勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

タグ:その他祝日、記念日、年中行事


気になる「象徴」ということば

皇太子(浩宮徳仁親王)が平成天皇に代わって令和天皇に即位した。平成天皇は在位中、自らの課題として「象徴天皇として何をすべきか」を常に考察し続けたと頻繁に言及されておられた。そして令和天皇もまた「国民に寄り添い、象徴の責務を果たす」と宣言されている。

「象徴」としての天皇は日本国憲法公布以来の理念であり、日本国民は「天皇は日本の象徴」と認識してきた。しかし、ここであらためて問うてみたい。果たして「象徴天皇」、いやもっとはっきりと問えば、「象徴」とはそもそも何を意味するのか。実は、このことばを子どもの時に教えられた際、僕はその意味がサッパリわからなかった。そして、その後も学問的に学ぶまではずっと曖昧なままだった。ということは、実は「象徴天皇」の「象徴」の意味をはっきり認識している国民は非常に少ないのではないか?(上から目線でスイマセン。しかし、誰に訊いても答はほとんど曖昧でした)。実際、常に「象徴」ということばには説明が加えられず、さながらブラックボックスのように扱われてきたように僕には思える(陰謀か?)。今回も、TVで象徴ということばが散々引き合いに出されているが、なぜかその説明はない。そこで、令和初日の本日、今回はこれを記号論的立場から考えてみたい。

記号論では記号(あるものがあるものを指し示す機能を備える事象全体を「記号」と呼ぶ。犬=ワンワンと吠える四つ足のペット動物、東京=日本の首都というように「名前と意味」のセットを記号と呼ぶわけだ。その典型は言語で、言語はあるもの=ことばそれ自体と、あるものを指し示すもの=その意味から構成されているからだ)には、その示すものと指し示されるものの関係=いわれの強さからイコン、インデックス、シンボルの三つがあるとしている。

もっとも「いわれ」の弱い象徴=シンボル

イコン(図像)の典型は写生した絵だ。つまり現物を写し取ったコピー。また、パソコン・デスクトップ上のゴミ箱のアイコンは本物のゴミ箱をカリカチュアライズしたもので、これもイコン。つまり現物とそれを指し示す記号には図像的に類似性=強いいわれがある。

次がインデックス(指標)で、その典型は、たとえば矢印や葬式会場を示す人差し指が差し出された貼り紙などが該当する。これらは「示すもの=部分」で「指し示されるもの=全体」を表すという特徴がある。後者(葬式貼り紙)の場合、人差し指(=示すもの)が指し示す方向にその全体、つまり葬儀会場がある。また「たこ焼き」という名前も典型的なインデックスで、これは小麦粉で作られたボール状の団子の真ん中にタコの小さな切れ端が入っているだけ、つまり全体の一部に過ぎないのに、事物全体を「タコ」という部分が代表称している。よく考えれば、このことばがおかしいのは、たとえば「いか焼き」をイメージしてもらえばいいだろう。こちらはイコン、つまりイカそのものが文字どおり示されている。もし、いか焼きと同じようにたこ焼きを表現すれば「小麦粉ボール、タコの切れ端入り」になるはずだ(その逆なら、いか焼きはイカの一部が入れられたこ焼き様の食べ物になる)。言い換えればインデックスとしての記号はイコンに比べるといわれが低い。

そして、最もいわれ、つまり示すものと指し示されるものの関係が薄いものがシンボル、つまり「象徴」だ。象徴=シンボルの場合、示すものと指しされるものの関係=いわれは全くない。赤い色をなぜ「赤=アカ」と呼ぶのかは全く根拠がないし、生まれた子どもに付けられる名前にも全く根拠がない。だから前者の場合、赤い色=指し示されるものに対応する示すものは文化によって異なる(英語=レッド、タイ語=デーン、イタリア語=ロッソなど)。後者の場合、生まれた子どもにどんな名前を付けてもいい(個人が勝手にいわれを付けることはあるが、そのいわれと生まれた個体との関係は全くない)。

