大韓航空機の趙顕娥(チョヒョナ)副社長が引き起こした、通称「ナッツリターン」問題が無駄にかまびすしい。ご存知のように大韓航空機がニューヨークを離陸しようとした際、乗り合わせた副社長がファーストクラスでのナッツのサービス方法を巡って激怒し、飛行機を引き返させて責任者を下ろした事件だ。これ自体は要するに「航空法に抵触する」という点が問題なわけなんだけど……でも、なんでこんなに騒ぎてるんだろう?もちろん、マズいことをやっているという点について否定する気はない。だが、この程度の事件でちょっと大騒ぎし過ぎではないだろうか。実際、事件はあちこちに飛び火し、大韓航空を傘下に置く韓進グループ会長・趙亮鎬(チョヤンホ)が娘の育て方が間違っていた(趙副社長は社長の実娘)と謝罪記者会見をやったり、この件を巡って大韓航空の常務に証拠隠滅容疑があるとして取り調べに入ったり、役員の多くを出国禁止にしたり。

客室乗務員がナッツを袋から開けなかっただけで、ちょっとこれ、騒ぎすぎなんじゃないか?

なので、今回はナッツリターン事件の「騒ぎすぎ」の構造について考えてみたい。ただし、これはあっちこっちから状況証拠を集めてきて「一つの見方」として提示するに過ぎないこと、その見方の立ち位置が「日本の文化のそれ」とは異なることを前提にしている。いいかえれば、他の状況証拠を集めれば、これと全く反対の結論も出せることをお断りしておきたい。で、今回は韓国文化にネガティブな立ち位置で展開することにする(もちろん、立ち位置を変えればポジティブにやることも可能)。状況証拠として次の6つをあげておく。1.韓国社会が一部の財閥によって支配されていること、2.超学歴社会であること.、3.大韓航空が先進国の航空会社にしてはやたらと飛行機事故が多いこと(世界第六位)、4.世間的なバッシングが多いこと、5.自殺率が世界でトップレベル(2位、1位は北朝鮮)であること、6.インターネットが最も普及していること。で、これらが絡むとナッツリターンは大事件になっていく……。

一族経営と超学歴社会が生む社会の構造化

先ず、大韓航空サイドの話から入ってみよう。この事件で気になったこと、それは副社長(もはや前なので以下「前副社長」)が、なぜこんなにゴーマンかますことができるのか、ということだ。まあ、それは一企業の首脳部ゆえ、やれないこともないが、度を過ぎている。この原因として考えられるのが1の財閥による支配だ。世界で活躍する韓国大企業の多くが一族経営と言ってもよいほど、一部の人間によって支配されている。趙顕娥前副社長にしても韓進グループ会長の娘。つまり能力のあるなしにかかわらず副社長になり、そしていずれは社長の椅子に座ることが約束されている状態。で、完全に上層階層の人間として育てられてきたので、上から目線しか出来ない。それが結果としてナッツリターン的な行為を平気でやってしまうことになる。そして、これに2の超学歴社会が絡む。韓国で一流企業入社するための必須条件は前述の名門一族がらみだけではない。あたりまえだが、これだとあまりに人数が少なすぎる。そこでSamsung、HYUNDAI、大韓航空などの一流企業に入り込む可能性が庶民にも残されている。それが学歴によるスクリーニングだ。早い話がソウル大学か延世大学あたりに入学することが、これら企業への登竜門となっている。いいかえれば受験戦争に敗北した者には、もはや一流企業への道は開かれていない(これは日本の学歴社会の比ではない)。こうなると一族がタカビーになるのみならず、当然、これらに入社した庶民もまたタカビーということになる。だが、それが結果として3の大韓航空が問題を起こす温床となっている可能性がある。つまり、これら既得権を獲得した人間が保身に回ることで組織が構造化、官僚化し、フレキシビリティを失っているので合理化が進まない。それが結果として事故を多発させる?

