レビューの書き方について考えている。前回はレビューには「好き勝手なことを書いてもいい」と述べておいた。ただし、書き込む僕たち個人は、映画評論家のおすぎとは違って匿名的存在であり、社会性を持たない。だから、好き勝手なことを書く場合には、その内容に社会性を盛り込まなければならないこと、そのためにはマックス・ウェーバーの言う「価値自由」、つまりこの書き込みがあくまで個人的な意見であることを宣言しておくことの必要性を指摘しておいた。

ただし、これだけだと最低限のマナー・ルールを守っているだけ。だから、前回はこれを「価値自由レベル1」と表記しておいた。いいかえれば、もっと説得力のあるレビューを書くためにはさらに社会性=有用性の高い、つまり「価値自由レベル2」の表現を志向する必要がある。

レベル2は自己の立ち位置の対象化

レベル2はレベル1にもう一つ条件が加わる。その手続きは自らの見解の対象化、相対化をもう一歩進めることによる。レベル1では、自らのコメントがあくまでも個人的な視点でしかないことを読み手に明確に示すというものだった。で、レベル2の場合、これに自らの拠って立つ位置をはっきりさせることが加わる。つまり「自分は、こういう立場、立ち位置で議論を展開しています」と明確に宣言する。いちばん初歩的なレベルは「この作品を傑作(あるいは駄作)という立場から展開する」なんてのが、これにあたる。もう少しレベルを上げれば「○○監督のこれまでの作風との関連から展開する」「歴史考証の立場から展開する」といった展開になる。まあ、ちょっとディベートみたいに感じになるのだけれど、レビューを行う自分の立場をはっきりさせることで、今度はコメントの内容に関する立場を対象化するわけだ。

つまり個人的意見と立場だけ宣言するだけのものに、さらに、その個人的意見の立ち位置を対象化することで、形式と内容二つの側面で価値自由が生まれる(レベル2)というわけだ。そして、これはレベルの高い「良心的な」ジャーナリズムが採用している視点だ(ちなみに、現在のジャーナリストのほとんどは、これがダメになっているので、とにかくキャッチーなものとか、足を引っ張るものとかに食いつく“出歯亀”になっている。この連中は視聴率や発行部数の奴隷なのだ。そして、残念なことにそのここに気付いていない)。

立ち位置を対象化していないと、場合によっては知らないうちに国粋主義者になる?

さて、こういう視点(レベル1、2)を持たないでレビューを展開するとどうなるか?その具体例を僕のゼミ生が卒論で展開してくれたので、ちょっとご紹介しておこう。彼が取り上げたのはハリウッドが日本を題材にした映画。そのうち「ラストサムライ」と「SAYURI」では、もっぱら作品の時代考証的な視点への批判が相次いだのだ。「浦賀からあの位置に富士山が見えるのはおかしい」「夫を殺した男(トム・クルーズ)とキスする侍の妻なんてことはあり得ない」「政府への反逆者となってしまったトム・クルーズ演じるオルグレンが天皇に謁見できるのはヘンだ」「なぜサユリが中国人なんだ」「芸者たちは、その振る舞いが雑すぎる」などなど。

まあ、たしかにヘンではある。しかし、これと同様のことは日本の時代劇でもいくらでもある。たとえば「水戸黄門」で水戸光圀は水戸藩から外に出たことなんかないのに日本中を漫遊している。また「暴れん坊将軍」で徳川吉宗は一町民として江戸を闊歩しているわけで。身につけている衣装だってメチャクチャだ。にもかかわらず、日本で制作される時代考証のメチャクチャさにはおとがめはナシ。ようするに、この場合、レビューワーたちは、無意識のうちに自らがナショナリストになり、このナショナリストの立ち位置からは不適切なハリウッドの表現を叩いている(だから、同じ日本人がメチャクチャを描いても文句を言わない。同じ日本人がやる場合には無意識のうちに免罪してしまうのだ)。しかし、こういった「ナショナリストとしての立ち位置」を、これらのレビューワーは自覚していない。だから、かなりみっともないのだ。自らが、こういったドグマに陥っていることに気付いていないからだ。つまり「無知の知を知らない」。

レベル2はレビューと討論を文芸の領域に押し上げる

このようなレベル2のマナーを書き手とレビューワー双方が備えていれば、議論を展開する場合には、書き手は自らの立ち位置を明確にし(価値自由)、また読み手=レビューワーの方は書き手の立ち位置を良く踏まえながら理解し(こっちの方は「動機の意味理解」とウェーバーは呼んでいる)、そして、双方がその相違を吟味し、それに基づいて、それぞれの立ち位置をさら吟味し議論を深めていくことができる。こうなると、議論は結構スリリングなものになっていく。さらにレビューや討論というのは文芸のレベルにまで質を向上させることができるようになる。

しかし、さらにもう一つ、レベル3がある。それは、アカデミズムの領域に踏み込むことになるのだけれど。(続く)