こうした「示すものと指し示されるもの」の関係にいわれがないことを記号論では恣意性(あるいは任意性)と呼ぶ。ただし、このいわれのないものであっても、いったん関係が固定され、認知されてしまえば、二つの間にはさながらいわれがあったかのように強い拘束力が発生する。たとえば信号の赤色は「止まれ」で、他の意味解釈は許容されない。そしてこうした関係性が全くないものが無理矢理接続され、それがあたりまえになってしまった時、示すものは指し示されるもの全体を代替するイメージとして機能することになる。典型的な存在は会社のロゴで、たとえば自動車メーカーのロゴはその企業のアイデンティティを示し、消費者は車のデザインそれ自体よりも、むしろロゴから企業のイメージを喚起するようになる。つまり、関連が本来無いのに、示すものが指し示されるものと強く結びついたモノやコトのことをシンボル=象徴と呼ぶわけだ。

象徴の政治性

しかし、この示すものと指し示されるものの関係は、前述したように「恣意的」であるため、いかようにも組み合わせが可能だ。また「単なる象徴」と「人物や性格を備えた象徴」では、その性質が異なっている。単なる象徴の場合、示すものと指し示されるものの関係は比較的安定=固定している。言い換えれば二つの関係が揺らぐことは難しい。一方、人物や性格を備えた象徴の場合、関係は安定しない。示されるものが、その主体の行動でいかようにも変化するからだ。そして、天皇の場合、当然だが象徴としては後者の特性を備えている。だから「象徴天皇」という存在は常に議論の的となる。とりわけ政治的な側面との関わり合いにおいて、その関係が問題になるのだ。そうした意味では「象徴天皇」ということば自体が極めて曖昧なものであり、それだからこそ平成天皇は象徴天皇としての立場を考え続けさせられることになったのだろう。

二つの象徴、天皇とディズニーの類似性

では、天皇の象徴としての存在はどのようにあるべきだろう。そこで、ちょっと天皇家には無礼かも知れないが、機能的に類似し、かつ同様のよく認知された象徴を引き合いに出しつつ、天皇家のあるべき象徴としての存在について、その変動性の視点から考察してみよう。比較対象として取り上げてみたいのはディズニーだ。ディズニーという企業、そして文化にとって、その象徴=シンボルとなる存在は二つ。創設者のウォルト・ディズニーとウォルトの分身的存在であるキャラクター、ミッキー・マウスだ。

政治的なシンボルとしてのウォルトディズニー

まずウォルト・ディズニーという象徴の場合。ウォルトは1966年に他界しているが、その後もディズニーの理念を踏襲する人物、ディズニー精神の象徴=シンボルとして機能し続けている。ウォルトが考案し、後にディズニフィケーションと揶揄された、既存のストーリーからバイオレンスとセックス、複雑な展開を省略しハッピーエンドにしてしまう映画作りの手法や、ファミリーエンターテインメントの下、家族全体に娯楽を提供する遊戯施設・ディズニーランドを展開する戦略などがその典型で、死してもウォルトは依然としてディズニー社を支配する政治的な存在として君臨し続けている。つまり象徴=示すものでありながら、相変わらず示されるものを強く規定し続けている。これはタイの前国王・プミポーン国王も同様で、生前には単なる国家の象徴でありながら、政治に意見したり、またクーデターの際には再三収拾を図る存在として機能した。ともに、一件「君臨すれども統治せず」のスタンスにあるようでいて、統治の側面にまでコミットメントし続けたのだ。

