Appleがクローズド・プラットフォームを頑なに維持し続けることで20世紀末に消滅の危機にいたり、また21世紀にはわれわれのメディア・ライフを根底から変容するような大復活を遂げたことについて考えている。

前回はMacOSのクローズド・プラットフォームがMicrosoftOS(MS-DOS、Windows)のオープン・プラットフォームという「多数派工作」、つまりOSをハードメーカーにライセンスすることによってマイノリティに追いやられ、消滅寸前に至ったところまでを説明しておいた。

さて、今回は21世紀に入ってからのApple(iOS、そしてMacOS)の反撃についてみていこう。同じクローズド・プラットフォームというアナクロな戦略を採りながら、なぜ復活を遂げたのか。

インターネット社会が要求する取り回しの良さ

先ず、その大きな理由として社会的背景があげられる。それはAppleがベタに関与している情報化社会、ITCにおける環境の変容だ。インターネットの功績は全てのモノをデジタルで世界大に結びつけてしまったこと。文字、画像、映像、音声はもちろんだが、これらを用いて人やビジネスを結びつけてしまったことが最も僕たちの環境を大きく変容させた部分だ。そして、それはモノやコトについての、かなり厳密で、しかも正確な評価を多くの人間に提供することを可能にしていった。

たとえば価格比較サイト・価格コムを考えてみよう。ご存知のように、このサイトは商品の価格をとりまとめたサイトだ。ネット通販を行っているサイトの商品情報が商品ごとに掲載されている。だから、お目当てとする商品の一番安い販売価格にたどり着くことができる(ヤマダやヨドバシよりもはるかに安い)。ただし、ここで重要なのは価格だけではない。むしろレビューや口コミの方が重要だ。購入者がここに書き込みをし評価する。また価格コム自体でも統計をとって人気ランキングや満足度ランキングを掲載しているので、価格だけでなく商品の品定めも実際に手に取ってみることなく可能だ。つまり、価格コムというサイトを開いただけで、最安値と評価が誰でも一目瞭然となるのだ。

みんなが最適情報に容易にたどり着けるようになる

で、誰もがこういったサイトにアクセスするようになればどうなるか?必然的に商品は淘汰されていくことになる。たとえばどの製品が性能的に優れていて、デザイン的にもよいなんてのがかなりの割合でわかってしまうのだ。つまり、かつては個人が自力で情報をかいくぐりつつ物事の良し悪しを判断していた。しかし、それはそれぞれの任意の判断だったので客観性に乏しく、それゆえ売る側とすれば商品の性能とは直接は関係のないレベル(販売ルートの強力さ、他企業との提携、商品におまけを付けるなどの戦略)での顧客の取り込みを可能にしていた。つまり、売り手は消費者の性能判断が難しいというところにつけ込んでいたのだ。ところが、価格コムのところで見てきたように、情報化によって商品は規格化された状態で、しかも正確性を持って均一に提供されるようになった。そして、こういった情報環境の整備は、人々が物事を誤って判断してしまうような可能性を必然的に低減していく(これは当然、これまでの商品性能以外で販売するという戦略が功を奏さなくなることを意味している)。つまり、消費者は黙って従っていれば自動的に最適なモノ、コトが得られるような環境が整備されていくという「超管理状態」が出現しはじめたのだ。

アップル製品の質の高さが青天白日の下に晒された?

これがAppleのクローズド・プラットフォームというスタンスを援護することとなるのだ。前回指摘していたようにMacOSはそのシステムの先進性、ヒューマン・インターフェイスで80年代から90年代前半にかけてMicrosoftのそれを圧倒的に凌駕していた。しかし、Microsoftはオープン・プラットフォーム戦略によってハードメーカーを囲い込み、AppleのMacOSを少数派に持ち込むことに成功していた。

ところが、iPod、iPhone、iPadという、Appleが21世紀に入って世に放った一連のディバイスは同じクローズド・プラットフォームでありながらMacOSのようにはならなかったのだ。その先進性が情報化の進展で多くの人々に認知されることになったからだ。いや、衰退したMacOSさえも、こういったAppleのMac以外の製品の恩恵を受けてシェアを拡大するに至っている。これは要するに情報環境による機能の優秀性の浸透がオープン・プラットフォームによる囲い込みに対抗しうるだけの説得力を持ち始めたことを意味していると言ってよいだろう。

覇権を握ったiTunesとiOS、依然マイノリティのMacOS

ただし、この話はちょっと先を行きすぎている。というのも、MacOSは21世紀を長らえることに成功こそしたが、パソコンOSの覇権は依然としてMicrosoftが握っているからだ。だから、生き延びたからと言って依然としてマイノリティであるMacOSの存在と、その後にAppleが放ったiTunesという音楽ソフトウェア、そしてiPhoneとiPadに搭載されているiOSは別次元で語らなければならない。前者は価値が認められたと言ってもしょせんはマイノリティだし、しかもMicrosoftのOSはMacOSに肉薄する技術を備えつつある。一方で、iTunesとiOSは覇権を握っていると言っても過言ではないからだ。

だからクローズド・プラットフォームとオープン・プラットフォームのせめぎ合いについての分析は、さらに別の要素を踏まえなければならない。じゃあ、それは何か。(続く)