかたちでのジュークボックスの衰退を確認してきた。こういった70年代における音楽メディアの変容、意外と語られていないんじゃないだろうか。

だが、こういった変容(つまりオールド・メディアとニュー・メディアが攻防を繰り広げる「重層決定」)は、その後、80年代以降の音楽受容・聴取形態の変容と、ある意味相同性をなすと言ってもよいのかも知れない。つまり、その後、やはり同じような図式が繰り返される。しかも、何度も何度も。そして、それがいまだに続いている。そこで、今回、特集のまとめとして80年代以降の変容について考えてみたい。

ウォークマンがもたらしたサウンド・スケープ的聴取スタイル

70年代、わが世の春を迎えたオーディオとデッキだったが、80年代になると次世代の音楽メディアが登場する。言うまでもなく、ウォークマンだ。ウォークマンはオーディオ機器から録音機能とスピーカーを取り去り、ヘッドフォンあるいはイヤホンで聴くという、音楽機能の削減を行ったメディア機器だったが、これがリスナーたちに音楽の携帯化に伴う「サウンドスケープ」という聴取行動を誕生させ、大ヒットを遂げる。この概念自体はM.シェーファーが提唱したもので、一般に「音の風景」と呼ばれるが、ウォークマンでは音を持ち歩くことによって、任意に風景に対して音の意味づけ(あるいは音に対する風景の意味づけ)を行う視聴スタイルととらえられた。『ドラえもん』のひみつ道具になぞらえれば、ウォークマンはさながら「ムード盛り上げ楽団」として機能したのだ。だが、これによってオーディオ=コンポーネント・ステレオに対する人気は後退する。音楽聴取がデッキやラジカセで録音し、最終的にウォークマンで聴くというスタイルに転じたからだ。もちろん、これはさらなる音楽聴取のパーソナル化でもあった。つまり1.ジューク・ボックス=共同聴取、2.セパレート・ステレオ=家庭内共同聴取、3.カセット・デッキ/ラジカセ=個室内でのパーソナル聴取、4.ウォークマン=パブリックな空間でのパーソナル聴取という流れ(初代ウォークマンにはライン・ジャックが二つあった。またホット・ラインというスイッチもあり、これを入れると本体に内蔵されたマイクを通してヘッドフォンを装着した2人が会話可能となった。ただし、これは明らかにミス・マーケティング。ウォークマンを2人で聴くというシチュエーションはほとんど成立せず、二世代目には外されている。ウォークマンは端からパーソナル・メディアだったのだ)。そして、これらの流れは、要するに音楽のパーソナル化が、今後も不可逆的に進行していくことを意味していた。

オーディオの小型化、デッキとの一帯化

80年代、ウォークマンを軸とした音楽聴取の普及は、70年代にカセットやFM果たしたのと同様、音楽を巡るメディア環境を変容させることになる。

まずオーディオとデッキ。これはウォークマンで聴くためのコピー・マシン的な位置づけとなった。もちろん家庭でオーディオが聴かれないようになったわけではない。ただし、音楽聴取としてはウォークマンの脇役的な位置に置かれるようになる。その結果、オーディオはウォークマン同様、よりパーソナルな環境で楽しまれるようになる。それゆえ、小さな音で聴かれるようにもなった。ガンガン鳴らすほど住宅環境はよくなかったし、その辺のオーディオで聴くよりウォークマンで聴いた方が音がいいという事実もあった。オーディオはこういった用途のために利用される道具と位置づけられ、どんどん小型化していった。やがてオーディオとデッキは一体化され、一般ユーザーからはカセットデッキ購入というスタイルが消えていく。

レンタルショップの出現

こういったオーディオの小型化とコピー・マシンとしての機能はレンタルレコードショップの出現、CDの誕生によって拍車がかかる。

先ず前者について。1980年、三鷹にレンタル・レコードショップ藜紅堂(立教大生による学生企業)がオープンする。レコードを一泊二日300円程度でレンタルするというビジネス。つまり、現在TSUTAYAがやっているビジネス方式の先駆けだったのだが、これがアッという間に普及する。このビジネスが成立したのは、言うまでもなくオーディオでコピーが出来るという必要条件に基づいていた。それゆえ、著作権を巡って揉めることになるのだが(85年に貸与権が成立して解決)、そんなことはお構いなしに全国中にレンタルレコード店が生まれ、それが結局、現在のTSUTAYAへと収斂していくことになる。