キャラクターとしての存在の希薄なミッキーマウス

一方、ミッキーマウスはウォルトとは異なっている。ミッキーはウォルト同様、ディズニーを象徴する存在だが、ミッキー自体はディズニーには、ある意味直接関与しない。これはミッキーには性格がほとんどないことが影響している。性格に関してはミッキーマウスマーチの歌詞にある「強くて、明るい、元気な子」というキャッチフレーズだけ(かつては存在したが、時代とともにキャラクターは脱色された)。しかもミッキー自体は本編の映画にはほとんど登場しない(ほぼ、初期の作品に限定される。近年の例外的な作品は「アナ雪」の際、同時上映された”Get a Horse”程度。しかし、この映画で再現された、かつてのミッキーの乱暴な性格は現代のファンからは不評を買った)。だが、ミッキーは、こうした「キャラクター的には薄い存在」になったことによって、却ってディズニーの象徴としての機能を強烈に発揮することになる。ディズニー作品、ディズニーキャラクターにはロゴとして丸三つで構成されたミッキーが添付されるが、これによって、たとえそのキャラクターや商品がディズニー世界からは遠いものであってもディズニーブランドであることが証明されるからだ(東京ディズニーシーのキャラクター・ダッフィーはその典型だ。このキャラクターはディズニー的性格を隠れミッキーのマーク以外持ちあわせていないが、今やシーの看板スターだ)。つまり、自らはしゃしゃり出ず、透明な存在として他のキャラクターを応援したり、ただとりまとめたりしてディズニーブランドに寄り添うことで、ディズニー世界を担保するという機能を果たしている。もし人物やキャラクターとしての主張がれば、ミッキーはウォルト同様、政治的な存在となり、現在のようなブランド、そしてロゴとしての機能を失うだろう(だから”Get a Horse”は不評だったのだ)。言い換えれば、その存在は薄ければ薄いほど、象徴としての機能を果たす存在といえる。

天皇は象徴としてはミッキーマウス的であるべき

さて、ここまでお読みいただいた方は、僕が何を言わんとしているかはそろそろお解りだろう。象徴天皇としての天皇の役割は、現在のミッキーマウスの役割と同じであるべきということなのだ。ミッキーマウスはウォルトやプミポーン国王のように、自らの存在を結果として前に出すのではなく、自らは控えめで他のキャラクターの援護射撃をする、つまりこれらに寄り添うことでディズニー世界、そしてキャラクターやグッズがディズニー世界の一員であることを保障する。象徴天皇も政治的にはコミットせず、ただ国民に寄り添うことで、国民が国民であることを認知させるという機能を果たす。おそらく、これが象徴天皇としての役割であり、平成天皇が実践してきた様々な活動だろう。だからこそ全国各地を訪問して国民と関わり合いを持ち、また頻繁に被災地に慰問に出向いていった。そうした意味で平成天皇の象徴天皇としての実践は極めてまっとうなものであったと評価すべきではないだろうか。

問題は象徴天皇をコントロール可能なのが天皇だけではないこと

ただし、前述したように「象徴」、とりわけ人物がその対象となった場合には、その恣意性が高まることには代わりはない。そしてその恣意性、つまり示すものと指し示されるものの関係の接続=いわれの設定は、なにも天皇一人が操作できるものでもない。そのはじまりからそうであったように、天皇は政治的象徴として、本人の意図とは関係なく利用され続けてきたという歴史があり、あたりまえだが、そのことを看過することは出来ない。それゆえにこそ国民としても、天皇としても「象徴天皇とは何か」を問い続ける必要があるのだ。そして、繰り返すが平成天皇はそのことを常に考察し続けてきたと僕は認識している。

さて、令和天皇は象徴天皇という自らの役割をどのように規定するのだろうか?おそらく平成天皇同様、政治とはきちんと一線を引くという方向を採用するだろう。ただし、やはりここに象徴天皇を政治的に利用しようとする政治権力が登場することも事実だ。だから結局、平成天皇も令和天皇も、たったひとつのことだけは政治的にふるまわなければならないことになる。こうした政治的権力による象徴天皇機能の利用をいかに避けるかというメタ政治的な政治活動がそれだ。イギリス国王は「君臨すれども統治せず」を基本とするが、天皇は「君臨も統治もせず、国民に寄り添う象徴=ミッキーマウスであり続ける」ことが、令和天皇の課題となるだろう。平成天皇が目指していたように。

