毎年のごとく、僕は夏となるとタイ・バンコク・カオサン地区という場所にやって来てフィールドワークを行っている。ここは世界を自由に旅するバックパッカーたちのアジアのベースキャンプともなる世界最大の安宿街。ここで旅行者の情報行動の変化を20年にわたって観察し続けてきた。また、その変容を定期的に観測してきた。

だが今回は、旅行者ではなく、このカオサンという安宿街の変容について紹介してみたいと思う。そんなところを紹介して何の意味があるのか?と思われるかも知れない。ところが、どっこい、そうではない。ここは「情報集積基地」。人々の欲望とニーズに基づいて、新しい情報が次々と放り込まれ、どんどん変化していく。その変化は日本の街に例えればアキバに近い。そして、その変化は常に未来を先取りしている。つまり、ここで発生していることが、数年後にはあちこちで発生するという面白い空間なのだ。一例を挙げれば90年代半ば過ぎにはネットカフェが乱立し、2000年代の後半には早くもこれが消滅するといった具合。つまり、5年くらい事が早く進むのだ。

ところで、これと同じように未来を先取りし、数年後にその空間で発生していることがあちこちに発生するという場所がある。それは東京ディズニーランド(TDL)だ。日常空間のテーマパーク化を押し進めたのは、間違いなくTDLなのだから。例えばイオンモールは間違いなく「商店街」、そして「プチ東京」という名のテーマパークだ。

そこで、今回はこの二つを比較するかたちで情報化社会の変容について考えてみたいと思う。この未来を先取りする二つの空間。一見、全く正反対のベクトル(例えば清潔/不潔、整序/混沌)を示しているようで、実はまったく同じ方向に向かっている。そして、それはまさに情報化社会における空間変容、人々の行動の変容、情報環境の変容を象徴している点で実に興味深いのだ。
今回はこの二つの空間の変化を15年のスパンをおきながら解説してみたい。前半は90年代から。

90年代末のTDLとカオサン~開いた系と閉じた系

僕はかつてカオサン地区のフィールドワークを『バックパッカーズタウン・カオサン探検』(双葉社1999)という一冊の本にまとめたことがある。これは90年代後半のカオサン地区の状況とバックパッカーについて綴ったもの。この時、カオサンを描写するにあたって、比較対象としてTDLを引き合いに出している。そして、そのとき二つの共通点を「テーマパーク」という言葉で表現している。TDLは「夢の魔法の王国」、カオサンは「ビンボー旅行」(実際に貧乏な旅行者ではなく、貧乏を楽しむという意味で「ビンボー」とカタカナ綴りにしている)というテーマに基づいて作り上げた環境=テーマパークであるという点で二つは軌を一にしているという展開で。

ただし、二つはそのベクトルにおいて全く正反対。TDLは「閉じた系」。一方、カオサンは「開いた系」だと指摘しておいた。TDLはディズニー側が環境を一括管理化し、全てをコントロール可能な支配下に置いている。この管理のスクリーニングによって、テーマを破壊するような要素は徹底排除される。それはまさに中央制御コンピューターによる環境の支配、G.オーウェルが小説『1984』の中で出現させたビッグ・ブラザー的な存在を彷彿とさせる。だから「閉じた系」。そこには整序され、統一された空間が広がっている。当然テーマはトップダウンで構成されている。

一方、カオサンにはこういったテーマを一括管理するような中央制御機構はない。この空間を作り上げる人々の有象無象の欲望が、結果として「テーマらしきもの」、つまり「ビンボー旅行ゲーム」に興じるテーマパークを作り上げている。つまり、バックパッカーのニーズ=欲望に応えるかたちで、ここから金を引き出そうとする人間のニーズ=欲望が展開し、こういった欲望の交錯の中で空間が結果としてボトムアップ的に構築される。「ビンボー旅行ゲーム」というのは、そういった欲望の関数として後付け的に出来上がったテーマでしか無い。だから「開いた系」。

で、本書の終わりには、カオサンは人々の欲望がどんどん重層的に絡んでいくことによって、この空間自体がまた別のテーマに看板を掛け替えてしまうことが起こりうることを予測している。90年代末には、ここに外人バックパッカー(主に欧米旅行者)が集結することがタイ人の若者たちにとっては「オシャレ」として受け取られ、このエリアにタイの若者が多く押し寄せるようになる(かつての赤坂、六本木、麻布をイメージするとわかりやすい)。その結果、タイ人を相手とするパブやクラブ、屋台がカオサンエリア一帯に広がるというようなことになっている、ひょっとしたら、いずれここはバックパッカーの安宿街ではなくなってしまうのでは?とまで指摘しておいた。

この予測は、当たったといえるし、半面ハズレているともいえる。たしかにタイ人の割合は圧倒的に増え、彼ら向けの店も林立したが、バックパッカー向けの安宿街であることをやめることはなかったからだ。で、僕が予測できなかったことはバックパッカーたちの出身国の多様化だった。当時は欧米、とりわけドイツ、フランス、イギリス、そしてオーストラリアあたりが主流だったが、現在はアジアのバックパッカー、つまり韓国や中国、そしてロシアのバックパッカーがここを訪れるようになっている。そして日本人は激減した。

さて、こういった変容によってカオサンはどうなったのか?実は、限りなくTDL化していったのだ。で、その一方でTDLがカオサン化していったのだけれど。

では、現在二つはどうなっているのか?(後半に続く)