前回は、マー君こと楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が大リーグヤンキースに行き、これを地元との連携を深める工夫をすることで、むしろマー君の海外での活躍が地域活性化、ひいてはプロ野球の活性化を可能にする可能性があるという議論を行った。こういったアイデア。実は、長期低落傾向にあるプロ野球の改革のためには有効な手段のヒントとなるのではなかろうか。

企業やメディアの広告媒体としか見られていなかったプロ野球

これまで、プロ野球はもっぱらマスメディアや企業の広告媒体的な側面で運営されてきた。たとえば、その典型は戦後の読売新聞社主・正力松太郎による読売グループの販売・視聴率戦略としての読売巨人軍の存在だ。正力はプロ野球球団の中でも巨人を徹底的にクローズアップし、さらにその中でも長島、王の二人を前面に押し出すことでテレビ(日本テレビ)を普及させ、読売新聞の販売部数を伸ばすことに成功した(要するに現在の言葉を使えばキラーアプリ、キラーコンテンツという考え方を心得ていた)。そして、これに追随するかたちでプロ野球に鉄道やメディア、食品、不動産企業などが乗り込んできた。

これによってプロ野球は60年代の高度経済成長ドラマの後押しをするような機能を果たすことにもなった。「巨人の栄光は日本の経済成長の証し」みたいなあやしげなドラマがリアリティを持ったのだ。その典型的なカリカチュアライズはマンガ「巨人の星」で、根性で刻苦勉励すれば、やがて栄光を掴むことが出来る、というドラマが当時の人々の心性に宿り、これが翻ってエコノミックアニマル的に、あるいは社畜的に働く日本人を作り上げる役割の一端を担うことになった。高度経済成長=プロ野球という図式が出来上がり、ここに企業が乗っかれば、そのビジネスモデルは成功し、膨大なファン=支持層を獲得することが可能だった(まあ、成功したのはもっぱら読売だったのだけれど。そして、もちろん、巨人主導だったのだけれど)。

あまたあるスポーツの一つでしかなくなったプロ野球

しかし90年代後半あたりから、この戦略は功を奏さなくなる。情報アクセスの易化が起こることで情報の受け手は自らの嗜好に応じて任意に情報を摂取するようになり、それによってスポーツへの嗜好も多様化。かつてのように「スポーツならプロ野球」「野球なら巨人」といった図式が崩れてしまったからだ。サッカー、バレー、パスケット、スケート、スキー、モータースポーツ、相撲……今や人々が「見る」スポーツは実に様々で、そんな中、野球は、もはやあまたある観戦スポーツの一つでしかなくなってしまったのだ(かつて観戦スポーツと言えば野球、相撲、プロレスの三つだけほぼ集約されていた)。

これはプロ野球が、マスメディアによる一元的な宣伝媒体としては機能しなくなったことを意味する。プロ野球を広告媒体として利用することの旨みが失われた。つまり、企業イメージや販売・視聴率アップのために球団を抱えたところで費用対効果が得られないという状況が生まれたのだ(ただし、プロ野球球団はスタンドアローンでは、それまでもそのほとんどが赤字だった。親企業としては球団経営の費用を広告費用の一部という認識で捻出していたのだ。これは、球団を通じて企業が全国的に知れ渡るという前提に基づいていたためだ。だが、この図式が崩壊した)。前述の巨人で言えば、かつては数十%の視聴率を誇っていたが、現在では一桁、さらにはキー局でも放送されない試合が増えているといった状況だ。

地域活性化のメディアのしてのプロ野球

当然、プロ野球球団としては収益モデルを変更する必要がある。そこで、現在、その方向性として推進されているのがJリーグのスタイルを踏襲した「地域密着」だ。

プラバタイゼーション、情報の多様化によるアクセスの易化(中央・大都市圏の消費的情報へのアクセスの集中)、流通網の整備による空間の規格化(コンビニ、ショッピングモール、ファーストフード、大手家電、ファミレスなどによって全国中の空間が均質化してしまう、いわゆる「ファスト風土化」)によって、地域は地域である根拠を失ってしまった。だが、それゆえにこそ、地域に暮らす人間にとっては地域に住まうことの存在根拠が欲しい。そして、これを記号的に集約するものとして93年、全国各地に誕生したのがJリーグの各球団だった。その理念はチェアマン・川淵三郎によって提唱された「Jリーグ百年構想」。「地域に根ざし、地域活性化の媒体=メディアとして機能することで運営を確保する」というJリーグの考え方は功を奏し、鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田、浦和レッズ、アルビレックス新潟、大分トリニータといった球団が地域活性化に貢献することになる(Jリーグはチーム名には親会社ではなく、全て地域の名前がつけられている。Jリーグ開始当初、「企業か地域か」という点でJリーグと揉めたチームがヴェルディだった。リーグ側としてはチームのホームタウンである「川崎」を冠した「ヴェルディ川崎」を要求したが、命名された名前は頭に企業名がかぶせられたプロ野球的なものだった。そして当初それをゴリ押しをしたのが巨人のオーナーである「読売」(渡辺恒雄)であり、実際チーム名が「読売ヴェルディ」であったことは、観戦スポーツの将来のあり方についての当時の立ち位置の違いを示すものだ)。

この成功を見てプロ野球も地域活性化メディアとしての球団経営に乗り出す。パリーグの日ハムや楽天イーグルスがそれだ。これらの球団は、いずれも新天地としてのホームグラウンドをローカルエリアに求め、地域活性化と球団運営の健全性の両立を図ろうとしている。現在では、それなりに地域に根付いているが(以前、北海道民のほとんどが巨人ファンだったが、現在は日ハムファンだ)、やはり資金繰りは容易ではない(プロ野球選手の年俸はJリーガーに比べるとはるかに高い。また球場使用料などの諸経費が足を引っ張る)。

それゆえにこそ、今回提案したマー君のようなビッグネームを海外に放出することで経済的安定を図り、なおかつ地域活性化をより強固にするというやり方は、「企業イメージ」ではなく「地域イメージ」の活性化としての球団経営という新しいプロ野球のあり方という文脈からすればきわめて適合的なのだ。

マー君をヤンキースに行かせよう!そして仙台をマー君グッズでいっぱいにしよう!