バイオリニストの高嶋ちさ子が九才の息子のゲーム機・3DSを、平日は遊ばないという約束を破ったことで、これを真っ二つにバキッと折ってしまったことをTwitterにアップしたことをきっかけに、これが大炎上していることが話題になっている。

で、こういったネットやメディアを介した炎上=バッシングが最近やたらと多い。それは失言問題にも関連しているのだが。今回は、マスメディア上やネットでの「ほんの一言」が、なぜ大騒ぎになってしまうのかをメディア論的に考えてみたい。このメカニズム、結構古いようで、また新しいものでもある。

SNS、マスメディア、オーディエンスが「暴力的な母・高嶋」を作り上げる

炎上するメカニズムとして三つの要因、そして二つの立ち位置をあげてみたい。三つの要因とはSNS、メディア、オーディエンス(とりわけ一部の書き込み好きなネットユーザー)、二つの立ち位置は情報の受け手と送り手だ。これを今回の「ゲーム機バキッ」で考えてみよう。

先ず受け手のネットユーザーが高嶋のTwitterを見る。一部のユーザーが「なんて乱暴な」「教育上(子育て上)、よろしくない」とツイートする。この時点で受け手は送り手に転ずる。SNSがあるからネットに書き込むなんて、今や簡単。しかも匿名(facebookを除く)だから、何を言っても自分の身に責任や危険が降りかかることはない。ので、言いたい放題。すると、これを見た他のユーザーもまた、匿名をよいことにして誹謗中傷的なツイート(Twitterでなければコメント)を始め、次第に炎上していく。この時、興味深いのは、ほとんど誰も高嶋の本意を理解しようとはしていないことだ。つまり「言葉狩り」。つまり、いわば「バキッ」という乱暴な音だけが誇張されていく。そして、バッシングが次第に祭り状態になると、もはや、そちらの炎上的、誹謗中傷的なツイートが展開するコンテンツの方が議論の中心となる。高嶋とは関わりのないところで高嶋のバッシングが展開されるようになるのだ。この時、高嶋は「暴力的な母」とステレオタイプを貼られていく。ようするに発信するネットユーザーは感情的なカタルシスを得たいがために行為を繰り返すわけで、完全に思考停止になる。

次にマスメディア。適当に炎上してくれれば、お手軽なネタとして重宝する。ので、これをテレビや雑誌が騒ぎ立てる。街頭インタビューと称して、一般人にコメントを求め、都合のよいように「ゲーム機バキッ」をデフォルメする。もちろん、この時、高嶋の本意など全く意に介することはない。こういったネット=SNSからの情報ピックアップは、もはやマスメディアにとってルーティーン。型に流し込んでいるだけ。つまり、これまた思考停止に基づくワンパターンなメディアの行動。

マスメディアが拡散するゆえ、こうなると騒ぎは突然、規模が大きくなる。ネットにあまり関わることのない層にまで、このデフォルメされた「暴力的な母・高嶋」のイメージが、大量のオーディエンスに情報がリーチするマスメディアによって伝播されるからだ。そして、このイメージは再びネット上に環流し、さらに増幅されていく。この時も、もちろん高嶋のことなどどうでもよく、要はネタとして楽しめればいいということになるわけで、要するにこれまた思考停止。

そして、騒ぎが一回りするとこの事態は収束する。まあ、騒ぎの最中に、もう少し大きなネタが出来れば、瞬時に収束するというパターンも、ままあるが。これは社会学でいうところの流言のメカニズムに他ならないのだけれど(揮発性が高いところなど共通点は多い)、空間にまったく限定されないこと(流言の場合は極端に広いエリアには波及しづらい)、二つのメディアが媒介すること(インターネットのSNS+マスメディア)で、展開が早く、場合によっては巨大な規模に達するところが異なっている。

ちなみに、ネットが出所ではないが、同様の展開になったものとして丸山和也議員の「オバマ奴隷発言」がある。丸山議員は参議院憲法審査会で、日本がアメリカの51番目の州になることは可能かという質問の中でこの発言を行った。ザッとまとめてしまえば「先祖は奴隷だった人間が大統領になるなんて建国当初には誰も考えもしなかった。しかし、それはそれだけアメリカはダイナミックな改革をしてきたということ。だから日本がアメリカの州になるってのも、ありなんじゃないのか?」という趣旨で、むしろ黒人を、そしてアメリカの歴史を讃えているふしすらあるのだけれど、「奴隷」という言葉だけがメディアの思考停止によって拡大されて、丸山議員は謝罪を行わされる羽目になっている。そう、文脈無視の「言葉狩り」がここでもメディアと政治家とその後のネットの議論等で展開されたわけだ。

