映画「エスケイプ・フロム・トゥモロー」の日本版ポスター。ミッキーの指が5本になっているところにご注目。
7月19日、ディズニー側に許可を得ることなくゲリラ撮影によって制作されたブラック・ファンタジー「エスケイプ・フロム・トゥモロー」が公開された。とにかくウリは「無許可」「ゲリラ撮影」であるということ。つまりディズニーという権威を勝手に借用していること、それから色彩豊かなディズニーの世界をあえてモノクロで撮影しおどろおどろしい空間にパークを変貌させていること、さらにディズニーが最も否定するセックスとバイオレンス、さらにはグロテスクな世界までもがパーク内で展開されることなのだが、こうなると第一印象は、どうみても「キワモノ」ということになる。
実際、プロモーションをする側も、とりあえずこういった「無許可」「アングラ」的なイメージで本作品を紹介しているのだが……意外や意外、この映画、かなりアカデミックで映画マニアを唸らせる側面を備えている。
「想像」を巡りディズニーと主人公・ジムが対決
あらすじはこうだ。
妻と娘息子、4人家族揃ってディズニーワールドにやって来た主人公のジムは、これからパークを楽しもうとする矢先、勤務先であるシーメンスからクビを言い渡されてしまう。しかし、バケーションはバケーション。それはそれとして遂行されなければならない。ヤケクソになったジムは、ここで一般とは全く異なった楽しみを展開しようとする。ディズニー世界の楽しみ方はファミリーエンターテインメント。家族揃ってW.ディズニーの想像した「夢は必ずかなう」のハッピーエンド的な単純でセックスレスの「健全」な世界に浸るところにある。ところが、この「健全」なパークの中でジムが想像(イマジネーション)するものはパーク内で出会った可愛いパリの女の子への性的=「不健全」なストーカー的妄想、そしてクビになった会社を破壊する妄想。
この逆立した二つの想像=イマジネーション(ディズニーVSジム)が対決する図式で映画は進行する。イマジネーション対決、果たしてディズニー世界が勝利するのか、それともジムが勝利するのか。
このハッピーエンドは誰のもの?
映画は最終的に2人のティンカーベル(ジムがストーカー的に追いかけたパリの2人の女の子が扮している)がパーク内に現れてハッピーエンドで終了する。しかし、だったらこのハッピーエンドは誰のものなのか?
その結末は映画を見た人間にも、はっきり言ってわからない。主人公のジムは猫インフルエンザで死亡してしまうのだが、その一方で最後に復活して妄想していた若い女性とホテルにチェックインするという正反対の二つの結果が描かれているからだ。つまり、ディズニー、ジムどちらの勝利=ハッピーエンドにもとれる(いや、実はシーメンス=管理社会の勝利にも見える)。なんのことはない、映画はひたすら観客をカオスの中に陥れてしまうのだ。言い換えれば多様な解釈、観客それぞれの解釈を許容してしまうということでもあるのだが。
困惑する観客たち
試写会を見終わったときの観客たちのリアクションは実に印象的なものだった。
「なんだ、こりゃ?」
というのが正直なところだろう。「よくわからない、ただし、何かを訴えていることはよくわかる。でも、それが、いったい何なんだろう?」
その一方で、当初の先入観「バイオレンス、エロ、グロ、ゲリラ」のイメージは崩される。だから、この作品を「クソ」と一蹴することが出来ない。このイメージについてはネット上のレビューでもまったくと言っていいほど同じだった。一部の高い評価と、ほとんどの最低評価(理解不能なので)といったかたちで評価は分かれている。
こうなってしまう理由は簡単だ。この作品、実に丁寧に作られているのだ。加えて、ディズニーランドのことも監督のムーアはものすごく研究していて、デズヲタでさえ文句の言えないレベルの緻密さでディズニーの情報が盛り込まれている。だから、この映画、エログロで虎の威を借る狐のはずなのに、否定することが出来ない。そして観客は色々と思いをめぐらすことになる。そう、ディズニーとジムの想像の戦いを巡ってもう一人、観客、つまり「あなた」が想像=イマジネーションを巡る戦いに参加することになるのだ。いわば観客参加型のメンタルレベルの3D映画、これが「エスケイプ・フロム・トゥモロー」の醍醐味と言える。
監督R.ムーアは買いだ!
実は、僕はこの作品のプロモーションの片棒を担いでいる。最初、オファーが来たときには、やはり「なんだ、このエログロ?ディズニー拝借主義?」と思ったのだが、試写を見て映画の出来に驚き、引き受けることにした。一般試写会では、この映画を制作したランディ・ムーア監督とも楽屋で顔を合わせている。エログロで、ディズニーを利用した商業主義を狙っているのならムーアは俗物そのものということになる。だが、ムーアそのものは実に紳士的、かつ学者的なクレバーな男だった。表面のエログロに対する、制作方針の端正さというアンバランス。監督本人と面会したとき、その疑問は氷解した。
「この男、ただ者ではない」
ちょっと、そんな感じをさせる人物だった。
この映画、おそらく日本でも大ヒットということにはならないだろう。正直、ちょっとハイブロウ過ぎる。10人の観客の内、9人はおそらく理解不能なのではなかろうか。ただし、ムーアのやっていることはキューブリックやギリアムの手法、哲学をキッチリ踏まえ、これを今日的レベルで展開している(詳細については僕が映画プログラムに執筆したエッセイをご覧いただきたい)。僕はムーアに「あなたの映画はキューブリックやギリアムみたいだけど、アイデアを拝借しているの?」と尋ねたのだけれど、僕のこの不躾な質問に、ちょっとうれしそうな顔をして首を縦に振ってくれた。
エスケイプ・フロム・トゥモロー、おそらく大ヒットというわけにはいかないだろう。おそらくディズニーをネタにしたところ、ゲリラ撮影を敢行したことが諸刃の剣となり「目立つが、さしてはあたらない」ということになるはずだ。ただし、である。おそらく映画通には絶賛されるだろう。メディア論、記号論的にも実に興味深い作品に仕上がっている。だから、今後予想されるのはムーアの次の作品がどのように展開されるか、というところになる。本作は一部の映画関係者に認められ、次回作でもっと大きなスポンサーがつく。で、その際には派手に映画を世界に向けて展開するということになるのではないか。僕はそんなふうに予想している。
「エスケイプ・フロム・トゥモロー」。青田買いの好きな映画通なら要チェックだ!