勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

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前回はオンライン英会話が安くなる仕組みについて説明した。ポイントは1.フィリピンと日本の物価・人件費の違い、2.英語コンプレックスを煽られて登録したのはよいが、その実ほとんど使用していない多くのユーザが存在する、の二つにあると指摘しておいた(ちなみに2の場合、そのほとんどが数ヶ月で退会するのだが、必ずと言ってよいほど、割引と称して「最初の三ヶ月分の入金」を要求されるので、たとえば一月6,000円とすれば18,000円を徴収されてしまう)。

さて、後編では、この「大量入会、大量退会」のシステムが授業にどのように反映されるかについて考えてみたい。

レベルが上がれば上がるほど、対応できなくなる

ちょっとだけやって、すぐにやめてしまうという人間が大量に存在するということは、教える側からすれば、こういった層に対する対応=指導法だけを学んでいればよいことになる。

で、おそらくこれらの層の中心はまさに英語コンプレックスが高く、メディアで英語を煽られているユーザー。授業レベルなら初級、よくても中級程度ということになる。そして、これらの層のためには、ちゃんとしたテキストが用意されている。”Hello.”,”How are you?”,”I’m fine,thank you.”みたいな初歩的なスキット練習だ。教師の方も、これはしょっちゅうやっているので十分に対応が可能。ただし、初級でも終わりの方になると、ちょっとおかしくなることも。これはそこにまで到達せずに退会したユーザーが大量に存在することを暗示させる。このことについては中級やビジネス英会話(これも中級)でも同じだ。いや、こちらのほうが対応が少々おぼつかなくなってくるレベルは早い(ということは、その多くはここまでには到達しない)。ということは、レベルが上がれば上がるほど対応がおぼつかなくなってくるということになる。

自己紹介やテキスト読みでお茶を濁す

現在の僕のレベルはintermediate~advanced(TOEIC800点台程度)といったところ。このレベルになると教材を用意しているところはほとんどなくなる。なので、外部の英文が教材として用いられる。具体的にはBBC、CNN、NHK、VOA、TEDが提供しているサイトの英文がそれだ。で、この場合、教員は原則原文を読んでいない(教材としてリストアップはされているが、時事ネタなので流動的。記事はどんどん変更されるため、いちいちチェックしてはいないのだ)。それゆえ、授業はこれを読むことから始まる。先ず教員の方が内容を理解しなければならないのだ。これが、たとえばNHKの「ニュースで英会話」(HNKのBSニュースの記事がテキストになる)くらいだったら文章が短いのでよいのだが、他のものはこれに比べるとかなり長い。それゆえ、これを読むだけで7~8分は必要になってくる。ところが、授業時間は25分。しかも、教員の多くは授業開始に先立って「週末は何してた?」みたいな雑談から入ってくる。で、放っておくとこれが10分も続いてしまい、ということはテキストについての学習がトータルで10分もないなんてことになってしまう。

また、初めてレッスンを受ける教員の場合、自己紹介を必ずやらされる(これははっきり言って時間の無駄なのだが、とにかくこれで引っ張られる)。これが10分近く。もしこの自己紹介に「週末何してた?」が加われば、あたりまえの話だがテキストに入ることは実質的に不可能だ(しかも、教員は頻繁に入れ替わるので、ヘタすると自己紹介を無限にやらされることになる)。

で、このレベルになると(このレベルでさえも?(>_<))もはやマニュアルは存在しないので、その対応はアドホックなものになってしまっている。つまり、教員が気づいた項目にその都度対応するというパターンになる。いいかえれば、体系立てられた指導法はもはや存在しない。要するにこの程度のレベルでさえもユーザー=受講者はきわめて少なくなってしまっていて、対応法が確立されていないのだ。

文法を教えないのは初心者には致命的

ちなみに初級・中級であっても、そこで指導されるのはスキットと身体的学習のみ。なぜか文法については、ほとんどのオンラインスクールにはカリキュラムが用意されていない。あたりまえの話だが、文法なしで英語を喋るなんてのは、生まれたときから英語圏にいるか、メチャクチャ長い間英語圏で暮らしていない限り不可能。なので、このレベルで学習しても、結局は突っ込んだ会話やリスニングに到達するのは限りなく難しい。そう、要するに「トラベル英会話」のレベル以上の能力を期待することは出来ないのだ(とはいうものの、25分で文法指導はちょっとムリか?)。