丹下健三の平和主義

実は、広島平和記念資料館がある広島平和記念公園一帯には、このような仕組みを巧妙に組み込んだ見事な施設、というか環境が存在する。それは公園一帯を設計した丹下健三の思想だ。広島平和記念公園はなぜか三角州の形に対して少々斜めを向き、しかも三角州の少々東側を中心とした形で設計されている。このからくりは正面玄関(つまり記念資料館本館)から見据えるとその理由がわかる。非常に印象的な風景が目に入るのだ。平和記念資料館は一階の部分が柱だけで、上階の部分が資料館になっているのだが、正面からこの柱だけの1階部分から建物越し、真ん中のその一番先に原爆ドームが見えるのだ。しかも正面玄関と原爆ドームの中間地点に慰霊碑があり、原爆資料館、慰霊碑、原爆ドームの三つが一直線でつながっている。そう、この公園はすべての中心が原爆ドームに向かうように構成されているのである。しかも、丹下はその原爆ドームを悲惨なものとして演出すると言うことを拒否した。こういった、建物越しにドームが見えるような構成にすることで、極めて美しい構築物=シンボルとして原爆ドームを演出したのだ。原爆で焼け落ちた「神聖」な場所として。

もしこれを手がけたのが平和記念資料館の資料展示をプロデュースしたスタッフだったら、やっぱりおどろおどろしい悲惨なものにみえるような演出にしたのではないだろうか。しかし丹下は違った。丹下は原爆ドームとそれが受けた受難のすべてを昇華するような美に変えてえてみせるという離れ業をやって見せたのである。(ちなみに、これでさえ岡本太郎は「平和主義の押しつけ」と批判しているのだが。僕は、必ずしもそうは思わない。ここの印象は、先ず”美しい公園”である。キャプションがなければ原爆の悲惨さはわかりづらい構成だ)

アート化することで、原爆は永遠となる

原爆ドームは単なる悲惨な記憶ではなく、アートとして演出することで、丹下はわれわれが後世においても代々と語り継がれていく空間を構築することに成功している。つまり、まず「美しい」と感じ、次に、付随的にそれが原爆によって作られたものだと認識する。こういったアレンジを施さなかったら、時代が経つにつれ、ひょっとしたら原爆の記憶それ自体は風化してしまうのではなかろうか。しかし、遺物を美へと昇華させることによって、原爆ドームは永遠を獲得する。そして百年後、二百年後の人間が、その美しい原爆ドームとそれを取り囲む環境に魅せられ、想像力を働かせる。これこそ、戦争を徹底的に相対化した状態=言い換えればメタ平和主義、普遍的平和主義といえるのではないだろうか。ある意味、父母を原爆で亡くした丹下の戦争に対する冷静な、それでいて強烈な問題意識が、ここにはある。
さて、こうやって考えてみると、丹下の仕事は原爆を風化させない、ちょっと不謹慎な言い方になるが、本ブログの文脈からすれば「原爆祭り」(2ちゃんの「祭り」ではありません)を持続させるための手段を提示していることになる。つまり、常に原爆に解釈を加えさせるような仕組みを用意し、その都度、時代の人々がイメージを働かせ、原爆に何らかの思いを馳せていくという図式がここにはある。たとえば、ここでライブや様々なパフォーマンスなんかをやってイベント会場にし、この場を盛り上げ続けるなんていうのはいいかもしれない(ここをコミュニティ・スペースにすることは丹下がそもそも考えていたことでもあった)。それは「原爆」に対する、良い意味での日常化ということになる。僕はそんなふうに考える。

僕の「広島平和記念資料館は出来が悪い」発言への学生たちのリアクション

以前、僕は講義の中で「広島平和記念公園の記念資料館は出来が悪い。並べ方が押しつけがましくて、想像力を喚起しない。資料館のあり方としてはレベルが低い」と批判した。すると、これについて次のようなリアクションがあった。一つは、原爆の悲惨さを訴えている施設にたいして、僕が批判したことの倫理感を問うもの。もう一つは、僕の見解を評価するもの。そこで、今回は異なる二つの典型的な見解を挙げ、これに対してMuseum=博物館、美術館のあり方についてメディア論的に考えてみたい。

