前回まで東京ディズニーランド(TDL)とゲストの歴史がTDL→ゲストからゲストやTDLへの教育者の転換というかたちでまとめられ上げることを示しておいた。つまり、当初はディズニー・リテラシーの低かったゲストに対し、TDLがディズニー世界の知識を提供する役割を担っていたのだが、21世紀に入りゲストたちがリテラシーを向上させると、逆にTDLのあり方についてゲスト側が要求するようになった。ただし、それは大量のディズニーオタクを誕生させ、それが結果としてディズニーランドの基本であるテーマ性をどんどん破壊させて、パーク内がごった煮的なアキバ・ドンキホーテ状況を現出させた、と。じゃあ、これからTDLそしてTDRはどんな方向に進んでいくべきなのだろうか?

伝統文化=米・ディズニーランドと消費文化=TDL

これを考える上で「消費文化」と「伝統文化」という言葉を持ちだしてみたい。
ディズニーランドはそもそも消費文化と呼ばれるカルチャーに属する(遊園地というカテゴリーに属するビジネスだから、あたりまえといえばあたりまえだけど)。消費文化は消費し尽くされれば、やがて世界から消えていく文化。だがウォルト・ディズニーが志向していたのは、消費文化としてのディズニー世界を伝統文化的なものへと転換すること、つまりディズニー世界を未来へと永続する存在へと昇華させることだった。そして、その方法論として捉えていたのが、消費文化から世界に認知されるアメリカの伝統文化へと昇華したハリウッド映画の世界の中にディズニー世界を埋め込むことだった。ウォルトが全財産をつぎ込んで”Snow White”や”Fantasia”を制作した理由にはこういった経緯がある(それまで、つまり1930年代前半まで5分程度の短編をもっぱらとしていたディズニーの作品群は、映画と映画の間の「箸置き」的な位置づけだった。アニメは純粋な消費文化としてしかみなされていなかったのだ)。

ウォルトは遊園地というカテゴリーにも同様に消費文化の伝統文化化を目論む。それがテーマ性を徹底させ、さらにそこに重層性を加味させていくディズニーランドというコンセプトだった。パーク内は統一した大きなテーマ=Magic Kingdomにサブテーマ=テーマランドを設け、それぞれの環境内をテーマに基づいて細部まで作り上げる。また、そのリノベーションにあたってもテーマ性との関連を持たせながらこれを行うというスタイルを貫いたのだ。こういった「テーマ性の徹底」は、ウォルト死後もアナハイムのディズニーランドでは踏襲し続けられ、その結果、アメリカにおいてディズニーランドは消費文化が昇華された伝統文化として、そしてアメリカ国民の「聖地」として位置づけられることになったのだ。

だがTDLは、こういったウォルトのコンセプトとは全く逆行した道を歩んでいった。つまり徹底した消費文化を貫いていったのだ。具体的には顧客=ゲストのニーズに基づいて、どんどんとその環境を変容させていったのだ。だから、そこには過去の痕跡はほとんど残されておらず、歴史の重層性はうっすらとしか感じられない。アナハイムが「ひたすら過去を振り返りながら未来が構築される」ものであるのに対し、TDLは「一切、過去を振り返らない」のである。

ゲストをセグメンテーション

そこで、TDL=TDRを消費文化の空間として、今後のあり方を、やはりTDRとゲストの関係から考えてみよう。
まず、ここでは顧客=ゲストのセグメンテーションを行ってみたい。ゲストは表層的にはリピーターとそれ以外というかたちで二分できる。これは既に統計的に明らかなように9:1の割合だ。ただし、これではあまりに大雑把。そこでリピーターの中身を三つに細分化させ、トータルで四つのセグメントに分けてみよう。1.一見さん、2.数回訪れたことのあるリピーター、3.何度となくやってくるオタク・リピーター(以下「ディズヲタ」)、4.ウォルト=ディズニー原理主義のリピーターだ。