メディアリテラシーをアップする方法

こういった、低いメディアリテラシーを振り回すこと。もうヤメにしませんか?みっともないですし。

処方箋は三つある。

一つ目はネット上に匿名によって情報発信する人間が、ある程度責任を持つことだ。言い換えれば、バッシングになるような無責任な発言はしない。何年か後、おそらく「以前は、こんなバカなコメントがあったんだ」ってなことになっているんだろう。ただし、そうは言っても実際のところ、この手の匿名を利用したゴロツキ発言がなくなることはない。それは、いつの時代も同じだからだ。ネットで受け手の情報発信能力がシステム的に高まっている(つまり、ソーシャルメディアを通じて簡単に情報をアップできる)状況もあるので、リテラシーが高まるにつれ、多少は減少していくことがあったとしても、こういった発言とバッシングはこれからも続く。

そこで二つ目の処方箋が有効になる。低予算、思考停止でお手軽かつルーティーン的に情報をSNSからピックアップし続けるマスメディアが、これをヤメることだ。SNSに書き込みをして炎上させている人間はネットユーザーの一部でしかない。しかも、概ねこういった書き込みを好んでするマイノリティの一群だ。だが、実際のネットユーザーの大多数はROM、つまりリード・オンリー・メンバー。この「物言わぬ大多数」と「書き込みを好んでするマイノリティ」を無造作にイコールで結んでしまってはいけないのだ。逆に言えば、マスメディアがネットの意見を取り上げる場合は、ネットのSNS等で騒がれているからということを理由にするのではなく、それが社会的利益があるのか、あるいは正鵠を射ているのかを吟味する必要がある。量ではなく質を基準にするべきなのだ。でも、これって実はジャーナリズムがやるべき「あたりまえのこと」なのだが、現状ではメディア関係者は仕事に忙殺されて吟味する能力を喪失している。つまり、ここまで何度も書いてきた「思考停止」の状態。マスメディア関係者の教育をもっと徹底すべきだろうし、一番簡単な処方箋だろう(もちろん「やろうと思えば」の話だが)。これができれば「ゲーム機バキッ」なんて茶番は、ネットで盛り上がっててもマスメディアはスルーするはずだ。そういったメディアリテラシーが必要。

そして三つ目はこういった一人歩きした情報をオーディエンスである一般の受け手がマトモに取り合わないことだろう。というか、そろそろ、こんなくだらない展開に飽きてもいい頃なんじゃないだろうか?われわれは。ネットネタの拡散パターン、もうレポーターが芸能人の自宅に行ってインターホン押すのと同じくらい、消費し尽くされたワンパターンだと思いますよ。

ちなみにもう一つ付け加えておかなければならないことがある。情報を発信する大元の側、つまり送り手=最初の発信源の側のメディアリテラシーも涵養することが、それだ。今回の場合なら、高嶋ちさ子がこれに該当する。高嶋は前述したようなインターネット=ソーシャルメディアの書き込みユーザーのバッシング的傾向を理解し、またメディアがこれを不用意にピックアップすることも踏まえながら自らツイートするのを心掛けること。高嶋はセレブ。庶民からすれば、そのステイタスは羨望の的だ。しかし、それは言い換えれば、いざとなったら徹底的に叩く対象でもある(そして、実際にそうなった)。
ところが高嶋はこれらのことを理解せず、ソーシャルメディアという公共空間に、私的な、そして揚げ足取りをされそうなネタをばらまいてしまった。高嶋は、自由度が高すぎて、現状のネット空間のこと、そしてメディアのメカニズムを理解していない。高嶋もまた、高嶋を叩くネットユーザーと同様、メディアリテラシー(この場合は公共性)に問題がある。このことを自覚すべきなのだ。

というわけで、みなさんそろそろ『ゲーム機バキッ教育』なんて、どーでもいいことにしませんか?ネタにするにも陳腐すぎますよ。