勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

カテゴリ: 安宿街カオサン

東京ディズニーランド(TDL)とタイ・バンコク・カオサンの安宿街は、ともに「テーマパーク」と言った側面で共通点を備える。ただし、前者は一元管理の下に全体が整然とシステム化された「閉じた系」、一方、カオサンは有象無象の欲望の関数として結果的にテーマパークが出現した「開いた系」、いいかえればテーマがトップダウン、ボトムアップどちらに基づいて構築されているかに違いがあることを前回は示しておいた。
ただし、こういった表現は90年代末までのこと。それからもはや15年以上が経とうとしている現在、二つの「テーマパーク」の様相は大きく変貌を遂げている。そして、この二つ、実は、次第にその環境が近接化しつつあるのだ。

カオサンのシステム化

カオサンは、相変わらず有象無象の欲望がその空間に入り込み、空間それ自体を道のみを残して変容し続けている。かつて、一般の民家が家を改装してゲストハウスにし、ちょっとソイ=辻を入ったゲストハウスの中ではドラッグ(主としてガンジャマリファナだったが、その他にもブラウンシュガー=ヘロイン、コカインなどが扱われていた)に興じる者がいたり、ゲストハウスの使用人の女性とバックパッカーが出来てしまったりという感じで、まあ、ある意味「のんびり」した「牧歌的」「素朴」な欲望が空間を構成していた。もちろん、これも欲望がなせる業だ。
ところが90年代半ばから、その欲望の主体は変容しはじめる。バンコク市内に散在していたゲストハウス群がカオサン1カ所に集結するという現象が起こり、その規模に魅力を感じた起業家たちがここにビジネス・チャンスを見いだすようになるのだ。この連中の企画する設備は、これまでの学園祭の飾り付けに毛の生えたようなゲストハウスやレストラン・バートは違う。システマティックに構築され、ゲストハウスは従業員も雇われ、入り口にはそれらしいレセプションもあり、屋上にはプールも設置されるという、ホテル並みのシステムを準備するようになった。またレストランも同様で、ドラフトビールが飲めるなどあたりまえ、バーやクラブもちょいとイケてる感じになった。

だが、その背後で、かつての怪しさは影を潜めるようになる。企業が経営するシステムがカオサン一体を覆い尽くすようになっていくのだ。ゴチャゴチャ、混沌であったはずのカオサンは、気がつくと企業が作り上げるパッケージが醸し出す環境を現出していた。もちろんこれも、かつてのカオサン同様、有象無象の欲望がボトムアップ的に作り出していく環境なのだが、その欲望の主体は素人とバックパッカーではなく、起業家とタイ人とツーリズムによって担われるというシステムとなった。カオサンはどんどんクリーンになっていき(もっとも、夜になると白人たちやタイ人のごろつきがよくケンカしている風景は残存しているが)、整然とした世界が作り出されていた。街並みも平屋に代わってビルが建ち並ぶようになる(2014年、遂にカオサン通りからは平屋は一軒もなくなった)。いわば、認識論的には相変わらず混沌と猥雑なのだが、その背後でこれを動かしている、つまり存在論的レベルで機能しているのは情報化社会とそれが作り上げるシステムとなったのだ。今やゲストハウスまでネットであらかじめ予約可、各種チケットだってあっと言う間に電子システムで発券される。あやしいチケットに出くわすこともなかなか難しくなった。もちろん、ドラッグがやれる「ハッピーな場所」というイメージも一新された。「沈没」と呼ばれるゴロツキ・バックパッカー、いやバックパッカー崩れも、居心地が悪くなったのか、今や絶滅危惧種に指定されつつある。

TDLのカオス化

一方、これと逆の方向、つまり認識論的なシステム化と、存在論的なカオス化が同時進行していったのが21世紀に入ってからのTDLだ。TDLを運営するオリエンタルランドは、相変わらずディズニー的な一元的世界を演出することに心血を注いでいたが、ゲストの側がそれを許さなくなっていったのだ。21世紀初頭、開園20年を経て膨大な数になり、そのディズニーリテラシーをすっかり上昇させたゲストたちは、TDL側が提示する一元的なテーマ性に飽き足らなくなっていく。ゲストたちはマニア化≒オタク化し、ディズニーに対する嗜好を細分化させ、それぞれがみずからの嗜好に従ってパークを読み込むようになった。かつてのように与えられた物=物語やテーマ、をただ受動的に教授することをやめ、パークの中をバラバラに解釈しはじめたのだ。テーマなど、もはや「うざったい」ものとなった。

