「遂にこの日が来た!」

6月9日早朝に開幕したAppleのWWDC2015で、6月30日からAppleが新たな音楽ストリーミングサービスを開始することが発表された。ストリーミングサービスとは動画や音楽の配信サービスを意味するのだけれど、ここで発表されたのは、さしあたり音楽に関するもの(一部動画も含まれる)。サービスのポイントだけを一言で言ってしまえば、そのうちのサブスクリプション・サービスの部分、つまり「音楽の定額聴き放題」ということになる。月額9ドル99セントでサービス側が提供する楽曲をいくらでも利用可能。Appleは2009年にストリーミング=サブスクリプションサービスを展開するLalaを、そして昨年はヘッドフォンメーカーとして大人気のBeats Electronicsを買収しており(AppleのBeats買収のねらいは、Beatsが所有するサブスクリプションサービス”Beats Musicにあったと言われている。当然、これらがApple Musicのベースになっていると考えられる)、サービス開始は時間の問題と言われていた(ちなみにサブスクリプションについての僕の論考についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65404213.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65045539.html、およびhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61609826.html、を参照されたい)。

こういったサービスは日本ではNapster、Sony Music Unlimitedなどでかつて利用可能だったし、日本以外なら6000万人のユーザーを抱えるSpotifyもすでにある。だから「何を今更、Appleが」の感がないでもないが……。いや、そんなことは全くない。これはミュージックライフの革命と言った方が早い。と言うのも、既存のサービスとはいくつかの点でまったく異なっているからだ。

WWCDのキーノートでは三つの点が強調された。「革命的な音楽サービス」「24時間3カ所からのラジオ」、そして「ミュージシャンとファンの交流」がそれ(今回、ラジオの論考は省略しました)。

「革命的な音楽サービス」と?

先ず「革命的な音楽サービス」について(ちなみに、このコピーは”Revolutionary music service”だが、これは2007年にS.ジョブズがiPhoneのキーノート・スピーチでiPhoneを紹介する際のコピーの一つ「革命的な携帯電話」=”Revolutionary mobile phone”になぞらえているのだろう)。

このサービスは、先ず既存のサービスと同様、クラウド上にある数千万曲に定額で自由にアクセスできること。ストリーミングはもちろん、ダウンロードしてオフラインで聴くことももちろん可能だ。また自分のコレクションを作成できるが、このコレクションは楽曲のデータのみがダウンロードされるだけで曲自体はクラウド=iCloud上にある。だから、パソコンやスマホ、タブレットのメモリーを食わない。ただし、これだけだと、これまでのサービスと代わるところはない。問題はここから。

My Music:お気に入りのコレクションを自分の所有する全てのディバイスで

その1:すでにサービスが開始されているiTunes Matchと同じ機能を備える(AppleではApple MusicとiTunes Matchは独立した機能と公式ページで説明しているが、説明を読む限りではまったく同じ。どうなるんだろう?)。あなたの音楽コレクションがAppleMusicによってデータを読み取られ、Appleミュージックのライブラリーと照合が図られる。しかも、このデータはiCloudと呼ばれるクラウドサーバー上にアップされているので、共有するディバイス全てにライブラリーが反映される。あなたがiPhoneで新しい曲を登録する。そして家に帰ってパソコンのiTunes(あるいはApple Musicというアプリに置き換わっているかもしれない。後述)を開くと、すでにそこには新しい曲がリストとしてリストアップされているというわけだ(iTunes Matchの場合、ユーザーのコレクションの音質が悪かったりした場合には、iTunes上のデータと置き換えてくれるというサービスもあるが、これがこちらに反映されるかどうかは不明)。この機能は”My Music”という名前が付けられている。

For You:あなたのお気に入りの世界を広げてくれる

その2:その1で見たクラウド上へのユーザーデータの収集は、必然的にユーザーの膨大なデータをiCloud上に集積することになる。しかもAppleMusicを利用すればするほどそのデータはいっそう膨大になっていく。そう、ここに世界中の人々の音楽の嗜好に対するビッグデータが誕生するのだ。

