勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

カテゴリ: ディズニーいろいろ

メチャクチャよく出来ているが……引っかかる!

やっとのことで、遅まきながらディズニーアニメ映画『ベイマックス』を見てきた。現在Yahoo!の映画欄でレビュー評価は4.3と高得点、興行ランキングも第一位。つまり質量ともに高く評価されているわけで、当然期待しつつ出かけたのだけれど……確かに、すばらしい出来だった。徹底的に練った脚本、キャラクター設定の妙、いわば「スーパー戦隊もの」として息もつかせぬ畳みかける展開、それでいてディズニーのファミリー・エンターテインメントのイデオロギーをしっかり踏襲し、さらに最後には泣かせるシーンまで。いやいや、それだけではない。グローバルなビジネス展開を見据えて”サンフランソウキョウ”というサンフランシスコと東京をゴッチャにした街を舞台にする周到さ、そして兄弟愛(ヒロとベイマックスの関係は、死んだヒロの兄・タダシとヒロの関係のメタファー)、仲間との友情……とにかくこれでもかと情報を詰め込み、これをキレイに並べて一本のストーリーとして展開しきってしまうところは、もう見事という他はない。

ただし、である。ちょっと僕は「引っかかって」しまったのだ。そして、これはPixar→ディズニーというJ.ラセター的世界に共通する「引っかかり」なのだが(とりわけ、最近ますます「引っかかって」いる)。で、今回はその完成度が高いだけに、余計「引っかかって」しまったのだけれど。ちなみに僕の『ベイマックス』のレビュー評価は★四つだ。これだけきっちり手をかけて作られているのに★五つとしないのは、まさにこの「引っかかり」にある。今回は、この「引っかかり」をテーマに『ベイマックス』、そしてディズニー=Pixar=ラセターの手法と未来を考えてみたい。

『ベイマックス』を絶賛し、ジブリに引導を渡したブログ

映画を見に行く前「『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った」(http://anond.hatelabo.jp/20150104012559)というブログを読んだ。これは日本のアニメがなぜダメになって、ディズニーがスゴイことになっているのかを論じたものなのだけれど、要約すると日本は「作家主義」つまり宮崎駿、庵野秀明、細田守というカリスマ=天才が中心となって作品を作るが、これだと当たり外れが出てしまう。一方、『ベイマックス』は「チーム主義で「どうやったら面白いか」をみんなで必死に考え、ダメな部分を補強していく」。つまり天才VS秀才の対決図式の展開なんだけれど、ディズニーの場合は、秀才が寄ってたかって短所を埋めることで結果として良質の作品に仕上がっている、その象徴とも言える存在が『ベイマックス』なのだという主張だった(日本は作家主義で、作家たちがジジイになって才能が枯渇したからダメになったということなのかな?)。

この議論それ自体に、異論は無い。冒頭に記したように、ディズニーの場合、確かに、とにかく映画を作ることについては、事細かな配慮を徹底的に行い、全くもってソツが無いのだから。いや~、これについては呆れるほど、スゴイ!

しかし、しかし、である。やっぱり、ひっかかる。

『ベイマックス』から思いついた二つのエピソード

僕は『ベイマックス』を見ながら二つのことを、ふと思い出した。
一つはウイントン・マルサリスというジャズ・ミュージシャンの存在だ。ジャズ好きならこのトランペッターを知らない人はいないだろう。現在53才だが、18才で音楽の殿堂・ジュリアード音楽院へ入学するとともにジャズのメインストリームにのしあがり、23才でジャズ、クラッシック両部門でグラミー賞を獲得。97年にはピューリッツァー賞の音楽部門賞も獲得と、とにかくスゴイ人物だ。演奏は完璧そのもの。ものすごく正確な音を出すし、表現も豊かなのだけれど……にもかかわらず、古くからのジャズ・ファンには結構評判が悪い。なぜって?まるでサイボーグみたいだからだ。ジャズ好きはトランペッターだったらチェット・ベイカーやリー・モーガン、ルイ・アームストロング、サキソフォン奏者ならエリック・ドルフィーやジョン・コルトレーン、ベーシストならチャールズ・ミンガス、ジャコ・パストリアスといった、ちょっとイカれた「妖しい」連中を好むのだけれど、マルサリスにはこの「妖しさ」がまったくといってよいほどない。マルサリスはひたすらパーフェクトなのだ。それは、なんと「感情の表現」に至るまで……。

もう一つは70年代前半に少年漫画雑誌に掲載されたプロ野球漫画。作者もタイトルも忘れてしまったが、ストーリーはこんな感じだった。

2000年、ジャイアンツは長嶋監督の下、相変わらずプロ野球界の盟主としての地位を確保していた。ただし、その人気を維持する重要な役割を果たしているのは人気者のエースの存在があったから。このエース、なんとロボットなのだ。このロボット(ベタにメカニカルなロボットが描かれていた)、スゴイ球を投げると言うより、キチッと勝利するようにプログラムされているのだけれど、人気の秘密はそれとは別のところにあった。結構、失敗をやらかすのだ。そして、その失敗のおかげで、客たちには「人間味がある」と、人気を博することになる。もちろん、この失敗も人気を獲得するためにプログラムされたものなのだ。だが、監督・長島の胸中は複雑だ。何もしなくてもこのロボットが試合を成立させ、なおかつお客を楽しませてくれる。で、ジャイアンツもプロ野球も安泰で文句なしのはずなんだけれど……長嶋はふとつぶやくのだった「これって、はたして野球なんだろうか?」

秀才サイボーグによる作品作り

僕が『ベイマックス』に象徴されるラセターの作風、いいかえればディズニーによるPixar吸収後のディズニーアニメの作風に感じてしまうのは、上の二つのエピソードに感じるものと共通する。以前、現代思想哲学者の東浩紀は『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)の中で、ギャルゲーの特質を「ウェル・メイド」という言葉で表現した。ギャルゲーにおいては、程良く萌えて、程良く泣けるといったふうに、感情を消費できるデータベース消費が可能になるというのが東の主張だった。これは言い換えると、僕らが何に感動し、怒り、どういった映像やサウンドを好み、誰とどういったシチュエーションで作品を見るのかなどを全て計算し尽くし、それらを満遍なく処理し、作品というパッケージ=システムに作り上げ、僕らを楽しませることを意味する。

