勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

カテゴリ: 旅論

インターネットの議論は必ずしも民意を反映していない~「ネット住民」と「ネット観客」

本ブログでしばしば指摘していることだが、インターネットでの議論は必ずしも民意を反映してはいないと僕は考えている。このことは、たとえばBLOGOSなどのコメント欄をあちこち立ち寄ってみるといい。あることに気づくはずだ。それは……ジャンルによってかなり限られた層の読者によってコメントが繰り返しなされている点だ。同じコメント者が何度も登場する。コメントは「コメントをすることに積極的な一部の人々によって行われている」と考えた方が納得がいく。便宜上、この層を「ネット住民」と呼ぼう。

これはもちろん、ネットをブラウズしている人間が少ないことを意味しない。スマホの普及もあり、もはやネットのブラウズなど、われわれにとっては日常的な行為の一部。TVよりもネットへのアクセスの方が多いという人間もかなりいるだろう。ちなみに僕が大学で教える学生たち(毎年受講生数100人程度にテレビとネットとどちらのアクセス時間が多いのかについてアンケートをお願いしている)は、もはや八割以上がネット派だ(テレビとネットの形勢逆転は3年前だった)。

しかし、こういったネットブラウズする人間の層とネットに書き込む層=ネット住民はそのままイコールというわけではない。言い換えればブラウズする層の一部がネット住民となり書き込んでいる。その傍証が例えば先ほどあげたBLOGOSのコメント欄というわけだ。むしろブラウズする人間の大半はROM、いわゆるリード・オンリー・メンバーだろう。そこで、こちらの方は「ネット観客」と呼ぼう。そしてネット住民とネット観客をつなぐ相関性や因果性は明らかではなない。いや、こういった人たちの意見を世論と断定するのは、ちょっとアブナイだろう。ネット住民という、同じ少数の人間たちが循環させる意見やネット論壇は民意を反映しているとは必ずしも言えないのだ。

ネット住民の意見はマスメディアが掬い上げることによって大きな力を持つ

ただし、だからといってネット住民に力がないというわけではない。書き込みを行う少数派は場合によっては強力な力を持つことがある。それは、書き込みを行い、これがそれなりに珍しかったり、盛り上がったりした場合だ。ただし、それだけでも、まだ強力とはいえない(炎上などのネットいじめを除いては。で、これは炎上と言うより一部でくすぶった形で発生するので、いわば「小火」)。これだけでは必要条件でしかない。これが世論として大きな力を持つのは、盛り上がった内容をマスメディアが取り上げた場合だ。つまりこちらが十分条件。とりわけテレビは議題設定機能を持っている。テレビがネットのネタを取り上げて拡散することで、結果としてネット住民のモノノイイがさながら世論のように展開されるのだ。つまりメディア・イベント(もちろんマスメディアが取り上げても盛り上がらない場合も多々あるが)。たとえばペヤングソース焼きそばやマクドナルドの異物混入事件などは、その典型だろう。小保方、佐村河内、佐野といった人間へのネットいじめもこれに含まれると言ってよい。

で、こういった「ネット住民の意見は世論を反映しない」という原則は、BLOGOSのようなネット論壇以外のところでも、ネット上のあちらこちらに共通してみられるものであると僕は思っている。つまり、これはネットの一般的な特性と僕は考えている。

オタク世界を作るネットの島宇宙化

このようにネット住民の書き込みがあるところで盛り上がると、ちょっと不思議な事態が発生する。世論を反映していなくても、一部で盛り上がってしまい、そこに小さな世界、いわばタコツボ、島宇宙的なスモールワールド、オタク領域が誕生するのだ。で、これはこれでそれなりの中小規模の市場を形成することも現在では当然のように発生している。そして、その典型こそが旅の情報サイト、Tripadviserの情報だ。

旅オタクの情報サイト、トリップアドバイザー

Tripadviserはブラウズする人間たちの書き込みやサイトのとりまとめによって日々更新される旅の情報ガイドだ。ホテルやレストランの紹介が最も大きなコンテンツだが、世界中の旅行者たちがここに情報を書き込んでいる。ただし、ここにも一部の書き込みを頻繁に行う人間=ネット住民と大多数のROM=ネット観客が存在する。で、あたりまえの話だが、観光地の情報環境は、こうした一部の書き込みを積極的に行う人々によって構築される。そして、それはしばしば現地での評判とは異なった「書き込みを好む旅行者たちによって構築されるもう一つの観光地、観光名所」を作り上げてしまう。つまり、Tripadviserは旅オタクの情報としては正解だが、それが現地の情報を必ずしも反映しているとは言えないのだ。僕は海外に赴く際は航空券を購入し、宿屋レストランをTripadviserで検索、検討する旅スタイルを散々やってきたが、まあ、本当にその結果は微妙と言わざるを得ないという経験を何度もしてきた(なのでTripadviserは、参考程度に利用することにしている)。

