籾井会長の横暴

NHK籾井勝人会長の暴言が物議を醸している。特定秘密保護法、竹島・尖閣諸島問題、慰安婦問題などについて公人としての発言を求められる場で私的な立場からコメントし、あまりの傍若無人ぶりに記者がツッコミを入れても謝罪することもなく傲慢な態度をひたすらやり続ける。「なんでこんな人間がNHKの会長なんかやっているんだ?」といったイメージをお持ちの方も多いだろう。ちなみに同様に傍若無人ぶりを発揮する人間には鳩山由紀夫元総理や文人の曾野綾子がいる

今回は、籾井会長(あるいはそれに類する有名人)がなぜ暴言を吐くのか、その構造について考えてみたい。ただし、ここでは籾井氏個人の資質については言及しない。もちろん、籾井氏と同じような立場にある人間の多くは、こういった傍若無人ぶりを発揮するわけではないので、暴言が物議を醸すのは籾井氏の資質に寄るところが大きい。ただし、これは十分条件。必要条件がなければ、こういったキャラクターが表沙汰になることは先ずない(おそらく、籾井氏と同じような傍若無人ぶりを発揮していた人間は過去にも多く存在するだろう。だが必要条件が整っていなかったので認知されることはなかった)。言い換えれば、ここで考察したいのは籾井氏というエキセントリックな人間が物議ネタになる必要条件=インフラについてということになる。

病名診断的に籾井氏の暴言が出現する原因を述べれば、これは「合併症」だ。いや、合併症は病気が他の病気を併発するのでちょっと意味が違う。正確には「逆合併症」というのがふさわしい。つまり様々な病巣が合併して「暴言」という病気が発生するのだ。

病巣は三つある。

価値観がバラバラになると、他人の価値観は受け入れがたい奇異なものに見える

一つは、価値観の多様化に伴う認識の島宇宙化、フィルターバブル的心性の一般化だ。ちなみに、これは籾井氏というよりも現代人全般に共通する心性といった方が当を得ている。

情報の氾濫、情報アクセスの易化は翻って価値観の相対化といった事態をわれわれの認識方法に植え付けた。ある価値観を信じようにも、すぐさまそれを否定する価値観が生まれ、さらにそれを否定する価値観が生まれるといった具合に、ウロボロス的に価値観が否定され続ける。翻って、それは一般に共通して認識される価値観の希薄化をもたらし、その一方で個人があまたある価値観、情報の中から任意に選択した価値観にタコツボ的に頭を突っ込むという行動・認識パターンを生むことになった。つまり、みんなバラバラになったのだ。

これをわかりやすいエピソードで示してみよう。

ある日の首都圏の郊外での駅でのこと。一人の老人がプラットホームに向かおうと階段を上がっていた。高齢でなおかつ脚が悪いらしく、階段を上るのはなかなか容易ではないようだ。そこに髪の毛を金色に染め、あちこちにピアスをし、バッチリ顔を塗りたくったハイティーンの女子がやってきた。いかにもヤンキー風の女子。ところが、この老人に気がつき、見かねて老人のところへ近寄り、介助を申し出たのだ。容貌からは想像がつかない意外な行動に周囲はビックリ。ところがもっとビックリしたことがあった。言葉をかけられた瞬間、老人はブチ切れ、ヤンキー風の女子を怒鳴りつけたのだ。もちろん女子は唖然としてその場に立ちすくむしかなかった。
ここで興味深いのはヤンキー風=性格悪くて野蛮、老人=おとなしい、介助をありがたく受け入れるという図式、いいかえれば「世間」が完全に崩壊している点だ。なぜそうなったのか?老人であれ、ヤンキー風女子であれ、自ら任意の情報選択によって価値観を構築し、それに基づいて行動したからだ。

さて、かつての「世間」という言葉で表現されるような一元的な価値観を備えている人間がこの風景を見たらどう思うか?もちろん老人のその罵声は「暴言」ということになる。しかし、これは老人の価値観からしたら常識なのである。籾井氏の発言は、こういった価値観の相対化が作り上げる世界観の個別化の結果と考えられる。

セレブが辿る社会性の退行化

二つ目は、これは必ずしも現代に特有のものというわけではないが、組織の長となって全体の指揮を執り、その結果、周りが口を挟むことが躊躇されるような状況におかれた人間が、次第に自己中心的に振るまい、周囲の反応がわからなくなってしまう場合だ。いいかえればエラくなりすぎて空気を読む気が無意識のうちになくなってしまい、非常識な行動をとるようになるパターンである。NHK会長なら籾井氏の以前にも島ゲジと呼ばれた島桂次はきわめて横暴な行動をとっていたし、ナベツネと呼ばれる読売のドン・渡辺恒雄はいまだに傍若無人な振る舞いを繰り返している。

こういった「セレブの横暴」という病巣を籾井氏は抱えている。ちなみに、このパターン。最悪の場合は、何らかのかたちで失脚するという末路を迎える。かつて三越の社長・岡田茂やルーマニア政権で長きにわたって大統領を務めたチャウセスクなどはその典型で、前者は重役会議で突然更迭され、後者は逮捕されるいなや処刑された。ただし、たとえこういった横暴な独裁者であったとしても、その自己中によって周囲が恩恵を受けている場合には、この横暴は肯定的に迎え入れられる。W.ディズニーやS.ジョブズを思い浮かべればこれは簡単だ。