先生のコメントは「不快」

広島の原爆の話について、私はとても不快に思いました。原爆を二度と引き起こさないように原爆ドームとして残し、平和記念資料館を建てたのに、先生の考え方を聞いてハッキリいってかなりショックでした。確かに先生がおっしゃったように「見せ方」としてはいいものではないかもしれません。しかし、過去にどのようなことがあって、そして、今があるといった点で、こういった建物、資料館は必要ではないでしょうか。原爆を二度と起こさないようにしなくてはという考えの下に遺族の方が亡くなった人の服などを使っていたものを寄贈したのだと思います。そうしたものを展示することによって多くの人に原爆の悲惨さを伝えると行った考え方だと思うのですが。(同様のコメント他1部)

「原爆ブレイン」な人々が出てくる危険性

僕も中国地方出身と言うこともあって、平和記念資料館には何度か行ったが、先生と同じで、あれは少し危険をはらんだ施設であると思っていた。断っておくが、僕は戦争支持者でも何でもなく、危険をはらんでいるというのは、戦争を知らない若者(自分も含む)に対する警告である。平和記念資料館は全部見るのにさほど時間はかからず、30分もあれば全部回れるが、少なからず出口からは洗脳を終えた「原爆ブレイン」な人々が出てくる危険性をはらんでいる(僕の友達もそうだった)。記念館はある意味、情報が一方通行であり、その情報も単一である。「原爆=悪」。これ自体は僕自身、同意をするが、問題はその後の「核を使った戦争」、極端な話「核を持った国に対する戦争」が正当化されるような可能性をはらんでいること。それでは「沖縄」で起きたことはなんであったのか?核を使っていない戦争であったのでは?戦争に対する考え方が偶然であれ、洗脳されるのは少々危険ではないか?

さて、この二つの意見、どう考えるべきか。

一元的な原爆イデオロギーの押しつけは、戦争を起こさせるファシズムと変わらない 

僕が、広島平和記念館を批判した理由を述べよう。
結論を先に言ってしまえば、僕も原爆なんてゴメン。戦争ももちろんゴメンだ。だからこそ平和記念資料館を批判した。批判の根拠は、資料館を訪れる側に戦争に関する一方的なイデオロギーを強要し、こちらが戦争がどういうものかを考える余裕を与えないからだ。つまり「戦争はいけない。こういうことがおこる。だからやるな」的な考え。そして、それを前提に非核三原則を強要する(ちなみに僕は非核三原則には賛成だ。しかし、これを金科玉条のように押しつけ、反対する人間を人非人のように扱うのには断固反対する)という態度に嫌悪感を覚えるのである。

これはマズい。このような記念館のプロデュース方針は、要するに思想統制にほかならない。考えても見てほしい。かつてそういった思想統制によって何が起こっただろうか。いうまでもなく戦争だ。そして原爆が落とされた。つまり、一元的なイデオロギーの押しつけとは、ファシズムと質的に全く異ならないということになるのだ。いいかえれば、あの記念館は「戦争はいけない」というイデオロギー=ファシズムを振り回している、と僕は考える。戦争は、時代時代で個人がその都度想像し、そして構築し続けることによって、様々に解釈・理解される中で、その悲惨、あるいはリアリティが伝わるものではないだろうか。だから、遺族が寄贈したものが悪いのではなく(これ自体は展示すべき)、それを並べた後に(並べること自体も問題ではない。とはいうものの厳密には注意が必要と言うことにはなるが。並べることも存在論的なイデオロギーを構成するので(後述))、一元的な物語を構成し、こちらに押しつけるのが悪いのである。