一例を示そう。今年の3月、僕はポルトガル・リスボンからバスで一時間ほど南に下ったところに移置する丘の上の村パルメラに宿泊した。ここでのTripadviserでの人気ナンバーワン・ホテルはポウサーダ・カステロ・デ・パルメラ。ポウサーダと名のつくホテルは城や寺院、要塞などを改造したもので(景観のよいところに位置する場合もある)、かつては国営だった。スペインのパラドールのポルトガル版と思っていただければよい。ここに五日間ほど滞在し、レストランを食べ歩いたのだ。もちろんTripadviserのランキングに従って。だが、このランキングがどうもおかしい。一位がポウサーダ内のレストラン、二位はポルトガル料理なのだけれど客はほとんどポウサーダ宿泊。四位はなぜかハンバーガーのお店だ。

ところがホテルからちょっと歩いて街の中央あたりに来たところの路地にぽつんとあるレストランをみつけた時のこと。ここは昼のみの営業なのだけれど、とにかくものすごい客でごった返している。もちろん観光客なんかいない。全部、いわゆるジモティだ。Tripadviserの認定マークもなし。ここは魚料理専門のレストラン(看板にも魚の絵=アイコン?が描かれている)。まあ、魚料理といっても焼くだけ。種類は太刀魚、鰺、サーモン、カジキといったところ。これに前菜とワインととサラダとそして食べ放題のパンとデザート。さらにコーヒーまでついてたったの€8.5。ちなみにメニューのチョイスは魚だけで、それ以外は皆同じ。デザートなどは店の中央のテーブルに大型のパットごとドカンと置いてあり、客は好きなだけ取り放題。ワインもまたものすごい量をデキャンターに入れて持ってくる。カミさんと二人分で一リッターのデキャンタにすりきりで入れてきた「昼からこんなに飲めるか」と思ってしまったほど。魚好きでもあるので、当然一回訪れた以降は病みつき。昼はここと決め込んでしまった。

さて、なぜTripadviserにこれが掲載されていないのか?それはMAPを見てみると簡単に判明する。上位のレストランはすべからくポウサーダから至近距離にあるのだ。つまり簡単に歩いて行ける。パルメラのポウサーダは城を改造したもので前述したように海外の旅行者たちにはすこぶる人気。パルメラにやってくる旅行者の多くがここへの宿泊を目的としている(もちろん、僕もそうだ)。ただし、宿泊客たちは街のあっちこっちを巡ってレストランを物色し、私のベストを探すなんてヒマなことはしない。宿泊してもせいぜい2泊3日程度だからだ。しかも、その間、パルメラを基点に周辺のワイナリー見学とか、すぐ手前の港町セトゥーバル観光に行ったりする。だからパルメラでの食事の回数(朝食はポウサーダで提供されるので除く)はトータルで二回程度になる。レストランなど、まあ観光でのそこそこの要素程度にしか考えていないのだ。
で、こんな旅行者たちが「パルメラで旨いレストランはどこかな?」と考えた時に、思いつくのが当然、Tripadviserのレビューだ。だが、そのレビューはかつての旅行者たちが同じようにポウサーダのすぐそばを散策してみつけたレストランばかりが掲載されている。そして上位三位のレストランを訪問すると……当然、この上位のポウサーダ至近のレストランの評価ばかりが高いものとなってしまうのだ。

レストランの方も心得たもので、店の扉には勝ち誇ったようにTripadviserの認定シールが貼られている。店のスタッフも専ら外国人観光客を相手とするようなスキルを身につける。とにかくホスピタリティが洗練されていて、食事の内容を英語で説明してくれたりするのだ。これに舌鼓を打つ旅行者たちは満足して、そのことをTripadviserに書き込んでいき、その書き込み=レビューがさらに雪だるま式にこの上位のレストランの評価を上げていくのである。こうやって、現地の人々の味覚とは全くといってよいほど関連の薄い料理がパルメラの名物としてTripadviserと外国人旅行者によって創造されていく。いわばTripadviserおたくたちによるフィルター・バブルが、ここでは発生している。

