典型的な「箱物行政」の末路

大学内でのインターネットを用いた情報管理システムの多くがまともに機能しないことについてお伝えしている。前回はレポート管理がネットを使うことによってむしろ煩雑になること、学内Wi-Fiシステムがほとんど使われていない状況などについてお知らせした。ようする、膨大な手間と費用をかけて設備を準備したところで、宝の持ち腐れとなっているというのが現状なのだ。

こうなってしまう原因は簡単。大学という機関が競争原理に晒されることなく、体制迎合的、後追い的にしか社会に適応してこなかったためだ(もはやほとんどの大学はこんなことをやっている場合ではないのだけれど、見事な「鈍感力」で築かない)。いいかえれば、先ずはじめに「大学の古い体質」があり、こういった情報システムの無駄遣いは、大学の箱物行政の象徴的事例といえる。

具体的に示してみよう。社会全般が情報管理システムを組織に導入する。そしてそのためにインターネットを活用するようになる。すると、大学側は「ウチもやっておかなければマズイだろう」ということになり、重い腰を上げる。ところが、こういった体制迎合的な考えしかないので、理念、つまり何の目的のためにこれをやろうとするかについての動機が全くない。でも、やらなきゃならないと考える。すると、そこに謀ったかのようにのようにシステムインテグレータが登場する。で、「おたくのシステム請け負いますよ!」ってな感じで、一括してこれを請け負う。大学側としては、任せておけば安心と言うことで、ほぼ一任してしまう。で、出来上がるとどうなるのかと言えば、インテグレータは既存のシステム構築で培ってきた経験のみをもとに大学情報システムを構築する。しかし、それは、いわば「絵に描いた餅」。学生が情報環境をどう使いこなすのか、教員がどう使いこなすのかについて現実的な配慮がなされていない。

もちろん、企業=システムインテグレータが構築するシステムは一般企業の情報システムには適用可能だろう。というのも、発注した企業では、社員たちにそのシステムを有無を言わさず使わせることができるからだ。なんのことはない、使わないヤツはクビにすればいいだけの話。

ところが大学ではこうはいかない。学生たちはまだ社会のルールなんか全然知らない。遅刻、欠席、提出遅れ、書類未提出なんて行為がデフォルト。一方、教員の側も同様だ。大学教員は研究生活と大学院暮らしという、きわめてクローズドな環境の中で人生を過ごしてきた人間たちの集団。ということは社会との関わりがきわめて薄い。ちょっと極端に表現すれば、ある意味「社会的不適応」といった側面を持った輩が多い。で、そんな人間たちに企業で通用しているようなシステムを提供し、これを使用するように仕向けたらどうなるか……「人権侵害」「プライバシーをなんだと思っているんだ!」「学問の自由をこういった管理システムで阻害しようというのか?」「社会人のように勤務労働制にしようとするようなたくらみの一環にこれは見える。愚の骨頂だ」みたいな感じで、たちまち火の手が上がる(ちなみに、大学教員になればわかることだが、見なし労働制なので、一般の教員とは異なり、大学教員は本人の主体的な意識がなければ研究も教育も、学内行政もやらなくても済んでしまう。つまりほとんどヒマな毎日が続くのだけれど)。

これで、システムインテグレータの提供したシステムは「絵に描いた餅」になるわけだ。もっとも、そんなことであってもインテグレータの方としては気にする必要がないという側面もある。とにかく、契約すれば、その後のメインテナンスも委ねられることになり、お客(学生、教員)が来ようが来まいが、メインテナンス料金を大学側から定期的に受け取ることができるわけで。で、結局、ほとんど使われないシステムが、ひたすら動き続けるという「清のラストエンペラー=溥儀がいた紫禁城の中で毎日行われる、誰も見ない行事」的な状況が続くのだ。

セキュリティに対する認識の必要性

また、ヘンなところにもこだわるところも大学組織の情報システムがうまく稼働しなくなる原因となる。その典型が前回挙げておいたWi-Fiシステムだ。ログイン必要、一定時間利用しないとログアウトされてしまう。ルーターのアクセスポイントを移動するたびに再ログインを要求してくるなんていう、ややこしい状態になるために、学生や教員たちがスマホのWi-Fiシステムを切ってしまうのだが、こういった「使えなくなるシステム」を用意する背景には「セキュリティ」についての過剰な反応がある。

大学にも、もちろんセキュリティをしっかりと用意しなければならない情報は多々ある。だから、二重三重にロックするというわけなのだけれど、はたしてそのセキュリティはどれについて、どこまでやるべきかということについてほとんど考慮されていないのだ。

