マスメディアの表現方法の一つに「インタビュー」というジャンルがある。ご存知のように、インタビューワー(聞き手)がインタビューイー(話し手)から、その知識や経験、あるいは人生観などを聞き取るコンテンツだが、この手法を教えることを教育の一環として取り込んでもよいのではないか。とりわけキャリア教育の一つとしてとらえたとき、インタビュー術は様々な側面で実に有効、つまり御利益があるのではないだろうかと僕は考えている。

就活の面接で役立つ!

わかりやすいように、先ず、チョー現世御利益的な側面をご紹介したい。これ、就職活動に直接的に役立ちます。就活は先ずエントリーシートを書いて書類選考され、その後に集団面接、最終的に個人面接と言うダンドリを経て採用にたどりつく。そう、選考の終わりで待っているのは数回の面接。「面接」とは、ようするに「インタビュー」だ。で、この面接、学生たちの多くはメチャクチャヘタなのである。たとえば、営業職の面接で「私は人とコミュニケーションをとることが好きなので、営業が適職と考えました」なんて、かなりマヌケな志望動機を語ったりする。これ、ちょっと考えればわかることだが「相手と関わり合うのが会社の仕事なんだから、コミュニケーションがやれるなんてのはあたりまえ」なわけで、「私は日本語を喋れます」というレベルと、ほとんどかわらない。つまり、全く面接官=インタビューワーの聞き出そうとする意図とはピント外れの返事をしているのだ。やれやれ。

大学での実績や経験を話すときも同じだ。「○○や××の資格を取りました」「△△サークルで部長をやっていました」「□□ボランティアをやりました」なんていうアピールもかなり間が抜けている(こういったものが有効と考えて「就活に有利だからボランティアをやる」なんて失敬な輩もいる)。面接官としては「だから、なんなんだ」ということになるからだ。面接官が知りたいのはこういった”What”ではなく、「そのWhatで具体的に何が出来たのか、何をしてきたか」、いいかえれば”How”の方なのだ。そして、この”How”の方は具体的な経験を物語にして「ホントの話」語らなければならない。ところが、この具体的な事項を尋ねると、全く応えられずしどろもどろになってしまったり、定型的なことしか話さなかったり、あるいは一生懸命仕込んできたネタで面接官が知りたいこととは全くピント外れの答えをしたりする(ちゃんとした企業ならば面接官の方は、しっかり本人の経験を探り出そうとするわけで、その答えはHowでしか語れない。そして、それはホンモノの経験=スキルを持っていないかぎりは答えられない)。

こんなかたちで、結局「空気を読めない発言」に終始してしまう原因は、結局のところ、面接に際して、専ら自分はインタビューイー、つまり面接を受ける側の立ち位置しかイメージすることが出来ていないからだ(ちなみに、「経験」がなければ問題外、つまりそれ以前の話だけれど)。面接官=インタビューワーが何を知りたがっているのか、どういうパターンでこちら側に問いをしてくるのかがわかっていない。要するに、インタビューという空間を相対化できていないのである。

じゃあ、どうすればこういったスキルが身につくのか。なんのことはない、自らの立場を逆にするような経験をすればいいだけの話だ。つまり、自らがインタビューワーになってインタビューをやってみること、これだ。この経験を繰り返すことで、どうやったら相手から知りたいことを聞き出せるかのスキルが次第に身についていく。こちらの質問にインタビューイーがどう反応するかのパターンも、また、見えてくる。ということは、自分が就活で面接に臨む際、面接官が何を聞こうしているのか、どう答えてほしいのかがわかってくる。いや、それだけじゃあない。面接官の技量さえ見えてくる。つまり「おっ、ここ聞きたいポイントだな。そんじゃ、攻めてやろう」「この質問、ただの圧迫面接じゃん。アタマ悪いなコイツ。テキトーにスルーしとこぅ」「ハイハイ、そこが聞きたいのね。じゃ、こう返して納得させとこぅ」みたいなかたちでインタビューという空間そのものを高見から見下ろしコントロールすることが可能になるのだ(ちなみに、就活講座などで指導する挨拶の仕方、しゃべり方を学んでおくこと、これから受ける企業についての事前の十分な情報入手をしておくことなどは、ここでの議論以前の問題であることをお断りしておく。つまり「そんなことは、やっておくのが、あたりまえ」)。