日本にも創造された珍名所

この例はポルトガルのものだけれども、これと同じことが日本でも起こっていることに、もはや多くの人々が気づいているのではなかろうか。試しにTripadviserに掲載されている渋谷のホテルやレストランの評価を見てほしい。ベスト20にラーメン屋の一蘭、一風堂、元気寿司なんてのが登場する。ホテルに至ってはベスト10にドーミーイン、サンルートプラザ、エクセルホテル東急、渋谷東武ホテルといったビジネスホテルが目白押し。日本人からしてみれば完全に「???」のお店がランクインしているのだ。で、この「???」感覚が、実はポルトガルのパルメラの住民がTripadviserのランキングを見た時の反応だろう。つまり、Tripadviserはその国以外の書き込み好きの海外旅行オタクによって構築され、日々更新され続ける旅行情報サイトなのだ。そして、ここには新しい情報と言うより、最初に書かれた情報に上書きされる形でレストランやホテルのランキングが更新されていく。

観光とは、昔から「まなざし」が創造(ねつ造?)している。

ただし、だからといって僕は「現地の人々の世界に密着したホテルやレストランこそがオーセンティックな、つまり本物なのだ」とは決して言うつもりはない。こういった旅オタクがネットを介して創造していく観光地もまたもう一つの本物といっていいからだ。もとより、観光というものはそういうもの。100年前のバリやハワイだって、こうやってねつ造、いや創造されたものなのだから。

つまり、現地とは必ずしも関わらないところで観光というまなざしは形成され、そしてそれが自立したものとして観光地というものを作り上げていく。それを、ものすごく早回しでやってくれるのがネット世界のインタラクティブな書き込みによる情報なのだ。

もちろん、これは民意を反映していない。ま、そんなことは問題ではないんだろうが。ただし、そのことだけは知っておいた方が身のためだろう。ネットの意見は「ネット住民」という人たちが作っている。

毎度繰り広げられる韓国人の大騒ぎ

タイ、リゾートのプールでここ十数年、毎回と言ってよいほど見かける「お馴染みの風景」。それは韓国人たちの他の客を無視した大騒ぎだ(中国人も同様だが、ちょっとスタイルが違う)。原則、仲間内でやってくるので人数が多い。だから当然、盛り上がっているのだが、プールの周辺でのインターナショナル・ルールは「静かにしていること」。白人を中心とした客は読書したり、スマホやタブレットをいじったり、はたまたナンクロや数独、クロスワード・パズルといったゲームを楽しんだりして、それぞれにくつろいでいる。
ところが、この静寂を韓国人が打ち破るのだ。その瞬間、「アダルト・テイストな空間」は「開放された小学校のプール」へと変貌する。

次の写真を見てほしい。

イメージ 1

リゾートホテルのプールで水球をする韓国の若者。他の客はプールから出てしまった。後ろに呆れ顔の白人観光客の姿が見える。


これは先日、僕の目の前で起こった「お馴染みの風景」だ。韓国人の若者たちが10人程度でやって来た時から「こりゃ、マズイかな?」の懸念していたが、案の定、いつもの事態が発生した。プール内で水球を始めたのだ。プールは彼らの独占状態。当然、他の宿泊客はうるさいし、泳げないのでプールから退散した。こうなると、今度は貸し切りゆえ、やりたい放題。大きな声を上げて騒ぎはじめる。まさに「開放された小学校のプール」状態。

しばらくして業を煮やしたプールサイドの白人宿泊客がプール担当スタッフを呼びつけ、クレームを付ける。ここで、やっとスタッフが彼らに注意に入った。

「静かにしてください」

彼らは素直に言うことを聞くのか?ある意味、そうだった。しかし言葉の本質を理解してはいない。彼らは水球を続けたのだ。ただし「文字通り」の指示に従って無言で。

なんで、こんな迷惑な行為を平気でやってしまうんだろうか。もちろん、彼らに悪意はないのだろうけれど。

リゾート・リテラシーの問題?

これは、いわば「リゾート・リテラシー」の低さによるものだろうか。韓国は海外旅行が一般化してから、まだ歴史が浅い。かつて70年代に日本人が大挙して海外を訪れるようになった時に顰蹙を買ったように(農協の団体がヨーロッパに知れ渡った)、旅行者としてのマナーがまだ身についていない。だから、いずれなんとかなるのでは?

だが、この解釈は当を得ていない。現在、日本人は海外旅行者としてはきわめてマナーがよいことで有名だ。つまり80年代以降、海外旅行が一般化する中でリゾート・リテラシーが身についた。ということは、韓国人もそろそろマナーを備えるようになるのではないかと期待をしてもよい頃だ。しかし、この大騒ぎ、以前と全く変わるところはないのだ。相変わらず彼らは世代、年代にかかわらず同じことを続けている。だから、これはリゾートリテラシーの高低よりも、他のところに主たる原因がありそうだ。

