オタク、いやマニアをキャストに配置する

TDL=TDRをディズニーオタク=ディズヲタから取り戻すための戦略を考えている。その具体的な方策として現在のディズヲタに向けた消費文化(消費されれば消えてしまう文化)的な戦略に加えて伝統文化(未来に永続する文化)的戦略を追加することを提案した。前回はそのハード面について取り上げた。これは施設にテーマ性に基づいた物語の関連づけを復活させ歴史的・知識的コンテクストを流し込むことによって可能になることを指摘しておいた。

ではソフト面、とりわけキャストについてはどうだろう?これもハードと同様「大人のディズニー」向け、つまりディズヲタと子ども向け以外のキャストを用意すればよいだろう。しかも、そこに配置するのは、なんとオタクのキャストだ。いや、厳密に言えばウォルト=ディズニー原理主義のマニア(ディズニーについてのジェネラルな知識を持ち、そのいわれを物語ることのできるキャスト。オタクは情報量が多いが「物語」を語ることが出来ない)と表現するべきだろう。当然、そういった人材はある程度、高年齢の人間ということになるけれど。

キャスト、実はそこそこのホスピタリティしかできない

TDRのキャストについては、パークのイメージを構成する重要な要素としてしばしば語られるところだ。つまり、あの痛快なりきりで、笑みを絶やさないホスピタリティがパークを彩る重要な要素になっているという指摘だ。実際、キャストのすばらしさについてはかなりの文献が出版されているほど、その評価は高い。

しかし、よくよく考えてみると、このキャストは文献やメディアが絶賛しているお陰で「そうでもない」という側面が常に隠されてきたのも事実だろう。キャストたちはよく教育されているということは確かだけれど、一定レベルでしっかり管理されているということも確か。その管理のされ方は、いわば「80点主義」とでも表現したらいいのかもしれない。キャストたちは、原則マニュアルにあることしかすることを許可されていない。たとえばジャングルクルーズのガイド・スキッパーを例にとってみよう。彼らの語り、実は30年間、ずっと同じだ。「今から珍しいものをお見せします……滝の裏側です」であるとか、最後に「それでは、最後にみなさんを一番恐ろしい場所にお連れします。……それは文明社会です」といった台詞は一切変更されていないのだ。もし、ディズニー世界をゲストたちにもっと楽しませたいと思うのならば、スキッパーたち全員に同じことを喋らせるのではなく、それぞれのアドリブを生かさせて自由に語らせた方がよっぽど面白いはずだ。だが、こういったことは一定の範囲以上は許されてはいない。その理由が「80点主義」なのだ。

キャストたちは、しょせんバイト。だから数年もすれば辞めていく。そんな連中にディズニー世界を徹底的にたたき込んだとしても費用対効果的にメリットはない。しっかり教育を施した挙げ句、去られてしまうからだ。だったら、同じ喋り、同じ対応で品質を揃えてしまった方が全体のクオリティをアップし、そのレベルを維持することが可能になる。これはトヨタのクルマがよく出来ているけど面白くない、ヤマザキのパンが安くてそこそこ食べることができて飽きが来ないけど決して「すごくおいしい」とはいえないというのとおなじ。要するに人間をパッケージ化して動きをコントロールしているわけだ。

で、パーク内で働くキャストの多くは二十歳前後の若者。まだ社会的スキルが身についている年齢ではないので、ディズニー的世界観は持ちにくい。それは言い換えれば、自らの視点でアドリブを飛ばすようなことはちょっとむずかしい人間たちだ。なんなら、キャストたちにいろんな質問を浴びせてツッコミを入れてみるといいだろう。十中八九はフリーズしてしまうはずだ。だから80点主義で徹底管理してしまえばいいというわけだ。だが、それはまさに消費文化的な「感情労働」「パフォーマティブ労働」。その対応に奥行きは一切感じられない(だから、彼らのパフォーマンスはせいぜい、大仰な紋切り型のパフォーマンス程度になる)。そして、こういったパッケージ化された「企画もの」そして「規格もの」の対応、つまり奥行きのないホスピタリティは「大人のディズニー」にとってはふさわしいものとは言えない。底が浅すぎて、そのスキルの低さがミエミエになってしまうからだ。

存在それ自体が伝統文化のキャストを配置する

そこで、これをもうちょっと含蓄のあるものにしてしまうのだ。アメリカのディズニーランドにはかなりの割合で年配のキャストが働いている。十年以上なんてのも結構ザラだ。たとえば僕が以前フロリダ・ウォルトディズニーワールド・マジックキングダムにあるシンデレラ城内のレストラン「シンデレラのロイヤルテーブル」でプライオリティーシーティングをした時のこと。その受付を担当していたのはものすごいおばあちゃんだった(だから予約を取るのにも一苦労したのだけれど。ほとんど志村けんが演じる「ひとみばあさん」状態だった)。で、このキャスト数年後にここを訪れたときにも、まだ働いていたのだ。こういったキャストたちは本人がディズニー世界の生き字引になるし(語りの面でも、また存在そのものの面でも)、また長年働いているから80点主義ではなく、自由に活動させてもディズニー世界を彩る存在になる。こういった年配の、しかも長年働き続けるキャストをある程度恒常的に配置することで、今度はソフト面でも「いわれ=歴史のシワ」を刻むことが可能になる。「あそこにいけば、あのおばあさんに会える」というわけだ(ちなみに、若干だが、最近は年配のキャストも現れてはいる)。

かつて、TDLにもパークの生き字引のようなキャストが存在した

ちなみに、こういった歴史のシワ、実はTDLにもかつて存在した。その典型がディキシーランドジャズを奏でていた外山嘉雄だ。わが国最高峰のディキシーランドジャズ・トランペッターにして日本人唯一のニューオーリンズの名誉市民である外山は、ロイヤルストリート・シックスとバーリーバンドでの活躍を含めてTDLで23年に渡り演奏を続けたTDLの名物的存在だった。70年代から彼のファンだった僕は80年代前半、パーク内で外山さんに遭遇してびっくり。以後、彼の演奏を聴くことはTDLを訪れる楽しみの一つとなっていた。

こういった外山的な歴史のシワを持った存在をある程度偏在させることで、消費文化=オタクのTDLと伝統文化=大人のディズニーは共存が可能になるのではなかろうか?ちなみに本格的な「大人のディズニー」戦略は、直近では費用対効果的には明らかにマイナスになるはずだ。つまり顧客に対する費用単価が上がってしまう。しかし、長期的に見た場合、これは顧客=ゲストを永続的に引き留めるための格好の手段となるのだから、実はビジネスとしては最終的には十分見合ったものとなる。そして、もっと大きなことはTDL=TDRといった娯楽施設が、日本においても伝統文化として認められるという点だ。もうそろそろTDR=オリエンタルランド側はこういったイノベーションを行う次期に来ているのではなかろうか。

でも、実は、まだもう一つTDL=TDRの未来を考えることが出来る。しかも、それはここまでの議論を全部ひっくり返してしまうものなのだけれど。最終回は、それについて考えてみよう。(続く)