
(95年、新たに建設されたホテル並のゲストハウスD&D Inn。通りがまだ閑散としている)

(現在のD&D Inn周辺。上写真を15年後に反対方向から写したもの)

(夜のカオサン通り。屋台や露店が道路の真ん中にまでせり出している。衣類の衣紋掛けは路に面して垂直に置かれている。人が通れるのは2メートルくらいの幅しかない)

(狭くなった通りをプラカードを持ち客引きする従業員。通行の邪魔になる)
世界最大の安宿街、カオサン
バックパッカーが集う世界最大の安宿街、タイ・バンコク・カオサンに今年もやって来た。僕は毎夏ここでフィールドワークをしている。最初にカオサンを訪れたのは28年前だが、調査を始めたのは95年から。カオサンは九十年代から安宿街として急激な発展を遂げたのだが、その変遷を見続けてきた。僕が調査を始めた頃から安普請のゲストハウスの中にちょっとしたホテル仕様のゲストハウス(D&D InnやKhaosan Palaceなど)が建ちはじめ、さらにこじゃれなバー(Gulliver、Susie Pubなど)がオープンし、通りに露天や屋台が増え出して……そうこうするうちにカオサンはどんどんごった返すようになる。訪れる人間ももはやバックパッカーよりタイ人の若者が圧倒的多数を占めるようになり、 バンコクでも有数の歓楽街になってしまった(この辺は青山や、六本木、麻布がかつて外人が多かったことからファッショナブルな空間と認識され、日本人の若者が押し寄せたのと事情が似ている)。
その発展は終わることがない
去年あたりから、そろそろ成長が止まったかな?と思えないこともながったのだが、やはり、よくよく見てみるとカオサンの勢いは留まることを知らない。
通りが店でいっぱいになってしまったのは2000年頃だが、それ以降は、この店の様式が変わるというかたちで変容を見せ始める。いかにも安宿っぽいゲストハウスが密集していた地域が一掃され、ここに起業家たちによる大型の中級ホテルっぽいゲストハウスが建設される。屋上にプールを設置したり、室内をビジネスホテルふうにしたりという、バックパッカーが宿泊するにはちょっと不似合いな空間が次々と出来ていった(もちろん、これにあわせて宿代も1000バーツ(2700円)くらいになってしまったのだが)。レストランやバーも同様で、より大型でファッショナブルなものが林立するようになる。街は、さながら歌舞伎町の様相を呈するようになったのだ。
要するにスクラップアンドビルドが繰り返されているのだが、ここ一二年、また新しい傾向が見え始めている。それは……屋台が通りいっぱいに広がりつつあることだ。それ以前、屋台は道路脇に、昼過ぎくらいから露天と並んで設営されるという感じだったのだけれど、もうそこもいっぱいになってしまった。そこで、カオサンが午後四時から自動車通行止めになることを逆手にとって屋台が道端に建ち並びはじめたのだ。
フルーツ屋台やパッタイ(タイ風焼きそば)屋台が、なんと道の真ん中で店を開いている!Tシャツ屋も陳列する物干しを道に対して平行ではなく、垂直に置いてある。だからカオサン通りが「通り=道」ではなく「通路」「廊下」になってしまった。しかもくねっている。で、通りを闊歩するタイ人やバックパッカーは以前にも増して増えて……その結果、夕方以降、通りは常に渋滞状態。しかも、この狭い通路にプラカードを持って売り込みをやっている連中が立ちはだかる、いや物乞いまでいる始末。四年前「夜、カオサン通りを西から東まで全力で駆け抜けたらどれくらい時間がかかるか」という企画を、僕の学生たちがやったことがある(迷惑な企画ではあるが)。この時は「走りづらい」というのが、これを企画する動機になっていた。いいかえれば、まだ当時は夜でもカオサン通りをそれなりに「走る」ことは可能だった。もし、今、こんなことをやったら、人にぶつかるわ、屋台にぶつかるわということになってしまうだろう。
とにかく、カオサン通りは”ぎゅうぎゅう詰め”なのである。僕は「これじゃあこの先やることはないな」と思ってしまったのだが……いやいや、カオサンのこと。来年ともなると、また新しいアイデアで街そのものが変わっているというふうに考えた方がいいのかもしれない(事実、毎年そう思ってきたのだが、常にこれを裏切られてきている)。カオサンという空間を巡る人々の欲望は、果てしないのだ。(続く)