就活ルール廃止が学生を混乱に陥らせる

2021年からこれまで経団連が設定していた就活ルールが廃止される。いわゆる紳士協定が完全撤廃されることよって、現大学二年生はいつでも内定を取ることが可能な状況が発生するのだ。言い換えれば完全なる自由競争。だが、僕はこの廃止を非常に危惧している。就活と学業の関係がゴチャゴチャになるからだ。学生たちは年がら年中就活に関わらなければならず、学業どころではなくなる。事実、現在の大学4年生の状況が典型で、4年生のゼミナールが成立しなかったり、授業にまともに出席できないという事態が発生しているのだ(中には、就活の欠席を欠席とカウントしないという「配慮」(蛮行?)を行う教員もいるらしい。いいのか?そんなことして?)。

廃止積極的肯定論におけるエリート主義

このルール廃止を積極的に肯定する立場がある。「就活」と「学業」の二項対立は間違い。二つは相互補完的な関係にある。つまり就活をうまくこなすことの出来れば学生は学業もうまくこなせる、その反対も同じ。つまり、これらは互いにスキルを補い合っているのだと指摘する。そして、そうした補完関係をより促進するために早いうちからインターンに取り組むのがよい。実際、早々にインターンを開始した学生は社会と大学の関係をよく踏まえ、双方に好結果を生み出しているという。

残念ながらこうした指摘は理想論かつ極めて偏ったものでしかない。また論拠も曖昧だ。早々から就活やインターンをはじめるのは活動力が旺盛な学生たちだ。つまり「就活をうまくこなすから学業もうまくいく」「学業をうまくこなすから就活もうまくこなす」「インターンを積極的にこなすから学業や就活もうまくこなす」というのは、いずれも相関するが因果関係的には無根拠なのだ。むしろ、この関係を説明するの最も妥当な回答は「もともとこうしたスキルを備える学生が学業、インターン、就活いずれもうまくこなすしているだけ」となるはずだろう。つまり根元のスキルは同じ。小学校で成績のよい児童は概ね全ての科目においてよい成績をあげることができるが、これは点を取るスキルがはじめにあったから、全ての科目で優秀になるのと同じメカニズムに基づくと考えるとわかりやすい。

学生は今も昔も就職には受動的な存在

大多数の学生は残念ながらそのようにはなっていない。大学三年次ともなると、彼らは就活にソワソワし始める。これは大学の就職支援部が学生の尻を叩きはじめるからだ。セミナーが始まり、リクルート会社への登録が3年生全員を集めて行われ、そしてリクナビやマイナビがさらにこの尻叩きに拍車を駆ける。その結果、なんだかわからなくても就活はしなければいけないという強迫観念に自動的に駆られてしまうことになる。

こうした大多数の学生は就職戦線において自らを柔軟にコントロールすることが出来ない「活動力がさほど旺盛でない就職弱者」の若者だ。で、これら学生に対して就職ルールが廃止されたらどうなるかは火を見るよりも明らかだろう。大学入学早々、就活のために大混乱に陥るという事態が発生する可能性も考えられる。

インターンの早期開始でスキルを磨くことは一見現実的のように思える。だが、現状ではインターン制度は未発達。全員がインターンを受けられるのは限られた学生で、しかも企業によってはたった1日だけのインターンといった帳尻だけを合わせているものも多い(僕は学生たちに「1日だけのインターンなんてほとんど意味ない。利用されているだけ。本当のインターンは中長期にわたるもの」と教えている。ちなみに僕もインターン推奨者の一人ではある)。そして、これら有益なインターンを獲得する学生は当然、就職強者、つまりはじめからスキルを備えた若者たちなのだ。

学生のスキルアップをさせようとしないリクルート産業

ただし、もし仮にインターン制度が充実し、多くの学生がこれに参加できるようになったとしても、実は大きな問題が立ちはだかっている。企業と学生の間を取り持つリクルート産業の存在があるからだ。これら企業は、当然のことながらこのインターンにも介入してくるだろう。そして、現在と同様、システムの中で大多数の学生を「管理」(「就職脅迫」と言い換えてもよいかも知れない)し始めるだろう。その結果、インターン制度は骨抜きにされ、学生は大学在学中は右往左往させられることになる。事実、大多数の学生は現在リクルート産業に「おんぶに抱っこ」の状態なのだから、結局、これまで同様、あるいはこれまで以上に没主体的、かつ受動的にリクルート産業にコントロールされることになる。しかも四年間も。インターンによる自律性や社会性と確立というのは、こうしたリクルート産業という存在がある状況では、効果が薄いと判断せざるを得ない。ちなみに、これはいまどきの学生に主体性が足りないと言っているわけではない。この年代の若者はまだ未成熟であるから、むしろこうなるほうがあたりまえ。今も昔も大学生はそんなもんなのだ。

就活もネオリベラリズムの時代が到来する

ただし、これは一部の活動的な就職強者の学生にとっては福音だ。大学就職支援部やリクルート産業を縦横無尽に駆使することがえきる能力を備えていれば、これら学生にとっては「鬼に金棒」、やりたい放題となる。
しかしながら、こうした学生はマイノリティだ。そして偏差値が低くなればなるほどこの割合は減っていく(もちろん上位偏差値校であっても、やはりこの手の学生はマイノリティなのだが)。そして、やはりリクルート産業の管理下に置かれることになる。これでは主体性の形成もままならない。
結果として、こうした状況は、いわば「就職ディバイド」を生むことになる。言い換えれば就活のネオリベラリズム化。マタイ効果によって、富めるものはより富み、貧しい者はより貧しくなる。そして、大学生の過半数が後者に属することになる。

法政大教授の田中研之輔氏はこの解決策として「ターム&プール」を提唱している。これは春休みと夏休みにインターンも含めた就職活動を集中させ、それ以外は学業に集中する。要するに二つを平行させつつも分離させる、しかも双方を関連させるというアイデアだ。ただし、氏はリクルート産業が介在することによる「就活のシステム的管理」について考慮していない(企業の力を舐めてはいけない)。また、大学は「知的怠惰」という重要な機能を担っている。ギャップイヤーなどはその典型で、これももう一つのインターンシップではあるが、これらについてもアイデアからは除外されている。

さしあたっての処方箋はルールの厳密化だ!

現状では、就職に関してはある程度のルールを採用すること、残念ながらこれがいちばん無難な方策ではなかろうか。極端なことを言えば就活ルール、すなわち就活解禁日を企業に厳守させて、違反した企業に採用禁止といったペナリティを科すのが対蹠法的に見て、現状では最もシンプルで現実的と僕は考える。

ただし、これはあくまで対蹠法であり、根本的な解決策とは当然言えない。その一方で大学生と企業のマッチングに関するシステムを企業ーリクルート産業―学生を真剣に考える必要があることもまた確かだろう。企業のリクルートはイイカゲン、リクルート産業もイイカゲン、そして学生もイイカゲンという現状では学生の質は低下するばかりなのだから。こうしたインフラを整備した時、田中氏の提案するようなプランが初めて現実性を帯びてくるはずだ。