情報消費におけるオリジナルとコピーの逆転
観光とは、その多くが「情報消費」といっていい。情報消費とは「それ自体を楽しむよりも、むしろそこに付随する情報を確認すること、そして楽しむこと」。とりわけ海外旅行のパックツアーはその典型と言える。たとえばパリの観光ならばエッフェル塔、凱旋門、オペラ座、モンマルトルの丘、ルーブル美術館、セーヌ川クルーズ、そしてちょっと出かけてベルサイユ宮殿。あとはフレンチを舌鼓し、カフェでパリジャン・パリジェンヌ気取りになり、ブランド物を買いあさる。
こういった観光をしているとき、われわれはある種の認識の逆転現象の中に置かれている。「コピー=ヴァーチャル」と「オリジナル=現実」の逆転という現象だ。観光客はパリの観光地を訪れる前にガイドブックやビデオでこれらの情報や画像・映像をチェックする。そして、現地ではそのチェックした情報を確認するのだ。ということは「オリジナル=パリ/コピー=パリの情報」が、「オリジナル=パリの情報/コピー=パリ」に転じてしまっている。「パリ(1)はやっぱりパリ(2)だったわ」とその感想を述べれば(1)が現物、(2)がコピーになる。そう、ヴァーチャルなオリジナル(2)を確認するためにリアル=現物というコピー(1)をチェックしに行くわけだ。こういった「現物に付けられたタグが最初にあり、そのタグを付けられた現物を確認すること」こそ情報消費に他ならない(ちなみに、一見わけのわからない抽象画を鑑賞する場合もこの情報消費が該当する。われわれはタイトルを見たり、解説を読みながら作品を見るのだから)。
そして、日本人にとって東京ディズニーリゾート(ディズニーランド+ディズニーシー+α、以下TDRと略)は究極の情報消費空間とみなすことができる。TDRを訪れるリピーターのゲストのほとんどがパークに関する情報を「徹底的」に仕込み、これを「確認するため」にパークに出かけるからだ(一見客は含まない)。
ただし、この「TDRにおける情報消費」、インターネット出現以前とその後(厳密には2000年あたりからの急速な情報化の進展前と後)では、かなり様相が異なっている。そして、それがパークの雰囲気を一変させている。今回はこのことについてメディア論的に考えてみよう。結論を先に述べておけば「TDRはどんどんヴァーチャル=情報が肥大し、膨大な情報消費空間と化していく、そしてそれがリアル=現実の空間を変容させていく」となる。
インターネット以前:マス的な情報消費
83年に東京ディズニーランドがオープンしたとき、多くの人間はディズニー世界についての知識=情報をほとんど持ちあわせていなかった。六十年代、日テレで「ディズニーランド」という番組が放送され、ディズニークラッシックが定期的にロードショー公開されていたので、この時代の世代(現在の五〇代半ば以上)はそれなりにディズニーを認知していたが、七十年代に入るとディズニーはオールドファッションとみなされ、いわば「荒唐無稽な絵空事」として、わが国からはほとんど駆逐されてしまっている状況だった。だから、パークがオープンされたとき、日本人のディズニー情報は一旦リセットされた状態=初期値にあったといってよい。
そこで、パークを軸にディズニー世界のプロモーションが展開されることになった。それはマスメディアを用いた一元的な情報の流布だった。ビデオの普及とともに、かつてのクラッシックアニメ映画が販売=レンタルされ、さらに80年代の終わりからはディズニーアニメの第二の黄金期(「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」)到来によって、広く認知されるようになる。
そして、この時、TDRは(当時はディズニーランドだけだが)、こういったマスメディア(テレビ+雑誌等)によって流布された一元的な情報を現物(=「リアル」というヴァーチャル)のかたちで回収する場所としての役割を果たすこととなるのである。つまりマス・メディアとパークの往還という情報消費。マスメディアで情報をチェックし、これをリアルなものとしてパーク内で確認する(あるいはパーク内でチェックしたものをマスメディア上でチェックするという”逆向き”の情報消費ともなった)。この流れの中でゲスト、そしてディズニーファンたちは一元的なディズニー世界のイメージに沿ったかたちで、ある意味、マスメディアに管理されながらディズニーリテラシーを涵養していったといっていいだろう。マスメディア越しにディズニーを知る→パークを訪れ、それを確認するという図式だ。ネット的に説明すれば、これは電子メディアを利用しないAR(Augmented Reality=拡張現実)ということになる。ARでは現実の物理空間に、その空間に関する情報がタグ付けによって追加され、リアルとヴァーチャルで情報を二重化する(かつて存在したアプリ・セカイカメラがその典型)が、パークを訪れたゲストたちは、いわば頭の中にスマホ=セカイカメラをビルトインさせ、パークの施設を見ては、そこにタグ付けされた情報を確認するという情報消費していたわけだ。ただし、そのアナログなタグ付けによって、ゲストたちがそこで消費する情報は、ほぼ同一のものだった。だからTDRとしても、こういったマスメディア=送り手主導の情報消費を行うことで、パークにおけるテーマの重層性を高めることが可能だった。
ところがインターネット普及に伴う情報化の急展開の中で、この「マスメディア―パーク―ゲスト」の図式は崩壊していく。そして、それを加速したのがネット環境の充実で、さらにスマホが普及するに至って情報消費の仕方はヴァーチャルの部分がきわめて肥大化していくものになっていくのだ。(続く)