ニュージーランド航空が映画『ホビット』とコラボで制作した機内安全ビデオが「壮大すぎる」と大評判だ(「~すぎる」という修飾を使う表現は、最近「褒め言葉」としてしばしば使われている)。機内安全のための各種の手順を映画の登場人物がやってみせるというゴージャスさ(イライジャ・ウッドまで登場する)なのだが、これが機内ではなくホビットの大自然の中。ここにシートベルト、酸素呼吸マスクや救命胴衣、さらには座席までがまったくもって不自然に登場する。
完全に奇をてらった演出、たかが機内安全のためのビデオへの膨大な費用のかけ方、いったい何の意味があるんだろう?こんなくだらないことやって、いったい費用対効果があるんだろうか?単なる自己中な遊びなのでは?……いや、メディア論的に捉えると、このやり方「大いにあり!」ということになる。そして、それはニュージーランド航空のやる気を十分に感じさせ、また企業イメージを大いにアップするものでもある。今回はこの機内安全ビデオのメディア性について考えてみたい。





「モノで釣るようなやり方」の典型的な効果的運用法

この手法は典型的な「モノで釣るようなやり方」だ。つまり、なかなか見てくれない機内安全の説明やビデオ映像になんとか乗客を引きつけようとするため、機内安全以外のモノで引きつけようとする方法。要するにキャラメルを買ってもらうためにオマケを付ける、古くはライダースナックを買ってもらうためにライダーシールを付ける(もう40年も前の話だが)、ビックリマンチョコを買ってもらうためにビックリマンシールを付ける、AKB総選挙の投票権や握手券をゲットするためにCDを購入するというのと形式的には同じだ。で、この場合は「ホビットの世界」というオマケで機内安全を見せようというわけだ。

ただし、こういった「モノで釣るようなやり方」は必ずしも成功するとは限らない。たとえば前述したライダースナックだったら、小学校の周りに大量の未開封のライダースナックが捨てられていて問題になったなんて事件があったほど。まあ、売ることには成功したけれど、ライダースナックを食べさせるということは完全に失敗している。

さて、こういった趣向の機内安全ビデオ作成、なにもニュージーランド航空が初めてというわけではない。古くは三十年前、同じようなやり方で機内安全ビデオを放映し、乗客に映像を見せることに成功したものがあった。シンガポール航空のビデオがそれで、この時にはシンガポール航空の制服を纏った女性のフライト・アテンダントが絶世の美女で、殿方をこのビデオに一斉に食い入らせることに成功しているのだ(乗客たちが一斉にビデオを見はじめ、キャビン内は異様な雰囲気に包まれたなんてことがメディアで評判になった)。

で、この場合、機内安全ビデオをちゃんと見てもらおうというのがキャラメル=ライダースナックでオマケが美女にあたるわけだ。だが、この美女というオマケ、実は費用対効果が薄い。というのも、オマケに引きつけられすぎ、結局のところ、そちらばかり目がいってしまい、肝腎の機内安全のことが何一つわからないで終わりになってしまう可能性が強いからだ。記憶に残るのは美女だけ。言い換えればオマケと商品の消費=享受がリンクしていない。ようするに、道端に捨てられたライダースナックと同じで、これじゃあ、意味がない。

ところがニュージーランド航空の演出はこのへんをよくわきまえている。つまり、オマケ=モノで釣るようなやり方を踏襲してはいるが、結果として機内安全の手順を乗客がわかるように作られている。いいかえればオマケで引きつけられ、そして、気がつくとキャラメル=ライダースナックを食べているのだ。

先ず、オマケは言うまでも無くホビットの世界だ。これに、一瞬何事かと思う。そしてそれが機内安全ビデオであることを知って二重に違和感を覚える。もし、ここでキャラクターたちが機内に同乗した状態で機内安全のルールについての指導や、指導を受ける側という役割をになったなら、これはまさにモノで釣るようなやり方となり「ああ、イライジャ・ウッドがでているなぁ」ということにしかならない。つまりオマケの方だけに目が行く。ところが説明がなされるのは機内ではなくホビットの世界。そこに唐突に救命胴衣やら酸素マスクやら機内シートが登場する。ものすごい違和感なのだが、かえってその違和感がこれら安全装置に対する手順に関心を向かわせるというコントラストを形成している。救命胴衣に空気が足りないときはチューブから息を吹き込むシーンでは、なんと乗客はバンジージャンプして川の中にアタマをツッコんでいるなんてことまでやっている。この飛び込むのは機内脱出のシミュレーションなのだが、飛び込み理由が川の中に投げ込んだリングを拾いに行くという、これまたホビットの世界と機内安全をゴチャゴチャにした組み合わせになっていて、その違和感がやはりかえって機能面への注目を引き立てている。
ようるすにホビットで引っかけ、その背景と機内安全説明という違和感が機内安全の説明を浮き立たせ、結果として、その手順を乗客たちが自然と学んでしまうという、ウマい仕掛けになっているのだ。

イメージアップとしても絶妙

そして、こういった演出はただ単に「いかにしたら機内安全ビデオを乗客に見させることができるか?」ことに効果を発揮するだけにとどまらない。それ以外にも様々な副次的効果をニュージーランド航空にもたらすことに成功している。

一つは、前述したが「たかが機内安全ビデオのために膨大な費用をかける」という、一見するとバカバカしい行為が放つインパクトだ。飛行機は統計的には世界一安全と言われる交通移動手段だが、万が一事故が発生した際の悲惨さがわれわれにネガティブなイメージを与えていいることはいうまでもない。だからこそ、航空会社としては安全性をウリにすることがそのイメージのアップ、言い換えれば営業利益に直結する。ということは、一見するとカネにならないような機内安全ビデオの制作に本気で取り組む、しかも莫大な金をかけてという姿勢をこうやって大仰に見せることで、その安全イメージを世界的に振りまくことが可能になるのだ。つまり「安全性にわれわれは本気です」というアピールになる。

そして、もうひとつ。これはニュージーランドの大自然を売りに出す観光ビデオとしての効果も備えている。ニュージーランドは『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』の撮影地。そして、このビデオも当然だがニュージーランドロケだ。だが、このことは意外に知られていない。ということは「あの世界のふるさとはニューニュージーランドだよ」というメタ・メッセージも発しているわけで、「だったらホビットのふるさとニュージーランドへ行きましょう。ニュージーランド航空で」ということにもなる。

そして、最も金をかけないで作られる機内安全ビデオ作成にこうやってバカバカしいほどの資金を投入すれば、メディアはこぞってこれを取り上げざるを得なくなるという「したたかな計算」もある。実際、その結果、日本ではこの機内安全ビデオが「壮大すぎる機内安全ビデオ」として謳われて紹介され、あっちこっちでビデオが閲覧されることになったのだ。

ニュージーランド航空の、スキマを狙ったこのビデオ。費用対効果は抜群なのである。