ラセターがやっているのは、まさにそう言うことなのでは?しかも東がイメージしたものよりも遙かに精緻な形で。脚本家20人にチームとして脚本を徹底的に練らせて、短所を修正、不足部分を全て補填し、さらに、それらがわざとらしくないように、いわば「ツルツル」になるまで展開に磨きをかけていく。そうやって出来上がった作品は「ウエル・メイド」どころか「スーパー・ウエル・メイド」とでも呼ぶべきもの。観客である僕らは徹底的に研究し尽くされ、そこから誰もが感動させられ、笑い、泣き、そして時には怒る。なんのことはない、これは恐ろしいまでのマーケティングの手法なのだ。そして、前述したように研究し尽くした結果。つまり、もはや観客たちはディズニー=Pixar=ラセターたち完全に舐められているのだ。

チーム主義の落とし穴

ただし、である。この「チーム主義」には重大な落とし穴がある。それは、これが前述したように、いわば「秀才集団によって人間の心理をマーケティングした結果、アウトプットされたデータ」でしかないことだ。出来上がった作品は、いわば「精緻なモザイク」「膨大な数のピースから成るジグソーパズル」。観客たちはこの膨大なデータベースの中に身を投げることでイリンクス=めまいを感じ、そこに一つの快楽を見いだすのだけれど……所詮はモザイク、ジグソーパズルでしかない。ということは、これを脱構築、つまりどんどん分析、分解していけば、結局、後は何も残らないという「水」のようなサラサラした構造が露呈する。僕が最近のラセター作品に感じるのが、実はこれだ。なんのことはない、最終的に分解可能なのだ。ということは、映画を批評する行為が「批評」と言うより「解体処理」みたいな作業になってしまう。で、それは……「アート」という視点からすれば、きわめて遠い存在。むしろ、それは「工場で生産される商品」なのだ。当然、そこには「妖しさ」は微塵も感じられない(ちなみにラセターの作品全てがそうだと言っているわけでは無い)。要するに、これが『ベイマックス』に感じた僕の「ひっかかり」なのだ。この、いわば「引っかかりの無いことへのひっかかり」は、作品を見終えた直後に感じることができる。見ている最中は感情が揺り動かされるのだけれど、終わった後は全く後を引かない。後味スッキリ、余韻が全くないのだ。そして、この作品、新しい側面が全然見えないのである。秀才は整理できるけれど、新しいものを生成することは出来ない?

恐らく、これこそがラセター的=秀才集団的=マーケティング的手法なのだろう。そこには当然、かつての宮崎駿が放っていた「妖しさ」は感じられない。僕らは『未来少年コナン』『ルパン三世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』といった宮崎の初期の作品(晩年のものは全くダメ)になぜか思い入れがあり、思わず何度も見てしまうが、それは天才の持つ「妖しさ」、いいかえれば分析不可能で異様な「ドキッとする」オーラに、僕たちがひたすら見入り続けている(洗脳され続けている?)からに他ならない。1月16日、『カリオストロの城』が日テレで放送された。本作が14回目の再放送にもかかわらず14.5%もの視聴率を上げたのは「何をか言わんや」だろう。

ラセター的秀才集団手法にも、未来はあるかも?

ただし、ただし、である。ラセター的手法でも時にオモシロイものを見いだすこともある。それが昨年の『アナと雪の女王』だ。僕のこの作品の評価は、まあ三つ星程度。この作品、登場人物の描かれ方が全くもっておかしいし(ハンス王子などは統合失調症じゃないかと思えるほど、立場がコロコロ変わる。アナがなんであそこまで姉思いになるのかについては全くもって根拠がない)、ストーリーはきわめて不自然だ(ストーリーのみなら星一つか二つくらいしかあげられない)。これは秀才集団が作品に必要な情報を、それぞれがどんどん盛り込み、短所をどんどん潰していった結果、情報量が過多になってしまい、ストーリーが破綻してしまったからに他ならない。つまり秀才集団はとにかく「処理する」ことに長けてはいるが、全体を統合することについてはダメなのだ。だって、ビジョンがないんだから。だから、あの作品は笑えるくらい荒唐無稽でぶっ壊れている。

ただし、ただし、ただし、である。天邪鬼なのか、こういった破綻をむしろ僕は面白く見てしまった。というのも、そこには新しいアイデアが盛り込まれてもいたからだ(作った本人たちもわかっていないんだろうけれど)。しかし、まとめ上げることは出来なかった。こっちの方が「妖しさ」という点では上だ。そして、『アナ雪』のいちばんの妖しさは、言うまでもなく音楽だった。あの音楽の強烈さ(そして日本人声優のチョイスの絶妙さ)は、単なるマーケティングでは予測不可能なものだったろう。だから、僕は『ベイマックス』より遙かにレベルの低い『アナ雪』の方に、むしろ未来を見てしまうのだけれど。

ラセターがディズニーアニメに新しい方法論を入れようとしているのはよくわかる。ただし既存のものを加えるというやり方で。ディズニーに戻り最初に手がけた作品『BOLT』は『トゥルーマン・ショー』の『ベイマックス』は日本の「スーパー戦隊シリーズ」の、そしてPixarの次回作『インサイド・ヘッド』は『マルコヴィッチの穴』あたりの手法をパクったものだろう。それ自体をとやかく言うつもりは毛頭無いのだけれど、それが「妖しいもの」になるかどうかは未知数だ。

さて、ラセター的ディズニー世界。これからどっちの方向に向かうのやら?

