「匿名性」について考えている。匿名は「実名-匿名」(「名を名乗る」ー「名を隠す」)「有名-無名」(「存在が一定範囲で知られている」-「存在が知られていない」)というマトリックスで分類することが出来る。さらに、これに「著名-非名」(「存在が広く一般に知られている」ー「存在が知られていない」)という下位類型が加えられる(これは有名のサブカテゴリーと考えてもらっていい。実質的に無名と非名はほぼ同じ)。今回は第4回。「匿名性」の図式を利用してTwitterについて考えてみたい。ちなみに、このSNS、結構ややこしい。
Twitterと匿名ヴァーチャル空間的存在~属人性を利用して自由度を最大化
Twitterは140字以内で原則、不特定の他者に対して情報を発信するという、機能的にはシンプルなSNSだ。だが「匿名性」を巡って、利用のされ方は意外と複雑だ。その利用方法が必ずしも一つの象限に限定されていない。しかも、それらが絡み合っているからだ。それが結果として「ゆるいつながり」とか「わかりづらい」と言われる理由になっている。
まず、Twitterの典型的な使われ方とされているのは、第三象限(匿名+無名+非名)だ。ここでユーザーは「匿名ヴァーチャル空間的存在」になる。そしてこの象限での典型的な利用法とされているのは、Twitter論の先導者である津田大介が指摘する「属人性」に基づくものだ。
とはいうものの、この「属人性」ということば、ものすごくわかりづらい(津田の『Twitter社会論』(洋泉社 2009)での説明も、おそらくほとんどの読者は理解できなかったのではないか)。おそらく、これは法律の「属人主義」からとったものだろう。これは「法的な解決に当たって対象となっている行為を行なった者の国籍や住所など,人を基準にして決定を行う立場」。たとえば、アメリカ人がわが国で犯罪を犯した際には、日本の法律ではなくアメリカの法律に基づいて裁かれるといった場合がこれに該当する。ちなみにその反対は「属地主義」だ。だけれど、やっぱりこれでもわかりづらい。そこでざっくりと「超訳」的に説明すると次のようになる。
たとえば、あなたがスペインのワインについて知りたいと考え、その専門家に問い合わせるとする。その時、あなたが関心を持っているのは「スペインワイン専門家」、つまり「その人それ自体=人格」(これは「属人性」に対する「属地性」に該当する)ではなく、その人が持っている「スペインワインについての専門的知識」、つまり「その『人』に『属』する知識」ということになる(だから「属」「人」性)。この場合、その知識(この場合スペインについての専門知識)を持っている人間=専門家であれば、誰でも構わない。これを属人性と考えるとわかりやすいと思う。
Twitterは、この属人性が極めて高いSNSだ。ユーザーは思い思いにツイートする。それは、まさに「つぶやき」「ひとりごと」ではあるけれど、その人の知識の世界に関する内容がしばしばつぶやかれる。そして、そのツイートは不特定多数に発信される。一方、受信する側は、自分の興味関心に基づいて任意に検索をおこなう。つまり、先ほどのスペインワインならば、検索窓にこれを打ち込むと、ユーザーたちのスペインワインに関するツイートが次々と現れる。この時、検索をかける側は原則、ツイートした人間それ自体(≒属地)に関心はない。そこから導き出された情報=データ(つまり「スペインワイン」)にもっぱら関心がいくのだ。
こういったかたち、つまり誰が書き込んだのかが考慮されないで読まれるという前提によって、書き込む側にはツイートする内容にかなりの自由度が与えられる。facebookのニュースフィードに書き込みづらいコメントはTwitterでつぶやくといった使い分けがしばしばなされるのは、こういった匿名性(この場合、ツイートする本人は匿名かつ無名な存在)に基づいている。で、相互に情報だけが交換されて、その人物については考慮されないがゆえに「ゆるいつながり」と呼ばれるのだ。で、Twitter論者たちはこういった使い方を専ら言及し、推奨している。
匿名ヴァーチャル空間的存在(第三象限)から現実模倣的存在(第二象限)へ
ところが、話はそんなに簡単ではない。こういった使い方だけで終わらないのがTwitterの難しいところなのだ(だから「わかりづらい」のだけれど)。
たとえば属人性に基づいてツイートを続け、それがある分野に特化された形になってくるとフォロワーたちがツイートを継続的にブラウズするようになる。いわば「お得意さん/リピーター」となってメルマガ的な要素をツイートが備えていく。こうなると、ブラウズする側はツイート側の「情報それ自体」すなわち属人性よりも、「ツイートする人間」すなわち属地性へとその関心が移行する。「その情報を知りたいから」から「その人が情報を発信しているから」にアクセスする動機がシフトするのだ。するとフォローされている側は次第に有名性を高めていき、その存在が第二象限、つまり「現実模倣的存在」へと変化していく。それは言い換えれば発言へ責任性の発生であり、ツイートする側は第三象限の時のような発言の自由度を喪失する。失言をしようものなら炎上、素性を暴かれて丸裸、社会的権威を失墜するなんてことにもなりかねない。こうなるとツイートする側は第一象限同様、発言に慎重性を要請されることになり、ツイートしづらい状況に。で、しばしば、その利用をやめるということに。
