インターネットという怪物

バックパッキングの情報誌「旅行人」が休刊した原因についてメディア論的な視点から考えている。その原因が情報インフラの充実とそれに伴う価値観の相対化に求められること。そして、その具体的な流れの一つとしてバックパッキング・バブルの消滅を前回指摘しておいた。今回は、インターネット環境の出現との関連について考えてみよう。

購入可能な「情報ノート」としての「旅行人」

バックパッキングの醍醐味はガイドブックには書かれていない場所へ行き、そこで自らの脚と頭とコミュニケーションを使って旅の情報を入手し、旅行地へ向かうというところにある。当然、こういった旅の情報はパリのエッフェル塔に登るとかニューヨークの自由の女神にいくというのとはわけが違って、情報は簡単には入手が難しい。そこへ向かう旅行者の数が圧倒的に少ないので、ガイドブックなどには掲載されないのだ(ガイドブックとしては危険な可能性のある場所は掲載を避けるという傾向もあるので、その結果バックパッカーたちが求める情報はこれらには掲載されないことになる)。必然的にバックパッキングは一般のパックツアーに比べると、情報収集においてはるかに高度なレベルを必要とする。

こういったトリビアな情報をフォローしたのが「旅行人」だった。もともと出版部数をメジャーの旅行誌のように大々的に拡大するというようなことは志向していないゆえ、これらのニッチな情報を取り扱うにはちょうどよかったのだ。本誌のもともとのアイデアは、バックパッカーが投宿するゲストハウスに置かれている「情報ノート」から始まっている(前身となった「遊星通信」はベタに情報ノート的な色彩を帯びていた)。これは70~80年代、世界各地で人気のゲストハウス=安宿には必ずといっていいほど置かれていたものだった。一般の大学ノート程度のものに、宿泊客が思い思いに旅の情報を書き込むのだ。バックパッカーたちはこの情報ノートをチェックすること(そして書き込むこと)も旅の楽しみの一つだった。そこには、自らがこれから向かう旅先についての細かな情報が書き込まれているという点では有用な情報であり、また思い思いに綴った旅に関する文面は、それを読むことでどっぷりと旅情に浸ることができたのだ。

そして、こういった旅の情報ノートを同人誌、さらに情報誌というかたちで実現したのが「旅行人」だった。つまり「書店で購入できる、濃密な情報ノート」が「旅行人」だったのだ。

インターネットと完全に機能が重なってしまった

ところが、このトリビアな情報、そして個人による口コミ情報をウリとすることが仇となる。これら機能が完全にインターネットカブってしまったのだ。つまり、旅について知りたい情報があればググればいいということになった。ネット上の情報は膨大。バックパッカーたちがトリビアで詳細な情報を書き込んでいる。だから、知りたい情報のあらかたはそこから入手することが可能。また、旅行地やゲストハウス、ホテルについての評判みたいなものも調べられる「とりまとめサイト」もある。Trip Advisorなどはその典型だ。

僕のリゾートさがしを例にとれば

ちょっと、僕の例を挙げてみよう。かつて、僕は以前、島にリゾート=沈没する際には次のような情報行動をとっていた。先ず、どこでもいいから島の中心部の、リゾートでもなんでもない格安のゲストハウスに一泊する。その間、バイクを借りて島中を巡り、ベストのリゾートを探す。で、お気に入りの場所が見つかったら、今度は旅行代理店を探しディスカウント価格でそこに宿泊する。こうやると、直にリゾートを確かめられるので間違いがない。その代わり一日中、バイクでグルグル回るので、泳ぐ前に土方焼けしてしまったけれど。

ところが、今はこんなことは一切やらない。自宅でTrip Advisorを開き、レビューを読み、リゾートのオフィシャル・ページに向かい、ExpediaやAgodaなどの予約サイトからディスカウント価格で予約を入れる。もちろん、これら全ては、日本にいる間にやれることで、あたりまえだけど土方焼けすることもない。そして、こうやって調べたものについては、ほぼ間違いがない結果を得られる(いや、むしろ詳細にわたって調べ上げることが可能)。つまり、ゴキゲンなリゾートに宿泊できるのだ。しかも、脚(バイク?)を使って調べた価格よりはるかに安く。

そして「読み物」としての機能が残った、はずなのだが……

こうやって「旅行人」からは、バックパッカー向けのトリビアな旅の情報提供という機能が失われた。その結果、残ったのは、旅情を楽しませること。つまり「読み物」として機能だった。しかし、これにも、やがて終止符が打たれるときがやってくる。(続く)