メディアですっかり話題になっていることだが、来年3月をもってフジテレビのお昼の看板番組「笑っていいとも!」が終了することになった。終了のアナウンスは突然、しかも司会のタモリ自らの口から飛び出した。番組の終わりに突然、笑福亭鶴瓶が登場し「いいとも終わるんやて?」と切り出し、それに対してタモリはハッキリとその旨を表明したのだ。誰にも知らされていなかったのだろうか。会場、出演者ともに唖然とした状況になった。

ちょっとこの演出はきわめて唐突とともに不自然な感じがした。なぜ、鶴瓶がわざわざ登場し、タモリにこんないわせ方をしたのだろうか?で、ふと思い出したのは最近「いいとも!」がどんどん変わっていったことだ。テーマソングが歌われなくなったり、テレフォンショッキングが「友達の輪」ではなくなったり(平気で知らないタレントが紹介される)、タモリがコーナーの多くに出演しなくなったり(体調不良なのではと疑われたこともあった)。「笑っていいとも!」は「森田一義アワー」とサブタイトルが振られていたが、現在の「いいとも!」は、いわばこの看板が取り外された状況。つまり普通のバラエティと大差がなくなっていたことは事実だ(言い換えれば、もはや「いいとも!」がタモリである必要がなくなっていた)。で、穿った見方をすれば「究極のワンパターン、マンネリズム」を旨とする(そして、このマンネリズムの中で無限のアドリブを生み出す)タモリが(詳細については本ブログ「タモリのマンネリズムは偉大だ!」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/64432521.htmlを参照)、この対応に怒った。だから鶴瓶を引っ張り出して打ち切り宣言を一方的にやってしまったのではないかとすら思えないでもない(もちろん真相はわからない)。ただ間違いなく言えることは、こういった番組改変が、次第に低下する視聴率への局側の対応策であったこと、そしてそのやり方がタモリのスタイルからすれば大きく逸脱してしまっていること、さらに付け加えれば改変がさらに番組の視聴率の低下に拍車をかけたことだ。

今回はタモリとバラエティの関係について考えてみたい。はじめに結論を述べておけば「タモリはバラエティというテレビ番組の分野を生みだし、そして今回これを葬り去った」ということになる。ここでいうバラエティとはスタジオを会場にして、ひな壇にタレントを並べトークさせたり、トークしながらゲームをさせたりするというスタイルだ。これを「いいとも!」という番組を通じて一般化させたのがタモリで、また自ら降りることでこのカテゴリーを三十年間で終わらせると宣言したのが、今回のハプニング?である、と。

「笑っていいとも!」で培われた今日におけるバラエティの形式

1975年、山下洋輔や赤塚不二夫に後押しされデビューしたタモリは、その芸風を「密室芸」と称された。新宿ゴールデン街の小さな店の奥で繰り広げられる芸をそのままメディアに持ち込んだといわれたそれは、明らかにマニア受けのものだった。70年代の活躍の場の中心はラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」で、ここでは芸能人のパロディ、モノマネ、メディア機器を使った編集ものなど(「編集もの」の典型はNHKのアナウンサーのニュースを録音し、これをつぎはぎして架空のニュースを作り上げたもの。相撲と事件の音声をミックスし、輪島が北の湖を凶器で襲ったなんてニセ報道に作り上げ、大いにウケていた。ファンだったリスナーがこの面白さを父親に喋ったところ、この父親がNHKの職員だったため、これがきっかけでこのコーナーは取りやめになるのだが、これすらタモリはネタにした)。しかもネタは下ネタ、芸能界ネタ、差別ネタ等満載、これらはまさに密室空間でのオーディエンスとのコミュニケーションの中で培われていったもの。だから、どうみてもマスメディアで流せるようなものではなかったが、深夜ラジオという限定されたメディア空間だったからある程度許されてはいたし、また次第に露出するようになったテレビ番組の中でタモリは人気を博すようにもなっていた。そして、デビュー7年目の82年、漫才ブームの終了に合わせ打ち切られた「笑ってる場合ですよ」の後釜番組「笑っていいとも!」の司会に抜擢される。

デビュー当時からタモリのファンだった僕は、この番組の第一回を見たときの印象が忘れられない。爬虫類?イグアナを意識したタモリのルックスはオール―バックの真ん中分けに(油をべったり髪に塗っていた)レイバンのサングラス(70年代のテレビ出演の際にはアイパッチを多用した)。ところが「いいとも!」ではオールバックだが横分け、メガネの枠を小さくし、なおかつブレザーにネクタイという姿。「あの、密室芸のタモリが?なんでこんな格好で一般視聴者向けの昼番組に?」と首を傾げざるを得なかったのだが(そして、当初、タモリも明らかに違和感を持って番組を進行していたのだが)、次第に番組はある形式を獲得するに至り、マニア向けタモリは一般性を帯びたものになっていく。