TDL側としては、これに対応せざるを得ない。ただし、細分化された嗜好にそれぞれ対応すると言うことは、要するに統一したテーマ性を放棄することを意味する。その結果、TDLはアキバやドンキホーテのようなカオスの様相を呈しはじめるのだ。カオサンでは起業家の欲望が環境をシステム化していったのだが、TDLではゲストの欲望が環境におけるシステムを破壊するという状況を生んだのだ。

その結果、二つは極めて類似の世界を現出することになった。つまり「ごった煮」的な状況をシステムが支えるという図式の共有だ。違うのは「ごった煮」と「システム」の位置だ。カオサンは「認識論的ごった煮+存在論的システム」、一方TDLは「認識論的システム+存在論的ごった煮」という状況。だから、ベクトルが逆なのだが、結果として「システムと混沌のあやしげな融合」ということではまったく同様なものになったのだ。

脱ディズニー化する二つの環境

かつてA.ブライマンは『ディズニー化する社会』(明石書店、2006)の中で、世界がディズニー化(Disneyization)すると指摘した。これはざっくり言ってしまうと、環境がテーマパーク化していくことを指している。前回も指摘したようなイオンモールはその典型で、要するにイオンモールは空間が商店街のテーマパークになってしまっている(しかも、屋根付き、つまり全天候型の)。いや、それだけではない。いまやちょっとしたお店も全てテーマパーク化しているのは誰もが納得することだろう(「半兵ヱ」のような昭和レトロ居酒屋チェーンを思い浮かべていただきたい)。

ところが本家のTDL、そしてカオサンはやはり近未来、つまりもう一歩先を行っている。つまり社会がディズニー化なら、この二つはもはや「脱ディズニー化」の状態にあると言っていい。テーマ性をどんどんと突き詰めた結果、これが巨大化し、細分化され、その結果、環境を作り上げているテーマが不可視化し、やがて崩壊していく。ただし、こういったテーマは元々システムによってヘッジされてきた。だからシステムは残存している。すると、今度は、このシステムが崩壊し、カオス化した「元テーマパーク」を混沌のままに管理していくようなメタシステムを構築してしまうのだ。

いいかえればTDLとカオサン、まさにアキバとドンキとまったく同じ脱ディズニー化という近未来に発生する事態を象徴的に物語っているといえるのだ。

やっぱり、この二つ。面白い!

毎年のごとく、僕は夏となるとタイ・バンコク・カオサン地区という場所にやって来てフィールドワークを行っている。ここは世界を自由に旅するバックパッカーたちのアジアのベースキャンプともなる世界最大の安宿街。ここで旅行者の情報行動の変化を20年にわたって観察し続けてきた。また、その変容を定期的に観測してきた。

だが今回は、旅行者ではなく、このカオサンという安宿街の変容について紹介してみたいと思う。そんなところを紹介して何の意味があるのか?と思われるかも知れない。ところが、どっこい、そうではない。ここは「情報集積基地」。人々の欲望とニーズに基づいて、新しい情報が次々と放り込まれ、どんどん変化していく。その変化は日本の街に例えればアキバに近い。そして、その変化は常に未来を先取りしている。つまり、ここで発生していることが、数年後にはあちこちで発生するという面白い空間なのだ。一例を挙げれば90年代半ば過ぎにはネットカフェが乱立し、2000年代の後半には早くもこれが消滅するといった具合。つまり、5年くらい事が早く進むのだ。

ところで、これと同じように未来を先取りし、数年後にその空間で発生していることがあちこちに発生するという場所がある。それは東京ディズニーランド(TDL)だ。日常空間のテーマパーク化を押し進めたのは、間違いなくTDLなのだから。例えばイオンモールは間違いなく「商店街」、そして「プチ東京」という名のテーマパークだ。

そこで、今回はこの二つを比較するかたちで情報化社会の変容について考えてみたいと思う。この未来を先取りする二つの空間。一見、全く正反対のベクトル(例えば清潔/不潔、整序/混沌)を示しているようで、実はまったく同じ方向に向かっている。そして、それはまさに情報化社会における空間変容、人々の行動の変容、情報環境の変容を象徴している点で実に興味深いのだ。
今回はこの二つの空間の変化を15年のスパンをおきながら解説してみたい。前半は90年代から。

