相関しないPV数のコメント数

BLOGOSのブロガーは、自分の記事のPVを「マイページ」の「アクセス解析」という項目で確認することが出来る。およそ過去60程度の記事のPVがタイムライン形式で表示される(それ以上は消去される)のだが、その際、同時にコメント数も表示される。だが、この「解析」を見てみると、ちょっと面白いことに気づく。PVとコメント数が必ずしも一致していないのだ。つまり、相関関係がよくわからない。PVに比べコメントが多いのは政治や時事ネタに関するもの。最近の僕の記事だと佐村河内氏に関する記事(logos.com/article/80849/)がPV5700に対してコメント24(0.4%)、小保方氏に関する記事(http://blogos.com/article/84950/)がPV5600に対してコメント11(0.2%)。最も多かったのがBLOGOS上での匿名コメントを扱ったもので(http://blogos.com/article/83258/)、これは僕も書き込みを行って対応したというのもあるが、それでもPV2400程度でしかないのにコメントは130以上(5.4%)に達した。

一方、その逆もある。これは人物評や作品論などを展開した場合で、たとえば古舘伊知郎の分析(http://blogos.com/article/86771/)は4万4千に対して22(0.05%)、あまちゃんを分析した記事(http://blogos.com/article/69326/)に至ってはPV13万に対してコメントはたったの8(0.006%)だった。

比較的相関する「いいね!」数、「支持する」数

ところでこの「アクセス解析」にはそれ以外のデータも表示される。「支持する」の数、facebookの「いいね!」数など(ちなみに、ご存知のようにこれらは一般にも公開されている)。で、面白いことにこちらの方がPV数とのある程度正の相関を見せるのだ。PVが多いほど、これらの数も増える(とはいうものの、これもネタのジャンルによるという側面もあるが。具体的には旬のネタなどには反応も多くなる、詳細は後述)。

特定の層がコメントしている

ただし、コメントの数がおそらく民意を反映していないと言うこと、これだけは言えるだろう。先ずBLOGOSの閲覧者という集団があり、それらが政治や時事ネタ、さらにコメントすることに関心が高く、さらにその中の一部の書き込み好きな閲覧者が書き込みをするという図式になっている(実際、僕の記事に対するコメントも同じ閲覧者によるものが結構多い)。そして閲覧数に対するコメント比率の高い記事の多くが反論や書き手に対する誹謗中傷であったりする。

これはネットに表示されるコメントや書き込みが民主主義的ではないことを示唆するものでもあるだろう。ネットは、これまでは物理的距離や関係性によって相互に繋がることのなかった「同好の士」を接続可能なものにした。たとえば、かつてであればオタクと呼ばれる層は趣味がマイナーなため、一人密やかに自らの趣味に没頭するか、定期的に設けられる同好の士が集合するメディア媒体(同人誌など)や物理的空間に出かける(コミケなど)ことによる以外につながりを得ることが難しかった。だから、これらの人間が物理的に集結したとしても、さしたる数に達することは出来なかった(ただしコミケットを除く)。逆に言えば大規模イベントで人が集結するという場合には、その趣味に関わっている膨大な層が裾野にあって、イベントではその氷山の一角が集結するというかたちだったと考えることが出来る。いいかえれば、見えない巨大な層が潜在的に存在していた。

ところが今日においては一万人以上が集結するような大規模イベントなどザラだ。これはネットによって全国各地(あるいは世界各地)に点在する同好の士が空間を超えてリアルタイムで結びつけられることによって、それらの趣味がきわめて僅かの層でしかないにもかかわらず、ネット上で結びつき、それがオフラインミーティングというかたちでイベントを起こすことが可能になったからだ。つまり、イベントにおける集約性が高まったのだ。だが、それはいいかえれば氷山の水面下部分、つまり裾野がきわめて小さくなったということでもある。そして、それはさらにいいかえれば、当該イベントに10万人が集結したとしても、それは必ずしも民意を反映していないと言うことでもあるわけだ。