東京ディズニーランドが培った日本文化としてのディズニー

現在の50代未満の日本人であるならば、ディズニーからイメージするのは、先ずは東京ディズニーリゾート=TDR(東京ディズニーランド=TDLや東京ディズニーシー(TDS)等からなるリゾートエリア)だろう。1983年のTDL開園以来、日本人のディズニーに対する知識、いわばディズニー・リテラシーは上昇し続け、その結果、現在ではTDRは年間3000万人以上の訪問者があり、ディズニーに関する映画も『アナと雪の女王』の大ヒット(日本では他国以上にヒットした)に象徴されるように、絶大なる人気を誇っている。それゆえ、現在、ディズニーという文化は日本文化の一部として、われわれ日本人に大きな影響を及ぼし続けているといってよいだろう。

ディズニーランド化する空間

例えば「空間のディズニー化」はその典型と言える。社会学者A.ブライマンはディズニーランドが基調とするテーマパークという考え方がわれわれの日常生活にジワジワと浸透していくプロセスを指摘し、これをディズニーゼーションと読んでいる。これはイオンモールなどをイメージするとよくわかる。イオンモールはその名の通りモール=商店街をテーマとしたテーマパークだ。つまり「全国各地にあるショッピングのディズニーランド」。われわれがイオンモールに積極的に通いたくなるのは、そこに商品があると言うよりも、あのテーマパーク的な、つまりTDR的な魅力に引きつけられてこれを消費したいがため、と表現した方が当を得ているだろう。

だが、こういったディズニーの日本への深い影響、実はTDLの開園を嚆矢としていると言うわけではない。実は、それ以前、日本人はディズニーの洗練を受けている。それは僕のような50代半ばから60年代前半の人間が、その洗練を受けた該当者になるのだが。

今回はTDR以前、ディズニーが日本に及ぼした影響について考えてみたい。

テレビ・メディア普及とキラーコンテンツ

ここでディズニーから話をそらし、一旦、一見するとなんな関係もない事柄に話を振らせていただきたい。それは60年代の「野球」と「プロレス」についてなのだが……実はこれがテレビというメディアの普及を介してディズニーと大いに関係ありなのだ。これらは、60年代の日本人の精神性に大きな影響を与えているのだが、奇妙なところでディズニーはこれに絡んでいる。

60年代、わが国において急激な普及を見せたメディアは、言うまでもなくテレビだった。50年代の後半から普及しはじめたテレビは60年代半ばにはほぼ100%の普及となり、さらに60年代後半からはカラーテレビが普及しはじめ、70年代半ばまでにはやはりこちらもほぼ100%という普及を見せる。

メディアの普及においては必須の必要条件がある。それは普及する当該メディアが「キラーコンテンツ」を持っていることだ。かつて任天堂のドン・山内溥が指摘したように、人々はメディアが欲しくてそれを買い求めるのではなく、メディアが提供するコンテンツが欲しくてこれを求める。テレビゲームはその典型。これが世界的普及をみせたのは80年代半ばの任天堂が提供したファミリーコンピュータ、通称ファミコンによるのだけれど、この時期にはファミコン以外にもテレビゲームのハードはあった。たとえばセガがSG3000という、ややもすると性能自体はこちらの方が高いものが販売されていたが、ファミコンが覇権を握ったのは、要するにゲームセンターで人気を博していたゲームのドンキーコングと、後にそこに登場するキャラクター・マリオを主役としとしたゲーム、マリオ・ブラザース、スーパーマリオ・ブラザースといったキラーコンテンツ(=キラーアプリ)が人気を博したからに他ならなかった。

60年代、テレビ普及にあたってキラーコンテンツの役割を果たしたのは相撲、プロレス、そしてプロ野球だった。このうち、後者二つを積極的にコンテンツとして活用したのがメディアの巨人・正力松太郎率いる民放の雄、日本テレビだった。正力はキラーコンテンツ戦略としてこの二つのキラーコンテンツの中にさらにキラーコンテンツを含ませることで極端な単純化を図り、当時の日本人のテレビへの欲望をクッキリと浮かび上がらせることに成功する。

プロレスは日本テレビによる日本プロレスの中継で、キラーコンテンツによる単純化が図られていた。図式は「日本対アメリカ」。試合はそのほとんどが日本人と外人の対決、しかも実際のところはともかく、外人はアメリカ人であることが想定され、日本人=善玉、外人=悪玉というお約束の下で試合が展開されたのだ。日本を代表するレスラーは力道山。国技の相撲(実際はそうではないが)で関脇にまで登り詰めた日本の伝統を背負う男(実際は朝鮮人だったが)が、白人≒アメリカ人と一戦を交え、苦境に立たされて反則技に出た白人レスラーに堪忍袋の緒が切れた力道山が、最後に”伝家の宝刀・空手チョップ”をこれでもかと相手に打ち付け、最終的に勝ちを収めるというベタなパターンが当時の日本人たちから大喝采を浴びたのだ。日本人対アメリカ人を想定した試合のパターンは63年の力道山死後も弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木によって引き継がれていった(この時もジャイアント馬場がスターとしてキラーコンテンツの役割を果たしている)。

一方、プロ野球は12球団による構成だったが、正力はその内、自社が所有する巨人を徹底的にキラーコンテンツとしてクローズアップさせ、さらにそこに長嶋茂雄(六大学のスーパースター)と王貞治(甲子園の星)の2人をさらにクローズアップさせる、つまり、これまたキラーコンテンツとするというやり方でプロ野球人気を煽ったのだ。日本テレビは後楽園球場(現東京ドーム。厳密には場所がちょっとズレているが)での巨人戦の独占放映権を保有し、これによって巨人は圧倒的な人気の誇るようになる。プロ野球は国民的なスポーツとなり、しかもプロ野球ファンの九割が巨人ファンという偏った構造が出来上がった。長嶋茂雄の仇名は「ミスター」だが、これは要するに「ミスタープロ野球」を意味していた。よく知られるように、当時の子どもたちが好きなものが「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれるほど巨人の人気は高かったのだ。


