前回はイノベーションが「無から有を生むこと」ではなく「有と有から新しい有を生むこと」、つまりAとBを組み合わせることでAでもBでもない、創発性を持ったCを誕生させることであることを指摘しておいた。そして、これが芸術や発明の基本であることも述べておいた。

では、今回のテーマであるスティーブ・ジョブズはどうだろう?つまり彼はイノベーター、つまり
AとBからCを生み出す人間であったんだろうか?

「徹底した職務遂行能力」とはイノベーションのこと

アップルに16年間勤務した経験を持つ松井博氏は、ジョブズはイノベーターであると言うよりも「徹底した職務遂行能力」の持ち主であり、これがジョブズ復帰後のアップルの繁栄をもたらしたと指摘している。言い換えれば「徹底した職務遂行能力」はイノベーション=技術革新とは関連がないという視点だ。

はたして、そうだろうか?

ジョブズが97年にアップルに復帰後、はじめたことは「徹底した組織の整理」だった。さながら「不良が跋扈する底辺高校のようなひどい状況」(松井氏の指摘)、つまり、まったくといっていいほどまとまりのないアップルという企業(各自が勝手に開発をやっていた) に大鉈を振るい、組織を統合していった。また夥しい数の製品をプロ用ー一般用、デスクトップーノートという二つの軸によって構成される、たった四種類だけにしてしまった(Power Mac、iMac、PowerBook、iBook)。つまりジョブズが行ったことは、すでにそこにあった組織やプロダクトを取捨選択し、残ったものそれぞれに磨きをかけた上で統合し、さらにそれらをつなげて見せたのだ。残された製品群やコンセプトは、いうまでもなく、ジョブズ復帰以前から存在するもの。ところがこれをつなげることがアップルでは行われず、それぞれの開発が原子化していた。ジョブズはこれを恐怖政治を行うことで実現したのだ。これは「有と有の結合」。つまりイノベーションに他ならない。そして、これは松井氏の著書『僕がアップルで学んだこと~環境を変えれば人が変わる、組織が変わる』で表した内容そのものだ。つまり、松井氏自身、実は著書の中でジョブズのイノベーションについて語っていたことになる。

ドットをつなぐ

ただし、これだけでジョブズを秀でたイノベーターと評価するのはちょっとおかしい。この程度のことをやってしまう企業家、起業家は山ほどいるのだから(こういった「徹底した組織の管理」を行うイノベーターを知りたければTBSの番組『がっちりマンデー』あたりでも見ればいいだろう)。

では、ジョブズはどこが異なっているのか。

2005年、ジョブズはスタンフォード大学でスピーチを行っている。きわめて有名なスピーチで教科書にまでなるほどのものだったが、その冒頭、ジョブズは自らの生い立ちを興味深い表現で語っている。それは”connecting the dots”、つまり「点と点をつなげる」ということばに集約される。ジョブズはリード大学に入学したが半年ほどで中退してしまう。だが、その後18ヶ月の間ニセ学生として大学に居座った。ジョブズはカリグラフィーの授業に興味を持ち、もっぱらこれだけの授業に出席し続けたのだ。そこでジョブズが学んだのは書体、そしてプロポーショナルフォント(文字ごとに文字幅が異なるフォント)などのタイポグラフィーだった。

そして、この経験が84年に発表されたMacintosh(以下Mac)に結実する。ジョブズはゼロックスのパルアルト研究所で見たAltoというGUIマシーンに魅せられ、この開発スタッフを根こそぎ引き抜いてMacの開発に着手する。その結果、実現したものはウインドウ、マウス、デスクトップ、ポインタからなるAltoそっくりのマシンだった。ただし、全く違っていたところが二つある。一つはその大きさ。Altoは巨大だったがMacは運べるほど小さかった(実際、で片手で持ち運びができるよう、上部に取っ手がつけられていた)。そしてもう一つがカリグラフィーを反映したもの。つまりさまざまな書体、そしてプロポーショナルフォントだったのだ。ジョブズはこのスピーチで自分がリード大学でカリグラフィーの授業を受けていなかったら、マックが複数の書体もプロポーショナルフォントも持つことはなかっただろう。いや、現在のパソコンが美しいタイポグラフィーを持つこともなかっただろうと述べている。

ドットをつなぐとは、ようするに有と有を結びつけることに他ならない。そしてマックの開発にあたってジョブズはA=AltoのGUIをパクリ、B=カリグラフィーのフォントをパクリ、その結果C=マックという、その後(ただし、マックが発表されて十年後から)パソコンのデファクトスタンダードとなるようなOSのインターフェイスを開発したのだ。まさに、これはイノベーションに他ならない。

パラダイムを超える

そして、このイノベーションは既存のイノベーションとはその質を異にするものだ。通常、イノベーションはパラダイム、つまりひとつジャンルの中の有と有をつなぐ場合がほとんどだ。新しい料理を創作するにあたって、その食材を変えてみるというようなやり方はその典型。たとえば家系のラーメンであるならば、醤油ととんこつを合わせて「醤油とんこつ」という新しい種類をつくように(ともにラーメンというジャンル=パラダイムの範囲内のものを組み合わせている)。