90年代末のTDLとカオサン~開いた系と閉じた系

僕はかつてカオサン地区のフィールドワークを『バックパッカーズタウン・カオサン探検』(双葉社1999)という一冊の本にまとめたことがある。これは90年代後半のカオサン地区の状況とバックパッカーについて綴ったもの。この時、カオサンを描写するにあたって、比較対象としてTDLを引き合いに出している。そして、そのとき二つの共通点を「テーマパーク」という言葉で表現している。TDLは「夢の魔法の王国」、カオサンは「ビンボー旅行」(実際に貧乏な旅行者ではなく、貧乏を楽しむという意味で「ビンボー」とカタカナ綴りにしている)というテーマに基づいて作り上げた環境=テーマパークであるという点で二つは軌を一にしているという展開で。

ただし、二つはそのベクトルにおいて全く正反対。TDLは「閉じた系」。一方、カオサンは「開いた系」だと指摘しておいた。TDLはディズニー側が環境を一括管理化し、全てをコントロール可能な支配下に置いている。この管理のスクリーニングによって、テーマを破壊するような要素は徹底排除される。それはまさに中央制御コンピューターによる環境の支配、G.オーウェルが小説『1984』の中で出現させたビッグ・ブラザー的な存在を彷彿とさせる。だから「閉じた系」。そこには整序され、統一された空間が広がっている。当然テーマはトップダウンで構成されている。

一方、カオサンにはこういったテーマを一括管理するような中央制御機構はない。この空間を作り上げる人々の有象無象の欲望が、結果として「テーマらしきもの」、つまり「ビンボー旅行ゲーム」に興じるテーマパークを作り上げている。つまり、バックパッカーのニーズ=欲望に応えるかたちで、ここから金を引き出そうとする人間のニーズ=欲望が展開し、こういった欲望の交錯の中で空間が結果としてボトムアップ的に構築される。「ビンボー旅行ゲーム」というのは、そういった欲望の関数として後付け的に出来上がったテーマでしか無い。だから「開いた系」。

で、本書の終わりには、カオサンは人々の欲望がどんどん重層的に絡んでいくことによって、この空間自体がまた別のテーマに看板を掛け替えてしまうことが起こりうることを予測している。90年代末には、ここに外人バックパッカー(主に欧米旅行者)が集結することがタイ人の若者たちにとっては「オシャレ」として受け取られ、このエリアにタイの若者が多く押し寄せるようになる(かつての赤坂、六本木、麻布をイメージするとわかりやすい)。その結果、タイ人を相手とするパブやクラブ、屋台がカオサンエリア一帯に広がるというようなことになっている、ひょっとしたら、いずれここはバックパッカーの安宿街ではなくなってしまうのでは?とまで指摘しておいた。

この予測は、当たったといえるし、半面ハズレているともいえる。たしかにタイ人の割合は圧倒的に増え、彼ら向けの店も林立したが、バックパッカー向けの安宿街であることをやめることはなかったからだ。で、僕が予測できなかったことはバックパッカーたちの出身国の多様化だった。当時は欧米、とりわけドイツ、フランス、イギリス、そしてオーストラリアあたりが主流だったが、現在はアジアのバックパッカー、つまり韓国や中国、そしてロシアのバックパッカーがここを訪れるようになっている。そして日本人は激減した。

さて、こういった変容によってカオサンはどうなったのか?実は、限りなくTDL化していったのだ。で、その一方でTDLがカオサン化していったのだけれど。

では、現在二つはどうなっているのか?(後半に続く)

毎年、僕はゼミ生を中心としたメンバーを、バックパッカーの聖地であり、世界最大の安宿街であるタイ・バンコク・カオサンへ連れて行き、旅行者の情報行動調査とカオサンについての情報サイト「カオサンからアジアへ」の取材をさせている。いわゆる「フィールドワーク」「サーベイ」そして「編集技術」の勉強を体験を通してやってもらっている。すでに十年以上継続しているが、今年は取材の中でちょっと驚くべきことが二つ目についたので、今回はこれを紹介したい。 情報化の中で安宿街も、いや情報行動に長けているバックパッカーたちが集う安宿街だからこそ変容を見せる。また、それは近未来を先取りしている。そしてこの二つはそれを象徴する出来事だ。