キラーコンテンツがコンテンツとなるためには

新たなメディアが出現し、そこで提供されるコンテンツがキラーコンテンツとなるためには、実は一つの条件が必要となる。あたりまえの話だが、そのコンテンツを受容する受け手=オーディエンスの精神性に訴えるものでなければならないということだ。プロレスとプロ野球は60年代、その役割を十分すぎるほど担っていたのである。

先ずプロレス。ご存知のようにプロレスはスポーツと言うよりはエンターテインメント、ショービジネスだ。プロレス興行にあたって力道山が考えたのは日本人が潜在的に抱えていたコンプレックスを拭うような演出だった。そのコンプレックスとは、ズバリ「敗戦国」「アメリカに負けた日本」「アメリカよりも劣る日本」という意識だ。力道山は前述したように日本対アメリカという図式を設定し、日本=善玉、アメリカ=悪玉という単純化を施し(実際、多くの外人レスラーが反則を演じて見せた)、これを空手チョップという「日本古来、伝統の」と思わせる技(実際、そんなわけはないのだが)でなぎ倒すことによって、負けた日本がアメリカにリベンジするシナリオを展開した(空手チョップなどはさながら神風特攻隊が功を奏したかのような存在に見えたのではなかろうか。試合の合間には番組のスポンサーだった三菱電機が自社の掃除機をリング上でかけるというパフォーマンスがあったが、この掃除機の名前が「風神」だった。これは、逆さに読めば神風だ)。いわば敗戦によって国民全体が背負った「負け犬根性」を補償したのだ。

一方、プロ野球。巨人軍は川上哲治監督の下、65年から73年まで9年間にわたり日本一の座を確保し続けた(この中心となったのが長島と王だ。長島はV10を逃した74年シーズンを最後に引退している)。そして、この期間はほぼ日本の高度経済成長と重なっている。すなわち巨人が勝ち続けることと高度経済成長は同時進行であり、日本人にとって巨人は、いわば高度経済成長を「正当化」するメディアのひとつとして捉えられていた。巨人を設定に作られたマンガ・アニメ『巨人の星』では、その主題歌は「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性……巨人の星をつかむまで、血汗を流せ、涙を拭くな」と歌われているが、これはいうまでもなく栄光に向かって艱難辛苦を乗り越えていくことがスローガンとなっている。

そしてこの時期、高度経済成長のスローガンは「豊かな生活」へ向かって刻苦勉励することだった。今は中の下の生活、しかしここで我慢して努力すれば、やがて豊かな生活が待っているというわけだ。そして、その先の「豊かな生活」として描かれていたのがアメリカの消費生活だった。それゆえ、このスローガンは言い換えれば「アメリカに追いつけ、追い越せ」に他ならなかった。

そして、ここでディズニーがこういったテレビメディアが煽る戦後復興意識と高度経済成長神話にとどめを刺す。最終的に目ざす「豊かな生活=アメリカ消費生活」の実際を、当時の日本人はどうやってみることが出来たのか?それは言うまでもなく、やはりテレビだった。60年代はまだまだテレビコンテンツが不足した時代。テレビ局の予算も70年代以降のように多くはなく、技術的にも遅れている。そこで、アメリカのテレビコンテンツが輸入されて放送された。『パパは何でも知っている』『名犬ラッシー』『奥様は魔女』といった一連のテレビドラマがそれだったのだが、ここで映されていたライフスタイルがアメリカの都市郊外にある、庭、芝刈り機、自動車、リビングルーム、オーブン、エアコン、そしてテレビなどからなる典型的な白人の消費生活場面だったのだ。これこそが最終目的地だった。

高度経済成長神話を加速させる文化装置としてのディズニーランド

ディズニーもこういった輸入物の番組の一翼を担っていた。日本では1958年より『ディズニーランド』という名前の番組がⅠ時間にわたって放送された。これももちろんアメリカのテレビ局ABCの番組(その後、番組はNBCへと移り、タイトルも『Walt Disney's Wonderful World of Color』と変更された)を輸入したものだったのだが、これは他の番組以上にアメリカの消費生活を徹底的に映し出した。ディズニーのテクノロジー重視の姿勢が「最先端の国アメリカ」を、冒頭に登場するウォルトの書斎(実際には本物をそっくり真似たセット)やディズニーランドの映像が「究極の消費文化」と映ったのだ。そして、それは「どんなに頑張っても絶対に到達不可能の究極のアメリカ=消費生活」に他ならなかった。なんのことはない、ややもすればこれを見ている日本人は裸電球一発の電灯、ちゃぶ台の上に一汁一菜といった食事だったのだから。

こういったアメリカコンプレックス、高度経済成長神話、そして到達すべきアメリカ的生活が、なんと当時まったく同じ時間で繰り広げられていた。日本テレビ金曜夜八時がその時間帯だ。なんと『プロレス』と『ディズニーランド』が隔週で交互に放送されていたのだ。つまり力道山→ディズニー→力道山→ディズニー。言い換えれば「コンプレックスの代償的克服→再び奈落の底への突き落とし」というマッチポンプが繰り広げられた。しかも、これは隔週といっても、時には巨人戦がこの時間帯に入り込んでくる。『ディズニーランド』は1968年からは時間帯が日曜夜八時に移行し毎週放送となるが、これも夏場にはしばしば巨人戦によって中断させられた。つまりコンプレックスの代償的克服→再び奈落への突き落とし→これを克服するための高度経済成長神話に対するアイデンティファイといった具合に、この時間帯は、戦後日本60年代の日本人の精神性をマッチポンプ的にエコノミック・アニマルへとかき立てる文化装置として機能したのだった。


先日日『アナと雪の女王』(FROZEN、以下『アナ雪』)のMovie NEX(Blu-ray DiscやDVD、デジタルコピーなどがバンドルされたもの)を手に入れた。本編は大ヒットで、もはや評価は定着しているが、このディスクの中にバンドルされているボーナス・トラックがある意味スゴイ(Blu-ray版に限る。残念ながらDVD版は一部しか収録されていない)。1.短編『ミッキーのミニー救出大作戦』、2.『アナと雪の女王』製作スタジオ ミュージカル・ツアー、3.未公開シーン、4.各国のエンドロール・ミュージックビデオ、そして5.『原作から映画へ』(”D’FROZEN~Disney’s Journey From Hans Christian Anderson To Frozen”)という、映画が作られた経緯についての作品。特に、この『原作から~』の内容がすばらしかった(というか驚いた)。そして本編と合わせて、これら作品から感じられるのはディズニーアニメを仕切るJ.ラセターという男の凄まじいまでのディズニーイズム、ウォルト原理主義(以下「ウォルト主義」)の徹底だ。