文化の衝突

色眼鏡をかけず、先ず間違いなく言えることは、ここに「文化の衝突」が発生しているということだ。リゾートエリア、とりわけプールという空間は前述したように白人文化圏の中で培われたもの。だからこの空間は個人主義を基本とするところ。それぞれが相手に迷惑をかけないという前提で気ままに振る舞うことが許される場所。そして彼らが持ち込んだこういったルール=マナーがインターナショナルなコードとして成立していった。つまりリゾートプール文化は白人文化なのだ。なので、この環境に足を踏み入れたものは「郷に入れば郷に従え」で、このルールに準じなければならない。

ところが韓国人の多くがこのことを理解していない。彼らにとってリゾート地はいわば「行楽地」。遊んで楽しむところ、つまり騒いでもよいところ。そして、仲間内でやって来てワイワイやるところなのだ。言い換えれば文化圏≒共同体的なしきたりが優先される。だが、それはリゾートのプールのルールではない。そこで、プールという空間を巡りコードのせめぎ合いが発生する。

さて、前述したように、こういった風景、もう十年以上も前から僕にとってはお馴染みの風景だ。以前はビンボーだったので、リゾートといっても中級レベルのところに宿泊していた。ところが、次第にここに韓国そして中国の団体客が押し寄せ、自らの文化的コードを当然のように押しつけていく。隣の韓国人客が仲間を部屋に入れ込んで深夜まで大騒ぎをしていて、注意をしても全く聞く様子がないのでフロントに苦情を申し立てた時のフロントの返事がいまだに忘れられない。それは、

“I am sorry, but because they are Korean.”

ホテルの側も重々承知しているのだ。だが、そうはいってもこれを受け入れないわけにはいかない。韓国人、中国人の客はその時点で、このレベルのホテルでは、すでに大口の需要先になっていたからだ。で、僕はその後、出来るだけ韓国や中国の団体客が入らないような規模の小さなホテルを選ぶようになった。その後、僕の実入りもよくなったので、ホテルのグレードを上げ、こういった団体が入ってきそうもないようなリゾートに落ち着くことに。しかし、この対策は数年しか有効ではなかった。韓国も中国も所得を上げ、そこそこのホテルにも大挙して押し寄せるようになったからだ。この写真はバンコク・パタヤの大型の高級リゾートのもの(最高級ではありません。ネット予約サイトで一泊一万円程度で宿泊可能なホテル)。ここでも、やはり同じことが繰り返されている。

インターナショナ・ルルールかアジアン(韓国、中国)・ルールか?

ヨーロッパで嫌がられる観光客としてしばしば名前が挙がる韓国人、そして中国人。この衝突を避ける方法は、一つは、もちろん彼らにインターナショナル・ルール=リゾート・リテラシーを身につけてもらうことだ。ただし、こんなふうにも言える。もはや、アジアのいくつかのリゾート地はかつての西欧人が占める場所ではない。ここパタヤにしたところでレストランの表記はかつてなら英語、ドイツ語、フランス語、日本語が併記されていたが、現在では英語の次にロシア語、韓国語、中国語の順だ(日本の表記はほとんどなくなってしまっている)。ということは、ここはもはや彼らのテリトリー。だから「大騒ぎ」共同体的な楽しみ方をデフォルトにしてしまうこと。つまり「リゾート」を「行楽地」に変更するのだ。そして白人をここから撤退させる(日本人は以前に比べると大幅に減少している。もう、撤退しているのか?いや、そもそもリゾートという感覚が乏しいのか?)。ひょっとしたら、ツーリズムを展開しているタイの側も、こちらの方が儲かるので好都合かも?

いずれにしても、タイという国はどこの国の観光客であれ、ブラックホールのように吸い込んでいく。これは、ただただスゴイ、したたかと言うほかはない。あなた色に染まるけれど、絶対にあなた色には染まらないのだから(笑)いや、タイにかかわらずアジアのリゾート、そしてツーリズムはこうやって続いていくのだろう。

日韓の間で政治ネタとして揉めるほど、今やユネスコ世界遺産はある種の権威を獲得するに至っている。観光地として有名な所は、こぞって世界遺産に認定されようと躍起になるという状況が、最近はしばしばメディアを賑わしているのだ。しかしながら、なぜここまで世界遺産という「認定マーク」が注目されるようになったのだろうか。

答は一つ。「ビッグビジネスとして成立するから」

でも、この成立条件、「文化とは何か」という視点から考えてみると、きわめて皮肉なものでもある。

とてつもなく高くなっていたガウディ建築物の入場料

ちょいと僕のバルセロナ経験を持ちだしてみたい。初めてここを訪れたのは1991年。そして昨年暮れ(2014年12月)、久しぶりに同地を訪れたのだが、バルセロナはもはや「世界遺産成金」みたいな状況だった。スペインの他の都市に比べてメチャクチャに観光客が多く、物価もバカ高。ここはスペインではなく「バルセロナ」(あるいはカタルーニャ)という国のようにすら思えたほど(もはやヨーロッパで最も集客力のある都市第三位らしい。年間観光客は2700万)。

