右脳と左脳のバランス

偏差値が高い=頭がいいという俗説がまかり通っている。だが、この俗説は人間の脳の能力の内の左脳=処理能力のみを評価するという見方で、人間には右脳が備えるもう一つの能力があることを見落としている。ということは、「頭がいい」とは正しくは、左脳と右脳の両側面での能力を評価しなければならないということになるだろう。

とはいうものの、そういった評価基準を設ける前に、先ず「頭がいい」とは何かを定義づける必要があるだろう。で、狭義の「頭がいい」とは、ここまで見てきたように、一つは左脳の領域を指す。英語に置き換えるとclever、つまり「頭が切れる」ということになる。もう一つは右脳の領域働きを指す。右脳は統合能力だから、英語だとwise。物事を結びつけたり、人間関係を調整したりして全体をまとめ上げたりする能力を指す。

で、もし、この片方だけが秀でていたとしたらどうなるか。先ず左脳。これは役人みたいな仕事で花が開くだろう。自分自体は何も考えず、言われたとことを、さながらマシン/コンピューターのように迅速的確にこなす。ただし、本人はなぜそのようなことをするのかの意味については全くわからない。自らが任されている仕事=パラダイムが、システム=組織全体の中でどのように位置し、機能しているかについて考察する能力がないからだ。一方、右脳。これはアイデアマンみたいな人間が該当する。しかもいろいろできる。ただし、モノとモノ、コトとコトを併せることだけしかできないので、逆にモノそれ自体、コトそれ自体については全くといっていいほど配慮がなくなってしまう。

ということは、この二つを兼ね併せた状態が、本質的な「頭がいい」ということになるだろう。つまり、仕事を正確かつ迅速に処理し、なおかつそれらをクリエイティブに組み合わせることができるというのを「頭がいい」と考えればいいわけだ。

なぜ左脳重視社会なのか

ところが、左脳系の能力ばかりが「頭がいい」と評価するのが現代社会。そして、こういった偏見が、実は日本をヘタレ社会にしてしまったと言えないこともない。もちろん、なぜ左脳系=高偏差値系が「頭がいい」と高く評価するのかには、まっとう?な理由がある。それは右脳の能力を測定することが極めて難しいからだ。一方、左脳は偏差値によって測定可能。与えられた仕事は正確迅速にこなすかどうかを判断可能だ。ということは、とりあえず仕事ができる。一方、右脳ばっかりの人間は、余分なことばっかり考えるので、仕事ができない、ムラッ気があるなんてことで使えない。

そこで、企業側としては、採用に際して、労働力として計算可能な左脳系を優先的に採用するのが得策と考えるようになる。というのは次のような考えに基づく。左脳が高ければ、採用した際、右脳が低くても、少なくとも「働きアリ」としては使える。ところが、左脳が低くて、なおかつ右脳も低かったら、これはもう完全に戦力としては「スカ」で使いものにならない。ということは、左脳の高さは、こういった「右脳が無能であった際の保険・担保」となるからだ。

しかしながら、こういった企業の「危機管理?」が結局、アダとなっていくのだけど。(続く)