レンタルレコード店の普及はFMからのエアチェックという習慣を衰退させる。一枚300円程度でコピーできるならそんなに懐も痛まない。しかもレコードからの直接コピーだから、ノイズがありレンジの狭いFM音源よりは遙かに良質。費用対効果は高いと貧乏な学生レベルでさえも感じたからだ。だいいち、エアチェックはFM雑誌を購入して狙った音源がオンエアーされるのを待たねばならないし、お目当ての曲やアルバムが放送されるかどうかは未知数。一方、新盤が並ぶレンタルレコード屋へ行けば、こういった悩みは解消される。

CDの誕生

次にCDの誕生だ。82年から発売が開始されたCD。当初はメディア、プレイヤーともに高額で、マニアが手を伸ばす程度だったが、次第に廉価になり普及。86年には販売枚数でCDはレコードを追い抜くまでに至る。CDはレコードに比べてさらに音質が高く、ノイズもない。しかもその名の通りコンパクト。持ち運びが簡単だ。これは仲間内の貸し借りもレンタルも簡単ということ(レンタルしても傷が付きにくいのでトラブルになる可能性が低い)でもあった。ということは、こうやってあっちこっちからお好みの音楽をチョイスすれば自分のライブラリーが簡単に出来上がるということになったのだ。

しかし、こういった音楽ソース、コピー・ソース入手の易化は”諸刃の剣”でもあった。自分の好みをどんどん徹底していけばどうなるか。まずFMなどというものは完全にアウト・オブ・眼中になる。好みの曲がかかるなんてことが期待薄になるからだ。だから70年代みたいにFMに真剣に耳を傾けるヤツなんかいなくなる(言い換えればFMはAMと同様「聴き流すもの」になった)。次に貸し借り。これもまた嗜好が細分化したために、仲間であったとしても音楽に関する好みが異なってしまう。ということは、仲間が所有しているCDはもはやコレクション候補にあがってこない。そこで、結局、レンタル・レコード改めレンタル・ショップ、煎じ詰めればTSUTAYAへと日参するということになった。そう、80~90年代、音楽聴取のパーソナル化はさらに一歩進んだのだ。

しかし、パーソナル化についてはまだ、いやまだまだ先があった。21世紀、今度はウォークマンにその消滅の運命が訪れたのだ。(続く)

FM放送の出現

ジューク・ボックスの消滅過程を糸口に70年代の音楽聴取形態の変遷について考えている。今回は第二回。「ジューク・ボックスの消滅」について。

70年前後、もちろん、レコード以外にも音楽聴取メディアは存在した。一つはラジオ聴取だ。1965年、NHKによってFMによるステレオ放送が開始され、1970年にはFM東京が開局。FM放送はAM(こちらは深夜放送などで若者に人気を博していた)よりも数段音がよく、しかもステレオ放送が聴ける魅力的なメディアとして出現する。この時期、放送を録音可能なテープ・デッキも存在した。つまり、これを録音すればコレクションを作成することは可能だった。ただし、それは映画フィルムみたいなテープを使ったオープンリール型のデッキ。高額であり、操作もややこしく(テープの取り替えが面倒、ライン端子がないなど)、しかも何のために利用するのかちょっと疑問なものでもあった(レコードをコピーするなんてことは現実的ではなかった。生テープが高いので、購入して録音するよりもレコードを購入した方が安かったのだ)。たとえば、一部のマニア(とりわけクラッシックの)が、NHK-FMが放送していた海外の音楽ライブを録音して楽しむなんて使い方のがあった程度(作家の五味康祐はバイロイト・フィスティバルで演奏された「ニーベルングの指輪」の全てを毎年録音していたことで有名)。だから、これらはまだまた一般的ではなかった。

オーディオブームとカセット・デッキ出現による音楽聴取の個人化

電蓄、ステレオ、そしてジューク・ボックス、三つのメディアの棲み分けが明確だった70年代初頭。ところが73年頃からこの構図が崩れ始める。これらがいずれも全く別のメディアに置き換えられていくのだ。また、それによって音楽聴取のスタイルも変容していく。それは、いうならば「音楽のパーソナル化」だった。

