スマホを「賢いケータイ」ではなく「機動性の高い持ち運びのできるウエアラブル・コンピュータ」とみなした場合のスマホライフについて考えている。前回まで紹介したように、僕のメディア・ライフはほぼスマホライフとなった。つまり朝起きてから寝るまで、いや、寝てからですらスマホに依存するものになったのだ。こういったスマホへのメディアライフの一元化は、必然的に、これまで僕がやってきたメディア・ライフはを大幅に変更することになる。で、今回はその変容について展開する。ちなみに、これはあくまでも僕の場合ということになるということをお断りしておくけれど、近い将来、つまりスマホが現代人の必携メディアとなったときには、恐らく同様のメディアシフトが発生するだろうと僕は考えている。だからその一例と考えていただければ幸いだ。

じゃあ、どう変わったのか。だが、その前に叩き台として、今回は最初にスマホ導入前の僕のメディア・ライフを示し、それとの比較で導入後の状況をお話してみたい。

スマホ導入以前~ノート・パソコンライフな日々

スマホを導入するまで、僕のメディアライフの中心は ノート・ パソコン、iPod、テレビ、本・雑誌、新聞、ケータイ、メモ帳、そしてカメラだった。そして、これらをそれぞれバラバラに使うというパターンだった。で、これを前回みたいに一日の時間軸で展開してみよう。

朝は新聞、テレビ、iPod、iPodShuffle、ときどきパソコン

朝起きると朝食をとりながら新聞に眼を通す。ただし、時間があまりないのでザッと眼を通すという感じ。で、その傍らテレビは朝のワイドショーを付けっぱなし。「目覚ましテレビ」「朝ズバ」「やじうまワイド」など、その日によって番組を使い分ける。八時からは「特ダネ」にスイッチ。しかし、そうこうするうちに出勤の時間となる。移動中はiPodShuffleで英会話を聞く。電車内で運良く座ることができる場合にはパソコンを開きスケジュールをチェックし、さらにブログを執筆。その間はイヤフォンをiPodに切り替え音楽を流す。大学最寄りの駅からはバスになるので、ここで再びShuffleにチェンジして、再び英会話。

大学ではパソコンとメモ帳ライフ

大学に到着すると授業用の資料をプリンターで印刷(研究室内はWi-Fi環境なのでワイヤレスで接続)。次に大型ディスプレイにパソコンを接続してネットを開き、メールとサイトをチェックする。プレゼンテーションツール(Keynote)を使用するときには、こちらの準備も。この時、もちろん研究室内はMacのiTunesからオーディオから音楽が流れている。アポ取りや連絡のメモはメモ帳で。ただし、これがパソコンのスケジューラーソフトと連動していないので、なかなかややこしい。パソコンのメモパッドにちょこっとメモって置いたものをメモ帳に転記するのを忘れてしまうなんてこともしばしば。煩雑だ!

会議にはパソコンを持ち込む。手書きメモでもいいのだけれど、僕は字が思い切りヘタ(文章をキーボードで打つという生活を始めてから既に三十年が経過。漢字リテラシーについては読めても書けないレベルにまで退化した)、半面キーボード入力がものすごく速いので(かつてNECが開発したM式(母音字を左手、子音字を右手に分割することで、常に入力が左右交互となるという、日本語入力にとっては画期的な方式)という入力方式をキーボード配列をカスタマイズして使っている)、どうしてもパソコン持参になるのだけれど、まあ、がさ張ることにかわりはない。

学生相手の作業は膨大、だから分業体制で

学生の管理については、ゼミ生それぞれに役割を振り、彼らに担当させる。学生と密接に関わり、それぞれにいちいちに指示を出していたのではこちらの能力の限界に達してしまうので分業体制を採っているのだ。ただし、これだと学生の力量もあり、僕のうっかりもあるので、しばしば連絡はちぐはぐになる。この間、事務連絡でケータイがしばしば稼働していることはいうまでもない。

で、帰宅の道では朝の通勤時と同じように音楽=iPod、英会話=iPodShuffle、ブログ=パソコンという展開に。

帰宅後もメディアをマルチに使いこなす?

帰宅後、自宅では ノート・ パソコンを自室の大型のディスプレイに接続(面倒くさいときは居間でそのまま使う)、作業の続きとかネットのブラウズとかメールをチェック。で、その後ゆっくりと新聞を読み、テレビを楽しみ(報道や深夜のバラエティが中心。ドラマはほとんど見ない)、読書に耽る。ただし、アルコールという「メタ・メディア」がこれに加わると、実質的なメディアライフは終了になってしまうのだけれど(酔っ払って、友だちに電話するという非常に相手に迷惑なメディアライフを除きだけれど(^_^;)。

読書と撮影は目的意識を持って、時間を作ってやるしかない

この中で、結構、抜けているメディアは雑誌と本、そしてカメラだ。雑誌と本は帰宅途中スポーツクラブに行くついでに書店をチェックし、気になるものは購入する。専門関係の本は置いてないので帰宅後Amazonでチェックしたり(これぞと思ったものは速攻でポチる。これはCDや映像メディアも同じ)、休日に神保町に出かけたりして物色。しかし、じっくり読む時間がないので、読書の楽しみは休日とか長期の休み中(春・夏・冬休み)に、リゾートに逃げ込んでじっくりやる。こうなると仕事からも学生からも、くだらないメディアコンテンツからも逃避できて勉強に集中できる。カメラ(RICOH GX200)についてはほとんど利用することがない。どこかに出かけるとき、つまり旅行や調査、取材といった用途で初めてこれを持ち歩く。だから普段は引き出しの中に収まったままだ。いざとなったとき、こいつが登場する。

だが、こういったメディアライフのほとんどがスマホの導入によって一元化されてしまったのだ。そして、この集約は翻って、それぞれのメディアの利用方法、利用パターン、メディア意識をドラスティックに変容させることになったのだが……。(続く)