「恒例化」されつつある、芸能人の警察署玄関謝罪

周知のように12月3日、麻薬取締法で逮捕されていた女優の沢尻エリカが保釈された。その際、沢尻が、近年では恒例化されつつさえある警察署玄関での謝罪を「拒否」したとの報道が一部であった(例によって「芸能関係者」という得体の知れない情報源だが)。さて今回は、この「恒例化」しつつある署玄関での有名人、突き詰めてしまえば芸能人の謝罪の意味について考えてみたい。そもそも、これに何か意味があるのだろうか。



「皆様」って、誰?

あたりまえの話だが、「謝罪」という行為は人間が犯した行為によって相手に迷惑や心配、危害などを与えた場合、そうした相手に対して償いの意図をもって行うものだ。この1年でも、麻薬に関連してピエール瀧やKAT-TUN(ジャニーズ事務所)の元メンバー田口淳之介が保釈時に署の玄関で行っている。一般的な謝罪のことばは「皆様には多大なるご迷惑とご心配をおかけいたしましたことを深くお詫びいたします。」なのだけれど、これって、なんかヘンという感じがしないだろうか。というのも、この時の謝罪の中に対象とされている「皆様」って、いったい誰を指しているのかサッパリわからないからだ。



芸能人関係者?

謝罪の対象として、たとえば沢尻の場合なら考えられるのは身内、事務所、沢尻が出演しているCMのスポンサーやドラマの制作会社だ。身内は手塩にかけて育ててきたのにこのていたらくということで落ち込んでいるだろうし、事務所のスタッフも仕事に大穴開けられてしまって迷惑この上ないと感じているはずだ。CMは即座に打ちきりゆえ、沢尻を起用していたサントリー、Indeed、P&G、マンダムなどはCMを差し替えざるを得ない。悲惨なのは沢尻を大役に抜擢していたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、すでに撮影がある程度まで進んでいたため、これに急遽代役を立てて取り直した結果、放送スタートは二週間遅れになることを余儀なくされてしまった。企業絡みは当然、賠償責任問題になるだろうが、被害は甚大だ。だから、沢尻はこの手の「自分が沢尻を起用した側」、言い換えれば「沢尻を送り出していた側」には謝罪する必要がある。


しかし、それは署の玄関でする必要はないし、することではない。事務所を通して各機関に謝罪の手続きをとればよいだけの話だ。書面にて謝罪し、さらにほとぼりがさめた頃に本人が密かに謝罪の行脚に出かけるというスタイルでおこなわれるのが一般的だろう。だから署の前でタレントが「皆様」と声がけをした場合、こうした「自分が沢尻を起用した側」「送り出していた側」はその中には含まれない。



視聴者?

となると、この「皆様」が指し示す対象は「沢尻を送られた側」=視聴者ということになる。


では、視聴者は、沢尻から何か迷惑を被ったのだろうか?あえて、被った人がいたとすれば、それは熱狂的な沢尻信者で、そのイメージを根底から覆されて心が傷ついたという人くらいだろう。でも、これにしたところで恋人が相手に振られて深く傷ついたことと同じ。振った側はふられた側に謝罪なんかしない。一般の視聴者は、ただのヒマつぶし用芸能ネタの一つとして「へ~、あの人がねぇ~、意外な感じだよね!?」ぐらいのことでしかこの出来事をとらえていない。だから、実質的には迷惑を被った人など存在しないことになる。それは、ようするに署玄関での謝罪のことばにある「皆様」が、実は誰も指し示していないことを意味している。空に向かって独白しているようなもので、意味など全くない。だから、実は誰にも謝罪していないのだ。


存在しない「皆様」に、謝罪することの御利益は「プロモーション」

しかし、芸能人は署玄関で謝罪するようになった。なぜか?それは、「存在しない「皆様」に向かって謝罪すること」に御利益があるという環境がマスメディアによって次第に構築されていったからだ。


その御利益とは「芸能界サバイバル」ということになるだろう。そこそこ知名度がある芸能人が逮捕される。数日間身柄を拘束された後、保釈となるが、このとき署玄関は格好の「芸能界復帰アピール場所」になるのだ。ピエール瀧にしても田口淳之介にしても、こういってはなんだが沢尻エリカに比べれば小物である。ということは、ここで保釈されても、相当期間干されてしまうことは確定的で、しかもほとぼりが冷めた頃に復帰しようとしても、その頃には忘れ去られている可能性もある。かつてのような勢いに戻る望みも期待薄だ。田口にしてみればジャニーズからのバックアップが外されて立場が危うくなりつつある時点での逮捕。ジャニーズメンバーに抱かれているクリーンなイメージも剥奪されて、完全に”泣きっ面に蜂”の状態だった。しかし、「逮捕」というイベントはスキャンダルゆえ、絶頂期と同様、いやそれ以上に注目を浴びることができる。ならば、保釈時に署玄関で自らが深く反省しているパフォーマンスをしておけば、芸能界復帰への大きなアピールになる。たとえネガティブな「ネタ」であったとしても、それを利用して誠意を示せば、多少なりともイメージを回復する可能性は確保できるのでは……。実際、メディアはこれを視聴率稼ぎの格好の手段と捉えて、署玄関での謝罪を「恒例」に仕立てたのだし。と考えれば、この手を利用しない手はないし、事務所もそれを勧めるわけだ。そう考えると、例えば田口が20秒にわたる土下座を行ったのも頷ける。費用対効果がそれなりに期待できるのだ。だから、勝負に出る。


警察署玄関での謝罪を必要としないのはインフラ・リッチの芸能人

だが、その芸能人が大物で、最終的に元のポジションに戻るほどの充分なインフラを備えている場合は、警察署玄関での謝罪は必要がないということになる。


今回の沢尻の件について歌手・小柳ルミ子は「カメラが怖いのだろう。だが保釈されたときこそチャンスだったと思う」的なコメントを述べている。彼女もまた、沢尻が多くの人(とりわけ大河ドラマのスタッフ・キャストに焦点を当てている)に迷惑をかけたというロジックだが、前述したように、これは完全に的が外れている(ちなみに、本件になぜ小柳がコメントする立場にあるのかも無根拠だ。彼女もまた、現在のコメンテーター的な立場を利用してメディアに露出する、芸能界サバイバル戦略を展開中であると考えれば納得がいくが(笑))


言い換えれば、何も対象を指し示していない「皆様」に対して、大物女優(知名度、そしてインフラ的に。まあ”親方エイベックス”なので)である沢尻エリカが「警察署玄関で謝罪する」、つまり「芸能界サバイバル装置を作動させる」必要などない。むしろ彼女のインフラストラクチャーに身を委ねた方が、はるかに安全な芸能界復帰方法なのだから。


※本ブログは「警察署玄関謝罪の機能」について記号論的に展開しているのであって、沢尻エリカという芸能人を擁護しているわけではないことを含み置きいただきたい。強いて、個人的な沢尻観を述べておけば「エネルギー過剰な芸能人」くらいかな。