イメージ 1

TDSに新しくオープンしたアトラクション”ジャスミンのフライング・カーペット”


ディズニーランドを修士論文のテーマにした人間が二つのパークに見切りをつけた?

先日のこと。研究会の中で雑談になったとき、大学院OBの女性がふと、次のようにつぶやいた。
「TDL(東京ディズニーランド)へ行ってもTDS(東京ディズニーシー)に行っても、最近はウンザリする。とにかく、もうあそこは私のDisneyじゃなくなっているし。はっきり言ってゲストにはかなりむかつくわ」

彼女は修論でディズニーランド論を書いた。そしてそのためにTDLでキャストとして働きフィールドワークまで行った人物。もちろんDisney大好き人間でもある。ところが、二つのテーマパークに関しては、このモノのイイなのだ。フィールドワークをやっている頃からもゲストの自己中さや、Disneyの精神、つまりウォルトの理念など踏まえないオリエンタルランドの運営方針に彼女はいらだちを覚えていたのだけれど、それを通り越してもはやTDS、TDLに行くモチベーションを失いつつあることを告白したのだ。

熱狂から醒めてしまった弟夫婦

そういえば、これと同じことが、以前にもあった。それは僕の弟だ。弟と僕は29年前、TDLのオープニング・キャストとして働いた経験がある。弟はスペースマウンテン、そして僕はグランドサーキット・レースウェイだった。そして、弟は熱狂的なファンだった(弟が初めて行った海外はアメリカ、ロサンゼルス(85年)。要するにそのちょっと先のアナハイムにあるディズニーランドに行くことが目的だった)。現在の奥さん(義妹)も恋人時代には彼女をシンデレラ城のミステリー・ツアーで働かせたほど。結婚後、子供ができてからは典型的なDisneyファミリーとなった。年パスを持ってパークに出かけ、世界中のテーマパークも訪れたのだけれど……21世紀に入ってから、これがパタリと止まってしまったのだ。

で、全然行かなくなってしまった理由を尋ねたとき、それに真っ先に答えたのは弟ではなく奥さんのほうだった。

「もうあそこは、終わってる。ディズニーランドじゃない。ゲストも酷いし」

”ふ~ん、そういうもんかなぁ。TDLもTDSももっと奥行きがあって、掘り下げるところはあるんじゃないの?”

彼女の捨て台詞に近いこの発言に僕はそう思ったのだが……今回の院生OBの発言にもまたディズニーランド・フリークの離脱という状況に遭遇したと僕は感じたのだった。

僕はTDLとTDSのファンではなかった

でも、なんでだろう?そう思ったとき彼女は僕に質問してきた。

「先生は、まだTDLやTDSに行きますよねえ。でも、どう見ても面白そうには見えないし、酷いことになっているとおっしゃっているでしょ。行く理由なんかないように思えるんですが。なぜ、それでも出かけるんですか? 何を見に行っているんですか?」

そう指摘されて、ハタと自分のことを考え直し、その答えに窮してしまった。確かにそうだ。このブログでもずっと展開してきているけれど、僕はTDLやTDSがどんどんDisneyらしさを失っていることを指摘してきた。だったら、彼らと同じように出かける理由など確かにないはずだ。でも、僕は相変わらず出かけている。

しばらくの沈黙の後、僕の口は、彼女に次のことばを発していた

「二つのパークの崩壊加減とか、ゲストの嗜好の細分化とか……」

思わずそう答えた時、僕は、TDL、TDSに対する自分のスタンスに気付いたのだった(というか、自分の発言によって自分が気付かされたのだけれど)。つまり、弟や義妹、そして院生OBの彼女は二つのパークの熱狂的なファン。だから、その変わり果てた姿に気持ちが萎えてしまった。一方、僕は、実は本当のところ、この二つのパークのファンではない。メディア論、そしてシステム論という観点からパークに、そしてDisneyというメディア企業に関心を持っているに過ぎない。だから、僕はパークのテーマ崩壊過程も、ゲストの自己中化もそういった社会学的関心の延長上に位置づけているから好奇心が萎えない……(^_^;。

熱狂的なファンであればあるほど、いずれパークに飽きる?

まあ、僕のことはいいだろう。でも、こうやって長きにわたってDisney世界に徹底的に耽溺した人間たちの離脱、実は僕の弟夫婦や院生OBだけに限ったことではないのではなかろうか。そして、そういった現象があちこちに発生しているとしたら、それはそういった「通過儀礼」的なものとして二つのパークが日本人に受け入れられているということでもある。そして、それは本家アメリカとは異なる、もう一つの「通過儀礼」を生んでいることになるのだけれど。

次回は、ちょっとこれを、考えてみたい。(続く)