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「旅行人」最終号。編集長・蔵前仁一自ら手を振ってお別れ。残念!



バックパッカー向け情報誌「旅行人」の休刊の原因について考えている。90年代前半に創刊された本誌は、バックパッキング・ブームの牽引車として大きな役割を果たしたのだが21世紀に入って次第に発行部数を減らし、季刊、さらには年上下刊となり2012年上刊をもってその役割を終了した。僕は、この原因が編集長の蔵前仁一、そして「旅行人」のスタッフたちにあるとは決して考えない。彼らは、常に良心的な、そしてアマチュア目線を外さない良心的なスタンスで本誌を運営し、質を維持してきた。だから、むしろこのような結末になってしまったのは「時代の必然」と考える。言い換えれば、どんなに編集を工夫したところで、いずれこのような運命に至ることになることは必定のメディアであったと言えるのだ。では、なぜそんなことが言えるのか。

ブームの終わり

こうなってしまったことの原因は、一言に集約してしまえば急激な情報化による情報インフラの整備と、それに伴う若者の価値観の相対化に求められる。さらに、こういった流れは二つの側面から考えることができるだろう。

バックパッキング・バブルがはじけた

一つはバックパッキングという旅行スタイルのバブルがはじけたことに求められる。前回指摘しておいたように、86年のプラザ合意によって急激に円高が進み、これが結果として海外旅行の大衆化を日本人にもたらしていった。かつてはテレビや雑誌を通して知ることがほとんどだった海外という空間が、一気に一般に開かれたのだ。政府は86年、テン・ミリオン計画をぶち上げた。これは5年以内に海外渡航者数を1000万人に到達させようというものだったが、そのプランは一年前倒しで達成されてしまう。

だが、誰もが海外に出かけることができるようになったと言うことは、海外旅行にそれまで備わっていた「非日常」という文脈が消し去られることでもある。それは、かつて海外経験者に与えられていた特権=優越感を消し去ることでもあった。60年代半ば、赤塚不二夫はマンガ「おそ松くん」の中でイヤミというキャラクターを登場させている。イヤミはフランスかぶれで、ことあるごとに「おフランスでは」という言葉を連発した(実際には、イヤミはフランスに行ったことがない)。これは、明らかに洋行経験のある人間に対する、赤塚のイヤミならぬ「嫌味」に他ならなかった。

だが、こんな差異化の道具としては、もはや海外旅行は通用しなくなった。つまり「おフランスでは」と上から目線で語り始めたところで「だから、どーなんだ?」ということになってしまったのだ。

バックパッキングによる差異化効果の消滅

そして、この海外旅行の相対化のうねりを最も受けたのがバックパッキングだった。海外旅行をすること、さらにパックツアーではなく自分の脚で海外を周遊すること、しかも普通の訪問先ではなくインドなどのディープな場所、もう一つ加えればビンボー旅行であること。こういった差異化の要素をいくつも重ね合わせた旅のスタイルがバックパッキングだったからだ。実際、80年代、学生が就職の面接で「インドにバックパッキングしてきました」なんて語れば、面接官たちがグッと身体を前に乗り出してくるくらい、差異化の要素としては訴求力があったのだ。

こんな御利益があったので、学生たちは「自分もいかねば」と付和雷同的にバックパッキングを志向した。大手大学内の生協などに併設されている書籍コーナーは五月ともなると「地球の歩き方」が店頭に平積みされるという状況すら出現していた。

しかし、前述したように、海外旅行は21世紀に入りカジュアルなものになる。テレビでも海外取材が特番的に扱われることはなくなり、番組の1コーナーにぽつんと置かれるまでになった。そう、誰でも行けるという感覚が一般化したのだ。

また、価値観の多様化もバックパッキングの斜陽化に拍車をかけていく。バックパッカーが目指したインドだって、行こうと思えば簡単に行ける。だから、行ったところでどうってことはない。言い換えれば、それは「個人の趣味の問題」。「ビンボー旅行?そりゃ、ご苦労さん」というわけだ。メディア論的な表現をすれば、海外に、そしてバックパッキングにそれまで付与されていたアウラが消滅したのだった。

そして、かつてのピュアバックパッカーだけが残った

そして、情報化は価値観の多様化を急激な勢いで進展させていく。個人が自らの嗜好に基づいて好みの領域に頭を突っ込むオタクによるタコツボ的文化が登場したのだ。価値観がバラバラになっていくことで、バックパッキングも、そういったあまたある嗜好の一つということになった。つまり馬群に埋もれてしまったのだ。言い換えれば流行廃りではなく、一部のバックパッキングに純粋に関心を抱く若者たちが志向する旅スタイルになったのだった。まあ、でもよくよく考えてみれば、かつてのバックパッカー(70年代~80年代の「地球の歩き方」が席巻する以前)の旅に対する意識に戻っただけなのだろうけれど。当然「旅行人」に手を伸ばすのも、かつてのノリで購入していた人間たちは去り、本当にバックパッキングがしたい人だけになったのだ。

ただし、それならば、まだまだ「旅行人」は続いたはずだ。ところが、こういった「本当にバックパッキングがしたい人」たちも、ここから去って行くことになる。それはもう一つの情報化のうねりがあったからだ。それは何か?(続く)