「オンライン英会話はまだまだ始まったばかり」、これが僕がレッスンを受講してみて受けた感想だ。現状ではニッチ商売の域を出ていない。

自分でカリキュラムを組み立てられれば問題は無い

だからといって、これが使えないかと言えば、そうでもない。学習の体系立てをユーザーの方がやればいいだけの話なのだから。僕の場合、1.自己紹介や雑談を極力カットしてしまう、2.記事を大急ぎで読む(時間稼ぎ。ただし、アクセントや感情をしっかり入れて。つまりこちら大急ぎで読んでも教師がわかるように周到に練習をしておく。まあ、これはこちら側の学習にもなる)、3.文法的な質問をしない(予備校で英語教師をやっていたこともあるので、文法はあらかた解る)、4.会話に必要な表現や単語はメッセージに打ち込んでもらう、5.定番の教師を決めて専らその教師のレッスンを受ける、6.初めての教師の場合には文の短いNHKの「ニュースで英会話」を指定する、といったような工夫をやっている。ようするに、こちらがカリキュラムを組み立てられることが出来れば、これはこれで安くて便利な英会話なのだ。

英会話教室の革命であることは、間違いない

ただし、オンライン英会話、これからも発展していくだろう。期待したいのはスケールメリットが現れること。ユーザー層がどんどん増え、それに従ってシステムも完備されているというかたちだ。すでにDMMが英会話に乗り出して、現在テレビで大キャンペーン中だが、こういった大手が入ってくると状況は一変するだろう。そして、あまたあるオンライン英会話、そして既存のフェイス・トゥ・フェイスの英会話レッスン(高額)が淘汰されていくのだろう。考えられるのは低廉=オンラインによるサービス、高額=フェイス・トゥ・フェイスの体系立てられたサービスという二極化。つまり「大衆化=一般化」と「高級化=排他化」(バブルはじけた後のスポーツクラブ再編成みたいなものかな?)。まあ、いずれにしても、これがインターネット時代の所産であるということは、間違いない。


オマケ:「英会話をやりたいけれどオンラインはフィリピン人なのでフィリピン訛りが気になる」なんてことを思っている人がいたら、そんな人はそもそも英会話をやる資格が無いと思った方がよいですよ。そういった「訛りレベル」のことにツッコミを入れられるのは相当レベルの高い非人間だけなので。で、英語熟達者の場合、その訛りレベルを自ら修正する力も持ちあわせているはず。

ちょいと古い話だが8月25日、三大予備校の一つと呼ばれる代々木ゼミナールが来年3月末で27カ所ある校舎の内20カ所を閉鎖すること、センターリサーチや模擬試験を廃止すること、そして大幅な人員削減を行うことを発表した。

浪人生の減少

これについてはあちこちで報道がなされたが、そこでの見解は概ね受験生の減少による必然的結果というものだった。18歳人口が減ったことがその最たる理由。また、平成25年度で大学入学者は61万人に達したが、半面、大学の新設や定員増加などによって収容力は大学短大を合わせて90%を超えた。ようするに大学は、もはやだぶつき気味で定員割れはあたりまえ。そこで大学側としては推薦、AO入試、スポーツ推薦入試など様々な入試手段を用意した。で、これを選択すれば容易に(極端な話、一切勉強しなくても)大学に入ることが可能になった。だから、いまさら浪人してまで大学に行こうなんて若者がいなくなってしまったというわけだ。ちなみに、このことはたとえば大学入試の際の受験生が受ける学校数の減少にも端的にあらわれている(20年前なら受験生が十校を受験したなんてのはザラだった)。そう、もはや危険な橋を渡ったり、博打を打たなくても大学には入れる時代。ひとつかふたつ受ければそれでオッケーなのだ(推薦なら一つだけ。ちなみに推薦で入学する学生が同じ大学を一般入試で受験した場合、合格しない確率が高い。推薦の方がカンタンだからだ)。その結果、91年には29万人もいた浪人生は8万5000人までに減少している。そんな時代だから浪人生をドル箱としていた予備校に閑古鳥が鳴くようになったのもあたりまえ(これは余談だが、大学の受験料による収入が激減するのもあたりまえ)。

他の予備校はどうよ?

