猪瀬東京都知事が特集会からの金銭授受の問題をめぐって辞職した。それ以前に猪瀬の辞任は時間の問題とされていたのだが、その最中に衆議院議員比例区の東国原英夫が維新の会からの離党届を出すと同時に、議員もまた辞職した。東国原は橋下徹代表と根本的に政治方針で異なってしまった点、そして太陽の党からの冷遇にウンザリしたとの見解をブログ等で表明しているが、ネット上やマスメディアのあいだでは、柳の下のドジョウというか、辞任まちがいなしの猪瀬の後釜を見込んで、あるいは宮崎県知事選に再出馬を狙っての行為という憶測が流れている。実際、Twitterで東国原と検索にかけてみると……出るわ出るわ、この手の憶測に基づいた東国原への誹謗中傷が。

東国原への罵詈雑言をまとめてみると

これらをまとめてみると、こんな感じになる。

①逮捕歴、淫行歴のある「宮崎の恥」が、事に及んで都知事のポストをめぐってハイエナのようなたくらみを企てている。②アイツはただのお笑いタレントなので、政治手腕などない。宮崎で当選したのは、単にパフォーマンスが受けただけ。③そして、テレビに出演して小銭を稼ぐことに血道を上げた。結局、宮崎にはなんの貢献もせず、たった一期だけで職を辞した。④そして、今回に至っては衆議院当選まもなくでこの体たらく。⑤よくよく思い返してみれば東国原が都知事選に立候補した際にはオリンピック誘致に反対だったはず。そんなやつは政治家の風上にも置けないし、オリンピックを開催する都知事としての資格もないわけで、早々に政界を去って芸能界に戻るべきだ。⑥政治=行政は政治のプロパーがやる、つまり餅は餅屋に任せておけばいいわけで、芸人しかできないようなヤツは引っ込んでいるのが正しい。

ちょっとデフォルメしてまとめるとこんなところになるだろうか。
どうやら、東国原を生理的に受け付けない層がいるらしく、これがTwitterでつぶやき続けて言るといった印象を受けた(ちなみにTwitterでの書き込みは必ずしも民意を反映していない。言いたいやつが言っているだけとおもったほうがメディア論的には正しい)。

さて、じゃあ、今回はちょっとへそ曲がりに「だったら東国原を擁護する」ことにしてみよう。ケンカを売っているわけではないけれど、もう少し東国原という人間を冷静に見てみる必要はあるだろうから。ちょいと「東国原安心理論」を展開してみたい(「安心理論」とは、あえてポジティブな側面ばかりを並べ立てヨイショするやり方。サッカー解説者の松木安太郎の日本チームへの解説がその典型)。これを、三回程度に分けて展開してみたい。ただし、安心理論=ヨイショばかりをやってもなんなので、最後は問題点も示しながら。ねらいはメディアによって作り上げられた「東国原」という記号=イメージを相対化することにある。

そこで、上に連ねた東国原への罵詈雑言を検証してみたい。ちなみに僕は東国原がそのまんま東として立候補した頃、宮崎に在住し、その選挙の戦い方をウォッチングした経験がある。僕が地元のメディアでテレビやラジオのコメンテーターをやっていたこともあって、そのまんま東の情報が逐次入ってきた。また選挙選出馬以前には番組でご一緒させてもらったこともある。当選当日は本人へのインタビューもやった。さらに東国原英夫として知事に就任してから一年間のあいだは地元テレビの「東国原番」的な仕事をやらされた経験もある(テレビでの単独インタビューをやったこともあった。内容は本ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2007/10/14参照)。つまり、何度となく「ナマ東国原」に遭遇しているので、ある程度、事実を把握しているという自負もある。ちなみに、東国原という男は「頭の切れる政治家、ただし気分屋的な側面も」という印象だ。

で、手順は上の「Twitter上の東国原への罵詈雑言まとめ」の中に振った項目に番号が振ってあるが、これをひとつずつ剥がしていくかたちで進行する。第一回は①逮捕、淫行歴、②政治手腕について見ていく。