一泊500円のゲストハウスもネット予約可

バックパッカーは航空券のみを購入し、旅先を大まかな予定だけで自由に周遊するのがその基本スタイル。だから原則、宿には飛び込みになるのだけれど、今年、学生たちが宿泊しようとゲストハウスを探した際、あちこちで「満室」と断られ、宿さがしに一苦労する事態が生じたのだ。もちろん、かつてから人気宿については満室になることはよくあった。ところが、今回はあっちこっちがそうなのだ。ちなみにカオサンを訪れるのは毎年ほぼ同じ時期(8月1~2日)なので、この違いはハッキリと読み取れる。

これ、実はインターネットのせいだ。今やバックパッカーたちはネットの予約サイトを通して宿をとっているのである。ネットによる宿泊予約は以前なら中級以上のホテルに限定されていた。その価格も、少なくとも2000円以上だった。ところが、たとえば大手の予約サイトagodaで示されているカオサン地区の最も安い宿泊施設は、いまやなんと500円台だ。つまり、ゲストハウスのドミトリーまでがネット予約できる時代になってしまったのだ。だったら、ネットでポチっておけばいい。夜中にカオサンに降り立ち、バックパックを背負いながら不安な顔立ちでゲストハウスを探し、断られ続けるなんてことを経験しなくてもすむんだから。 まあ、便利になったと言うべきか。

だが、これは逆説的な事態もまた発生させている。もはやほとんどなくなってはいるが、予約サイトに掲示されていないゲストハウスを探すと、先ず間違いなく空きがある、というか宿泊客がいないという状況になるのだ。つまりネットを利用しているところとそうでないところの間で歴然とした格差が生じてしまうのだ。これもまた「情報格差」の一つということか?

アンケート実施してみたらバックパッカー以外の日本人がたくさん

もう一つは、安宿街カオサンを徘徊する旅行者たち。僕たちは日本人を対象にアンケートとインタービューを実施しているのだが、これ、原則、飛び込み。つまりキャッチセールス、あるいはナンパみたいなやり方をしている。で、カオサンを徘徊しているのだから当然、この辺のゲストハウスに投宿しているのだろうと声をかけるのだが……そうでない日本人に大量遭遇ということに。それは、フツーの観光客だ。つまりカオサン以外のバンコクのエリアに投宿(もちろんホテル。その多くがいわゆるスケルトンツアー、つまり航空券とホテルのセットのパックを利用している)し、ここにやってくる。その理由は「カオサンは観光地だから」。で、こちらとしてはバックパッカーを対象としているので、こういった「観光客」のみなさんを調査対象にするわけにはいかない。かくして、次の日本人をナンパへということになるのだけれど……またしても遭遇するのはカオサンを観光に訪れた日本人ということになる。

バックパッキングって、いったい?

こういったバックパッキングをめぐる行動パターンの変容は、翻って「バックパッキングとはいったいどのようなカテゴリーなのか」という問いを僕らに投げかける。90年代の半ば、僕はバックパッカーを「航空チケットのみを購入し、当該訪問国を自由に旅する旅行者。長期の旅行を志向するため節約を旨とする旅行スタイルをとる」と定義した。だから、当然、低廉やゲストハウスが宿泊場所であり、その最たるエリアがカオサンであったはずだ。

ところが、前述したように今やカオサンを訪れる人々はこういったバックパッカーに限られない。いやそれだけではなく、バックパッカーというカテゴリーも細分化して、僕が以前したような定義では括れなくなっている。たとえばバックパッキングスタイルでカオサンにやってきたのはよいが、次の行動はカオサンにある旅行代理店に入って「アユタヤ1日観光」のパッケージに参加するなんてのがある。で、こういったバックパッカーの多くが一週間以内の短期間の滞在。でも、これだとパックツアーのオプションツアーと何ら変わるところはない。また、買い物ツアーというのもある。とにかくカオサンにやってきて適当なゲストハウスに宿をとる。そして、あとはバンコクの商店街やウィークエンドマーケットに繰り出し、どっさりと買い物をして帰国する。この場合、宿泊日数は長くても五日程度だ。