『アナ雪』製作秘話の主役として登場したのは、なんとウォルト時代のアニメーターの妻

『アナ雪』製作秘話の『原作から~』には、なぜかウォルト子飼いの伝説のアニメーター、通称「ナイン・オールドマン」の1人であるマーク・デービスの妻・アリス・デービスが登場する。マークはすでに本ブログで紹介したように(「東京ディズニーランドにあるウォルトの世界」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2014/7/13)『バンビ』のとんすけとフラワー、シンデレラ、アリス、ティンカーベル、オーロラ、マレフィセント、クルエラ等のキャラクターを手がけ、スモールワールドなどの主要アトラクションのデザインを担当し、TDLのプロデュースも担当したナイン・オールドマンの中でも大物中の大物(余談だが、マークは生前「徹子の部屋」へも出演している)。

『原作から~』は10分程度の作品。ディズニーがアンデルセンの本作(”Snow Queen”)を、いかにして今回のFROZEN=『アナ雪』として具現化したかについての逸話が展開される。出演者は『アナ雪』の監督のクリス・バックと脚本のジェニファー・リーなのだが、この2人が本作製作に至った長い歴史を、アリス・デービスから話を聞くという体裁でストーリーは進行するのだ。アリスは前述したようにマーク・デービスの妻。自らもアトラクション”It’s a Small World”の衣装デザインなどを手がけている。でも、なぜアリスが2013年製作の『アナ雪』の語り部として登場するのか。マークは2000年には他界しているので、この作品には関わっていない。ましてやその妻???……関係ないんじゃないの?いや、ここが、おもしろい。ディズニーマニアなら垂涎の逸話が展開されるのだ。

『アナ雪』、その構想は、なんと70年前

本作は先ず30年代にアニメ化(仮題”Snow Queen”、製作番号1092)の計画があり、その指揮をウォルトがマークに命じたが中止となったこと、Enchanted Snow Palace from Snow Princessというアトラクションの企画もあり(夏に人気の上がりそうな、冷気立ちこめるアトラクションという構想だったらしい)、これまたマークが構想を練ったこと(いつこれが行われたのかわからないが、映像から察すると77年あたりか?)、さらに1949年にはMGMとの提携でアンデルセンの伝記映画を製作し、この中でSnow Queenを挿入アニメとして使おうとしたこと(これももちろんマーク担当)などの歴史が知らされる。これらをクリスとジェニファーは『アナ雪』製作決定後に知ったらしいのだが、すでに構想していたデザインがマークのデザインと酷似しており、その偶然に驚いたこと(エルサの髪型と氷の女王の状態でのコスチュームは酷似している)、そして本作の製作にあたってはマークのデザインを尊重したことなどが語られる。つまり『アナ雪』は70年も前に構想されていた。そして、その都度中心人物がマークだった。だから、ある意味、『アナ雪』とディズニーの深いつながりを語ることが出来るのは、もはや妻のアリス・デービスだけなのだ、となる。会話はクリスがアリスに向かって「この作品はアトラクションにするべきだ」と語り、これにアリスが「そのうちね」と答えて話を結んでいる(まあ、これだけ売れたので、おそらくアトラクションにはなるんだろうなぁ。アメリカではすでにグリーティングのアトラクションがはじまっているし……)。

クリスは「アリスとの時間は特別だった」と語ると、最後に作品はアリスのディズニーとの関わりも紹介される。それはイッツ・ア・スモールワールドを製作するにあたってのウォルトのやりとりだった。ウォルトはアリスに向かって「人々の期待以上の働きをしろ」「適当にごまかしたらお客さんは二度と来ない」と説いたという。そして作品はクリスの「ウォルトは永遠に喜ばれる最高のものを作ろうと奮闘していた」、さらに「その志を継ぐ」といったかたちで話を閉じている。つまり『アナ雪』はウォルトの精神をウォルト他界後40年を経てに具現化したものということになるのだ。

で、この話、実にラセターっぽいのだが、なんとなくウソっぽい。ちょっと演出が入っているという感じがするからだ。『アナ雪』の製作スタッフがマークの業績を知らないはずはないだろう(それくらいのことはディズニーのスタッフが調べているに決まっている)。文脈的にはウォルトとマークが手を抜かなかったように『アナ雪』スタッフも手を抜かないので「偶然」の一致を見たみたいな感じなのだ。マークの手がけたエルサと『アナ雪』のエルサが髪型が同じで、氷の女王として纏っている衣服も酷似しているなんて、そりゃ、ウソでしょ。これがC.ユングの集合無意識になっちゃうよ(笑)

しかし、こんなやり方=演出をすること。そこにラセターのディズニー作品に対するスタンスがあると僕は考える。それが「ウォルト主義」という戦略だ、と。


ウォルトDNAを再びディズニーに注入するラセター

ラセターは2006年のディズニーによるPixarの買収によってディズニーにチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして復帰するが、このディズニーによるPixarの買収劇は、ディズニーがPixarを買い取りながら、実質的にはPixar首脳陣によるディズニーアニメの乗っ取りであったことはもはや周知の事実だ。いや、厳密に表現すれば、その技術力でディズニーを凌駕してしまったPixarに、ディズニー側が、組織の存続を求めて自らのアニメ部門を乗っ取らせたといった方が的を射ているだろう。これによって、ピクサーとは対照的に下降線を辿っていたディズニーアニメに渇が入れられたのだ。その際、ラセターが取り組みはじめたことは「原点回帰」、つまりウォルト主義の復活だった。そもそも「適当にごまかしたりしない」というレベルではPixarは当時のディズニー作品を遙かに凌駕していて、これはディズニーよりもディズニーらしい、いいかえればウォルトらしかったのだが、これを本家にも導入していくのである。