学生による第二象限的な用い方
また、学生たちの多くがTwitterを「匿名ヴァーチャル空間」(第三象限)ではなく「現実模倣空間」(第二象限)として利用している。LINE/mixiの匿名性について展開した前回(第3回)で説明したが、学生たちはこれらのSNSを匿名でありながら、実際には実名を知っている有名な存在と互いを認識しながらコミュニケーションを行っている。そして、このパターンをTwitterでも踏襲するのだ。
彼らの相互フォロー数は100人未満。フォローする相手の実名はほぼ知っている、というかリアルな日常世界で常に関わっている相手。この相手とヴァーチャルで関わるツールとしてTwitterを使用している。
ただし、これはかなりヤバい使い方でもある。学生たちがTwitterを第二象限として利用することは、その性質上、コミュニケーションが仲間内のプライベートなものとなることを意味する。ところがTwitterは第二象限と同様、匿名性を旨としてはいるものの、属人性の部分についてはオープンだ。ところが第二象限は属地性、つまり互いの人格に基づいてコミュニケーションする空間なので、本来ならばクローズドでなければならない。これを第三象限のオープンなTwitter上で展開すれば属人性ではなく属地性、つまりプライベートな部分が世界中に垂れ流しという事態を生んでしまう。Twitterが「バカッター」「バカ発見器」と揶揄されるのは、こういった若年層の「匿名性の誤用」に起因している。つまり実質実名付きの匿名性を勘違いして無名匿名空間に晒してしまう。だから、仲間内でやるようなおバカな行為がTwitter上に流され、それがメディアを賑わすような事件に至るというわけだ。
セレブ=実名著名人はTwitterにおいても現実空間的存在(第一象限)
Twitterは、わが国で勃興時、タレントや政治家・知識人などメディアに露出する著名人たち(以下、セレブ)がツイートし、場合によっては一般人がこれらセレブにリツイートされたりすることがウリといった宣伝のされ方をしたことがあった。だが、これはあくまでTwitterを普及するための「釣り」「煽り」であり、実際の使われ方とはかなり異なっている。
セレブたちはTwitter上においても原則、現実空間的存在(第一象限)として扱われる。実名が晒されているし、Twitter上でもその名で登録しているので、あたりまえといえばあたりまえだが、言い換えれば、それは一般のユーザーたちと異なり、Twitter上でも様々な自由の足枷が科せられているということでもある。たとえば匿名ヴァーチャル空間(第三象限)的な発言は絶対に不可能(もちろん別のアカウントと匿名を持ち、全く異なる存在としてツイートしている分には別だが)。ヘタにやったらそれこそバッシングの嵐、大炎上といったことになりかねない。これはよく政治家たちがやらかすことで、いわば担保が付いている分だけ、一般人なら自由なツイートのはずのものがバッシングの対象となる。
もちろん、だったらやらない方がよい、というわけではない。Twitterは誰とでもコミュニケーションが可能。ということは、普段はアクセスが難しいセレブであっても何らかの関わりが可能になると思わせることができるし、広報手段として利用する場合も効果的だからだ。つまり「いつでもあなたに何らかのかたちで反応しますよ」「私の日常をリアルタイムで追うことが出来ます」というわけだ。ただし、これを真に受けてはいけない。セレブ側はあくまで広報としてこれをやっているわけで、やっぱり肝心の情報を提供することはない。もし、仮にそんなことをやっているとしてら、それはあまりに不用心であり、前述したように一般人から何らかの攻撃を受けかねない。
混在する利用方法
こうやって考えてみるとTwitterは原則「匿名ヴァーチャル空間」(第三象限)であったとしてもしばしば「擬似現実空間」(第二象限)へと転じる可能性を秘めていること、場合によっては実名やプライバシーが垂れ流しになる可能性があること、さらにセレブにとっては「現実空間」(第一象限)でしかないこと、そしてそれらが混在する形で利用されていることを確認した。それゆえ、Twitter利用に際しては、現在自分が匿名性のどの部分で関わっているのかを常に注意を払う「Twitterリテラシー」が必要となる。そしてその分類が結構ややこしい。だから「わかりづらい」のである。
さて、次回は最終回。SNSを離れて匿名性を考えてみたい。トピックを当てるのは「BLOGOS記事への匿名コメント」だ。その構造について、やはり「匿名性のマトリックス」を用いて展開する。(続く)