そして、このデータは当然グーグルやAmazonと同じやり方でマーケティング、あるいはセールスとして活用される。ユーザーサイドで考えられるのは、当然ながらAmazonのような「リコメンド・サービス」だ。Apple Musicは膨大なデータをアルゴリズムに基づいて、あなたのオススメの曲を紹介してくるのだ。しかも、ここからがAppleらしいところで、単に統計的な処理に基づいてデータを返してくるのではなく(グーグルやAmazonはこれ)、データをAppleのスタッフたちが検討して提案するのである(かつての「ロボ検」に対する「人検」をイメージしていただくとわかりやすいかも)。iTunesにはGeniusという機能があり、これを利用すると、お気に入りのジャンルの曲(スムースジャズ、ラテン、ロック、ポップなど)を集めて勝手に再生してくれるのだけれど、これはあくまで自分のコレクションの整理。ところがApple Musicでは数千万曲の中からあなたの気に入ると思われる楽曲をチョイスして再生してくれる。しかも、これはもちろんタダ。つまり、Amazonがリコメンドサービスのあとに購入を誘ってくるのとは違う。このオススメをダウンロードしても定額料金が変わることはない。当然、自分が好きな音楽についての世界が広がっていくことになる。この機能には”For You”という名前が付けられている。

New:あなたの気に入っているミュージシャンや関連筋の新譜を紹介

その3:データは強力なマーケティングの武器としても用いられる。インターネット上には膨大なデータが存在するが、ものすごくトリビアなものになると、さすがにデータを探し出すことは難しい(学術的な資料などがその典型。まあOPACみたいなものもあるけれど)。音楽も同様だ。ビートルズみたいなメチャクチャポップなものならAppleも簡単にライブラリーに並べることは可能だけれど(著作権をクリアしていればという留保は付く)、インディーズのごく一部のファンしか抱えていないようなどマイナーなミュージシャンを効率よくライブラリー化することは現状ではちょっと無理。ところが、Apple Musicはこれを可能にする。サービスを受けているユーザーがそのトリビアなインディーズミュージシャンの曲をコレクション化すると、これが自動的にiCloud上に反映される。Apple Musicとしては、その内、ユーザーのコレクション数が増えてきているような楽曲で、なおかつAppleのスタッフが「これはいい!」と思った場合、今度は同じような音楽を嗜好するユーザーたちにオススメとして提供する。この機能には”New”という名前が付けられている。これって、まあ、ヘタすると市場操作になるんだけど……。

Connect:ミュージシャンにも取り分が

そして、このサービスはミュージシャンとリスナーの関係も取り持つ機能を備えている。これまでのサブスクリプションサービスはミュージシャンたちには評判がよいとは必ずしも言えなかった。「膨大な数の楽曲を一挙ひとまとめにして聞き放題で○○円」ってなのがこのサービスなので、自分の取り分が減ってしまうと考えられたからだ。S.ジョブズはiTunes Storeを開始する際、ダウンロード販売をミュージシャンの取り分を考えていた。インターネットの普及によって違法ダウンロード、そしてナップスターのようなピア・ツー・ピアのシステムによって音楽の著作権に関する無法地帯状態が出現していることに対して、廉価のダウンロード販売(一曲¢99)という形でそれを保証したのだ。そしてiTunes Storeは世界最大の、いわば「レコード・CD販売店」となった。ただし既存の小売店を破壊していったのだけれど 。

しかし、このシステムを破壊するものがサブスクリプション・サービスだった。現状のCDなどのハードメディアやダウンロード販売にサブスクリプション・サービスが加わると、正直、前者二つは食われるだけになる。そして、ミュージシャンの利益はどんどん下がっていく。またダウンロード販売で稼いでいたAppleもここ数年は販売が頭打ち、さらには減少傾向となってもいた。

Apple Musicはかつてジョブズがやったように、再びミュージシャンの利益を保証するようなシステムを考えた。それがこの”Connect”だ。ミュージシャンたちは自分専用のプロフィールページを持ち、そこから自由に情報発信を行うことが出来る。たとえば、アップルのサイトにも記されているように、書きかけの歌詞、バックステージで撮ったスナップ、新しいビデオのラフカットなどをアップできる。これは、いわば「ミュージシャン自らが手がける濃密なライナーノーツ、ジャケット、ミュージッククリップ」と表現できる。しかもミュージシャンはこの機能を利用してファンからのフィードバックを得ることも可能。つまり、ここはミュージシャンにとってもマーケティングの空間となるのだ。そして、この編集権は、すべてミュージシャンの側にある。AppleMusicは透明な存在だ。