「ラセターによるウォルト主義」はPixar買収後のディズニー作品群、つまりJ.ラセターのディズニー復帰後のディズニー作品群の変化から垣間見ることができる(ディスクのボーナストラックにバンドルされる製作秘話は、ウォルト主義をリスペクトする形式をとることが多い)。

例えば象徴的なのは2009年に製作された『プリンセスと魔法のキス(”The Princess and the Frog”)』だ。本作では、2000年代初頭にディズニー・カンパニーがやめてしまった手描きアニメを復活させる。アラジンやリトルマーメイドなどを手がけたロン・クレメンツ、ジョン・マスカー(手描きアニメ部門廃止とともにディズニーを去っていたい)を呼び戻したのだが、この映画の映像は「暗め」。そしてタッチがどことなくピーターパンに似ている。というのはあたりまえで、この2人はナイン・オールドメンの2人、オリー・ジョンストンとフランク・トーマスが最後に手がけた『きつねと猟犬』にアニメーターとして加わっているのだ。『ピーターパン』はナイン・オールドマン全員が関わった数少ない作品。つまり、ラセターはロンとジョンを再起用し、手書きの技術、そしてウォルトのDNAが流れている彼らに仕事を任せることで、かつてのディズニーを復活させたのだ。もちろん、作品のスタイルはプリンセスものとしては現代にマッチさせたものになっていたのだけれど。

そして、ウォルト主義は『アナ雪』のボーナス・トラックにも反映されている。その一つは本編上映前に上映された短編『ミッキーのミニー救出大作戦(”Get a Horse”)』だ。モノクロ作品で、オールドミッキー、ミニーの他、クララベル・カウ、ホーレス・ホースカラー、ピートなどの初期キャラクターが出演し、1930年前後のモノクロ画面、キャラクターの動き、ドタバタを繰り広げる。図式はミニーの奪い合いを巡るミッキーとピートの争いというお約束のパターン。初期の頃の元気いっぱいの悪ガキミッキーが復活し、「藁の中の七面鳥」(『蒸気船ウィリー』挿入曲)「ウイリアム・テル序曲・嵐」(『ミッキーの大演奏会』挿入曲)が流れ、『ミッキーの飛行機狂』の俯瞰が登場する(なおかつ突然CGの色つき画面に変わり、セピアのモノクロとCGが次々と入れ替わる。CGのミッキーとモノクロのピートが電話でやりとりするシーンではミッキーがスマホ、ピートが30年代の電話機を使用する)。途中までは全く新作には思えず、未公開映像と勘違いするほど(CGが登場し、色が突然付けられることで、これが新作であることに気づかされる)。この作品に込められているのはウォルトへの、そして古典ディズニーへの徹底したリスペクトだ。つまり、やっぱりウォルト主義。

もう一つは『アナと雪の女王』製作スタジオ ミュージカル・ツアーで、これは実際のディズニー・アニメーション・スタジオを舞台に、何とミュージカルでスタジオ内を紹介しているのだが、50年代のディズニー実写ものというテイストに仕上がっている(カラーもちょっと色あせた感じ、つまりセピア・カラー?にアレンジされている)。もちろんジェニファー・リー、そしてラセターも出演し、一緒に踊っている。ここにあるのはまさに「あの頃の、よき時代のバーバンク(=スタジオがある場所)」の再現だ。

ラセターはこういったウォルト主義をディズニー作品の中にリスペクトというかたちでふんだんに盛り込むことでディズニー色を前面に押し出そうとしているようだ。ということは、ラセター自身が自らをウォルトの正統な継承者として位置づけているということになるのではなかろうか。ただし、ラセターはPixarのドンでもある。ということはPixarではCGベースの徹底した丁寧な造りで、一方、ディズニー作品の方ではこれにウォルト主義を振りかけるというやり方で、その色分けを行っているということになる。

90年代(厳密には80年代末からだが)、中興の祖となったJ.カッツェンバーグ(『リトルマーメイド』『美女と野獣』『アラジン』『ライオンキング』を手がけた。現在はスピルバーグ、D.ゲフィンとともにドリームワークスを運営している)がお家騒動で去った後、低迷を続けていたディズニーアニメがPixarを買収し、ラセターにアニメの全てを委ねたことは、実に正解だったと言わねばならないのかも知れない。


6月22日、久しぶりに東京ディズニーランド(TDL)に出かけた。能登路雅子さん(東京大学名誉教授)にお誘いを受けたのだ。能登路先生は80年代はじめアナハイムのディズニーランドに勤め、82~83年にオリエンタルランドで嘱託としてディズニーユニバーシティ(キャスト研修センター)や営業の仕事をつうじてTDLの立ち上げに加わり、ディズニー公認のウォルトの伝記『ウォルト・ディズニー~夢と冒険の生涯』(ボブ・トマス、講談社、1983)の翻訳を手がけ、『ディズニーランドという聖地』(岩波新書、1990)を著したという、わが国におけるディズニー研究の第一人者かつTDLの生みの親の1人。先生とパークでご一緒させていただくなんて、本当に光栄なことだった。
 
お昼過ぎからの入場で、回ったアトラクションは先生のご希望でキャプテンEO(六月いっぱいで終了)、イッツ・ア・スモールワールド、ホーンテッド・マンション、白雪姫、カリブの海賊だった。キャプテンEOを除けばオープン時から存在するアトラクションなのだが、これらを回ったのにはちょっと「わけ」がある。しかもディープなディズニーファンだったら、ちょっとしびれるようなわけが……
 