30代を過ぎた旅行者に多いのがバックパッカー気分を味わう「なーんちゃってバックパッカー」だ。定職に就いているので長期を休暇は取れない。せいぜい一週間程度だ。そこで、カオサンにやって来てカオサンライフを満喫する。ゲストハウスに宿泊し、バーに繰り出し、旅行者と語らい、マッサージで身体をもみほぐしといった具合で、しばしバックパッキング気分に浸る。これは二十代の頃バックパッカーだった人間がよくやっているパターンだ。

もちろん、旧来通りのバックパッカーも存在する。だが少数だ(おそらくカオサン以外の安宿、しかもあまりメジャーではないところに行けばこの手のオールドバックパッカーに遭遇することは可能だろう)。そして彼らもその行動はかつてのそれとは大きく変わっている。それはスマホやタブレットPC、パソコンを持って移動すること。情報のインプットアウトプットをこれでやる。ただし、この「情報」、必ずしも旅に関することではない。ウェブを開けば日本の日常生活でブラウズしているものと同じサイトを覗くことができるし、SNSや通話アプリを使えば、いつも通りの仲間とコミュニケーションが可能。つまり「非日常に日常を持ち込んでいる」。そして、こういった電子メディアの普及は、かつてバックパッカーたちの間では常識であった情報交換、旅先での語らいといったものをどんどん奪うようにもなっている。全てはネットで事が済ませるようになったのだ。たとえ、それが旅先であったとしても。

結局バックパッキングを通して起こっていることはスーパーフラット化というところだろうか。あらゆるもののジャンルが崩壊の方向に向かっている。バックパッキング、バックパッカーというカテゴリー、そして日常と非日常の境界線。そんな中で、なぜ一部の旅行者はバックパッカーになり、バックパッキングという旅のスタイルをチョイスするのだろうか。

4.4データ数が示すもの……アンケートが全然採れなかった

カオサンでのバックパッカーたちの情報行動ついての調査結果をお伝えしている。前回は調査結果はバックパッカーと対の政情不安を示すデータを見いだせなかったことを示しておいた。

だが、ひとつだけ、関連を示すデータをあげることができるものがある。それはアンケート調査票の回収数の少なさだ。1996年と2010年アンケート調査は、いずれもカオサン地区を歩いていたり、エリアのホテルに宿泊していたり、あるいはレストランやバーでくつろいでいる旅行者に対して実施したもの。調査期間は96年が4日間、2010年が9日間だった。だが、その回収数は前者が312名、一方、後者が32名に過ぎなかった。前者については、ほぼ報告者が単独でしたもの。一方、後者についてはスタッフ13名で実施したにもかかわらず、この回収数だったのだ。言い換えれば、この回収の困難はカオサン地区に日本人旅行者が激減したことを示している。
 
近年、カオサン地区の訪問者には変容が見られる。最も大きな変化を見せているのがタイ人若者の増加だ。カオサンは外国人、とりわけ欧米人のバックパッカーが多く訪れることから、タイ人若者の間では「ファッショナブルな通り」という位置づけがされるようになった。東京に例えれば六本木や原宿、青山といったところだろうか。こういったタイ国内でのカオサン地区のイメージ変容によって、現在では通りを徘徊する人間の9割以上がタイ人となっている。これは96年には「外人だらけの租界」「タイであってタイでない街」と呼ばれた時代とは一線を画している。
 
また、旅行者の内訳についても変化が見られる。90年頃までは、このエリアを訪れるバックパッカーの中心は欧州系が中心だったが、90年代に入ると日本人が急増する。さらに21世紀に入ると今度は韓国人の増加が見られ、その一方で日本人は減少傾向に向かった。僕は95年以降、毎年カオサン地区を訪問しているが、近年の日本人旅行者の減少には著しいものがあることを実感してきた。ここ数年は、アンケートやインタビューを実施するために街頭で日本人と見なして声をかけると、韓国人だったりすることはしばしばで、旅行者数も目算する限りではあるが、日本人と韓国人では完全に逆転している。こういった、日本人旅行者の増加と減少をアンケート調査票の回収率は裏付けている。
 
