長期にわたってディズニーランド(TDL、TDS)ファンだった人間たちが、近年、ファンから離脱しつつあるのではないかという現状について考えている。この前提が正しいと仮定して、ではなぜ彼らはなぜ離脱するのか。

ウォルトが徹底的にこだわった「物語」

このブログでは何度も指摘しているけれど、Disneyの創始者ウォルト・ディズニーはコンテンツ作りについて、一貫した姿勢を貫いていた。それは「何よりもストーリーが大事」という考え方だ。つまり、アニメを作る際、どんなに絵が美しくあっても、結局のところストーリーがしっかりしていなければダメ。ストーリーはいくつもの層を織りなして重厚な物語を構築していくことで人々に感動を与えることができる、とウォルトは常にスタッフたちに語ってきた。

で、この考え方はテーマパークを建設する際にもやはり踏襲された。ウォルトはディズニーランド(55年オープン)を建設するにあたって、これを自ら実践してみせたのだ。構想の段階から徹底的に関与し、さらに建設にあたっては現場に自分用の詰め所を作り(ディズニーランドパークのエントランスを入ってすぐ左手にあるファイヤーステーションの二階(現存)がそれだ)、建設のプロセスを厳しく監視した。その有名なエピソードのひとつには建設されたものを全部やり直させた事件がある。ある日、建設中のパーク内を歩いていたウォルトはあるものを見つけ、火のように怒った。

「なぜパーク内に電柱があるんだ!!!」

ウォルトからすれば夢の国=ウォルトの国(だから「ディズニーランド=Disneyが作った国=オレの国=剛田武ワンマンショー」なんだけど)には電柱なんて現実的なものはいらないのだ。電柱は非日常=夢を破壊する。

「全てを撤去して地中に埋めろ!!」

って、べらぼうな費用がかかるじゃないか?って、そんなことはお構いなしである。全てやり直しになり、かくしてパーク内には電柱が一本もないということになった。そう、物語の徹底はこういう些末なところにまで神経が行き渡っていたのだ。

物語の重視はアトラクションにも現れている。

ウォルトが最も気に入っていたのは「魅惑のチキルーム」と「イッツァ・スモールワールド」だった。二つはオーディオ・アニマトロニクスによるショーだけれど、どちらにも物語がある。一方、ウォルトはジェットコースター・タイプの絶叫マシンについては否定的だった。要するにこれは身体的な「衝撃に訴える乗り物」で「物語がない」から。だから生前、ディズニーランドにあった絶叫マシンはマッターホーン・ボブスレーだけだった(しかも、これもストーリーがある。ゲストは最後にイエティに吠えられる)。スペースマウンテンが建設されるのはウォルトの死後だ(スペマンにも、やっぱり、物語はつけられている)。

物語がどんどん崩壊していくTDLとTDS

一方、東京ディズニーリゾートの二つのテーマパークは21世紀になってどんどんと物語性を喪失していった。

TDLとTDSは、ここまで表記してきたように、一般には「テーマパーク」と呼ばれている。テーマパークとは一定空間をテーマによって統一し、環境を作り上げてしまうことで、ハイパーリアルな空間を創造する娯楽施設を指している。そしてこのテーマの統一を可能にする仕掛けが物語なのだ。つまりテーマランドの中にあるアトラクション、レストラン、みやげ物屋、アトモスフィアといったものが同一テーマの中で相互に関連して幾層ものストーリーを作り上げる。これが、結果としてパークのテーマ性としてのリアリティと重層感を作り上げる。なんのことはない、年季の入った家具みたいに何回も塗装されて黒光りし、歴史の厚みと家具の味が出てくる、それによってますますテーマ性がリアリティを帯び、空間全体がアウラに包まれていくというわけだ。それは「この空間には何か深いいわれがある」いう感覚によってフィードバックされ、ゲストたちを物語によるホーリスティックなめまいに誘い込んでいくのだ。

これが完璧に実践されているのがアナハイムの元祖ディズニーランド(ディズニーランド・パーク)で、パーク内を散策すると、その50年以上にわたる歴史を年輪をあちこちに感じることができる。例えばかつてのアトラクションがあったところが完全には解体されず、一部アトモスフィアとして残されていたり、同じ場所に全く同じタイプのアトラクションを現代ふうにアレンジして建設したり(トゥモウロウランドにあるファインディング・ニモ・サブマリン・ボヤージは、かつて潜水艦のアトラクションがあった場所に建設されている)。こうすることによって、子供は最新のアトラクションに興じることができるし、一方でかつて子供だった頃ここを訪れた大人も、ノスタルジーに浸ることができるという、ウォルトがパークオープン時に提唱した「ファミリー・エンターテインメントの」理念が具現されている。

さて、一方の東京ディズニーリゾート二つのテーマパークはどうだろう?もう、言うまでもないことだけれど、こういったテーマの重層による物語の厚みが感じられることはほとんどない。むしろ、年を経るにつれて、どんどんテーマ性が破壊し、物語が薄っぺらになっているのだ。そして、こういった脱テーマパーク化といった現象が、かつてのディズニーランドフリークたちを離脱させていると僕は考えているのだけれど。

なぜ?(続く)