ちなみに正しい歴史など、存在しない。「歴史」とはその時代の権力を握ったものが、自らの権力を正当化するために都合のいいように過去の事実を配列して作り上げた物語に他ならない(だから歴史は普遍ではなくしばしば変わる、いや厳密に表現すれば変えられてしまう。従軍慰安婦、竹島、南京大虐殺問題などはその典型)。ということは、この展示物の並べ方も、現在の権力の正当化のために使われていると考えるのがメディア論的な考え方となる。要するに、認識論的側面が平和でも、その認識のさせ方の根本的態度、すなわち存在論的側面がファシズムでは、どうしようもないのだ。そして、戦争は存在論的ファシズムがなせる業でもあるといえるだろう。そもそも戦争とは「正義と正義の戦い」、「神々の闘争」なのだから。ちなみに、こういったイデオロギーは、しばしば党派制の道具として使用続けていることも、もはやいうまでもないだろう。

客観的な配列ですら政治的イデオロギーを含む

Museumの展示は、すべからくイデオロギー性を含んでいる。プロデュースする側が確信を持って展示配列のストーリーを作り上げている場合は言うまでもない。
問題は、どんな配列をしようと、かならずそれは物語=イデオロギーを構成してしまうことである(後述)。そしてそれに基づいてある程度一元的な解釈をオーディエンスに強要する。それゆえこちらとしては、これらイデオロギーのフレイムを読み取り、その背後に、自分にとっての原爆の意味を読み込もうとする想像力=創造力が必要となる。それがメディアリテラシー教育が必要であるゆえんなのだ。
僕は広島平和記念資料館は「絶対に必要」と考える。原爆の真実を伝えるのではなく(「そんなものはない」と先ず前提した方が、むしろ事態はリアルに把握できる)、原爆を想像、あるいは創造しつづけ、後世に伝え続け、原爆に関する様々なディスクールが展開され続けるために。現状のような一元的でクリーシェ化している展示のやり方では平和記念資料館はいずれ飽きられるのではないだろうか(展示をプロデュースした人々の想像力の欠如を感じます)。原爆を起こさないためには、原爆について「定型=クリーシェ」の原爆の恐ろしさを語り継ぐのではなく、原爆についての想像=創造力を喚起し、活性化させ続ける装置を用意することが重要なのだ。
こういった「展示することの権力」は、プロデュースする側のイデオロギーが関与する。一つは、ここまで述べてきたような認識論的=意識的なイデオロギー。だが、もしそれを取り除くことができたとしても、もうひとつの存在論的=無意識的なイデオロギーが関与してくる。展示品をチョイスし、配列すると言うことは、本人の意図にかかわらず、そこに無意識にイデオロギーが含まれてしまうからだ。本人は客観的・中立にやったつもりでも、やった本人は、実はその時代のイデオロギー、つまり時代を支配するディスクールに染まった存在。それが、無意識のうちに展示品の選択と配列に反映されるのである。これこそ、実を言えば究極的な権力の作動といえるのだ。(権力の作動や差別は認識論レベルよりも存在論レベルの方が遙かに強力でタチが悪い)
だから、展示する側も、自らの存在論的なイデオロギーを省察し、これら前提を踏まえた上で、展示を行う必要がある(なかなか難しい話ではあるのだが)。僕がとりあえず提案したいのは、「今回は、こんな感じのイデオロギーで展示してみました。こんなテーマでまとめました。みなさんどうでしょう?」的な立場表明をした上で、展示するというやり方、いわばオープンリーチ方式とでもいうやり方だ。こうすることで訪問者は、そのイデオロギーを相対化しながら、イデオロギーを吟味すると同時に、それに対する自分の立場を想像=創造することができる。