ナイン・オールドメンの1人、マーク・デービスの作品を確認する

マーク・デービスという人物をご存知だろうか?知っていればかなりのディズニー通だ。ウォルトの時代、ウォルト・ディズニー・スタジオに在籍していたアニメーターのうち、中心となった9人のアニメーター、つまりウォルトの懐刀がおり、彼らは通称「ナイン・オールドメン」と呼ばれているのだけれど、デービスもその1人。とりわけ女性キャラクターを描いた人物として有名で、手かげたものにはシンデレラ、アリス、ティンカー・ベル、オーロラ姫、マレフィセントなど錚々たるキャラクターが並ぶ(ちなみにバンビも担当している)。
 
だがデービスはその他にも大きな仕事を二つ手がけている。一つはアトラクションを手がけたこと。ジャングルクルーズ、魅惑のチキルーム、カリブの海賊、ホーンテッド・マンション、イッツ・ア・スモールワールド、カントリー・ベア・ジャンボリー、ウエスタンリーバ鉄道がそれで、なんのことはない、古くからあるディズニーランドのアトラクションの主要どころ(かつてのチケット「ビッグ10」ならほとんどがEチケット、つまりいちばんグレードの高いアトラクションに該当する)、言い換えればディズニーランドのアトラクションのアイデンティティとなる部分の主要部を手がけているのだ。
 
そして、もう一つはTDLの建設にあたって長きにわたり日本に滞在し、そのデザイン監修を手がけたこと。TDL、実はデービス・ランドでもあるのだ。しかし、そのマーク・デービスも2000年に亡くなっている。
 

ウォルトとデービスの精神が残っているTDLにアリス・デービスさんをお迎えしたい

能登路先生はデービスが手がけたアトラクションをチェックしておられたのだ。その理由はデービスの奥さんで、存命のアリス・デービスさん(現在85歳)を日本にお迎えし、パークをご案内する構想を練っているから。
 
「ある意味、東京ディズニーランドは、世界でいちばんディズニーランドらしい」
 
先生はこう語る。その理由は、要するに「ウォルトのアトラクションに対するコンセプトを忠実に反映して具現化したデービスのアトラクションが、まだ、ここには原形を失わずにあるから」という意味だ。先生によれば、アリスさんは近年のアナハイムのディズニーランドの変わりようには驚いているという。たとえば、2009年に大規模な改修をしたイッツ・ア・スモールワールド。実はアリスさんは1950年代からディズニー・スタジオでコスチューム・デザイナーとして活躍し、スモールワールド制作にあたっては、夫がウォルトの下でライドの基本デザインを担当、メアリー・ブレアが人形のスタイリングとデザインコンセプトを、アリスさん自身は人形の衣装デザインを受け持った。言わば、夫マークとの思い出の詰まった共同作品だ。ところが現在、アナハイムのスモールワールドは世界の衣装を纏った子どもの人形の中にディズニーのキャラクター(ウッディ、ジェシー、ピーターパン、ドナルド、リロ、アリエルなど)が人形と同じ文法で作成され配置されている。しかし、これは夫デービスの構想したスモールワールドの世界とは相容れない。アリスさんからすれば夫の世界を踏みにじられたことに他ならないだろう。だが、夫の世界を踏みにじったと言うことは、言い換えればウォルトの世界を踏みにじったということにもなる。
 
ところが、TDLにあるデービスの手がけたスモールワールドは手つかずだ。ホーンテッド・マンションしかり(ハロウィーン、クリスマスの時期は除く)、カントリー・ベア・ジャンボリーしかり(カリブの海賊はジャック・スパロウなどパイレーツ・オブ・カリビアンのキャラクターが配置されたので)。だから、アリスさんを日本にお迎えすれば、オリジナルの健在ぶりをさぞかし喜ぶに違いないと先生は考えておられるのだ。
 
80年代からデービスと親交があった能登路先生ならではの夢のある思いつき。先生はウォルトの伝記翻訳にあたって、わからないところを何度もデービスに直接問い合わせに行き、懇意になった。死ぬ間際のウォルトとの会話について説明をお願いしたとき、デービスが涙ながらに語り続けたのが忘れられないと、先生は当時のことを述懐した。こんなにもウォルトと直結し、しかもそれが現在、まだ進行中の話を先生から聞かされ僕は、歴史と思っていたウォルトとディズニー話が突然目の前に現れたという感じで、ほとんど鳥肌状態だった。
 
ゲスト=受け手の方はすっかり変わってしまい、また多くのアトラクションや催しも、こういったデズヲタ向けに変更させられ、ここにウォルトをすっかり感じられなくなっていた僕だったけれど、先生の指摘されたこの「デービス視点」、ディズニー=ウォルト原理主義的な立場から見るとTDLこそディズニーランドといえないこともない。
 
TDLにあるオールドアトラクションからウォルト、そしてマーク・デービスを感じてみては、いかがだろう。



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アメリカ・アナハイムのディズニーランド内の”It’s a SmallWorld”の中にあるウッディ、ブルズ・アイ、そしてジェシー。ディズニー(PIXAR)のキャラクターではあるが、アトラクションのテーマからは逸脱している。

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ダッフィー専用のフォトポイント。ここにマイダッフィーを乗せて撮影する。成熟したゲストへのTDR側の見事な対応だ(東京ディズニーシー―)



情報消費空間としての利用の肥大が進む東京ディズニーリゾート(TDR)について考えている。TDRはあらかじめディズニーに関して仕込んだ情報(コピー)を確認に行く空間。本来なら物理的空間がオリジナルで情報はコピーであるところが、TDRでは逆転、つまり現物=コピー、情報=オリジナルといった現象が極端なかたちで起きている。このことについて、前回は90年代までのマスメディアとパークの関連で分析しておいた。マスメディア情報が先にあり、これをチェックするためにTDRへと向かうという図式だ。今回は後半。21世紀、インターネットの到来で、この肥大がさらに極端になっていくプロセスについて見ていく。