その形式は、要するにタモリの密室芸を無理矢理昼番組に持ち込むというスタイルだった。そして、それが最も生かされたのがテレフォンショッキングのコーナーだ。タモリは密室芸の中で繰り広げられる出演者同士、あるいは少数の顧客とのコミュニケーション形式をこのコーナーの中に持ち込んだのだ。ゲストに対しては若干の仕込みネタがあるものの、ゲストが応えた内容に深く立ち入るというよりも、それと同様の自分の経験とか、その話題に対するまったく別の話をするという「ゲストを使ってのタモリのモノローグ」のような喋りを展開したのだ。ただし、これはタモリの一方的な会話というわけではない。タモリのこのモノローグを聞いたゲストは、この語りにインスパイアされて、今度はそれに関する自分の経験を語りはじめる。それはさながらジャズミュージシャンがスタンダードナンバーをインタープレイで演奏するかのようだった。つまり1.ゲストの語り→2.それにインスパイアされてのタモリの語り→3.タモリの語りにインスパイアされてのゲストの語り→再びタモリの語りといった具合に。つまり、タモリは自らアドリブを奏でることで、ゲストからもアドリブを引き出すという独特なスタイルを作り上げる。しかも、その時、タモリは密室芸でしか通用しないマニアックなネタは排すという周到さも持ちあわせていた。いいかえれば形式だけがここに持ち込まれたのだ。

こういったインタープレイ的な語り、言い換えれば聞き手と話し手の役割が明確に分離されていないようなラフな形態をタモリはテレフォンショッキング以外のコーナーにも持ち込むようになる。さらに、これらのコーナーでは出演している他のタレントにもこういったインタープレイに参加するように仕向けた。いわば「集団テレフォンショッキング」的な演出がここでは繰り広げられることになったのだ。こうすることで「密室芸のコミュニケーション」は見事に一般向けのものになると同時に、この手法が後続のバラエティで次々採用されるようになっていった。現在、展開されているバラエティの多くがこの形式を採用していることは言うまでもないだろう(たとえば「お試しか!」はその典型)。ひな壇にタレントが並ぶバラエティは進行役のタレントがそれぞれのゲストたちに話を振り、それに進行役が対応して、さらに他のゲストたちもこれに加わる。だがタモリの場合は、これにさらに一歩踏み込んだかたちになる。多くの場合、タモリは進行役を勤めない。自らも参加者の一人としてインタープレイに興じるのだ(ただし、そうであっても、やはりタモリの番組、タモリのコーナーであることに代わりはなかった)。 そう、これがタモリが開発したバラエティの形式なのだ。

バラエティを捨てるタモリ

にもかかわらず、今回、元祖であるタモリが「笑っていいとも!」を降りる。と同時に、後継を指名することなくこの番組を終わらせる。一方、タモリが築いたこのバラエティ形式は花盛りではあるものの、もはやすっかり定着したクリーシェで、全般的には大した視聴率がとれているわけではない。じゃあ、これは三十年間続いたバラエティの形式をタモリ自らが終わらせるということを意味するのだろうか?僕は、前述したようにタモリはそうするつもりなのだと考える。少なくとも発案者のタモリは、ここから降りる。

ただし、「いいとも!」が終わっても、タモリは決して傷つかない。タモリはバラエティ形式を作りはしたけれど、これになんのこだわりも持っていない。いや、むしろやめる方が自らにとっては重要と考えているのではなかろうか。これまで、どんなにバラエティの形式を守ったとしても、タモリは「いいとも!」の中で必ずタモリ的芸風を一貫させていた(それはアドリブに最も重要性を置くというものだった)。つまり「いいとも!」はバラエティ+タモリの芸風による「森田一義アワー」だった。そして、双方とも自らが生み出したスタイルとは言え、タモリにとってのこだわりは後者にあった。ところが視聴率低下に対する局側の対応で、後者を発揮する機会が取り払われた(タモリがコーナーのスタイルに固執したのは、それがアドリブを飛ばすための苗床になっていたからだ。これは、たとえばドラえもんのワンパターン形式を取っ払ったら、藤子・F・不二雄がドラえもんを描けなくなってしまうのと同じだ。つまりワンパターンゆえにこそ、無限のアドリブ「たとえば様々なひみつ道具」を繰り出すことが出来るのだが、これが封じられてしまう)。で、後述するが、メディア的な訴求力については、もはや「バラエティ<タモリの芸風」という図式が成り立つ。また「いいとも!」の視聴率低下はタモリの責任ではなく、メディアの変化がもたらす構造的な問題だ。だったら、タモリにとって「いいとも!」は時代遅れの古い衣装。もはや用なしである。とっとと捨てて、自分流のスタイルで次をやればいい。僕にはそんなふうに思えるのだ。

後半はタモリがバラエティと決別する理由ついてタモリとの芸風との関係で、もう少しツッコンで考えてみたい。(続く)