①淫行による逮捕歴など、ない

先ず「逮捕歴」について。これは、ある。ビートたけしの講談社フライデー襲撃事件に参加し、逮捕されたからだ。次に「淫行歴」だが、これは証拠がない。未成年者を雇っていたイメクラが摘発され、その顧客リストの中にそのまんま東の名前があり事情聴取を受けただけだからだ。ただし、これがその後「淫行事件」と名付けられ、そのまんま東は「淫行歴のあるスケベ男」「宮崎の恥」ということになった(しかも「淫行で逮捕」と話がこんがらがってイメージが形成されている)。もちろん、逮捕などされてはいないし、不起訴にもなっていない。

②宮崎で発揮した政治手腕

②-1.県庁職員と議会に対してイニシアチブを握る

「タレントで政治手腕がない」について。宮崎時代、東国原はきわめて見事な政治手腕を発揮した。例えばタレントで知事になった青島幸男や、横山ノックなどは、就任した瞬間、役人のいいなりになっていたし、たいしたことをやったわけでもなかった(青島は前都知事の鈴木俊一のぶち上げた「都市博覧会開催」への批判のために立候補しただけだったのだけれど、当選してしまって、代えって慌てていたという印象が強い。ノックに至っては政治どころかセクハラで辞任・逮捕というていたらくだった)。ところが、東国原は就任するやいなや県職員を手なずけてしまった(中には「あの方は、県知事の仕事をするために芸能界で27年間修行をされてきた」と、ものすごい惚れ込みようの県庁職員すら存在した)。また、オール野党の県議会に対して長野県知事を務めた田中康夫のような完全対決をすることもなく、これまた手なずけることに成功する。就任三ヶ月後の統一地方選=県議会議員選挙で、東国原はその圧倒的な支持率を背景に「東国原チルドレン」を指名して議会内に対抗派閥を構築すると目されたのだが、これをいっさいやらなかったことで、かえって自民党議員からは歓迎され(まあ、貸しを作ったというところか)、その結果、自民党県議と波風を立てることなく、なおかつ自らの政治方針を貫くことに成功している。東国原は議会に対しては横暴になることもなく、政権を主導しながら、見事にバランスをとっていたのだ。

②-2.宮崎鶏インフルエンザ事件というネガティブ・ファクターを逆利用して県産品を売り込む

また、ご存知のように鶏インフルエンザ事件をめぐっては、宮崎鶏(一般的には宮崎地鶏と呼ばれるが、これは間違い。地鶏には定義がある)がネガティブに全国に知られたことを逆手にとって、これをトップセールスで大々的にキャンペーンを繰り広げ、宮崎鶏を全国ブランドにまでの仕上げることに成功している(同じパターンについてはマンゴー、焼酎、宮崎牛でもやってみせた。今や、コンビニにおいてあるいも焼酎は鹿児島の「さつま白波」ではなく、宮崎・都城の「黒霧島」だ)。こんなこともあって、東国原は就任二週間で「もう、元を取った」と県民からは評価され、さらに商工会議所の会合では会頭が「今東風(東国原がおこした風)が吹いている。この風に乗れ!」と発破をかけるなんて状況にまでに至った。そしてその支持率は90%超えとなり、この高い支持率は辞任するまで続いたのだ。

まあ、もちろん口蹄疫や集中豪雨など東国原就任期間中には宮崎にアクシデントが頻発し、これに東国原が完全には対応しきれなかったことも事実だが、これが、もし東国原でなかったら、もっとヒドいことになっていただろう。少なくともあなたが、今や関東近辺のあちこちに出来た宮崎料理の居酒屋(塚田農場みたいなところね)でおいしい宮崎鶏に舌鼓を打つと言うこともなかったはずだ。

こうやって考えてみれば、東国原という男、大した政治手腕の持ち主なのだ。宮崎人をすっかりその気にさせて元気にしたのだから。うまい具合に宮崎人が乗せられただけと思うかもしれないが、立ち位置を変えれば宮崎が東国原をうまく利用したということでもある。みやざき人をナメてはいけない!

次回は③以降をお送りする。(続く)