一方、革新的なイノベーターは、パラダイムを超える、パラダイムを横断して有と有を結びつけるという作業をやってしまう。前回指摘したエジソンやビル・ビルゲイツはその典型で、前者は発明品=創造と特許=法律を、後者は発明品=創造と特許、そしてリースというビジネスモデルをつなぎ合わせている。つまりパラダイムを横断したかたちで新しい有をイノベーションしている(だから、画期的な成功を遂げたわけだ)。

そしてジョブズもこれと同じ。だが、ジョブズの場合はこのパラダイム間の振り幅が大きい。つまりコンピューターという「テクノロジー」とタイポグラフィーという「アート」という、常識的には考えづらい結合を行ってしまうのだ。そしてこういったパラダイム横断的なイノベーションを次々と生み出したのがジョブズだった。ちょっと、あげてみよう。

1.パーソナル・コンピューター:70年代、「マイコン」と呼ばれていたパソコンをディスプレイ、ディスケット内蔵の本体、キーボードという三点セットで売り出し、パソコンというジャンルを作り上げた。これはギークやナードのホビーであったパソコンをビジネスや一般家庭に持ち込むきっかけとなると同時に、その後のパソコンの基本スタイルを構築した。

2.Macintosh:デスクトップ上にウインドウ、ポインタを表示させ、マウスとキーボードで操作させるパソコンを世に問うた。また、巨大だったパソコンを10キロ程度に軽量化し、可搬性を持たせた。これによってパソコンはプログラムするのではなくアプリを利用するマシンというとらえ方を提示した。そして前述の書体が組み込まれた。

3.iMac:パソコンを一体型の透明な筐体に収め、インターネットへの接続を標準のものとした(LANケーブルが標準装備されていた)。それによってパソコンはインテリアとしての意味合いを含むものになると同時に、多くの人間をインターネットの世界に導いた。つまり、パソコンというジャンルとインテリアというジャンル、さらにネットの世界をつなぎ合わせた。

4.iPod:ハードディスクストレージ利用(後にメモリー)の音楽プレイヤーの世界を開いた。だが、単にそのようなマシンを売り出すのではなく、これを操作するソフトウエア・iTunesをセットにすることで、音楽というジャンルとコンピューター、そしてインターネットというジャンルをつなぎ合わせた。

5.iPhone:iPodという音楽、携帯電話、インターネットディバイス、そしてアプリを電話の形式の中に押し込んだ。これによってスマホというメディアが生まれ、その普及とともにインターネット社会の本格的な幕開けを導いた。

リベラルアーツ=テクノロジーとアートの交差点

こういった一連のパラダイム横断的な接合の基本的立場をジョブズはリベラルアーツ、テクノロジーとアートの交差点ということばで結んでいる(これは理系と文系の接合と言ってもいい)。つまり、ジョブズは常にジャンルという存在そのものを問うことを志向した。ジャンルを乗り越え、横断させて新しいジャンルを作ろうとしたのだ。しかもそのやり方は常に大衆へ向けてのもの、言い換えれば「テクノロジーをいかにして一般化し、誰もがアクセス可能なものにするか」を問い続けたものだったのだ。こういった視点でジョブズの仕事を見てみると、その方向性は見事に一貫していることがわかる(そしてそれこそがジョブズの美意識であり哲学であったわけだ)。99年に打ち出されたキャンペーンの”think different”というコピーは、まさにジョブズ自身のためにあったことばだったのだ。

アップルの未来~ティムクックに欠けているもの

2011年10月。ジョブズは逝去する。指導者亡き後のアップルの舵取りを行うのはティム・クックだった。そして、現在、アップルのイノベーションについては疑問が持たれるようになっている。なぜか?

クックはマネージメント能力に優れている。つまりパラダイム内のイノベーションが得意という存在だ。ジョブズ時代はパラダイム横断的な発想をするジョブズとタッグを組むことでその能力を遺憾なく発揮していた。だが、ジョブズ逝去後、アップルは新しいパラダイムシフトを世界に巻き起こすようなプロダクトを発表していない。ひたすらジョブズ時代の製品の洗練と焼き直しに甘んじている。そして、それは当然のことながらクックにはジョブズ的なイノベーションを生み出す力が無いということを意味する。だがそれは、要するに現在のアップルがリベラルアーツとして、常にジャンルを超えるというようなことはやれていない、一般企業とさして変わらない存在に成り下がっているということでもある。このことはジョブズ時代にはあった「アップルは次にいったい何をやるんだ?」という、パラダイムを根本から破壊してくれるようなワクワクした期待感をユーザーが得られなくなっていることが傍証している。

さて、ではアップルはどうなるのだろう?新しいパラダイムシフトを生み出すことができるのだろうか……それは未知数だ。しかし「宇宙に衝撃を与えること」に欲望を見いだしていた男が去った企業からすると、これはなかなか難しいことなのかもしれない。やはり、アップルはジョブズのイノベーションによって展開していた企業だったのだ。

そう、ジョブズは「とんでもないパクリ屋であり、ペテン師」だったのだ。でも、それは「とんでもないイノベーター」という表現と全く同じことなのだが。