先ずカセット・テープレコーダー、それに引き続くカセット・デッキの普及だ。オランダ・フィリップス社はカセット・テープを60年代初頭に開発していたが、これが70年代になって質を上げ、TDKやSONYなどがテープを発売し始める。これによって録音という行為が一般的なものになっていくのだが、これをカジュアルかつ携帯可能なものとして重宝されたのがラジカセだった。ラジカセ自体もアイワが1968年に発売を開始していたが、ここに前述した高音質のFM放送が重なる。FMではコンテンツとして新譜が頻繁に放送された。放送ではシングルのみならず、場合によってはアルバム全て(多くの場合は片面=半分だったが)をそのままオン・エアーするというかたちを採用した。こうなるとFMの音楽放送をカセットテープで録音する習慣が生まれる。ラジオのソースをコピーすればライブラリーの出来上がりというわけだ。こういった行為は「エアチェック」と呼ばれ、あアッという間に若年層(下は中学生くらいまで)普及するようになる。また、これを煽ったのが『FM fan』『FMレコパル』といったFM情報誌だった(『FM fan』の創刊は66年。ただしブレイクは74~75年あたり。しかも当初はクラッシックとオーディオ(長岡鉄男の評論が人気だった)に特化されていた。『FMレコパル』の創刊は74年)。これら雑誌のウリは巻末のNHK-FMとFM東京の二週間分のプログラム。要するに、これを購入し、どの番組をエア・チェックするのかを吟味するというわけだった。

こういった、いわば「コピー文化」は、さらに一歩前進する。牽引車となったのはオーディオ・ブーム、そしてカセット・デッキの登場だった。これらは、よりHI-FIで音楽を本格的に聴きたいという輩にとっては、それまでの家具調ステレオが陳腐なものに見えてくる効果をもたらす。つまり「アレは音楽を聴く装置じゃなくて家具」という位置づけ。だからイケてない。そこでアンプ、チューナー、スピーカー、ターンテーブルを分離して機能美溢れるかたちで再生機器が売り出された。これらは組み合わせることから、総称してコンポーネント・ステレオと呼ばれた。そのメタリック調でメカニカルなデザイン、そして小ぶりなそれは、まさにセパレート型の家具調ステレオへのアンチ・テーゼとも言うべきデザイン。実際はともかくとして、いかにも「音質にこだわる」といった装いだった(コンポーネント・ステレオは安価なセット販売(SONYのListenシリーズなどが典型)と、それぞれを高額で別売りするスタイルへと分化する。前者は「シスコン」、後者はバラして売るので「バラコン」と呼ばれた)。以降、コンポーネント・ステレオは一般にオーディオという名で呼ばれることになるのだが、これが70年代前半のオーディオ・ブームへと結実する。電器メーカーはこぞって独自のオーディオ・ブランドを設立(ナショナル=Technics、日立=Lo-D、東芝=Aurexといった具合)。音楽機器専用のメーカー(サンスイ、アカイ、ナカミチ、ティアックなど)も隆盛を極めた。音楽再生機器は応接室に飾るものから、自室で音楽を聴くものへと変化したのである。

カセット・デッキが音楽のコレクション化を一般化させた

そして、こういったパーソナル化にさらに拍車を駆けたのがカセット・デッキだった。カセット・デッキはエアチェックに始まった「コピー文化」に新しいスタイルを植え付ける。

カセット・デッキにはスピーカーもマイクも標準装備されてはいなかった。じゃあ、いったい何に利用するのか。先ず一つ。デッキはオーディオをライン端子に接続し、FMから直接サウンドを取り込むためのものだった。ただし、これではラジカセと機能的には同じだ。ラジカセとの差異は音質だった。高級ゆえ(3万円くらいから価格は始まった)録音した際の音質はラジカセのそれではない。また、その多くにノイズリ・ミッター(録音時高音を上げて録音し、再生時には高音を下げて再生することで結果としてテープのヒスノイズを低減するという仕組み。DOLBYやANRSといった機能がその典型だった)が装備されてもいた。

だが、カセット・デッキがラジカセと圧倒的に異なっていたのはオーディオのライン端子を経由して「レコードを直接コピーできる」ことだった(ラジカセでも可能なものはあったし、高額なものはについては次第に標準装備されるようになった。ちなみにラジカセは70年代後半以降、次第に大型化し、ステレオスピーカー、ダビングが可能なダブルカセットが装備されたものも現れる)。それは、廉価かつ高音質で音楽コレクションが可能になることを意味していた。たとえば、仲間がレコードを購入した際などにこの貸し出しを依頼する。もちろん借りるのは2~3日だけだ。カセット・デッキでコピーするだけなんだから(TSUTAYAでCDレンタルするようなことをイメージしていただければ、わかりやすい。ありゃ、コピーするために借りてるんだから)。で、こうなると仲間のライブラリーは自分のライブラリー、自分のライブラリーは仲間のライブラリーということになり、音楽コレクションは突然、増大していったのだ。しかも、こういった貸し借りは、必然的に音楽を共有することになるので、コミュニケーションの地平を開くものでもあった。だからオーディオを購入した際にはカセット・デッキも同時購入するというのが所与となっていく。