到達可能性という幻想が巻き起こす嫉妬

次に、このほとんど~でもいいタカビーな副社長のナッツリターン事件について、なんでこんなに大騒ぎするのかについて考えてみる。これは副社長に対するバッシングの原因についての考察だ。
1.財閥支配、2.超学歴社会という構造は、韓国国内には必然的にこの二つの条件をクリアしていない大多数が存在することを意味する。2は唯一の階層打破のブレークスルーだが、限りなく狭き門でもあり、現実的には「階層」ならぬ「階級」社会が成立していると言ってもよい。ただし、あくまでも階層社会であることはタテマエ、だから可能性としてはここに入れるという希望を持たせることは出来る。しかし実質的には不可能。こういった「到達する可能性があるのに、とどかない」という場合には、当然ながら心理学で言うところの認知的不協和とか合理化といった行動を人々は採ることになる。つまり「あのブドウはすっぱい」。とれるはずの物が取れない。でもその状況を容認することは出来ない。だったらこの認知のゆがみを正す方法は一つ。取れないものを誹謗中傷し、否定すればよいのだ。これは一般的には嫉妬というかたちで現れる。(ちなみに絶対的に到達不可能な場合には、こういった希望=欲望が出現することはない。クラスで成績の良いやつがまたイイ成績をとっても気になることはないが、普段は自分と同じくらいの並の成績しかとらない仲間が良い点を取ると気持ちが落ち着かなくなるという嫉妬の現象は、ようするにこの「到達可能性の有無」の違いで生じる。前者は不可能、後者は可能。だから嫉妬が起こる)。

「すっぱいブドウ」と認定された趙顕娥前副社長

趙顕娥前副社長は格好の「すっぱいブドウ」とされた。

韓国は、ただでさえ4.世間のしがらみやバッシングの多い国だ。それが結果として5.自殺率の高さにあらわれている。たとえば、最近ではこの二つ(4+5)の合併症的な事件がセウォル号事件で発生した。この事件では修学旅行で乗船していた高校生(壇園高校)の犠牲者が多数出たが、その中で救助された引率の教頭がいた。この教員が生き残ったことに激しいバッシングが起こり、それを苦にして当該教員が自殺してしまったのだ(ただし韓国マスメディアはこの教員の自殺を美談として展開するというマッチポンプ的な報道を展開していた)。で、こういった世間のしがらみは関係性が合理化させるはずの6.インターネットの普及によってむしろ拍車がかかる。SNSなどでこの教員はバッシングされまくっていたらしいのだ。ちなみに、ここでは詳細な説明を避けるが、ネット(とりわけSNS)は人々の嫉妬にこれまで以上の拍車を駆ける機能を有している。本来なら顔が見渡せる範囲でのみ起こる瞬間的な集団の感情爆発である群集行動が、ネットを介することでお互いの顔が見えなくても一気に起こってしまうのだ(いうまでもなく炎上や荒しといった集団的なフレイーミング現象がそれ。ただし一方的、つまりバッシングされる側が固定されているのだけれど)。

大韓航空副社長という、本来なら決して批判できない対象が、ゴーマンかましてナッツリターンという些細な(殺人事件等に比べればの話だが)を犯したとき、韓国大衆はこの事件に首っ引きになった。嫉妬をかき立てる対象が典型的な階層トップの人間であり、しかも悪役を見事に演じてくれたのだ。この合併症で前副社長は到達可能な人間へと引きずり下ろされた。そして、今こそ恨みを晴らすべき時とばかり、韓国大衆のルサンチマンが爆発する。で、これを大々的にメディアが援護射撃する(というか、むしろ構造は逆でメディアが取り上げ、大衆のルサンチマンが援護射撃するというメディアイベント状態になっている)。

そこからスペクタクルが展開され、検察による前副社長の取り調べにあたっては、ものすごい数の報道陣が駆けつけた。そして趙顕娥前副社長は謝罪すると同時に全ての職から退いた。これに煽られて司法もさらに前副社長の過去を暴き始める……。バッシングは六つの要素が重なり合ってスパイラル的に拡大していくのだ。