91年、ガウディの建築物を見て回った時のこと。それぞれの入館料はサグラダファミリア=250pts、グエル邸=100pts、バトリョ邸=非公開、グエル公園=無料、カサミラ=無料、そしてコロニア・グエル教会=無料。なので、これら入場料を合計すると350pts、およそ500円くらいだった。ところが、今回はこれとは全く違う。全てが有料化、高額化している。支払った入場料の総額は€80程度、つまり1万円強。およそ二十倍ほどの高騰だ。

にもかかわらず、どの建物も観光客で91年時よりはるかにごった返している。以前は非公開だったバトリョ邸(1階と2階の一部だけが見学可能だった)までもが公開に踏み切るとともに、全館を見学可能になり、なおかつAR付ガイドの貸し出しまで。カサミラは最上階のすぐ下、つまりペントハウスに、フロア全体を使った展示室が設けられていた。最も有名なサグラダファミリアに至っては、すでに大聖堂が出来上がっていた。塔ノ上にあがるにはエレベーターだが別料金。にもかかわらず長蛇の列が出来ており、入場に関してもネット予約が便利という始末。もちろんどの施設も日本語音声ガイドの貸し出しが受けられるという「痒いところに手が届く」仕様(グエル公園を除く)。

つまりガウディの建築物は有料化し、そしてテーマパーク化していった。で、とにかく訪れる観光客の一人として浦島太郎的にビックリしたのは、このメチャクチャカネがかかるということ、そしてインフラの充実だった。もちろんガウディだけではない。バルセロナの他の世界遺産(カタルーニャ音楽堂)や、世界遺産ではないがバルサのスタジアムも入場するだけで結構な金を徴収されたのだ(どう考えてもディズニーランドに行った方が安い)。

かつては、サグラダファミリアで彫刻制作を手がけている外尾悦郎氏が、この建築物がいつ完成するのかわからないと言い、資金が集まらないことを嘆いていたことがあったが(80年代後半に放送された日立ドキュメンタリー「すばらしい世界」の中で)、これが2026年には完成の目処が立つという。でも、この盛況を見れば「ま、そりゃそうだな」と納得させられてしまう。いったい一日で、どんだけ儲けているんだろう?

だが、世界遺産についてのこういった状況はバルセロナに限られた話ではない。82年、僕がインド・タージマハールを訪れた際も入場料は無料だったが、こちらも今や750ルピー、およそ2000円の料金を徴収される。つまり、かなり多くの世界遺産がこんな感じなのだ(もちろんアンコールワットも。そしてわが国の場合だと、ここ数年京都に行くと外国人だらけ、ってなことになってしまっている)。

集金マシンとしての世界遺産

世界遺産は自然遺産や建築物などに(和食などの食文化も含まれるらしいが)認定されるもの。だが、メディアがこれに注目することで世界遺産は究極のブランドとなり、世界中からのまなざしが向けられる。すると世界遺産と認定された存在は「集金マシン」と化すのだ。これがおいしい。だから、どこも認定を受けるために血道を上げるのだ(富岡製糸工場は2007年から有料化に踏み切ったが、世界遺産化に伴いこの料金を1000円に値上げしている。表向きは世界遺産認定に伴い観光客が増加したので維持費がかかるとのことだが、それだけではないだろう)。そしてその典型がバルセロナなのだ(ちなみに、これらが世界遺産登録されていったのは1980年代からだが、当時はまだ世界遺産という言葉自体が現在ほど注目されておらず、それゆえガウディの建築物は、世界遺産という存在がメディアイベント的に世界でもてはやされるようになって人気が急騰し、そして有料化したという経緯があると考えられる)。

「遺産」という新しい消費文化

これって不思議だ。世界遺産と認定されたものって、要するに「遺産」。文化としては死んでいる過去の「遺物」。これにメディアによってまなざしが向けられると、突然最新の装飾とシステムが施されてゾンビのように生き返るのだ。そう、「世界中が注目する死体」みたいな存在になっていく。だが、それを利用して地元はバッチリと金を稼ぐ。つまり世界遺産とはややもするとグロテスクな存在と言えないこともない。

ところが、これを利用して世界遺産のある土地は活気づく。そうすると新しい文化が生まれるのだ。その典型が要するにバルセロナなわけで。観光収入は同市経済の14%を占めるという。そう、これは遺物を利用したテーマパークという、きわめて今日的な消費文化の新しい形態なのだ。もちろん、まなざしが与えられることで観光化が進むというのはかつてからあったが、世界遺産というマークはこれを高速で可能にする魔法の杖に他ならない。

まあ、そうはいってもあんまりたくさん世界遺産が登場すると、今度は飽和状態が出現してしまう恐れもあるんだろうけど。しばらくは「集金マシン」(場合によっては政治の道具?)としてもてはやされ続けるのではなかろうか。現状ではツーリズムは盛り上がりこそすれ、衰退する様子は全くないのだから。

10年後くらいに「世界遺産バブル」なんてのが語られるようになっているかも?ということは、みうらじゅんが「世界遺産バブルの遺産を見に行く」なんてことをやるかも?

