SMAP騒動に終始を打つべく急遽行われたSMAPの謝罪会見について、メディア報道とBLOGOS論壇?との間の見解の違いが興味深い。メディアはとにかく「よかった、よかった」、一方BLOGOS論壇の趨勢は「まったくもって、納得がいかない」と正反対。ちなみに後者の問いは、SMAPのメンバーが「何を誰に謝罪したのかわからない」といったメディア報道が伝えているSMAPメンバーの対応についての「納得がいかない」のではなく「なぜ、SMAPのメンバーが謝罪する必要があるのか」という、もっと根本的なものだ。
で、僕も概ねこの論壇の論調に同意したいと思う。明らかに、おかしい。そこで、この疑問がなぜ生じるのかについて今回の騒動をダイジェストでまとめるかたちで考えてみよう。
老害の構図
ジャニーズ事務所の勢力争いが生じた。マネージメントの勢力図はジャニー喜多川、藤島ジェリー景子、飯島三智。ただし、実質的なイニシアチブを握っているのはジャニー喜多川の姉であり、藤島ジェリーの母であるメリー喜多川。当然、飯島は外様。
ところが飯島は才能があった。なかなか売れないSMAPを、アイドルとしての芸風を様々な分野に拡大する(SMAPがSport Music Assemble People”、つまり多方面に展開するタレントという名称であることがこれを象徴している)。そして、SMAPはジャニーズ事務所の中でも飛び抜けた国民的アイドルとなり、マルチに芸を発揮するのがデフォルトとなったその後のアイドルのスタイルを作り上げ、ジャニーズを巨大な芸能プロダクションへと変身させた。当然、飯島とSMAPはジャニーズの大いなる貢献者である。
ところがメリー喜多川はこれが気に入らない。一族経営が基本?と考えるのか、このプロダクションは娘の藤島ジェリーがメインでなければと考える。そこで飯島を事務所から排斥しようと考えた。
しかしSMAPとしては自分たちを育ててくれた飯島には恩義がある。そんなお家騒動もどきのゴタゴタで恩人を裏切るわけにはいかない。そこで飯島に忠誠を尽くし、彼女についていこうと、木村拓哉を除く四人はジャニーズ事務所からの離脱を考えた。
これにメリー喜多川が激怒。芸能界での活動の圧力をかけようとした。それが解散報道として大々的に取り上げられることに。
ところがファン、いや国民からの反応は予想外に大きかった。いまやSMAPは「日本人の必需品」的存在であったことが、図らずもこの騒動から露呈したのだ。このことに気づいたメリー側が事態の収拾を目論見始めた。ただし、「お家継承」が安泰であるという条件づきで。その結果、行われたのがSMAPの緊急記者会見、つまり「公開処刑」だった。
ザッとこんなところになる。
SMAPの屈辱
この山本一郎による「公開処刑」という表現は秀逸だ。まあ「カノッサの屈辱」ならぬ「SMAPの屈辱」と言い換えてもよいかも知れない。ここでの処刑を命じたのは、もちろんメリー喜多川。処刑されるのはSMAPだ(いや、木村は処刑人を兼ねているのかもしれないが)。
では処刑=謝罪は誰に向かってなされたのか?表向きは国民に向かってである。つまり、「みなさんにご心配をおかけしました。ご迷惑をおかけしたのは私たちです。責任は全て僕たちにあります。申し訳ありませんでした。」
しかし、国民は誰もそんな謝罪を望んではいないし、そんなふうには思っていない。むしろこれを理不尽な「公開処刑」と受け止めた。なぜか?
いうまでもない。今回の騒動を引き起こしたのはメリー喜多川だからだ。だから謝罪するべきは会社の側であって、板挟みに遭ったSMAPが謝罪する必要など、どこにも無いのである。SMAPが謝罪をする理由はシンプルだ。そうしなければ、自分たちの存在が失われてしまうからだ。だから先ほどの謝罪内容を深層で言い換えれば、
「僕たちは謝罪しないとクビになります。芸能界から干されます。それでは困ります。愛してくださっているみなさんにも申し訳が立たない。だから僕たちが悪いと言うことにして事態を収拾します。ちなみに自分たちが悪いだなんて、本当は思っていません。」(中居正広の「腕白坊主が屈辱に耐えている」という風情が美しかった)。
これで、おそらく国民の必需品であるSMAPの商品価値は傷つけられただろう。しかし、メリー喜多川はそんなことお構いなし。自分という、そしてジャニーズ事務所という「世界で一つだけのアタシ」がいれば、それでいいのだ。国民やSMAPなど問題ではない、というわけだ。
そう、まとめてしまえば、これは老いた権力者が、その権力にすがるために、しばしば至ってしまう「老害」以外の何物でもないのである。その「屈辱シーン」を支持者の国民たちの前に晒したのが、この記者会見という公開処刑だったのだ。自らの商品を自らの欲望のために傷つけるという醜態。
メディアという、もう一人の老害に侵された
公開処刑人
しかし、である。こんな老いぼれた老害をまき散らす人間こそ駆逐されるべきなのではないか?SMAPは国民の必需品、われわれのものなのだから、われわれからすれば価値観の比重は当然SMAP>ジャニーズ事務所である。ならば、SMAPはさっさと事務所から離脱してしまえばよいのだけれど……。世論の支持からすれば、当然そうなるはずだ。だが、それを許さないもう一人の公開処刑人がいた。そう、それこそがメディアだったのだ。
今回のSMAP騒動の報道のされ方、明らかにおかしい、不自然だ。前述したように、今回の記者会見についてメディアは「解散に至らないでよかった」と声を揃えている。また「SMAPガンバレ」とわけのわからないエールを送っている。その一方でBLOGOS論壇が指摘するような「老害」を指摘する報道は一切ない。つまり、どのメディアもジャニーズ事務所側を批判しないのだ。
その理由は、言うまでもないだろう。メディアとて事務所側に楯突いたら痛い目に合うことをよく知っているからだ。仮に一つのTV局が事務所批判をやったとしたら、その瞬間、こちらにも老害が波及することになる。つまり、ジャニーズタレント全ての出演や取材をボイコットされる。嵐、TOKIO、V6、Kink Kidsなどなど錚々たるメンバーが使えなくなるのだ。これは、いまやジャニーズ頼りのテレビや雑誌にとっては死活問題。だったら黙っておいた方が身のため。むしろ、この際だから言われた通りにしておけば、こちらの利益にすらなるとまで考える(フジテレビが緊急記者会見を開いたのは「なにをか言わんや」なのかもしれない。紅白のトリがジャニーズの長男マッチだったことも同様だ)。メディアもジャニーズ側と同じ価値観、SMAP<ジャニーズ事務所。言い換えれば、メディアもまた保身に身を固めた老害体質を抱えているのだ。こうやって二人の年老いた処刑人によって「SMAPの公開処刑」、あるいはカノッサならぬ「SMAPの屈辱」は執行された。
老兵は消え去るのみ?
しかし、メディアはよく考えるべきだろう。こういった公開処刑の執行は、もはや民意とは全く逆のところにあることを。BLOGOS論壇も示すように「われわれは何が悪いのか、誰が悪いのかを
知っている」。だから、メディアが保身に身を固めた「奥歯に物が挟まるような言い方」を続ける限り、メディアの衰退は避けられないということを。
「公開処刑」、近年におけるメディアの没主体性と迷走を象徴的に示す事態でもあったと言っても過言ではないのではないだろうか?客を見ていないから、衰退するのだ!(そして、その衰退する組織の中で癌のように実利をむさぼっているのがジャニーズ事務所なのだ)。
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