ただし、前年度に比較し2010年における日本人旅行者の減少は極端なものがあるという印象も受けた。とにかく、手分けして探すにもかかわらず、日本人が見当たらないのだ。それを裏付けるかのように、もっぱら日本人が投宿する、通称日本人宿のいくつかが閉鎖されている。また、運営されている日本人ゲストハウスにしても、かつてとは異なり空きが多く、併設の日本料理店も、中を占める客のほとんどがタイ人(タイは、近年日本食が流行している)と言った状態だ。これは、単なる日本人の海外旅行離れ、若者のバックパッキング離れ以外に、今回の政情不安が影響していることが考えられるのでは無かろうか。
 

もし、仮にこういった仮定が説得力を持つとするならば、次のようなことが考えられる。つまり、若者たちはタイの政治的不安定の状況を踏まえ、タイ行きを躊躇した。それゆえ、カオサン地区を訪れる旅行者たちが激減した。だが、こういった政治的不安をさして感じない若者たち、いいかえればメディア情報によってタイに対する危険をあまり感じていないバックパッカーたちは、これまでと同様、バックパッキングの場所、そしてバックパッキングの中継地点としてカオサンを訪れた(バックパッキングのリピーターが多いという結果はそれを裏付ける)。それが、結果として訪問者たちの危機意識の無さに繋がっている。

 
このような仮説が妥当だとするならば、今年、カオサンを訪れる日本人バックパッカー数は一昨年程度にまでは回復することになる。
 

5.調査課題

2010年の調査は、以前に行っていた調査票を踏襲するかたちで実施したのだけれど、質問項目等に関しては時代に適合しないものが多々現れた。典型的な質問項目が前述の所持金の携帯方法で、バックパッカー向けの安宿街においても、いやこういった特殊なエリアだからこそ、社会情報化、そして消費社会化が大きく影響していることが伺える。
 
今後は、今回の調査結果を踏まえつつ、アンケート項目、インタビューの趣旨などを再考察し、旅行者の動向を追跡していく必要があるだろう。無論、バックパッキングという旅行スタイルがわが国の若者の間で今後も続いていくという前提があってという話ではあるが。

4.バックパッカーにおける情報行動の変遷

4.1アンケート調査結果概要

前回まで見てきたようなメール→ネットカフェ→パソコン・スマホといったバックパッカーの情報行動における変化を、アンケート調査結果を参照しながら考察してみよう。ここでは僕がカオサンで実施した二つの調査結果を比較する。一つは96年3月(回収票数312)、もう一つは2010年8月(回収票数32)のものだ。調査はともにカオサン地区。以下、概要を示す。
 

まず変化のあまり見られなかった調査結果は性別(男女比=4:1(96’=77.9:22.1、2010’=81.3:18.7))、旅行者の日本での居住地(首都圏:近畿圏:そのほか=6:2:2(96’=61.5:23.5:15.0、2010’=59.4:21.9:18.7))、旅の予算(7万円台(タイへの航空運賃除く))、旅の日数(二週間前後(96’=14.2、2010’=13.8)ガイドブック所持率(9割(96’=90.6、2010’=90.6))、 一日の生活費2000円程度)だった。つまり、ここ十数年、カオサン地区を訪れる日本人バックパッカーは、主として大都市圏出身の男性で、二週間前後を予算七万円程度で、ガイドブックを参照しながら旅する若者と言うことになる。

 
一方、変化のあったものとしてはまず年齢、属性、海外旅行経験数があげられる。年齢については21.7歳から23.8歳に上昇した。次に属性だが1996年調査では学生80.8%、会社員4.6%、その他14.6%だったが、2010年では学生37.5%、会社員46.9%、その他15.6%となっている。海外旅行経験数については1996年の調査では3回程度だったが、今回調査では6回以上と答えた者5割おり、それゆえ、少なくともカオサンを訪れるバックパッカーにとっては海外旅行離れという傾向は見られない。だが、この三つの変化は学生のバックパッキング離れを示唆するものともいえるだろう。とりわけ会社員が学生数を上回っていることは、これを物語っている。
 
 