こうして音楽はパブリックな空間で聴くと言うよりも、むしろ個人的なコレクションとして自室で楽しむものへと、そのメディア性を変容させていったのだ。音楽はみんなで聴くものではなく、先ずは個人で聴き、その後、その音楽を巡って貸し借りした人間間で音楽談義が繰り広げられるというスタイルになった(ただし、こういった貸借関係によるコレクションは結果として、同様のコレクションを仲間内に作ることになるので、音楽の嗜好が仲間内では類似のものとなる。だから若者たちの間では音楽は、いわば「派閥化」していった。70年代後半ちょっと過ぎくらいなら洋楽ならクイーン派、ベイ・シティ・ローラーズ派、バッド・カンパニー派みたいな感じで。で、面白いことに、こういった派閥は互いに敵対し合ったりもしたのだ(笑))。

ジュークボックス消滅はメディア変容の必然

さて、話をジューク・ボックスへ戻そう。なぜジューク・ボックスが5年の間に消滅したのか?もう説明の必要もないだろう。音質、コレクションの量、エコノミー、聴くための労力、どれを取ってもオーディオには全く太刀打ちできないことはもはや言うまでもないだろう。言い換えれば、音楽のパーソナル化という流れの中でジューク・ボックスは完全にメディアとしての機能を失ってしまったのだ。僕が修学旅行でジューク・ボックスを見たとき感じた懐かしさ、そしてライン・ナップが古いままだったという事実。この二つは、いわば「時代の必然」。メディアの重層決定の中でのジューク・ボックスというメディアのフェード・アウトと言うことで表現することが出来る。

ということで、とりあえずジュークボックスの話については終了。ただし、ここで扱っているのは音楽聴取=受容を巡るメディアの変容の全般。こういった変容は80年代以降もとどまることを知らなかった。今度は70年代に隆盛を誇ったカセット、ラジカセ、オーディオが衰退、消滅するという、70年代にジューク・ボックスが辿った運命と同じ道を歩むことになるのだ。もちろん「メディアの重層決定」によって。そして、ジューク・ボックスと同じようなパターンで。(続く)

ジューク・ボックスって?

ジューク・ボックスをご存知だろうか。70年代前半くらいまで喫茶店やゲーム・センター、ボウリング場、レストランに設置されていたミュージック・プレイヤーだ。いわば大型のレコード・プレイヤー(いちおうステレオだが、スピーカーが近すぎてほとんどステレオとしては聴けなかった)で、やって来た客がこのマシンにコイン(20円程度)を挿入して、楽曲リストの中から聴きたい曲の書かれている札(手書きの場合もあった)の横にあるボタンを押すと当該の曲を一曲だけ聴くことができる(ストック数は200くらい。ただしA面とB面を合わせて。B面なんか誰も聴かなかったが)。中には内部構造が透けて見えるようになっているものあり、これだとドーナツ盤(ジューク・ボックスでマシンがねらいを定めやすいようにレコードの真ん中が大きくくりぬかれた、さながらドーナツのように見えるレコード)をマシンがチョイスし、ターンテーブルにレコードを乗せてピックアップが落とされ、終わると元に戻すというギミックの一部始終を見ることができた。

東大大学院の片桐早紀氏によると、ジューク・ボックスはもともとアメリカ産だが、これが日本にやってきたのは50年代の米軍キャンプあたりで、その後ユダヤ商人たち(そのひとつは現在のタイトー。ちなみに、これはユダヤ人ではないがセガもジューク・ボックスを手がけた大手だった)がこれを国内のバーやクラブに売り込み、次第に普及していったと言うことらしい。

1960年生まれの僕はジューク・ボックス最終世代?

僕は1960年生まれで、このジューク・ボックスにワクワクし、そしてその後、消滅していくのを経験した最後くらいの世代。60年代後半、ませガキだった僕は近所の高校生のお兄さんのお姉さん宅に勝手に上がり込み、彼らのレコード・コレクションをこれまた勝手にかけまくっていた(これが許されたのは当時、僕が住んでいた田舎・静岡県島田にはまだ共同体的な紐帯が残っていたから、そして僕がレコードを絶対に傷つけず、なおかつキレイに掃除して返していたから。なんのことはない掃除が好きだっただけなんだけど(笑))。また筋向かいの知り合いの家が喫茶店を経営していて、ここにも勝手に出入りし、ジューク・ボックスをいじることができた。加えて週イチのテレビ番組「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)をワクワクしながら見ていた(洋楽と邦楽がゴチャゴチャでランキングされていた)。なんて状態だったので、僕にとってジューク・ボックスは「夢の音楽箱」みたいな位置づけだった。テレビや近所で仕入れた新しい音楽(歌謡曲、そしてポップス、つまりビートルズやモンキーズ)をあらためて聴くマシンがジューク・ボックスだったのだ。いわば「ハレの音楽聴取」。60年代当時、一般家庭にあった再生装置は、いわゆる「電蓄」。モノラルか小さなステレオ・プレイヤーだった。それに比べるとジューク・ボックスは巨大で、メタリックな感じと演奏に至るメカニカルなギミックがHI-FI+テクノロジー的なアウラを放ち、たまらなく魅力的な存在に思えたのだ。音も家庭に置いてあるものに比べれば段違いによかった(まあ、とはいっても今聴いたら解像度の悪い低音がこもりながらボンボン出ているだけなんだろうが)。