まあ、こんな感じの論調なのだけれど(僕のツッコミがオマケで加えられていることをお断りしておきます)、これって代ゼミが凋落する原因としては、ちょっと話が短絡的すぎるのではないか。
代ゼミ以外の、たとえば駿台、河合塾は現役生確保の経営戦略に一足先に手を伸ばしている。また後続の東進ハイスクールはオンデマンドの個別配信(林修などの名物教師などによる)などの授業形態を取り入れ、急成長を遂げている(これを経験したことのある学生によれば、評判はイマイチだったけれど。まあ映像見るだけだからね)。いや、これら予備校の戦略はそれだけにとどまらない。たとえばライバルの駿台や河合塾は今や予備校のカテゴリーをとっくに飛び越し、総合教育コンサルティング企業へと変貌を遂げている。駿台は周知のように各種専門学校、小中高校、大学を経営する他、駿台教育研究所を有して大学コンサルの世界にまで事業を伸ばしている。これについては河合塾も同様でPROGという機関が大学コンサルを引き受けており、この二つの大学(加えてベネッセ。ここは進研模試で有名)は大学コンサルで大きな利益を上げている。情けない話だが、私学の多くがこのコンサルティングを受け、大学の立て直し、生き残りを図っているというのが現状なのだ(かつて、予備校は大学に寄生することで成立する商売だったが、今や大学側が予備校に寄生するという逆転現象が起きている。トホホ……)。

代ゼミだけがバカだったのか?

つまり、他の同形態の予備校は頑張っているわけで、ということは前述した18歳人口の減少、大学の供給過多だけでは代ゼミの後退は説明がつかないはずなのだ。だいいち、十年も前にこうなることなど、誰にでもわかっているはず。
代ゼミ衰退の原因として指摘されているのは、代ゼミが浪人にこだわりすぎて出遅れてしまったことだ。確かにこれは否定できない。じゃあ、代ゼミだけがバカだったのか?

真相、実はわからない。カメラメーカーのニコンのように、確かに時代の変化を読み取れなかったのかも知れない(ニコンはカメラのフルラインナップに固執したため、現在経営に支障を来している。低廉なカメラはスマホのカメラ機能に奪われて全く売れないのだけれど、職人気質のニコンは頑強に売り続けてしまったのだ。ちなみにキャノンや富士フイルムはとっくにやめている。つまりニコンはバカだった)。

ただし、一つだけ言えることがある。それは、校舎を閉鎖したからといって代ゼミが倒産するということにはならないであろうこと。代ゼミは不動産業経営では定評がある。ということは、二十校を学校としては閉鎖したとしても、その場所は別のかたちで転用が可能。しかも、どれも駅前と、立地のきわめてよいところにある。要するに代ゼミは教育業界から別世界にその業態を宗旨替えしただけというのであるのならば、これは単なる「戦略の方向転換」でしかない。逆に、一気に二十校を閉鎖したというのは、この戦略からすればむしろきわめてラディカルで前向きと捉えることもできるのだ。で、かつてシャープがシャープペンシル・メーカーから家電メーカーへと変貌したように、こういった宗旨替えはよくあること。そして、それがうまくいったところ、つまり時代の風を読み切ったところだけが生き残る。

だが、やはりもう一つ言えることがある。それは「浪人」というスタイルが次第に消滅していくということだ。かつては高校浪人、大学検定なんてものもあったが、もはやとっくにむかしの話(無くなったわけではないが)。そしてこの波が今度は本丸の大学浪人にというスタイルにも押し寄せた。そして、それがいまや高校生、大学生のライフスタイルを大きく変容させつつある(たとえばギャップイヤー(意図的な留年)が積極的に捉えられるようになったのも、こういった流れの一環と捉えることができるだろう)。

だから、今回の代ゼミの二十校閉鎖と代ゼミという企業の斜陽をダイレクトに捉えるのは、早合点なのだ。

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