4月28日、オリエンタルランドが今後十年にわたる東京ディズニーリゾートのリニューアル案を提示してからと言うもの、その方向性についての議論がかまびすしい。

ストームライダークローズに見るポートディスカバリーの混乱

ディズニーランドのマニアックなファンについては、二つの傾向がある。
一つは「ディズニー情報消費享受者」。ディズニー側の新しい情報に徹底的にアクセスし続け、それを消費する。とにかくガンガン購入し、二つのパークを頻繁に訪れてくれる。こんな連中ばっかりだったら、ディズニー側も、そりゃラクだろう。

ところが、もう一つ辛口のマニアがいる。それはディズニー、いや厳密に言えばウォルト・ディズニーの思想(テーマパークとファミリーエンターテイメントという考え方)に心酔し、これに忠実な「ディズニー原理主義者」たちだ(これは、パークオープン時からディズニー世界に親しんできた、そこそこ年配(三十代から上)の人間が多いのではと、僕は踏んでいる)。

今回、OLCの方針に「ちょっと待った!」をかけているのが後者の原理主義者たちだ。
彼らがやり玉に挙げたのが東京ディズニーシー(TDS)のテーマポート、ポートディズカバリーにあるアトラクション「ストームライダー」のクローズだ。このアトラクション。2016年にリニューアルされることが発表された。ストームライダーは気象観測施設「気象コントロールセンター」から飛行型気象観測ラボ「ストームライダー」に搭乗するという想定だが、これが映画『ファインディング・ニモ』とその後編にあたり16年公開予定『ファインディング・ドリー(原題)』の世界を再現したアトラクションに置き換わる。だが、この変更が彼らには問題なのだ。

ストームライダーがあるテーマポート、ポートディスカバリーの物語=バックグラウンドストーリーは「ストームライダー計画の研究成果を発表するために、お祝いをしている」というもの。それゆえ、ストームライダーの存在はポートディスカバリーの根幹をなしている。だから、ファインディング・ニモへの変更はテーマポートの存在それ自体の否定になってしまうのだ。そこで、テーマ性を重視するファンからは反対の声が上がっている。Twitter上では「#ストームライダークローズ反対」のハッシュタグが登場。クローズ中止を求める署名ページも立ち上がった。彼らの反対の趣旨は「エリアの世界観が崩壊する」のいうものだった(ただし、オリエンタルランド側としては、このテーマポートには「自然と科学の調和」という世界観があり、それについて変更はないとコメントしている)。


世界観の崩壊とジャパンオリジナル化

原理主義者たちが眉をひそめる要因、つまり東京ディズニーリゾートのリニューアルによる世界観の崩壊はこれだけではない。

TDSに新たに加わることになったテーマポートは『アナと雪の女王』が舞台になった北欧をテーマとしたもの。これが、前述のポートディスカバリーとロストリバーデルタの間に建設される。前者は「20世紀初頭の人々が描いた架空の未来」、いわゆる「レトロフューチャー」、後者は「1930年代の古代文明の遺跡の発掘現場をモチーフにした、中央アメリカ熱帯雨林地域。レトロフューチャーと北欧の間には運河?が流れており、これがテーマを隔てているからまだよいが、密林の隣に北欧というは、かなり支離滅裂。熱帯が突然、寒くなってしまうわけで。

こういったテーマ性の崩壊。実は、今回の件に始まったことではない。パーク内は当初のディズニーランド的なもの、いいかえればウォルト・ディズニーが構想したものからはどんどんかけ離れていく傾向がある。パーク内にラーメン屋やドリンクの自販機が置かれるようになったのはその典型だ。また、最近はキャラクター重視の傾向が強く、ストーリーや設定がおろそかにされがちなのも事実だ。

しかし、これがジャパン・オリジナルとしてのTDR(東京ディズニーリゾート)の変化のあり方なんだろう。リピーターたちのニーズに応じることをモットーとし、そして膨大な数のファンの多様なニーズに応えた結果、TDRはテーマパークとしての体裁、つまり世界観を崩壊させ、どんどんと変わっていった(それが、たとえばキャラクター重視という方向に向かった)。それは現在もさらに進行している。おそらく、気がつけば、本家本元(アナハイムのディズニーランド・パーク)とは全く異なったパークが出来上がっている……そんなところではないのだろうか。そして後続世代のリピーターの多くが非原理主義者となり、これを楽しむ。

でも、このゴチャゴチャの世界、とっても日本のサブカル的な世界に近いという感じもする。AKB48、ジャニーズ、宝塚、アキバ、ドンキホーテにも共通するところがある。かつて香港にあった九龍城のように、どんどんと新しい要素が脈絡なく加えられ、原形を留めなくなっていくという傾向だ。

そして、このゴチャゴチャ感、きわめて日本的、そしてアジア的とも言える。日本人は日本人としてローカライズされたディズニー世界を楽しむ。そして、それが日本発信の「ディズニー文化」ということになる。そんなふうになるのではないかと僕は予想している。