Appleだけが、可能なサブスクリプション・サービス

いかにもAppleらしい革新的な音楽配信サービス。「まあ、よく考えてあるわ」と脱帽せざるを得ない。ここで展開されているのは単なる「音楽聴き放題」ではなくて、「音楽聴き放題をメディアとしたわれわれの音楽聴衆スタイルの根本的な変更」だからだ。そして、これは「ガリバーであるAppleだからこそ可能な戦略」と言える。

こういったサブスクリプションサービス。わからない人には取っつきにくいものでもある。「音楽は購入し、そして聴くもの」という固定観念をなかなか外しづらいからだ。だから、これまで日本でも前述したようないくつかのサブスクリプションサービスがあったけれど、さほど普及することはなかった。「一部の音楽大好き人間だけが知っているサービス」みたいなものだったのだ。これを聴くためにはそのサイトにして登録する、専用アプリをダウンロードするという手続きもあり、これがちょっとメンドクサイ。「毎月カネを取られるのもちょっと」と感じる者も多い。つまりこういったサービスは、あくまでプルメディア、つまり消費者が任意に入り込むものだった(音楽大好きな僕のところの学生たちであってもサブスクリプション・サービスを利用する者はごく僅か。ある日、僕が件の学生にSony Music Unlimitedを紹介すると、驚いたように即座にメンバー登録したなんてこともあった)

ところがApple Musicの場合はそうはならない。こいつはプッシュメディア、つまりAppleが働きかけて、こちらが知らないうちに利用するようになってしまうメディアだ。
現在iPhoneを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?iTunesを利用しているユーザーがどれだけいるのだろう?そりゃ、膨大な数だろう。ウチの学生を例に取れば、もうほとんどがこれだ。これがiOS(そしてMacOS、AppleWatchOS)がアップデートされた時(100カ国で6月30日がその日にあたる。間違いなく日本もその一つに入っているはずだ)、そこにApple Musicの紹介が登場し、ポチっとやるだけでこのサービスに加入することになる。これまでのiTunesの上にこれが自動的に乗っかる形だろう(ひょっとしてiTunesは消えてしまい、前述したようにこれがApple Musicという名前に変更されているかもしれない。MacOSの写真編集アプリが”iPhoto”から”写真”へと変更された時のように)。しかも3ヶ月間無料という「トロイの木馬」も付いている。そう、実にスムースにこのサービスに移行してしまうのだ。しかも月額9.99ドル。まあ日本だと1300円くらいだろうけれど、これくらいだったらウチの貧乏学生も喜んで加入してしまうのではなかろうか。こんなことを始めるiPhoneユーザー(アンドロイド版もリリースされる)が一挙に出現するのだ。

ミュージックライフを変更する

そうなると、われわれを音楽聴取スタイルは根本的に変更されてしまうだろう。先ず、考えられるのは「音楽を所有する」という概念の崩壊だ。聴きたい時に聴きたい曲を聴く。そして好みに応じてコレクションする。しかし、コレクションした者は物理的媒体ではないので、本みたいにずらっと並べて楽しむ、つまり「知識をカネをかけて所有する」という感覚が消滅する。音楽は純粋な消費物へと転じるのだ。

また「聴きたい曲」というのは、いわば自分にとって快適なものだから、「快適なものであればジャンルは問わない」ということになる。ということは、ジャンルは目安にしかならない。「私はロックばっかり」ってなことには必ずしもならなくなるのではないか。ただし、その反面、ものすごくトリビアになっていくことも確かだろうけれど。

おそらくほとんどのレコード/CD店は潰れてしまうだろう。また、既存のサブスクリプションサービスも、恐らくApple Musicに回収されてしまうだろう(つまり、消えてなくなる)。そして、前述したようにミュージシャンの活動スタイル、とりわけビジネス・スタイルのそれも根本的に変更されるだろう。言い換えれば、音楽というメディアにおけるパラダイムシフトが、これから数年のうちに発生するのだ。

ただし、これだけは言えることがある。それは、

「われわれは、ますます音楽を聴くようになる」

ということ。しかも、大量のリスナーが加入すれば、むしろ音楽市場規模は拡大する(毎月定額を払ってくれるユーザーが大量に存在すれば、時々CDやダウンロード販売を利用してくれるユーザーよりも売上は増大する。しかも収入も安定する)。

そして、

「Appleはますますガリバー化する」

ということ。(たぶん、そのうち動画でも同じことを始めるだろう。これはAppleTVとのセットになるんだろうけれど)

これは楽しみでもあるし、「怖いもの見たさ」でもある。


Appleは、とうとうパンドラの箱を開けてしまったのだ。