とにかく世界遺産、今、旬である。

差異化消費の終わりと大きな物語の消滅、そしてバックパッキング・バブルの終わり

バックパッキングは70年代=青春の終わり、80年代=差異化消費という物語を背景としつつバックパッキングをメディアイベントとして若者の間に普及させることを成功した。そして85年のプラザ合意によって円高が急激に進行すると、この物語(差異化消費)に乗っかるかたちで海外バックパッキングは大ブレイクする。バックパッキングは「電波少年」や「あいのり」といった番組を構成する重要な要素とすらなっていったのだ。90年代はまさに「バックパッキング・バブル」といってよい時代だった。

ただし、これがいわば「終わりの始まり」だった。「電波少年」の企画は、海外旅行がカジュアル化し、またカメラ機材もコンパクト化して、容易に取材が可能になったことで初めて成立するもの。しかも、ただの海外紹介ではなく、海外を舞台に別のテーマが設定されている。こういった海外ロケの「一ひねり」は、もはや海外をメディアが単に取り上げただけでは大して話題にもならないほど海外のイメージが相対化されたということでもあった。逆に言えば、それは、もはや海外に出たところで、それは必ずしも差異化に繋がらず、八十年代的な物語消費としては海外バックパッキングが機能しないことを意味していたのだ。

海外渡航者の増大は、海外に出かけるスタイルもまた多様化させた。パックツアー、スケルトンツアー、各種海外留学、海外研修、海外出張、ワーキングホリデー、買い物ツアー、リゾート、クルーズ、グルメツアー、親戚・友人宅訪問などなど多様を極め、向かう先も実に多様化した。つまり、もはや海外に出ることは「ナンデモアリ」の状態になった。そう、差異化のためのフロンティアは消滅してしまったのだ。

そして、こういった海外旅行の多様化と同時に、海外旅行そのものもまた様々な嗜好、趣味、レジャーの多様化の一つとして相対化・細分化されていく。こうなるとバックパッキングは七十年代の「青春を捨てる旅」、八十年代の「差異化消費の旅」といったような一元的な物語消費を維持することが出来ず、こういった膨大な範囲での多様化のなかで、結果としてあまたあるレジャーのジャンルの一つと位置づけられるようになったのだ。

若者の間でも嗜好は多様化しているので、大学生協の書籍部に『地球の歩き方』を平積みにしたところで、もはや煽られる学生も限られるようになった。そして、今やかつてのように若者は海外にさしたる憬れを抱くことはない。だから、現在海外旅行がコアなターゲットとしてねらいを定めているのが60代以上の、若い頃には海外に憬れを抱いていたが、行くことが出来なかった層。これら年代層は「海外ルサンチマン消費」を行っているのだ(エイチ・アイ・エスは、とりわけこの層の獲得に熱心で、近年では海外クルーズを積極的に売り出している)。

消滅したバックパッキング紀行本のリアリティ

また、かつてあれほど人気を博したバックパッキングを題材にした紀行本もすっかりリアリティを失っていった。旅の僻地を説明したところで何の意味がある?売春とドラッグ、海外の危険地帯みたいなセンセーショナルなネタもすっかり使い古されてしまった。一般的に紹介すべきところを失った一連の紀行本ライターたちは、さらに細部に立ち入り、トリビアな旅の情報を披露するというパターンをとったが、そんなマニアックな情報を欲しがる層はさらに少ないわけで、いわば”負のスパイラル”。いたずらに読者層を減らすだけだった。今や、こういった本にアクセスしようとする若者たちはほとんどいない(かろうじて文学作品としてフィクション的な要素を多く含みつつ著された『深夜特急』だけが、依然としてバイブル的な存在と位置づけられているのが、紀行本の中で示された事実よりも旅のロマンの方に需要がシフトしていることを示唆している。また下川裕治は2007年「外こもり」ということばを用いて著書『日本を降りる若者たち』を著し人気を博したが、これは紀行本と言うよりも若者論だった)。こういった紀行本を求めるのは、かつての物語に固執している40代以上ではなかろうか。2011年12月、バックパッキングの刊行雑誌『旅行人』が編集者の蔵前仁一自らが「その役目を終えた」とし休刊している。

実は本当のバックパッキングがはじまったのでは?