ところが、その後(1971年)、田舎から東京に引っ越し、ジューク・ボックスは僕の身近な環境からは疎遠なものになってしまう。四年後の1975年、中学3年で修学旅行に伊豆に行ったときのこと。宿泊先の旅館のラウンジに、偶然一台のジューク・ボックスを見つけた。「おお、なつかしい」とばかり、近寄ってみると、そのラインナップはなんと遙か昔の曲がそのまんまだった。つまり更新されていない。言い換えれば、設置こそされてはいるけれど、ほとんど誰もジューク・ボックスなんかに目を留めないというメディアになっていたのだ。で、僕が思わず「なつかしい」思ってしまったのも同様。つまり70年代半ばにはジューク・ボックスは完全にオールド・ファッションとなり廃れてしまっていたのだ。でも、なぜなんだろう?実は、そこには音楽環境を巡るメディアの大きな変容があったのだ。

70年代、メディアと音楽聴取形態は大きな変容を遂げていた!
で、今回はこれを考えてみたい。ただし、もちろんメディア論的に。ジューク・ボックスの衰退、実は60年代末から70年代半ばにかけて音楽聴取形態のドラスティックな変化があり、その流れの中でこういった現象が起きたのではないかと、僕は踏んでいる。メディア論(とりわけカルチュラル・スタディーズ)の分野には「メディアの重層決定」という言葉がある。メディアが廃れたり新たにメディアが定着するにあたっては、たったひとつの要因ではなく、様々な要因、とりわけ関連するメディアとテクノロジーの絡みによってこれが発生するという考え方なのだけれど、ジューク・ボックスの衰退はまさにこの言葉がピッタリの現象なのではないか。

これまで音楽メディアと視聴形態の変容と言えば、専ら語られてきたのは80年代のウォークマン、0年代のiPodといったところなのだが、70年代についてはなぜか語られることが少ない。しかし、この時期、メディアと音楽聴取形態の変容はかなりドラスティックに発生していたはずだ。

というわけで、ジューク・ボックスの衰退を、この間の音楽聴取を巡るメディアシーンの変遷との関連で考えていこう。で、オマケでジューク・ボックス以降の音楽を巡るメディア状況も考えてしまおう。

60年代、電蓄、ステレオ、そしてジュークボックスの時代

60年代後半から家庭における音楽聴取は次第にポピュラーなものとなっていく。その形態は二つ。一つは前述した電蓄=レコードプレイヤーだ。原則EPレコード(直径17cm)に合わせたターンテーブルだが、ピックアップの軸、つまりプレイする針のアーム軸がちょっと離れたところに取り付けてあるのが一般的だった。これはLPレコード(直径30cm)も再生できるように配慮したため。スピーカーは一つ。それにスイッチとボリュームというのが最低限の組み合わせで、一台数千円程度で購入が可能だった(とはいっても、当時の物価からしたら消して安いとは言えない)。もう一つはHI-FIステレオ、あるいはセパレート・ステレオと呼ばれるもので、プリメイン・アンプとターン・テーブルが一体化したコンソール・ボックスが木製のスピーカーに挟まれた、巨大な、さながら食器棚・本棚みたいな装置だった。これはもちろん洋風化が始まった日本のリビング・ルーム(まあ、どちらかというと応接室だが)に家具、あるいは調度品、はたまたステイタス・シンボルみたいな意味づけで設置されるものだった。当然、これは安くても5万円以上だった。

で、これらはジューク・ボックスと競合すると言うよりも共存するメディアだった。前者の場合、ジューク・ボックスは音質、迫力とも圧倒的に優れていた。なので、僕がやっていたみたいに電蓄=リハーサル、ジューク・ボックス=本番みたいな棲み分けが出来ていた。また、セパレート・ステレオに対してには、最新の曲を聴くという点でジューク・ボックスにアドバンテージがあった。ステレオはあくまで家庭のコレクションを聴くものだったのだ。

だが70年代、この棲み分けに変化が始まる。それはどういったものだったのだろうか?(続く)

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