インターネットが開く情報過多

日本人にとってディズニーランドは、もともとこういった情報消費空間的な特性を備える土壌にあった。国内が狭いこと、東京都市圏に3700万人もの人口を抱えることによって、TDRはチェックした情報をすぐにに確認できる空間だったためだ(広大なアメリカではこうはいかない)。そこに、ネットの普及でこの情報消費における情報=ヴァーチャルの極端な肥大が発生する。それは、成熟したディズニーファン、ディズニーを訪れるゲストたちが、マスメディア経由でなくインターネットを通じて独自に情報を入手しはじめた必然的結果だった。つまり、もはやあちこちから情報を入手できる。いや、それだけではない。ホームページやブログなどを利用して自ら発信するようにもなった。この肥大化は現在、SNSとスマホの普及によてさらに極端な拍車が掛かっている。

そして、こういった情報アクセスの易化・多様化、発信のカジュアル化は、翻ってマスメディア誘導によるゲストの情報消費といったこれまでのスタイルを瓦解させていく。インターネットにアクセスするディズニーファンのユーザーが、それぞれの嗜好に合わせて情報をアクセスし、また発信することで、ディズニー、そしてパークに関する情報は無限の広がりと方向性見せるようになったからだ。そして、その勢いは、必然的にディズニーに関する「マスメディア情報<ネット情報」といった勢力関係を作り出した。

こうなると、あたりまえの話だが、もはやマスメディアがどんなにディズニーに関する一元的な情報を提供してもゲスト(もはやデズヲタ=ディズニーオタクだが)は言うことをきかない。映画『グレムリン』の中に登場する小動物モグアイ・ギズモから分裂して生まれる破壊の小悪魔モグアイ・グレムリンのように、ディズニーから生まれたにもかかわらず、マスメディア経由の一元的ディズニー世界を破壊するような存在に転じていくのだ。

つまり、こうだ。ファンのゲストたちはそれぞれ任意に自分のお好みのディズニー世界を作り上げる。これはフィルター・バブル的な情報処理によってどんどん個人専用にカスタマイズされていく(もちろん、それはウォルトが当初考えたものとはかけ離れたものだ)。また、その情報をさらにカスタマイズしてネット上に発信する。もっとも、こういったゲストたちがパーク内で行う行為は、形式的にはかつての一元的な情報消費と同じだ。つまり「頭の中のAR=セカイカメラ」状態。彼らにはパーク内にタグづけられた「自分だけにしか見えない情報」を確認するために、ここに頻繁に繰り出す。ただし、そのタグは個人的にタグ付けしたもので、同じパーク内の空間を見ても、それぞれの「頭の中のセカイカメラ」には別のタグ付けがなされている。だからパークのゲストたちは、そこに別のものを見ているのだ。

グレムリンたちに対応を見せるTDR

たいへんなのはTDRの方だ。こういったグレムリンたちの無限に多様化したディズニー世界のニーズに対応をしなければならなくなったからだ。TDRは、それぞれにアドホックに空間を位置づけするゲストたちに対応するような環境世界の形成を命題として掲げることになった。だから、たとえばパレードやショー、空間からはストーリーの一貫性を破棄し、個別のタグ付けに併せた膨大な数の情報の羅列という対応策を採っていったのだ。これは、要するにハイパーリアルという言葉がピッタリということになるだろう。現物=リアルよりも情報=ヴァーチャルが肥大化し、挙げ句の果てにはその肥大化した情報イメージに従って現物=リアルな環境が再構築されていく。

で、この対応は見事に功を奏する。もはやデズヲタ=グレムリンとなったファン=モグアイたちにとって、こういったバラバラの世界は、自らカスタマイズして構築した世界を情報消費するためには、むしろ最適。そこで自由に「マイ・ディズニー・ワールド」を構築していくことができるのだから。いや、それだけではない。ネット上で気軽に情報を発信するように、パーク内でも情報発信を始めるようになる。パーク内の道に沿ったオープンテラスに持ち込んだダッフィー(パイレーツやジャック・スケリントンの衣装を纏っている。もちろんお手製のダッフィー用コスチュームだ)を、他のゲストたちに向けてこれ見よがしに並べる。白衣を着て、そこに数百のプーさんのピンを貼り付け、頭にはプーさんのハチミツ壺の帽子をかぶる。大人が全身ミニーのコスプレでやってくる。お手製?の、マリーをあしらったド派手な和服でパーク内を闊歩する。なーんちゃって女子高生として、かつての制服姿で仲間とパークを訪れる(制服ディズニー)などなど。そして、これはもはやテーマパークと定義づけられるような空間を形成しなくなっていった。

実はアジア的文化様式がテーマパークという欧米の形式の中で融合しただけ?

こういったパークのクレオール化は、今後さらに進んでいくだろう。そしてパークは壮大なオタクランドを形成するはずだ。もちろん、かつてのディズニーの一元的世界を支持していた旧世代は、ここから退場していくだろうが。

こうやってオリジナルとは異なる独自の変化をしていくことで、輸入された文化は定着する。そしてTDRの場合、最も興味深いのは、ある意味日本の未来を先取りしたかたちで、さまざまな事態が発生することだ。ということは、数年後、人々は同じ空間に、それぞれが異なったタグ付けを行って情報消費をしている、そしてそういったニーズに合わせて僕らの生活空間もごった煮的な状況を構築していくということになる。アキバ、ドンキのように。つまりディズニーにおけるテーマ性の破壊が数年後にわれわれの日常空間でも発生する。でも、これって、実はきわめて汎アジア的風景、いや日本的なそれなのかもしれないけれど(笑)


※付記:この手の記述を本ブログで、僕は何度となく書き綴ってきたが、その際、僕がかつてのディズニー世界を「正」、現在のオタクランドの状態を「誤」と捉えているとしばしばカン違いされてきた。デズヲタ層からは「そんなに嫌ならパークに来なけりゃいいだろ」、一方、旧主派からは「もう、あそこはディズニーじゃない。よくぞ言ってくれた」みたいな反応だ(ちなみに、こちらは元キャストだった人からのコメントが多い)。だが、僕の立場は「TDRへの興味関心は尽きることがない」というものだ。「ディズニーランド、たかが遊園地と侮るなかれ。情報化社会の近未来を、あそこは照らし出しているのだ」と、僕は考えている。

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