さて、じゃあ現在のバックパッキングの不人気、バックパッキング・バブルの終わりはどう見ればよいのか?僕が指摘したいのは、逆説的に、むしろこれこそが「バックパッキングのあり方」ということなのではないかということだ。つまり、これまでバックパッキングしていた層の多くはバックパッキングに付随していた「大きな物語」を消費していたのだ。言い換えればバックパッキングそれ自体を消費していたわけではない。そして、そういった層がブームの崩壊、物語の終わりとともに去って行った。その結果、残ったのは、実はかつてから存在した、そういった大きな物語に左右されず、自分なりの形でバックパッキングを嗜好する若者たち(あるいは大人)なのではなかろうか。僕は毎年バックパッカーの聖地と呼ばれるタイ・バンコクの安宿街・カオサン地区でフィールドワークを行い、インタビューを通して若者たちのバックパッキング意識をたずねているが、旅の目的はやはり多様化している。かつてのように通り一辺倒ではない。つまり、ワーキングホリデーの帰り、ちょっとネパールに行ってくる、長期にわたった旅、たった4日のなーんちゃって海外バックパッキング、スケルトンツアーでタイを訪れ、ついでにカオサンにやって来てバックパッカー気分に浸る、深夜特急に感銘を受けてやってきた、タイ語を覚えたい、私さがし、旅行者とのコミュニケーションを楽しみたい……まあ、とにかくいろいろある。彼らに物語がなくなったわけではない。ただ単に、個別化したのだ。つまり、冒頭に示したようにスタイルの多様化。そして自分なりの物語の消費。

ということは、バブル終わって実は正常に戻っただけなのではないか。まさに等身大で自分の旅をカスタマイズする。そして、おそらくこういった層はこれからも永続する。だから、もうバックパッキング・バブルはもう来ないけれど、バックパッキングは旅のスタイルの一つとして定着する……。

でも、これって実は、これこそがバックパッキングの本質、つまりオーセンティックなバックパッキングなんじゃないんだろうか。

バックパッキングという「物語」の変遷と消滅についてメディア論的に考えている。前回、70年代のバックパッキングの大衆化が学生の卒業旅行(当時この言葉はない)、つまり青春の終わりとしての夏の北海道バックパッキングという物語によって牽引されていたことを示しておいた。だが80年代に入ると、この物語は消滅。新たな「差異化消費の物語」がバックパッキングに付与され、それが海外バックパッキングという大きなムーブメントの牽引車となっていく。

80年代~海外バックパッキングの隆盛

『地球の歩き方』と格安航空券の出現

海外バックパックを煽った二つのメディア:『地球の歩き方』と格安航空券
80年代、バックパッキングの行き先は北海道から海外へと変更される。これは明らかにメディア・イベント的に資本=送り手側から作られたムーブメントだった。資本は二つ。

一つは海外ガイドブック『地球の歩き方』(ダイヤモンドビッグ社)だ。現在でこそ、このガイドは単なる海外旅行ガイドだが、その始まりはバックパッキング的な旅を志向する旅行者に向け編集されたものだった(『地球の歩き方』を企画・出版した西川敏晴(後にダイヤモンドビッグ社社長)は、当初自らが企画したバックパックもどきの海外旅行「ダイヤモンドステューデントツアー」(三十日間のゲストハウスを泊まり歩くパックツアーみたいなものがあった。ちなみに西川はこのツアーを「卒業旅行」と位置づけ売り出している。そしてこの言葉は、これ以降一般化する)の実施に際して、参考資料として非売品のヨーロッパのガイドブックを作成し、これを参加した旅行者に配布した。この名前が『地球の歩き方』で、それが販売され現在のシリーズが生まれたのだ)。

もう一つは格安航空券で、その嚆矢とも言えるのがインターナショナルトラベルサービス(現エイチ・アイ・エス)によるインド向けの格安航空券の発売だった。現在では『地球の歩き方』は数百種類のガイドを発行し、エイチ・アイ・エスも旅行業界ナンバーワンだが、この二つが実はバックパッキングからのし上がっていったという事実は、八十年代以降の海外旅行ブームとバックパッキングがきわめて密接な関わりを持っていたことを示す象徴的な事柄と言えるだろう。

この時のバックパッカーも、その中心層は大学生だった。そしてこの学生層に『地球の歩き方』と格安航空券が次のような一元的な物語を提示していったのだ。

マーケティングにおける差異化消費とバックパッキング

80年代前半、マーケティングの分野で提唱された議論に「差異化消費」という考え方があった。ご存知のように80年代は90年代初頭のバブル崩壊に向け、景気が右肩上がりで上昇していった時代である。その際、こんなものの語られ方がマーケティング(主として電通)でもてはやされた。

