ご存知のように、ここ数年のアップルの成長はめざましい。90年代末には「余命90日」とすら呼ばれるような苦境に立たされていたのが、ジョブズ復帰後iMac、iPod、iPhone、iPadと次々とヒット商品を生み、メディア革命を起こしてしまったことはご存知の通りだ。そして、この勢いはジョブス亡き後も続いている。

で、今回は21世紀に入ってからのAppleの快進撃を「クローズド・プラットフォーム」という視点から考えてみたい。この時代遅れ的な発想をジョブズは頑なに求め続けたことで、Appleは倒産の危機に陥り、そして今度は逆に世界を席巻することになったのだけれど。でも、なぜかつてはダメと言われたクローズド・プラットフォームの手法が21世紀に入り再び有効な手段とみなされるようになったのだろうか。僕は、実は、これは情報化社会がたどり着いた必然的結果なのだと考えている。また、この手法が未来を作るのだと考えてもいるのだけれど。

クローズド・プラットフォームとは

先ずことばについて押さえておこう。クローズド・プラットフォームとは何か?まあ、これはコンピューター関連のことばで、環境と要素の関係を表している。プラットフォームは駅のプラットフォーム(いわゆる”ホーム”)のことを思い浮かべてもらえばいいだろう。ここにはいろんなところから、そしていろんなところへ向かう列車が乗り付ける。で、次はクローズド=閉じたの意味になるけれど、これは対義語のオープン=開いたの比較で説明するとわかりやすい。鉄道の例を挙げれば、オープン・プラットフォームはいろんな鉄道会社の列車が乗り付けるプラットフォームということになるし、クローズド・プラットフォームなら一社の列車のみが乗り付けるということになる。たとえば日本でのクローズド・プラットフォームの典型は新幹線だろう。線路の幅の違いもあって(日本の一般的な鉄道幅は狭軌、新幹線は標準軌)、新幹線のプラットフォームには新幹線しか入れない。

で、これをコンピューターの世界にあてはめればプラットフォームはOSということになる。MacOSは典型的なクローズド・プラットフォームだ。MacOSはMacintoshというハード専用。他メーカーのハードは全く使えない閉鎖系だ。一方、マイクロソフトが提供しているOSはその逆、つまり典型的なオープン・プラットフォームでデル、ソニー、レノボ、東芝、富士通などさまざまなハードに搭載が可能だ。

クローズド・プラットフォームのおかげでアドバンテージを生かせず沈没していったApple

85年、Appleは現在のウインドウ、ポインタ、マウスという形式(GUI=グラフィカル・ユーザー・インターフェイスと呼ぶ)を採用した画期的なパソコンとしてMacintoshを発売した。その性能と使いやすさは、市場を席巻していた当時のマイクロソフトのOS、MS-DOSが足もとにも及ばないスグレモノだった(マイクロソフトがWindows95によって、MacOSとほぼ同じモノを世に問うまで十年を要した)。

ところが、市場はこの使いづらいMS-DOSを支持したのだ。理由は二つ。一つはオープン・プラットフォームゆえ、さまざまなパソコンハード・メーカーが一斉にこれを採用したから。つまり多数派を味方に付けたことで性能を凌駕してしまったのだ。もう一つはマックの価格。とにかくべらぼうに高かった。これは製作費自体がかかったこともあるが、Apple(当時は”アップルコンピューター”)がかなりの粗利をかせいでいたことによる。世間では医者や弁護士、アーティストの道具みたいな認識が抱かれた。「パソコン界のポルシェ」という仇名はそういった当時のマックの置かれた位置を象徴する。それでも、これを熱烈にほしがるユーザーも多く、彼らは借金までこれを購入した。だからMacintoshは「借金トッシュ」とまで呼ばれたほどだった。

だが、AppleのOSとハードの抱き合わせ販売というクローズド・プラットフォームは続けられた。Appleのスタッフはビジネスを甘く見ていたのだ。その結果、マックそしてMacOSのシェアはジリジリと下がり続け、97年には前述したように余命90日と呼ばれるまでにAppleは弱体化したのだった。世はまさにマイクロソフトの時代。ビル・ゲイツはハードメーカー各社にMS-DOS、そしてWindowsのライセンスを供与することによってパソコン界のガリバーにまでのし上がる(ちなみにマイクロソフトのOSはインテルのCPU上でしか作動しなかったので、インテルもまたマイクロソフトと同様シリコン・チップ界のガリバーとなった。この二つの企業が組んで世界を席巻したことから、二企業の共闘は”Wintel”とまで呼ばれるようになった。

Appleがなぜかゾンビのように蘇った

ところがこのWintelによる支配が21世紀に入り怪しくなってくる。インターネットという新しいメディア環境が本格的に世界に浸透していった結果、もう死ぬはずだったAppleが息を吹き返すどころか快進撃を続け、ついにはマイクロソフトを抜き去るまでに至ってしまったのだ。だが、その間、一貫してAppleはクローズド・プラットフォームというスタンスを変えることはなかったのだ。

ということはAppleはかつて自らが衰退していった元凶であるクローズド・プラットフォームで再生したと考えられないこともないのだ。

クローズド・プラットフォーム、時代はなぜこの古めかしいシステムを支持したのか。(続く)