ゆるキャラブームの行く末について、このコピーの提唱者・みうらじゅんのコメントをヒントに占うという試みを行っている。前回はみうらが、もはやゆるキャラに関心がないこと、そしてそれがみうらのイメージするゆるキャラとは異なった形でゆるキャラブームが展開したことに起因することを示しておいた。みうらがイメージしたゆるキャラは「コンセプトの詰めが甘い=ゆるいのでツッコミどころが満載」というもの。だが、だからこそ、そこに素人の無意識が付与する「意味の闇」があり、その「ヘン」さ加減が異化作用を誘う(この闇は、記号論では「美的機能」と呼ぶ)。では、現在のゆるキャラはどうなったのだろう。

ゆるキャラの三パターン

ゆるキャラは現在、大きく分けて三つのカテゴリーに分類可能だろう。

一つ目はみうらが指摘したようなプロトタイプとしての「本当にゆるい」ゆるキャラ。

二つ目はデザイナーたちがちゃんとデザインしているのでキャラクター自体は全くゆるくないゆる「な~んちゃってゆるキャラ」。ただし、これはこのキャラクターを動かすコンセプトの手の位置がバラバラなので、ゆるキャラに見える。これはひこにゃんとかぐんまちゃんが該当する。キャラのデザインはごくごくフツーのキャラクターでおかしなところはない。ただし、使い方がわかっていない。


三つ目ははじめから意図的にゆるいポイントを設定してある「確信犯としてのゆるキャラ」。いいかえればわざとツッコミどころを用意しておいて、受け手にそこに突っ込ませるようにしているものだ。この典型がくまモンで、これは以前にもブログで特集したが、日本でもピンのプロデューサーである小山薫堂が、デザインコンセプトを詰めた後、あえて意味の「闇」を付与したものだった。そしてその闇こそが、くまモンの瞳孔の開いた目だった。

こういったヴァーチャルなゆるキャラは他にもある。たとえば柳ヶ瀬商店街の「やなな」(引退)はそれだ。制作費1万円を謳っている、頭が段ボールの人魚というこのゆるキャラは、ドレスを着た女性の上に四角い段ボールのかぶりものをつけただけ。まさに「ツッコミどころ満載」に見えるが、ゆるキャラブームを踏まえてツッコミどころをトッピングしたというのがミエミエだ(そういった意味ではメタ的には1と考えられないこともないが)。またせんとくんも同様だ。その不気味さで物議を醸すような仕掛けがプロデュースされている。

フツーのデザインがされた「な~んちゃってゆるキャラ」の跳梁

この中でみうらの発見したオリジナルとしてのゆるキャラ、つまり1はほぼ絶滅状態と言っていいだろう。そして、もっとも一般に流布するのが2のデザインはフツーだがキャラを動かすコンセプトがゆるい「な~んちゃってゆるキャラ」だろう。

こうなった理由は簡単だ。21世紀に入ってからの価値観の一層の多様化の中で注目され始めたのが地方だった。たとえばB級グルメのコンテストであるB1グランプリ、テレビ番組「ひみつの県民ショー」といったイベントが組まれるようになったのだけれど(逆に言えば、中央と地方の経済格差の拡大についての”あがき”のようにも思える)、こういう「地方ブーム」「ご当地ブーム」の流れの中の象徴的存在としてゆるキャラといったキャラクターに脚光が浴びせられたと考えていいだろう。

ただし、こういったブームが発生すれば「ゆるキャラ」の開発と販売?をビジネスにしたような企業が登場する。つまり地方やマーケッターたちは、みうらの「ゆるキャラ」というコピーにビジネスチャンスを見出したのだ。その結果、全国のあちこちにゆるキャラ=ご当地キャラが登場するのだけれど、これらは要するに「フツーのプロ」の仕事。だから、実際のところは出来上がったデザインは既存の文法をしっかりと踏襲した無難な「ゆるくないもの」になってしまう。

つまり、新しく出現するゆるキャラは、ある意味、みうらじゅんが発見し指摘したゆるキャラの定義を踏襲したものとして開発=ねつ造される。みうらはゆるキャラの定義として1.郷土愛に満ちあふれた強いメッセージ性、2.立ち振る舞いが不安定かつユニーク、3.愛すべき緩さを持ちあわせているの三点をあげているが(http://www.oricon.co.jp/news/special/71089/)、これらはあくまでみうらがご当地キャラからボトムアップ的に発見したもの。ところがその後に出現するのは、この三つのコンセプトを踏まえて、これをトップダウンするかたちでゆるキャラが開発されるようになる。だから、実は「な~んちゃってゆるキャラ」(3のパターンも含む)でしかない。

にもかかわらず「ご当地キャラ=ゆるキャラ」という図式が設定されているので、これらも「ゆるキャラ」というカテゴリーで一括りにされたのだ。そして、全国各地でゆるキャラ=ご当地キャラが登場すれば、今度はスケールメリットがでてくる。つまり「赤信号みんなで渡れば怖くない」というわけで、大挙してゆるキャラが登場することで、一大ムーブメントとなったのだ。

そして、ゆるキャラブームは終わる

でも、これからゆるキャラはどうなるのだろうか?みうらじゅんの手を離れたのは、まあいいだろう。これが人口に膾炙し、定着し、さらにこれが地域興しの象徴的存在となって地域活性化に繋がれば万々歳なのだから。しかし、僕はそうはいかないだろうとみている。なぜか。

今やゆるキャラがゆるキャラであるゆえんは、前述したようにキャラクターのデザインではなく、これを動かすコンセプトにある。地方自治体や観光課などがキャラクターを使ったイベントを仕掛けていくのだけれど、いかんせん素人に毛が生えた程度の企画なのでトータルコンセプトはない。つまりゆるキャラを使った「場当たり」的キャンペーンしか繰り広げることはできない(まあ、だからこそゆるくみえているのだけれど)。だが、この「形式」ではなく「内容」のゆるさが、いずれゆるキャラの存在を脅かすことになるだろう。

たとえば、こんなシナリオが考えられる。ご当地の象徴としてゆるキャラは引き回し的に、あっちこっちのイベントに登場する。で、当初はこれで話は進んでいく。つまり、ゆるキャラが登場することでの集客効果を見込めることができる。ただし、それはあくまで「新奇性」といったものが担保になっているだけのこと。ということは、何度も繰り返すうちにこの担保はなくなってしまう。すると、当然のことながらゆるキャラたちは飽きられてくる。そして、その時、ゆるキャラはついに形式部分、つまり「フツーのゆるくないキャラ」という正体を現してしまうのだ。当然、消費者は飽きてしまい、やがてゆるキャラが登場しようが集客効果は期待できないという事態に陥る。そしてコンセプトがないので、後が続かない。で、あとはじり貧。

おそらくこういった事態が五年もたたないうちに起こりうるのではないか。今から10年後、「そういえば、あの頃、ゆるキャラってのが流行ってたよね」って昔を懐かしむような会話をしている。そんな映像が僕の頭の中を過ぎるのだ。

じゃあ、どうすればいいのだろう?(続く)