4.2旅の危機管理

今回は旅の危機管理についても質問を行っている。質問の趣旨は二つからなる。一つは旅の安全についての管理で、これについては大きな変化が見られた。もう一つはタイの政情不安に対する意識だ。
まず旅の安全の管理について。これは、旅の情報入手についてから見ていく。
前述したように、ガイドブックの所持率は同様だが、利用方法、頻度には変化が現れている。主な情報入手手段について1996年調査は「ガイドブックから」が9割だったが、今回はインターネット45.5%、ガイドブック45.5%と拮抗している。これはネットカフェや持参のパソコン、さらに持ち込みのスマート・フォンなどで手軽にインターネットにアクセス可能なため、もっぱらガイドブックに依存しながら旅をするというスタイルが崩れたことを伺わせる(また、ガイドブック離れの傾向は、最も所持率の高い『地球の歩き方』がバックパッカー向けの編集ではなくなったことも要因の一つと考えられるだろう)。
 
次に所持金の携帯方法について。1996年の調査においては、その方法の中心はトラベラーズ・チェック(以下TC)だった。TCは盗難・紛失に際しても再発行が可能なため、旅行に際しては最も安全性の高い金銭の形態手段としてバックパッカーの間では、当初から広く浸透していた。またガイドブックも、これを強く奨める記事を掲載していた。ところがこの状況は2010年で大きく変わっている。最も多いのが現金の持ち歩き(78.1%)、次いでクレジット・カード利用(37.5%)で、TC利用者は9.3%に過ぎなかったのだ。しかも、所持する金銭の内、最も金額的に多いのが現金だった。いいかえれば、現在、バックパッカーは、最も危険な方法で金銭を持ち歩いていることになる。ただし現金のみ、カードのみ、TCのみといった利用は少なく(それぞれ25.0%、3.1%、3.1%)、多くはカードと現金の併用というスタイルを採っている。
 

4.3タイ危機と海外旅行、そしてバックパッカー

ご存じのようにタイは2010年4月、タクシン元首相を支持するグループの反政府集会がきっかけとなって、バンコク市内で暴動が三ヶ月にわたって発生した。この暴動によって海外からタイへの観光旅行客数は激減している。中でも日本人観光客の減少は著しく、タイ政府観光局の統計によれば4-6月の日本人タイ入国者数は前年比で、それぞれ-7.1、-24.4、-11.0%となっている。全体の前年度比率がそれぞれ+2.1、-12.9、-1.1%だことを踏まえれば、これは日本人が海外で発生する政変や暴動に敏感に反応しやすいことを示唆する数値と言える。
 
必然的に日本人バックパッカーの旅行意識にも、こういった危機意識があることが予想された。バックパッカーに東南アジアの危険と思われる国を三つ挙げてもらったところ、タイはベトナム、ミャンマー、カンボジア、フィリピンに次いで五番目に位置づけられていたのだ。これについては96年のデータが無いため比較は出来ないが、タイへの日本人の海外旅行者数がアメリカ、中国、韓国に次いで四位だことを踏まえれば(これは、日本人がきわめて日常的な海外として利用している。言い換えれば危険度の少ない国と判断している)、この結果はバックパッカーにおいても、タイの政治不安に対しては、ある程度、危機意識を抱いていると想定できる。
 
ただし、前述の所持金携帯方法に典型的に見られるように、その他の危機管理に関しては96年に比べると、むしろ、かなり雑になっている傾向が見られる。概略を示せばゲストハウスで、自室に自前の鍵をしない、疾病に対する事前の対策(薬などを持ち歩く、予防接種を受ける)をしない、ガイドブックをあまり読んでこない、読んでいないなどが挙げられる。「タイ行きを躊躇したことがあったか」という質問には8割が「ない」、「事前にタイの政治状況をメディアでチェックしたか」については4割がせず、報道される情報を真剣に捉えたのは2割強程度に過ぎなかった。
 
これは、肯定的に捉えれば安宿街が近代化したことで、さほど身辺に対して安全管理をしなくても投宿できるようになったこと。また情報インフラが発達したために、メディア情報に対して相対的な認識をするリテラシーが養われたことと捉えることができる。反面、情報や安全に対する準備や対策を以前ほどしなくなったことを踏まえれば、バックパッキングをする若者たちにとって、この旅行スタイルが等身大のカジュアルな存在になり、危機管理意識が低下したととらえることも可能だ。だが、いずれの解釈を採用するにしても、今回のタイの暴動とバックパッカーたちの危機意識との間には、データから見る限り大きな関連があるようには思えない。ちなみにカオサン地区は4月11日に日本人カメラマンが反政府デモの最中、銃撃戦で撃たれて死亡した民主記念塔付近から、わずか400メートルほどの至近距離に位置している。(続く)

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