他のセグメントの興を殺ぐディズヲタたち

この顧客層のうち3のディズヲタは、それ以外の顧客(とりわけ2と4)のニーズを奪ってしまうかたちになっている。ここまで示してきたように、オタク・リピーターたちはそれぞれのオタク的なディズー嗜好によってTDL=TDRを消費する。彼らがパーク内を散策する際には消費のレベルはきわめて「目的的」かつ「活発」だ。つまり、どのグッズを購入し、どのアトラクションに乗り、どの食べ物を食べ、どのイベントに加わるかといったことが問題となる。しかも「いち早く」というのがポイント。誰よりも先にTDL=TDRの知識を吸収し消費することがアイデンティティだからだ。だから事前に情報を仕込み(インターネットで新しい商品の情報とか、ニューアトラクションのスニーク・プレビュー(=オープン前の抜き打ち内覧会)などをチェックしている)、それらの目的を達成すべく、ある意味「目をギラギラさせながら」足早にパーク内を闊歩する。彼らの割合は過半数というわけではないが、かなり多い。消費活力も高く、またその行動によってきわめて他のゲストからすれば目立つ存在になる(TDR側からすれば、恒常的にたくさんのお金を落としてくれる「有り難い」ゲストでもある)。

だが、こういったディズヲタたちは残りのセグメントのゲストからすればノイズに他ならない。1と2のゲストにとってはTDLはフツーに楽しむ「夢の空間」だ。どんなアトラクションに乗ろうか、何か面白いものはないかと興味を抱いてパーク内を散策しようとするのだが、その前を目をぎらつかせたディズヲタたちが通り過ぎるのだ。非日常に浸ろうとするこういった一般のゲストからすれば、仕事のように、さながら「業績原理」でパークを動き回るディズヲタたちは非日常感覚を日常に引き戻すような存在でしかない「異様な存在」。だからディズヲタに遭遇することで、彼らは著しく興を殺がれることになる。で、気持ちが悪いので、もうあんまりパークに向かおうとする気持ちを持てなくなる。

4のディズニー=ウォルト原理主義のゲストからすれば事態は一層深刻だ。ディズニー世界を体感すべくやって来ているのに、パーク内を闊歩するディズヲタたちは興を殺ぐどころか、自らの世界観を破壊するものとすら映る。原理主義者たちからすればディズオタたちは「全くわかっていない連中」、そして「敵」なのだ。だから、原理主義的な考えを抱くようになればなるほど、パークに向かわなくなる。で、彼らにとってディズニー世界が存在するのはアメリカのディズニーランドということになる。

ディズオタたちが創造するTDL=TDRの危険性

現在、年間2600万の入場者を数えるTDRだが、もしこのままオタクランド化を進めていけば、その将来は少々暗いかもしれない。今のところTDRにディズオタが大挙して押し寄せていることに気づいている人間は少ない。だが、現在の状況に拍車がかかり、いずれここがオタク・ランドで一般の人間が近寄りがたい場所になることが一般に認知されるようになれば、セグメント2のゲストは大幅に減っていくだろう。そして既にセグメント4の層はTDRから大幅に撤退しつつあると僕はみている。もし、こういった状況が続いていけば、最終的に顧客層は一見とディズヲタ、そしてテーマ性を全く理解しない子ども=若年層ということになる。言い換えれば「年齢的にも精神的にも大人」の層、つまり子どもでもオタクでもないゲストにとってTDRは単なる「子どもが行くところ」ということになるのだ。つまり「フツーの遊園地」(ただしこれに怪しさがプラスアルファされるが)。これはウォルトが想定したものと正反対のディズニーランドということになる。ウォルトが考えたのはファミリーエンターテインメント、つまり老若男女すべてが楽しめることめざしたパークなのだから。ちなみに子どもは大人に連れられてやってくるけれど、これが大人になるにつれて二つの層に分かれていく。大人の鑑賞眼が芽生えたゆえにここから撤退するか(大人として子どもを遊園地に連れて行くという役割だけが残る)、ディズヲタになるかのどちらかだ。こういった方向へ進んだとき、現状の年間入場者が減少に転じることは十分に想定しうることだろう。

じゃあ、TDL=TDRがそうならないようにするためには、つまり永続し、大人も楽しめるものであり続けるようにするためにはどういった方策が考えられるのだろう?ただし、こういったディズヲタたちも取りこむかたちでという条件付きで……(続く)