平和記念資料館は批判を受け続けることで、その存在意義が生じる

また、広島平和記念資料館を批判することについて、嫌悪感を覚えたのであるのならば、それはファシズムの始まりだと僕は思う(つまり現在の原爆イデオロギーを「神聖にして不可侵なもの」にしている。しかも展示物を担保にイデオロギーの正当性を主張している。つまり展示物の正当性をイデオロギーに置き換えているのだ。これは展示物に対する冒涜ではないのか。つまり展展示物提供者の意図を最終的には踏みにじっている)。むしろ、平和記念資料館を批判することも原爆を考えることの一つと考えるという視点が、原爆に対する考察を深化、あるいは進化・変容させる方法と僕は考える。いいかえれば記念館は、議論を続ける空間として機能する、そして機能し続けること、つまり「生き物」として取り扱うことが必要なのだ。中身も時代に合わせてどんどん変更させていってもいい。もちろん、展示物も変更されてもよい。少なくとも展示されていない物はまだまだあるはずだ。並べ替えれば、原爆はいろんな形で解釈が可能になり、原爆をより相対化できるきっかけを提示してくれるはずだ。もちろん、その都度、オープンリーチ方式を採って。

後半は、こういった読み替えによる原爆イメージの再生産と記念館の活性化についての一例を示してみたい(続く)

8月15日は終戦記念日。日を前後して戦地で散った若者の記録や、戦災を受けた人々の体験が語られる。こういった報道の継承はもちろん重要だ。だが、もっと多くの人々が体験した、あまり語られることのない戦争の記憶も、まだあるように思う。
僕の従兄(歳は三十近く離れていたが)は、終戦の日、朝から池に釣りに行き、帰宅した際、その事実を父親の”鉄拳”で知らされた。「こんな大事な日に、なんと不謹慎な!」というわけだ。

当時の大多数の日本人にとって、戦争というのは、こういった日常の中にあっただろう。ある日、戦争が始まり、激化し、敗戦色が濃くなり、そして戦争が終わった。だが、身の回りには爆弾一つ落ちてこなかった。そういった「大きなことは何も起こらなかった戦争」こそ、これから語られるべきではないだろうか。

もちろん、何も起こらなかったわけではない。戦地に向かった知人や肉親の何人かは帰らぬ人となっている。だが、死は紙で知らされるのみ。また日に日に生活事情が逼迫し、戦時統制も厳しくなっていく。こういった、ひたひたと日常に入り込んでくる戦争の現実を、当時の人々はどう受け止めていたのだろうか。

現在の若者はもちろん、団塊世代ですら戦争経験はない。だから、戦争を様々な視点からイメージすることが必要だ。そして最も共有された経験であるにもかかわらず、地味ゆえに語られず、イメージしづらいのが、こういった、いわば「何も起こらなかった戦争」だ。

そして、それは、もうひとつの戦争の悲惨さ(しかも最も多くの人間が体験したそれ)を物語っているはずだ。

8月15日は終戦記念日。日を前後して戦地で散った若者の記録や、戦災を受けた人々の体験が語られる。こういった報道の継承はもちろん重要だ。だが、もっと多くの人々が体験した、あまり語られることのない戦争の記憶も、まだあるように思う。

僕の従兄(歳は三十近く離れていたが)は、終戦の日、朝から池に釣りに行き、帰宅した際、その事実を父親の”鉄拳”で知らされた。「こんな大事な日に、なんと不謹慎な!」というわけだ。
当時の大多数の日本人にとって、戦争というのは、こういった日常の中にあっただろう。ある日、戦争が始まり、激化し、敗戦色が濃くなり、そして戦争が終わった。だが、身の回りには爆弾一つ落ちてこなかった。そういった「大きなことは何も起こらなかった戦争」こそ、これから語られるべきではないだろうか。

もちろん、何も起こらなかったわけではない。戦地に向かった知人や肉親の何人かは帰らぬ人となっている。だが、死は紙で知らされるのみ。また日に日に生活事情が逼迫し、戦時統制も厳しくなっていく。こういった、ひたひたと日常に入り込んでくる戦争の現実を、当時の人々はどう受け止めていたのだろうか。

現在の若者はもちろん、団塊世代ですら戦争経験はない。だから、戦争を様々な視点からイメージすることが必要だ。そして最も共有された経験であるにもかかわらず、地味ゆえに語られず、イメージしづらいのが、こういった、いわば「何も起こらなかった戦争」だ。
そう、それは、もうひとつの戦争の悲惨さを物語っているはずだ。
(神奈川新聞2010/8/29掲載文)

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