ネット上の混乱、とりわけ急激に普及するSNS(この場合Facebook、Twitter、mixiなどの狭義のSNSを指すことにする)のそれについて考えている。これを考える軸として、前回の最後に「パブリック-プライベート」「匿名-有名」「インストゥルメンタルーコンサマトリー」「コミュニケーション志向ー情報入手志向」の五つを提示しておいた。で、ここからは、これらそれぞれについて、そしてそれぞれが絡むことによって発生している事態について考えていこう。

先ず混乱要因として、最もわかりやすい「パブリック-プライベート」の軸だ。われわれは無意識のうちに、公共の場とプライベートな場を使い分けている。今回はこれについて取り上げてみよう

パブリックとプライベートは文化によって恣意的に決定されている

これは、たとえば裸体と例にとって考えてみるとよくわかる。原則、われわれが裸体をみせる場所はプライベートな空間だ。家族、恋人、そしてたった一人の空間で僕らは裸体になる。ところが、裸体は状況によってはパブリックな存在ともなり得る。それは銭湯に入ることを考えればわかりやすい(銭湯の英語は”public bath”だ)。この時、われわれは見知らぬ人間同士でありながら、互いの裸体を露出する。裸体の露出は男女間でも何ら違和感なく行われることもある。わかりやすいのは混浴だけれども、その他にも男性医の前で女性が裸体になる(その逆ももちろん同じ)、スポーツクラブの男性ロッカールームのメインテナンスを女性がやっているなんてのもこの部類に属する。

つまり、われわれはシチュエーションによって裸体をパブリックなもの、プライベートなものとして使い分けているわけだ。そして、このような「使い分け」は社会の文化・制度的側面によって規定されている。だから、これに僕らは違和感を抱かないわけだけど。逆に言えば文化圏が異なれば、自分がプライベートなものと思っているものが突然パブリックになったり、その逆になったりする。最近はどうだかわからないが十数年前の中国だったら公衆便所で用を足すことは、外国人にとってはかなり苦痛だった。というのもトイレに扉がなく、用を足しているところが順番を待っている人間に丸見えだったからだ。もちろん、中国人たちはそんなことは一切気にとめる様子もなかったのだけれど。

SNS上で展開されるパブリックとプライベートの混乱

さて、インターネット、とりわけSNS上では、現在のところこのパブリックとプライベートの線引きがはっきりしていない。十年も前から「ネチケット」、つまりネット上のエチケットみたいなことが言われてきたが、このネチケットはなかなか守られていない。というのも、ネチケットと言ってもリアルのエチケットをそのまま踏襲しただけのものなので、それがインターネット上のエチケットにも適用可能かは全くもって未知数だし、インターネットユーザーがこれを支持しているわけでも必ずしもないからだ。だから、それぞれの使い方がバラバラで混乱し、それぞれが勝手な基準でパブリックとプライベートを使い分けている。

鬼塚ちひろは素っ裸で路上に出てしまった?

その結果、ネット上で発生しているのが、いわば「素っ裸で路上に出る」「屋台ラーメン食べるためにタキシードで決めてくる」みたいな現象だ。つまり前者はプライベートをパブリックな状況に持ち込むこと、後者はその逆を意味している。基準=スタンダードがないのだから、誰もがある程度、この手のことはやっているのだけれど、その中には明らかに度が過ぎていて、事件や揉めごとになるなんてこともしばしばある。たとえば直近の例であるならばTwitterを始めたばかりのミュージシャン鬼塚ちひろが突然「和田アキ子殺してぇ」「紳助も殺したえ」なんてつぶやいてしまったのがその典型。これ、鬼塚という個人が身内の間で酔っ払って吐いているなら何ら問題はない。つまりプライベートな空間でやっていればいいものを、Twitterというネット上の公的な場でつぶやいてしまった。だから、メディアで騒がれてしまうということになってしまったのだけれど。そして、こういった公私の区別が付かない状態でSNSを利用することで、たとえばTwitterは「バカ発見器」になったわけだけれど(ということは鬼塚もまた「バカ」として発見されてしまったということになる)。

ただし、この混乱にいっそうの混乱を来すのが、残りの様々なタームなのだ。では、どうやって?(続く)