つまり、籾井氏本人の心性に宿ったのが、この二つ、症状はその逆合併症であると判断出来るのだ。

マスコミが籾井氏をタレント化する

ただし、逆合併症はもうひとつある。それは籾井氏を取り囲む必要条件、マス・メディアの不調というインフラだ。ご存知のようにテレビも新聞も雑誌も業績は慢性的に漸減傾向にある。そこで藁をもすがる思いで、受け手=消費者の関心を煽ろうとする。その際、都合のよいのがスキャンダリズムだ。スキャンダリズムの基本はセンセーショナルであること、そして一般人ではなくセレブ、あるいは権威的立場にある人間の不祥事への批判であることにある。これは、かつてのまっとうなジャーナリズムであれば、正義を正すみたいな感じの論調になるのだけれど、残念ながら現在はそうはなっていない。とにかく関心を惹起するならなんでもいいわけで、そうするとエキセントリックな行動をしてくれるセレブが大いにネタとしては助かるのだ。だから鳩山由紀夫は「宇宙人」として位置づけられ、その宇宙人ぶりを逐一報道することが商売の糧となる。そして、これに最も該当する人物の一人としてカウントされているのが籾井氏なのだ。なんといっても放送界のトップNHKの会長。しかも受信料を取っているゆえ、公的な機能を果たさなければならないとされる放送界の権威。それがあやしい発言をすれば、ネタとしてこれほどおいしいものはない。この瞬間、籾井氏は「暴言キャラクター」としてキャラ立ちしてしまうのだ。よくよく考えてみれば、かつてこういった立場におかれた人間は、たとえ暴言を吐いたとしても、それが世間一般に知れ渡ることはあまりなかった。事の本質からは完全に外れているし、またネタとして使うには、あまりにお下品だったからだ。

ところが現在では格好のネタである。ただし、ここで面白いのは籾井氏の発言について糾弾したり、徹底批判したりすることをメディアは必ずしもやっていないところだ。その理由は二つ。一つは、今やマスメディアは「強きを助け、弱気をくじく」タケちゃんマン(古い)状態だからだ。とにかく、一番重要なのは自らの側の利益。だったら、批判して糾弾して地位から引きずり下ろしてもあまりおいしくはない。それではその瞬間で、このネタが終わってしまう。そしてこの籾井というキャラクターも使い回しが出来なくなるからだ(ふなっしーみたいには使えない)。そんなもったいないことは出来ない。だから、ちょこっと批判したようなフリをするだけで、籾井氏の発言をずっと追い続ける。それが籾井氏を「暴言キャラ」として成立させ続けることになるのだ。

復習しよう。籾井氏が「暴言」を繰り返すという現象は1.価値観が多様化し世界観が個別化したので相互の価値観が了解不能になって、相手の発言が奇異に聞こえる、2.権力を獲得して批判がされにくくなった人間における社会性の退行現象、3.ジリ貧のマスメディアがスキャンダリズムのネタとして継続的に当該人物を利用したい、という三つの要因の逆合併症によって成立している。

籾井報道をみんなで無視しよう

こうやって考えてみると、要するに「籾井氏の暴言」はメディア的に構築されたもの、メディア論的な用語を用いて説明すれば「メディア・イベント」ということになる。つまり、事件があったからメディアが取り上げたのではなく、メディアが取り上げたから事件になった(で、よく考えてみれば事件ですらない)。

籾井氏自身、まあ迷惑な人、こんな上司やボスがいたらちょっとたまったもんじゃないと誰もが思うだろう。しかし前述したように、こんな輩は以前から存在していた。ところが、僕らが籾井氏に不快を感じるのは、ようするにメディアによって「不快な人物を不快に思わせる」といった作為が行われ、これに乗せられているからだなのだ。

で、僕はマス・メディアにちょっとツッコミを入れたい。あのね、ちょっとこれベタ過ぎませんか?古すぎませんか?もし、今どき、「歩道にバナナが落ちていて、歩いていた登場人物がこれに滑って転んだ」なんてアニメを作ったらどうなりますか?「そういうのは、もういいよ!五十年以上も前に作られたギャグなんだから」と飽きられるのがオチだ(ひょっとして、あまりにベタ過ぎるゆえに、逆にウケるかも知れないけれど(笑))。メディアが今、籾井氏にやっているのは、こういった何の想像力も無いようなアタマの悪いクリーシェ=図式の使い回しにしか僕には思えない。しかし、質の悪いことに、形式上は「権威に対抗している」といったジャーナリズムの体裁を採っている。だからひょっとしてマスメディアの当事者は、これが恥ずかしい、ダサいことだとは思っていないんじゃないんだろうか。

そんなことよりも、むしろ籾井氏のアホな発言などいちいち取り上げないで、むしろもっと構造的な側面、NHK、そして籾井氏が抱えている公人としての問題点をぐっさりとえぐり取るようなアプローチこそマスメディアはとるべきなのだ。とはいっても、これって「この人、暴言やってま~す」って報道より、はるかに頭と労力が必要なんだけど。