セキュリティに関するリスクというのは、ようするに「どこに線を引くか」で全てが決定する。わかりやすく説明しよう。もし、あなたが交通事故に遭遇したくなければどうすればいいのか。歩道を歩く、自動車を運転しない、極力歩道橋を利用するなんて方法が考えられる。しかし、それでも事故に遭遇する可能性が0%になることはない。いや、たったひとつだけ可能性をゼロにする方法がある……それは「家から出なければいい」のだ(もちろん平屋だったら家にトラックが突っ込んでくる可能性がないとは言えないので、これとて0%ににはならないのだけれど)。しかし、こういった可能性を徹底的に減少させることは、言い換えれば「社会生活をしない」ということと、ほとんどイコールになる。だから、社会生活をちゃんとするためには、リスクを抱え込むことを快しとしなければならない。もちろん、自己責任において。だからこそ「どこに線を引くか」、いいかえれば「腹を括るか」が問題となる。

大学の情報システムの構築は、まさにこういったリスクの徹底回避的立ち位置での設計が施されている。それは言い換えれば堅固なセキュリティを用意した結果、機能しない状態。こうなるのは、要するに何かを機能させるよりも「責任回避、自己防衛」と言った認識が先に立っているからに他ならない。だから動かないし、そうはいっても社会的責任?として情報システムは用意しなければならないので、アリバイ的情報システムを組む。その結果、うまい汁のすするのはシステムインテグレータだけということになる。ちなみに、一番損をするのは、このシステム構築のための膨大な費用を捻出している人間たち。そう、学費を支払っている大学生の親なのだ。

はじめに「何をしたいのか」ありきであって、情報システムがあるのではない

もちろん、こういった「お役所的」な箱物行政的なやり方ではなく、情報システムを適切かつ積極的に利用している大学もある(たとえばSFCなどはその典型)が、大学の多くは、ここで紹介したような状況だろう。

でも、これじゃあいくらなんでもだろう。もう少しフレキシブルな環境を用意して、大学運営の効率化、教育環境の柔術に役立てるような手立てを考えるべきだ。

たとえば、前述したWi-Fiシステムの問題。こんなものはとっとと仰々しいセキュリティを外してしまえばよいだけの話なのだ。もちろん、ただ外したのではさすがに危険。だから、どこにセキュリティを徹底的にかけるべきか、どこにかけないべきか、そしてどちらにすることで情報システムが最適化できるのかについての考察を行うべきなのだ(多分、現在のような厳重なシステムを用意することが必要となるような情報など、実は大学にはほとんどないと思うけれど)。それは、言い換えれば、どこまで大学側が責任を持てるのかについての議論にももちろんなるのだが。現状ではこういった「何のために必要か」という考察がなされず、「企業秘密」といったレベルでのセキュリティが引かれているという状態なのだ。

また、成績や学生管理、さらに加えればウェブサイト=オフィシャルサイト運営などのシステム構築についても、もっと効率的な方法を考慮すべき。これらは現状では大学サイトは「学生が最もアクセスする動機が働かない」場所。勉強、お仕事といった「必要」以外には用のないところであるし、だいいち使いもしないメルアドでアクセスするなんてバカらしい(学生の多くが大学から支給されたメルアドをちゃんと覚えていない。まあ、だからそれを察して学籍番号にしているのだけれど……それでも使わないし、覚えられないのが学生だ)。また、そんなサイトを膨大な費用をかけて構築するのもカネのムダだろう。

成績管理などについては、心配ならばネットから外してしまうか、まったく独立したシステムを用意すれば解決するだろう。学生側にはレポート提出は直接授業で(定期試験はもちろん教室で)、成績付けについては前述したように独自のシステムを用意してそちらで教員が入力する。使えるところと使えないところに対する吟味も、もちろん必要だ。

また、オフィシャルサイトなども、もっと簡略化してもいい。たとえばプッシュ機能を高めるためにFacebook上にオフィシャルサイトを展開するという方法もあるだろう。これについては佐賀県の武雄市市役所のオフィシャルサイトがFacebookに移行した例があるが、これによって市民(そしてそれ以外のネットユーザー)がよりアクセスが容易になり、さらにサイト構築のための経費も大幅に削減されている。大学もこれくらいのフレキシビリティが欲しいところだ。

と、実質的にはまともに機能していない、大学のインターネットを利用した情報システムの現状についてお伝えした。で、これについては前述したように、実は大学という教育機関の現状の体質を象徴した事態と考えることもできる。つまり、自らは新しい方向に梶を向けようとしない。でも、実はこういった大学教育、大学機関の停滞状況が、日本社会の停滞状況を招いている一因ともなっているのではないか?個人的には民間活力を利用し、競争原理を導入したような大学組織の再編が必要だと考えている。

ただし、こういったことを教員に認識させなければならないし、またこういった組織をプロデュースする人材を大学が確保しなければならないのではあるけれど(これがなかなか難しいのも事実だ)。ちなみに、僕は講義での提出物は全て現物、ゼミ生との連絡はFacebook、LINE、Evernote、Googleカレンダーを利用している。もちろん、こっちの方がはるかにお手軽に情報管理できるからだ。しかも、原則全てタダだ(Evernoteを除く)。で、個人的には、教員と大学がこれらシステムを利用すればおおよその仕事は済んでしまうと思っている。