タモリは、タレントたちがトークを集団で展開するという、今日のバラエティ形式を「笑っていいとも!」で構築した。しかし、この番組は来年3月で終了する。しかも、それをタモリ自身が生放送中に発言した。このことの意味するところは何か。僕は、これはタモリが「いいとも!」的なバラエティという形式を見限ったからだと考えている。後半はバラエティとタモリの芸風の関係についてみていこう。

視聴率低下はタモリのせいではない

先ず、最初に前提を述べておけば「笑っていいとも!」の視聴率がジリ貧になっていったのはタモリのせいではないということ。ジリ貧になるのは必然的と考えた方が的を射ている。原因はいくつか考えられる。それは情報の多様化の中、テレビ離れが進み、視聴率そのものが相対的に低下したこと。また、タモリが構築したバラエティという形式がすっかり一般化し、「笑っていいとも!」の独自性が薄れたこと。そして、こういった「ジリ貧状態」を脱却しようと制作側が番組をいじったのが、かえって裏目に出たこと。タモリ色を排したお陰で、ますます他のバラエティと大差がなくなってしまったのだ。

相変わらず好調なタモリ

で、タモリの方はどうかといえば、実はそんなことはまったくお構いなし、知ったことではないと言うところではないだろうか。「いいとも!」同様、三十年続くテレ朝の「タモリ倶楽部」は相変わらず絶好調だし、NHKの「ブラタモリ」は続編が待望されている。また同じくテレ朝「MUSIC STATION」も25年間、相変わらず適当にやり続けている(タモリの座右の銘は「適当」)。また、今後、他のプロデューサーがタモリの芸風を生かした企画をタモリに持ち込むのも目に見えている(これまで「今夜は最高!」「夕刊タモリ、こちらデス」「タモリのボキャブラ天国」「「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識」など、数々の傑作番組を生み出してきた)。

これらの番組(かつての番組も含む)の中で、タモリが最も重視しているのは密室芸的な要素だ。つまり、前回も指摘したが、やはりアドリブの部分、そしてマニアックな視点(「MUSIC STATION」は適当にやっているので、こちらはちょっと該当しないが)が基調になっている(その極致は、言うまでもなく「タモリ倶楽部」だ)。

時代は、やっぱりタモリに向けられている

そして、時代は低視聴率の時代。しかも低予算。逆に言えば万人受けするものよりもある程度的を絞り、突っ込んだ展開をやった方が安定した視聴率が確保できるし(ただしかつてのような高視聴率を獲得するのは難しい)、予算も低く抑えられる。ということは、タモリのようなマニアックな視点は、実はきわめて現代の嗜好の多様化した時代のテレビコンテンツとしては適合的ということになる(「トリビアの泉」はやり過ぎで予算がかかりすぎてしまった例外だが)。つまり、そこそこの視聴率とリピーターを創出してしまう。しかも、タモリの場合、そのアドリブ性の豊かさゆえ、一般よりははるかに高いレベルで之が可能になる。たとえば、扱っているジャンルが一般にはわからないものであっても、そのマニアックさのバカバカしさとアドリブで多くの視聴者の好奇心を惹起してしまうのだ(「タモリ倶楽部」が扱うネタは、たとえば直近のものだと横須賀の隧道、工事中のEXシアター六本木、そしてたった一人の監督が制作する山歩きのDVDと、一般の人間がまったく知らないものばかり。ここに伊集院光、水道橋博士、なぎら健壱といったアドリブに長けたパーソナリティをゲストに呼んで、どうでもいいことを適当に喋らせ続ける。しかも時にはタモリは休んでいたりさえする。ただし、必ず一人だけマニアックなエキスパートが登場し、これにツッコミを入れるかたちでそれぞれがアドリブを飛ばし続けるのだ。それは、密室の中で繰り広げられていたインタープレイの再現に他ならず、まさにジャムセッションという表現がふさわしい)。

「笑っていいとも!=バラエティ」という「女」に飽きたタモリ

だから、タモリにとって「笑っていいとも!」みたいなバラエティなど、もはやどうでもいいのだ(やめる発言をしたときも、ほとんど未練といったものが感じられない。ギネス認定の長寿番組なのだが「ただワンクールやったから終了するだけ」という感じだった)。タモリからすれば「いいとも!終わり?あっ、そう」ってなところではないだろうか。そして、タモリに魅せられている視聴者からしても、おそらく、まったく同じ印象を番組終了に感じているはずだ。「いいとも!」でのタモリは、タモリの魅力の一部、しかもマイナーな部分に属するものでしかないからだ。ネット上に「タモリ倶楽部があるから、いいや」とのコメントがあったが、まさにその通りだと思う。

タモリは「笑っていいとも!=バラエティ」という女に飽きたのだ。ちなみに、タモリが好む女は「キレイな女」ではない。ひたすら好奇心を惹起してくれる「オモシロイ女」だ。だから、またその好奇心を満足させる女、アドリブをかましたくなる女を求めて彷徨い歩く。そして、僕を含めたタモリファンはその「彷徨い」に熱い視線を向け続ける。

「笑っていいとも!」が終わろうと、タモリは決して傷つかない。いや、そもそも終わろうが終わるまいがタモリには関係がないのである。