これと同じことがブログのコメント欄にも該当するだろう。つまり、ここで書き込みをする閲覧者は、ブログが取り上げたトピックに強い関心を持つ層で、さらに前述したように書き込もうとする意欲の強い層と捉えるのが妥当なのだ。だから、こちらも民意を反映していないと考えた方が的を射ている。

一方、ブログの記事に賛同する場合には、そのほとんどが「支持する」「いいね!」といったかたちで半間接的にリアクションを返す。これについては、書き込むと言うよりボタンを押せばいいわけで、気軽。それゆえPV数とこれらのボタンは比較的、正の相関関係を示す。だからある程度民意を反映していると考えられるのではなかろうか。ちなみに、これら賛同者の中には細かい感想を書いてくれたり、内容を読み込んでさらに自分の考えを加えてくれたりといったコメントをしてくれるが、こういったコメント、実は反論・誹謗中傷よりはるかに少ない。

「支持しない」ボタンの必要性

ともあれ、これらデータが確実に語るのは、コメントがほとんどの場合、その内容が賛成であれ反対であれ、一部の意見でしかないということだ。だが前述したように、「賛成」についての民意をある程度くみ取ることはPVと「支持する」「いいね!」ボタンとの相関から読み取れる。

だが、これだけでは問題だ。というのも、これらのボタンやコメントでは「反論」についての民意をくみ取る方法が閲覧者側にもブロガー側にもほとんどないからだ。これはBLOGOSのようなブログをとりまとめて公論を展開させることを目的とするサイトとすれば健全ではないだろう。だから、僕は公共的な議論の場としてBLOGOSが成立するための一助として、次のような提案したい。


1.PVを一般にも公開する。こうすることで、当該ブログがどの程度関心を呼んでいるのかが閲覧者にもわかる。ただし、これだけでは単なる表面的な関心なので、時事ネタとか煽りのタイトルとかでもPVを増やすことが出来る。それゆえ、これだけでは本当に議論の対象として扱われているかがわからない。

2.「支持する」ボタンに加え「支持しない」ボタンを加える。PV数は関心の大きさを測る指標だが、こちらは支持の有無を測定する指標、つまり内容の質、つまり民意を推しはかるめやすとして機能する。


こうすると、実は民意が反映していないコメントにもある程度、客観性をもって読み込むことが可能になる。たとえばPV数が多く「支持する」も多い記事への賛同のコメントは、マジョリティである支持者の意見を象徴するものになるし、一方、反論コメントはマイノリティの意見として扱われることになる。これはもちろんその逆もまた真。つまり、PV数が多く「支持しない」も多い記事への反論コメントは、マジョリティである反論者の意見を象徴し、賛同コメントはマイノリティの意見となる(間違えてはいけないのは、マイノリティの意見だからと言っても、それが正しいとか正しくないとかと言うこととは、原則、関係がない。それらは単にBLOGOS上での民意を反映していないだけ。つまりあくまでマイノリティなだけだ)。

ちなみにPV数が多く、また「支持する」「支持しない」どちらも拮抗するように多ければ、その記事は大いに議論を賑わせていることになるし、その反対にどちらも少ないような場合は、中身のない、あるいはタイトルが煽りだけ、またウケそうなネタを狙っただけの空疎な記事ということになる。またPVが少ないにもかかわらず「支持する」「支持しない」どちらも拮抗するように多いような場合には、一部のオタクたちが関心を寄せているマニアックな議論となる(そして、いうまでもないことだがPV数が少なく「支持する」「支持しない」どちらも少ないような記事はブログ記事としての価値が低い)。

こうやってPV数と「支持する」「支持しない」「コメント」を併記することは、結果として閲覧者にもブロガーにも大いに恩恵となるといえるだろう。閲覧者にとっては民意を相対的に把握することが出来るし、ブロガーにとっては、自らの記事がきちんと評価されているかがわかるし、コメントに対するスタンスも理解できる。そして、これはもちろんBLOGOSにとってもありがたいことに違いない。議論が健全なレベルで大いに盛り上がるのだから。

というわけでBLOGOS編集部に僕は訴えたい。BLOGOSはPVの公開と「支持しない」ボタンの追加をすべきだと!