スマホの普及は本格的なインターネット時代の夜明け

スマホの普及でインターネットを頻繁に利用する層が爆発的に増加している(スマホはネットブラウズや音楽機能付きのケータイではない。そうではなくて音楽機能やケータイ付きのコンピューター=アプリとインターネットマシンだ。この事実は、徐々にだが浸透しつつある)。

インターネット元年と呼ばれた96年。だが、当時インターネットを本格的に使いこなせる層は一部だった。これはWeb2.0と呼ばれ、ブログや検索、インターネットビジネスが本格的になったと呼ばれた2004年当時も同じだった。これらはいずれも「ユーザーが能動的にネットにアクセスするようになった」、具体的にはネットを使って情報発信するようになったということをインターネットの普及と捉えていたのだけれど、その認識からしても、当時はまだまだインターネットの普及とは言えないものだった。要するに当時、人々のほとんどはまだま,ネットを通じて情報発信していない。その理由は、インターネットがもっぱらパソコンというメディアを通してしか利用出来なかったためだ。つまり、ネットユーザーがパソコン・ユーザーに限られ、それが決定的な足枷となっていたのだ。

ホームページもブログも情報発信を促すツールとしては弱かった

ところが、スマホの普及によってこの事情は大幅に変化した。つまり受け手の能動性、受け手の情報発信があたりまえになり、しかもその数が膨大なものになったのだ。つまり、インターネットの普及は「ユーザーの情報発信力の上昇」ということで説明が付く。

ちょっと遡りながら、あらためて説明してみよう。まずインターネット元年の時代。この時にはホームページを作成することで情報発信が可能になったと言われた。ただし、当時ホームページで発信するためにはHTML言語でプログラムを打たねばならず(これ自体は、それまでのプログラムに比べればはるかに簡単なものだったのだけど)、時間もかかるので、一般の人間が食指を伸ばすにはちょっと敷居が高かった。

次にWeb2.0で情報発信の可能性として注目されたのはブログだった。ワープロを打つより簡単にホームページを作成できるブログで多くの人間が情報発信を始めたとされたのだ。しかし、前述したようにブログを作成するインターネット・ユーザーは先ずパソコンユーザーでなければならなかった。だから、ワープロより簡単と言っても、パソコン所有という第一ハードルが設けられていたのだ。これで、普及に足枷が付く。

スマホが推進した情報発信力の上昇

こういった情報発信への敷居がスマホによって一気に取り払われる。先ず、スマホはケータイ(=ガラケー)の発展版、あるいはタッチパネル版というイメージを振りまくことで、ネットアクセスにあまり気持ちが向かわない大量のネットユーザーを創り出した。というか、ガラケー・ユーザーに、スマホを「ケータイの変形版」と騙してこれに切り替えさせることで、それが結果としてネットユーザーを自動的に大量に創り出すことになってしまった。なんのことはない、スマホユーザー=ネットユーザーなのだから(ネットを使わないスマホユーザーなど、ほとんどいないだろう)。これでネット=パソコンという軛が取り払われた。

そして、これにブログ以上に情報発信をカジュアルにするツールが搭載される。SNS、とりわけFacebook、Twitter、そしてmixiだ。もともとガラケーでメールを打つことは慣れている。この情報発信をSNSに移行させれば、それは文字だけでなく、音や画像、映像までがカジュアルに発信可能となる(たとえば、スマホで撮影した写真をソッコーフェイスブックにアップなんてことをユーザーはみ~んなやっている)。そう、当初はホームページが情報発信の画期的なツールとされていたインターネットメディアだったのだけれど、最終的にユーザーの情報発信はこういったSNSに収斂していったのだ。そして今やFacebookの人口は9億人と呼ばれている。世界中の人間がネット上で情報発信するようになっているというわけだ。

技術インフラの充実に追いつかないユーザー側のインフラ

しかし、こういった急激な情報発信者の増大傾向にもかかわらず、その中で情報発信する人々の発信様式はまだまだ流動的なままだ。インターネット上でのコミュニケーションのあり方は定まっていない。もちろん、制度面での対応もまだ未整備のまま。そこでこの使い方を勘違いした連中が、ネット上で物議を醸すことになる。前回特集したTwitter上で公共で表明してはヤバいようなことをヘーキで披露してしまい、墓穴を掘るような輩が登場するのだ(だからTwitterは「バカ発見器」と呼ばれているのだけれど)。言い換えれば「ネットの常識」はまだまだ制度化されていないし、慣習化されてもいない。受容レベルが技術レベルに追いついていないのである。

で、今回はこの混乱状況についてメディア論的に考えてみたいと思う。その際キーポイントのなるタームは「パブリック-プライベート」「匿名-有名」「インストゥルメンタルーコンサマトリー」「情報入手志向ーコミュニケーション志向」の五つだ。

さて、この混乱、どういうふうに考えられるものだろうか?(続く)