ちなみに、韓国は歴代の大統領が悲惨な末路を迎えることで有名だ。その多くが逮捕され、中には死刑判決を受けた者(全斗煥。その後恩赦)も。それ以外でも亡命(李承晩)、暗殺(朴正煕)、クーデターで辞任(崔圭夏)、自殺(盧武鉉)など。これらから逃れているのは金泳三、金大中、そして李明博だが、前者2人は家族が逮捕されている。これもまた同じ構造だろう。つまり、トップのゴーマンと大衆のルサンチマンがなせる業。彼らが引きずり下ろされるのは得てして大統領辞任後、つまり到達可能な存在になってからだ(ちなみに現大統領の朴槿恵は、ご存知のように朴正煕の娘)。

もし、この僕の議論が正しいとしたら、この構造、つまり一部のタカビーと上に上がれない大多数の嫉妬による有名人バッシング・スペクタクルはこれからも継続することになる。というか、むしろインターネット社会の進展によって拍車がかかることになる。

日本バッシングも同じ構造?

そして、この構造は日本にも向けられている。つまり韓国人にとって日本はタカビーな民族、そして到達可能な相手という認識がある。だからスポーツ競技でも日本が活躍する分野には盛んに進出するし、各種のバッシングを徹底的に行う。そうであるとするならば、韓国による日本バッシングはこれだけが突出した事態なのではなく、現在の韓国が抱えている国民性(つまり要素の1~5)がなせる様々な事態の部分集合として捉えた方がよいということになるだろう。

日本も同じ構造を抱えつつある?
そして、こういった嫉妬の構造、実は韓国に限ったことではない。わが国日本でも最近拍車がかかっていないだろうか。メディアで突出した特権的に立場にある人間がスキャンダルや事件に巻き込まれた瞬間、嫉妬が炸裂し徹底的なバッシングを開始する。今年一年を思い返しても小保方晴子、佐村河内守、野々村竜太郎、小渕優子、矢口真里、百田尚樹+家鋪さくら(やしきたかじん妻)。これらは一様に趙顕娥前副社長と同じような立場にあり、ちょっとしたスキャンダルがネット上で炎上して嫉妬を巻き起こした。で、最終的に叩くわけで、大衆の「上げて、下げて、私のカタルシス」=嫉妬の解消という構造はまったく同じなのだ。

IKEA問題が暗示するここまでの議論の矛盾

スウェーデン家具のIKEAが12月にソウルに第一号店をオープンするにあたって、そのホームページと商品に掲載したマップに「Sea of Japan」、つまり日本海と記したことについての大バッシングが起こったことも記憶に新しい。これもまた同じ構造なのだが……ところが、である。オープン当日の映像を見てみるとびっくりすることがある。オープンを待ち焦がれていた若者たちが、さながらAppleストアでの新型iPhoneの発売イベントのように開店をカウントダウンし、喜色満面でハイタッチしながら店内に次々と入場する姿が映し出されたのだ。

この映像、ここまで僕が展開してきた韓国人のイメージとは正反対の姿だ。メディア的に展開されるような政治問題はさておき、IKEAというイケている新しい消費産業のはじまりを大歓迎している。さて、これどう理解すべきか。つまり、どちらが真の韓国大衆の姿なのか?……僕は後者の方を支持する。ただし、ご存知のようにメディアは徹底的にネガティブな映像、つまり韓国ダメという報道を流し続けている。今回は韓国に対してネガティブな議論展開になってしまったが、これが「メディアと政治によってイメージがコントロールされているだけ」という立ち位置になった瞬間、見方が変わって来ることは、念頭に置いておいた方がいいだろう。

最後に、しつこいようだが、これは「もしも6つの前提をネガティブ考えたら」という前提でしかないことをお断りしておく。僕はヘイトスピーチに荷担しているわけでも、韓国文化を擁護しているわけでもないので(まあ、勘違いして「よくぞ行ってくれた」とか、反対に「そんなこと言いながら、あんた嫌韓論者なんだろ?」なんて邪推する人がいるかもしれないが(笑))