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雑誌「旅行人」が消え、霧島温泉・旅行人山荘が残った(こちらは大繁盛。霧島で評判の溫泉だ)。ちなみに看板は「旅行人」のもの。


「旅情の楽しみとしての読み物」という機能だけが残ったが

バックパッカー向け情報誌「旅行人」の休刊について考えている。前回まで、その原因としてバックパッキング・バブルがはじけたこと、そしてバックパッキングがトリビアなスキマ情報であるため、こういった情報についてはより詳細で、簡単にアクセス可能なインターネットにその機能を奪われたことを挙げておいた。後者について補足すれば、ネット情報の方が詳細、迅速、正確、確実(ただし、情報リテラシーが必要だが)。つまり、インターネットの提供するバックパッキングに関する情報は「旅行人」のそれをはるかに凌いでいたのである。

ということは、もう「旅行人」やることはなくなってしまったのだ。それまでの熱心な読者も、その情報アクセスについては次第にネットに移行した。だから情報誌としての機能は失われた。にもかかわらず月刊から季刊、そして上下刊→休刊というかたちで緩慢に死を迎えることができたのは、紀行文などによって雑誌を読むことで旅情に浸ることができたからだ。つまり「旅行人」は”情報にアクセスするもの”から”読み物”に変化していったのだ。

「読み物」としても賞味期限切れになった

しかし、やはり緩慢ながら死を迎えたということは、最終的に“読み物”としての機能もまた、失われたからに他ならない。2012年上刊、つまり最終刊の特集は「世界で唯一の、私の場所」というタイトルだった。これは旅ライターに見開き2ページにわたって、自分にとってのお気に入りの場所を綴ってもらったもの。椎名誠、下川裕治、小林紀晴、グレゴリ青山、前川健一といったライターたちが登場するが、おそらくこれらの作家の書物=紀行文に親しんでいるのは30代後半以上の、「かつてのバックパッカー」たち。だから、これら「かつての蒼々たる顔ぶれ」は、現在の若者には馴染みのない存在だろう(おそらく若者たちが、彼らの文章を読んだら「胡散臭いライター」という印象しか抱かないだろう)。だから、休刊号を購入するのはかつてのファンたちでしかない。そう、「旅行人」は完全にその歴史的使命を終えてしまっているのだ。

2月12日、僕は、現在、鹿児島霧島にある溫泉旅行人山荘でオーナーを務める、「旅行人」編集長の蔵前仁一の兄・壮一氏にお会いし、この辺の事情を伺った(壮一氏は、家業であるこのホテルを継ぐまでは、東京で「旅行人」の運営に携わっていた)。

「もう、時代が変わったって言うことなんですかね。弟も「これを続ける社会的意義なんかあるのか?」とボヤいていました。」

蔵前仁一は、すでに前年の上刊号で休刊を宣言していたという。

それでもバックパッキングはなくならない

最後に、誤解のないように一つだけ加えておかなければならないことがある。それは「旅行人」の消滅=バックパッキングの消滅、はないということだ。バックパッキング・バブルははじけた。だが、バックパッキングはかつてのそれほどではないにしても、旅のスタイルとしてすっかり定着したことも確かなのだ。昨年の夏、僕は例年通りバンコク・カオサン地区に二週間ほど滞在し、日本人の旅行者を観察することができた。一昨年こそ、タイの政情不安で日本人バックパッカーは激減したが、この夏は再び旅行者の数は復活している。もちろん、かつてに比べれば減少した感は否めないが、それは海外旅行熱が下がったことと同じ。だから、バックパッキングという旅スタイルが消滅することはちょっと考えられない。ただただ単に、旅を巡る社会の情勢が変化した、それに伴ってバックパッキングも、そのスタイルの変化を遂げている。そんなふうに捉えるのが、とりあえずは正鵠を射ているのではないか。

ちなみに、僕のバックパッキングも続く。ただし、やはりそのスタイルを変えながら。