こうなると面接も結構面白くなってくる。そして、面接を受ける側も強気の姿勢をとることが出来るようなる。つまり「こんな質問やってるようじゃ、この会社ダメだな」とか「ここのところは逆質問してやれ。さしあたり右端のいちばん若手の面接官なんかが、ムキになりそうで攻めやすそうだ」とか考えることが出来るようになる。また、こちらが答えるのがむずかしい質問をされたときにもカムフラージュする(煙に巻く?)ことが出来る。たとえば、前述の「逆質問」はその典型だ。また、あえて答えられない、わからないことをカミングアウトしてしまう手法もある。「あっ、そうだったんですか。いやーっ、それは知りませんでした。私としてはたいへん不勉強でした。で、申し訳ないんですけど、せっかくなので後学のために、具体的にその件についてはどのような事例があるのかお教えいただけませんでしょうか?」といったようなやりかたは、その一つだ。ただし、付け焼き刃でやると、当然墓穴を掘ることにもなるのだけれど。ここはもちろん、インタビュースキルの熟達度によって使えるか使えないかは決まってくる。(ちなみに、ここで挙げたのは、全て実例だ。そのうちのいくつかは僕の教え子たちがやったことでもある)。自分が双方の立場(面接官+面接者)に立っている分、面接をゲームとして捉える余裕が出てくるわけだ。

こういったインタビュー手法を学ぶことによる「就活面接の相対化」を僕が学生たちに説く場合、まず最初に、彼らには「君たちは”採用してもらう”だけではなくて、”入社してやる”といった気持ちも強く持たなければいけない。なんのことはない、就活は「お見合い」と考えるべきなんだから」と説くことにしている。

本当のコミュニケーション力・社会力を学ぶ方法の一つ

ということで、現世御利益的な就活面接におけるインタビュー技法学習の効用を示しておいたが、インタビューを学ぶことの本質的な有用性は、この延長線上にある。インタビューは、あたりまえだが他者から話を聞き出すこと。そのためには、相手の話したいことを引き出さなければならないし、また相手の話したいことを冷静に聞き取らなければならない。さらに、これができたとしても、最終的にインタビューは編集される(映像でも文章でも、その大部分はカットされてしまう)ので、今度は出来上がったものをインタビューイーがチェックした際に納得できるものである必要もある(あるいは、場合によってはインタビューイーが納得しないことも、あえて掲載する勇気もまた必要)。

で、こういった技術は、ようするに「どれだけ相手の立場に立てるか」ということに収斂する。「インタビューの中でインタビューイーの話している内容の意図=文脈は何か?」「ここではちゃんと言いたいことが言えていないのではないか?だったら、どうやったら相手が表現できるようなかたちに持っていってあげるか、聞き出してあげるか」「こんなことを言っているけれど、これはちょっとウソっぽいから話半分で聞いておいた方がよいのではないか」「何かを隠しているのではないか」などなど。とにかく、どれだけ相手の空気を読めるかが重要になってくる。で、これというのは、要するに他者と関わったり、グループワークを行ったりする際に最も重要とされる事項に他ならない。インタビューに限った話ではないのである。

そう、インタビューを学ぶと言うことは、付け焼き刃ではないコミュニケーシを学ぶことなのだ。現在、インタビュー術の学習は大学ではアクティブラーニングの一環のフィールドワークという形式を採って実施されている。で、これは就活に役に立つということだけではなく(大学は就職予備校ではないので)、本来の大学の教育である「科学的、論理的思考の養成」、つまりアカデミズムを経験的に学ぶと言うことでも実に大きな意義を持っている(余談だが、マスコミがやっているようなレベルの低いインタビューの煽り的なインチキインタビュー記事を容易に見抜く力も身につけられる。残念ながらマスコミのインタビューワーの多くが、こういった「まっとう」なインタビュー技法を身につけてはいない)。