「時代はもはや豊かな時代。誰もがたいていのものを所有している。だから、かつての「人並みになりたい」という欲求は満たされた。そこで、現在人々が欲しているのは「人と違っていること」だ。つまり、みんなが欲しがる大衆的なモノより、それを所有することで自分を人と差異化することが可能になるモノを欲するようになった。」

これは、当時の言葉を用いて集約すれば「ダサいヤツらに差をつける」となる。そしてそのために「差異化」消費=カネを使って人と違うことをする、が求められるとされたのだ。こうやって人とは異なる消費を志向する大衆は大衆が細分化したので分衆と呼ばれた。そして、それを象徴する存在が若者であり、こういった消費をする若者は新人類と呼ばれたのだった。

そして、こういった新人類=分衆(実際に存在したかどうかは関係ない)の差異化消費の一つとして資本が提示したのが海外バックパッキングだったのだ。

海外旅行に行けば、国内旅行より洒落ている。つまり多少なりとも「ダサいヤツらに差をつける」ことが出来る。ただしパックツアーのそれはおじさん・おばさんと同じ大衆的な消費行動だからダサい。だから、お仕着せのない自由な旅であるバックパッキングをすれば人と違った個性を得られる。

実際に個性が得られたかどうかは別として、こういった物語を『地球の歩き方』と格安航空券が煽ったのは確かだ。そして、このバックパッキングというメディアイベントに花を添えたのがオーセンティックな旅といった幻想だった。自分の足と頭を使って、観光地より街の風景を見てみること、これこそが「本当の旅」。そしてその本当の旅をする若者こそがイケている……。

八十年代初頭、年間海外渡航者は200万人程度。一般人が海外に出る場合、選択肢はパックツアーとバックパッキングしかなかった(海外留学や海外出張はエリートのみに許された特権だった)。当然、前者が大衆、後者が分衆ということになる。

ということで、バックパッキングは若者に「こうすればオマエはイケてる」(当時「イケてる」という言葉はないが)という物語消費を煽ったのだ。大学のキャンパス内には格安航空券のポスターが貼られ(なぜか、インドだった。これはインターナショナルトラベルサービスがインド行きのチケット=パキスタン航空から発売を開始したからだ)、大学生協の書籍部にはゴールデンウイークを過ぎた頃から『地球の歩き方』が何種類も平積みされてバックパッキングを煽る。

そうこうするうちにアーリーアドプターたちの武勇談がキャンパス内に響くようになる。しかも、バックパッキングは当時はまだ珍しがられたから、差異化消費の対象としてはもってこいで、就活の面接の格好の武器とも言われたほどだった。

プラザ合意による海外旅行の大衆化とバックパッキング本の隆盛

こういったメディアイベントにさらに二つの要因が拍車をかける。ひとつは1985年のプラザ合意に伴う急激な円高の進行だ。これで格安航空券はさらに低廉となり、海外旅行それ自体が一大ムーブメントとなった。当然、海外旅行の一形態であるバックパッキングも人気を博するようになる。もう一つはバックパッキング本の氾濫だ。旅のマニュアルが出版されると同時にバックパッキングを基調とした紀行文=バックパッキング本が登場し、沢木耕太郎、下川裕治、前川健一、小林紀晴、蔵前仁一といった「バックパッキング作家」たちが支持を得た(沢木は『深夜特急』のみだが)。これら著者の作品はバックパッキングをしながら現地で見聞したことをちりばめるというのが基本的な展開、いわばバックパッキングの「副読本」だった。ただし、これらもまた「旅とは何か」そして「オーセンティックな旅」「バックパッキングの本質」的な物語を基調に展開されていた。そしてしばしば扱われたのが、バックパッキングでさらに奥地、一般の立ち入らない分野に入っていく必要があるといったような「差異化」志向で、しばしばこれら作者は高踏的な立ち位置、まあ要するに上から目線でこれらを煽るというものだった(例外は後発の蔵前仁一だった。蔵前は、自らの旅を等身大の「フツーの旅行者」としてイラストを挟み込んでバックパッキングを表現した)。

バブルは90年代初頭に崩壊するが、旅について、そしてバックパッキングについては崩壊することはなく、むしろさらに人気を上昇させていく。そしてバックパッキングを本格的に世間一般に認知させたのが日本テレビ『進め!電波少年』の「猿岩石、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅」という企画だった。ここでは若手のお笑い芸人猿岩石(一人は有吉弘行)が、沢木の深夜特急よろしく香港からロンドンまでをヒッチハイクだけで旅する姿を追いかけ、これが大人気を呼んだのだ(この企画は『深夜特急』を雛形としている)。

だが21世紀に入るとバックパッキング熱は急激に冷え込むようになっていくのである。(続く)

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